ジョー・ブラックをよろしく

監督 マーティン・ブレスト 主演 ブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンス

ad(1999年8月16日)
aaaa@aa.aaa.co.jp
はじめまして、ビデオを観ての投稿です。ルール違反でしたら削除ください。
星は、★★★★★です。テープに貼ってあったレンタル店管理シールを「ラブストーリー」から「ヒューマンドラマ」へと(勝手に)書き換えてしまいました。
さて、
御都合主義だ! あれじゃマンガだ! 物足りない!と非難轟々の生き返りシーンですが、これについて私なりの解釈(←妄想とも言う)を組み立ててみました。お暇な方、読んでみてください。
●イントロ:
デス君(←死神ジョーのこと)は、ビルの科白「それが生きることだ」を理解するために、男の子の一般的な成長プロセスを経て、成長していきます。つまり、「ピーナッツバター」を知り、「約束」を知り、「恋」を知り、「愛されるに足りない自分自身」に気づいてしまいます。次のステップは、「つたないながらの愛(=自己犠牲)を表現しようとする」あたりでしょうか?これを経ずに「それが…」の境地に辿り着くことは一般的には不可能かと思われます。
おやまあ、デス君、死神様が自己犠牲だなんて・・、それじゃ死神失格ですネ。でも、もし、デス君が愛(=自己犠牲)から逃避し、「僕ちん、人間界は無理だったみたいでちゅー。こっそりフェードアウトしまちゅー。若者の躰返しまちゅー。スーザン萌え〜」と永遠の繰り返しの中に逃げ帰ったのだとしたら、たらたら、それは、描くに値する「成長」といえるのでしょうか? そんなチンケな役を偏屈王ブラピ様が受けるかな?? 日銭のためかな???
●仮説:
「若者の躰を返す」という行為は、デス君にとっての、最初で最後のそして最大の自己犠牲であった。
●検証1:「寿命は変えられない」(64min)
どうやら、末期ガンの老婆を旅立たせることすら、デス君の独断で裁量することを許されていないようです。きっと、ビルの延命は、バカンス企画書written byデス君に記載済みで、閻魔様の承認も受けているのでしょう。デス君の気まぐれなバカンスのために、前途ある若者の命を奪うなど、言語道断。きっとデス君は、交通事故によって予定通り天寿を全うした若者の躰を、召されるまでの短い期間、特例として借りてたんでしょうネ。(suitだし)
●検証2:「おやすみ 姉妹」(64min)
おやまあ、デス君、老婆にほだされ、掟を破り、旅立たせてしまいました。どうやら、「思いやり」を知ってしまったようです。この程度なら、閻魔様も誤差とみなして黙殺してくれたかもしれません。この程度ならネ・・。
●検証3:「ドアの無い所に永遠に閉じ込められる」(154min)
このセンテンスは、浮いてます。恐らく、意図を持って脚本に組み込まれています。普通、国税局監査官にいきなりこんなこと言われても、キョトンとするだけです。「ドアの無い…」は、たぶん、死神界の極刑なんでしょうね(←死刑にゃ出来ん)。デス君は、これから行う行為によって、そうなることを覚悟していた。だから、ふいに、その情景が口をついて出てきた。最愛の人を2人同時に失うスーザンを案じ、デス君にできる唯一の事。それは、デス君を宿すため(皮肉にも)外傷無く天寿を全うした若者の躰に、魂を呼び戻すこと・・。その代償として、デス君が向かう先は、ドアの無い閉じられた空間で繰り返される永遠・・。
●検証4:「心配するな 物事は自然にうまく運ぶ」(166min)
改心する死神・・。死神失格ですネ。
以下雑感です。私はこの作品を見て、シザーハンズを思い出しました。シザーハンズ君は、年に1度、茶髪ウィノナ婆さんに思い出してもらえます。デス君はスーザンに思い出してもらえることがあるのでしょうか? 一般に「少年の瞳を宿した一人前の男」は好まれる傾向にありますが、「やることなすこと単なる少年」は、迷惑なだけかと思われます。勿論、スーザンに映ったデス君は後者です。まれにマニアな(ノニーのような)方もいらっしゃますが、スーザンはむしろファザコン気味に描かれており、マニアではない。きっと、お調子者な若者のテクに溺れ、忘れちゃうんでしょうネ。ある意味キレイな別れ方と言えなくもない。さすがデス君、だてに永遠を繰り返してない。ポッと出のハサミの寄せ集めとは格が違うゾ。・・・さて、たった1つの想い出を胸に、今もどこかで永遠を刻んでいるデス君。想い出のかわりに、平凡な日常への帰還を選ぶこともできたはず・・。少なくとも、デス君が向き合ってる永遠の中に、想いの行方を確認する術は無い・・・・・。幸せなのかな?
僕らは違うよネ。
猫(1月31日)
goronyan@d1.dion.ne.jp
★★です。
こんな事書くと、ブラピファンや配給会社に叱られるかもしれませんが。
3時間 眠りそうになるのをガマンして観ていました。
ピーナッツバターのブラピがかわいいのと、最後に気持ちいいくらいの花火がよかったくらいで。一体監督は、この映画で何が表したかったのか?わかりませんでした。原作があった ときいて、それでこの作品を作ったのか、と やっとわかりました。 確かに いいセリフがたくさんありました。
でもラスト。読めちゃったもんね。
で それはないでしょ!
だってスーザンが好きになっていったジョーは 死神ジョーだと思うし、生き返らせるなんてムチャクチャ。
ブラピ好きなんだけど、「セブンイヤーズ・・・」でもダライラマの子の方が光ってたし、本人がもっと出演する映画を選んだ方がいいんじゃないかな。いろんな顔があるのに こんなんでてたらもったいない(でも私はひそかに、彼は助演男優タイプだと思っていますが。)
何かで アンソニーホプキンズが引退か休養宣言をした、とでていたのですが、この映画 彼にとっては NO GOODだったと思うんですが。
こんなに文句いってゴメンナサイ。ホントは金返せって言ってしまいそうでした。
中1の娘もホボ おんなじ意見でした。
小倉真弓(12月28日)
ogu39@muh.biglobe.ne.jp
★★★★★です。前回言い足りなかったので、また、参加させてください。この映画の登場人物はみんなやさしい。感情をあらわにするシーンが少ない。だから、時間に追われ、ストレスをかかえている現代人には、理解しにくいのかも。この映画を一人でも多くの人が好きになれたら、もっとやさしい世の中になるのにな。ちょっとおおげさですが、そうおもいます。それから、感想というより、いつもおもうのですが、それまでは、咳払いや、がさごそなにかをさがす音、ひどい時には、携帯電話まで。ところが、あるシーンになると、もの音ひとつきこえなくなるのです。それはラブシーン!私も自分の動揺が少しでもわからないようにと、両手を頬にあてて、見るようにしています。緊張する一瞬です。大好きなジョーにまた、あいたくなりました。
小倉真弓(12月28日)
ogu39@muh.biglobe.ne.jp
見るたびに違うこの映画。でも、とても好きです。ステキなセリフがいっぱい。娘達が大きくなったら絶対みせるつもり。恋をする前に、愛を知る前に、この映画を見せます。私自身も反省させられました。もっと主人を大切にしなくてわ。そして、ブラピ。天使のような笑顔、私の心をいやしてくれます。もう6回見ましたが、スクリーンにむかって、ジョー、また会いに来たよと心のなかでつぶやきます。
routa1(12月26日)
arare@anet.or.jp
★を忘れてました。
☆☆☆(なぜか白星)。
ええ、私は、「どう判断していいかわかんない」って時だけ、ABCのレヴューを見にいって、自分の意見を改めてしまう意志薄弱なやつなんです。
どーも、意志を強く主張できない映画もあるようです。
この映画も、もちろん、最後にあの、太鼓橋(笑)のようなとこから、ブラピが改めて姿を現したときには、泣いてしまいました。
その彼は、「もはや死神ではない、以前のあの青年だ」って、表情でわかりました。甘いかもしれないけど、「ブラピって、演技力あるじゃん」て感心しました。こういうの、「親ばか」(?)って、言うんですかねー?
余談ですが、ブラピが、『デビル』の監督だっけ? アイリッシュの監督ですよね、彼に、「フィネガンズ・ウェイク」の初版本を贈ったということですが、うーーーん……なんか、小賢しい感じもして〜〜……。
彼はこの作品、読んでるですかねー?
それと、彼の「親友」って、あの、もろ、アイリッシュのダーモットでしょ? 実は、私、あっちの方がタイプだったんで、この事実を知ったときには、驚きました。
って、ことは、ブラピの「ルーツ」もアイリッシュでしょ?
だって、アイリッシュって、童顔が多いもん。
やや、「ジョー……」から外れてしまったジョー(笑)。
じゅんこ(★★★★1/2)(12月25日)
junko003@eis.or.jp
母に『アルマゲドン』のここが良くない!をシーンごとに説明していたら「面白そう」なんて言われてしまった!解説上手?のじゅんこです。その作品を好きになるかどうかって基本的に主眼があるかどうか、その主眼が好きかどうか、なんですけど。
もしかしてrouta1さんの書き込みは高度なギャグ?私も素人なので素人の感想文を書いちゃった。きっとみんなワタシってブラピ映画ばかり見ているように思われているわね。ブラピ映画ばっかりじゃないんですー彼女のジェニファーの映画も見たし。あと『ベルベット・ゴールドマイン』もちゃんと見たわよ〜特殊翻訳家(?)の柳下毅一郎がこれは「ヤオイ」だって書いていて妙に納得…
さておしゃべりはここまでにして、映画の感想ね。
始めは本当にごーごー号泣してしまって、ほとんど星を5つ付けかねない勢いでした。この映画には4つの大きなストーリーがあると思うんだけど、良く考えるとそのうちビジネスの話というかロジカルな面がどうも私には物足りない。そこが減点1点で贔屓点を半分つけて星4つ半ね。作品のゆっくりしたペースについては私は肯定派です。一般に批判はベッドシーンでも髪型でもなく、この点に集中しているように思うんですが、好き嫌いが分かれるだろうなと思う。私は好きだわー。「早くせい!」と気をもんでいるうちに感情移入できたから。
「黄色い髪」についての言及は今に始まったことではないのよね。
ABCNews.comに関していえば高得点をつけた『〜チベット』での「黄色い頭」の方が私はどちらかというと気になったんですけど。
だって、実物のハラーはブルネットなので。まあ、あれはいかにもナチスドイツっぽい外見を目指したのでああなったのかもね。
一方『デビル』では黒く染めるべきじゃない?アイルランド訛りがいくら正確に出来てもアイリッシュに見えないのではお話にならないもんねえ。けど黒く染めた状態はもっと変だと思ってしまったりもする。『スリーパーズ』で黒髪になったのは原作にそう書いてあったのと(この役もアイリッシュ系)、ハリウッドには「弁護士=ブルネット」という公式でもあるんだろうけど、どうもサルっぽくなっちゃってね、検事補佐に見えない。金髪碧眼は憧れである一方で「頭が悪い」の代名詞みたいなところがあるのね、きっと…『レインメーカー』のマット・デイモンもブルネットだったので、そんなことを考えてしまいました。今回でいうなら、浮世離れしたキャラクター作りで「黄色い頭」が採用されたのだろうと解釈しました。 どっちにしても、どの髪形が一番いいかってゆーのはファンには重大な問題で簡単に答えは出ないわ。ディカプーの長髪だけはちょっと…
ヘンという意味では、この作品は笑ってしまうところも多いけれど基本的にはコメディになったり、客観的になったりすることを極力避けているように見えまふ。ラブシーンについても、客観的に描いて笑いととるってゆーより、主観的かつ感覚的に撮っていると感じました。その為のあのゆーっくりしたペースに、そのためのクロースアップかと思うのよねえ。あのシーンは感動するとかうっとりというより大変いたたまれなかったので思わず逃げ場(笑ってしまう場面)を探しちゃったけど、浮いていたとは気がつかなかったわ!うかつ!
そもそもあれは恥ずかしいくらいベタベタにロマンチックで観客が思わず1)下を向いてしまう、2)唾を飲んでしまう、3)拒絶反応を起こす、くらいのインパクトを狙ったシーンだと思ったし。私?私は2)でした。
冒頭に書いた主眼の話になるけれど主眼が映画の方法を決めると私は思うのね。同じストーリーでも必ずしも決まった方法をとる必要はないし、『サイコ』を撮ったガス・ヴァン・サントみたく、それを逆手にとる人がいても楽しいわ。(これ、すごく楽しみ)笑える戦争映画、笑えない戦争映画、笑えるホラー、笑えないホラーがあっていいように、いろんなラブシーンがあってもいいと思うし、ブラピが王子様のようでもいいじゃない。第一目の保養だし…?映画の中でまで見たくない顔ってゆーの、あるもんねえ。
死のキャラクターが特定の強烈なキャラクターをもたないように作られているのは、それがこの家族のキャラクターを反映するものだからよねー。死がいちいちパリッシュのものまねをするシーンがあるじゃないすか?それで私は彼を「コダマ」とか「まっくろくろすけ」とか呼んでいるの。どっちにしても妖怪なんだけど。
ビル・パリッシュが家族への愛とか有難みを最認識すると「死」も家族を認識して、スーザン・パリッシュが「恋の情熱」を知ると「死」もそれに反応して「恋」を認識するような作りになってるもん。
普通の人間の反応としては遅すぎるし少しヘンだけど、「コダマ」だ、と思うと納得がいくのよね。
だから、どうも反応がヘンだ、とか、脇役の方がカラフルだ、というのは、当然、褒め言葉よ。
だって人間じゃなくってコダマだからね。タイトルロールだからって主役の人間様より目だっちゃ困るわよねえ。
それにしても、脇役の演技がなんて素晴しいんでしょ!誰もゆってくれないのでかいちゃう。ホプキンス爺が素晴しいというのはあまりにも分かりやすい事実として、姉のアリソンとその夫のクインスを演じたマルシア・ゲイ・ハーデンとジェフリー・タンバーが私のお気に入り(faivorites)。それにジャマイカ人の老婆を演じた…おばあさん(名前覚えろ!)。字幕が分かりづらいのが残念!なんとかしてよ、戸田なっちゃん…クレア・フォラーニは欲を言えば自立した女性にしては後半ちと押しが弱いような…
オリジナルでは死と恋におちた娘は死んじゃうのだそうですが、MJBがオリジナルと違う結論を出したのもグーだわ。「本当の」ラストは少ししつこいかもしれないわね。
というわけで、大変ブラピらしくない?この映画、ここ2年ほど役柄がマンネリっぽくなっている気がして、ちょい不満だった私にとっては結構拾い物した気分なのねえ…
(おや、いま私の前でマヘリア・ジャクソンのゴスペルを聞きながら友人が「俺は好き」とか「俺は好みじゃない」とか言っているわ。
私は好きだな。カッコイイ〜。)
以上、どーも海外のメディアからはティーンエイジの女の子に分類されてしまうことの多いファンによる感想文でした。
routa 1(12月24日)
arare@anet.or.jp
この映画は、ABCNEWSのレビューで、49点でした(100点満点)。
やはり、「プロ」の批評家は、ブラピは、色を売ってるしょうがない「アイドル」と見ているようでした。
それで、私も「ミーハー」を反省したしだいです。
批評家に言わせれば、「ブロンド」じゃなくて、「黄色い髪」だそうです。
どんなに高尚な言葉で、ブラピがすばらしいか力説してもしょうがない。
そりゃあ、「ブラピ、かっこいい!」って、思いますが、それは、自分がバカだから。
あの映画は、冷静に見れば、アンソニー・ホプキンスに演技力でのみ成り立っているのです。
でも、どうせ、映画なんか、「娯楽」ですからね。
実を言うと、私は、ブラピより、高級な「メディア王」の生活に目を奪われてしまいました(笑)。
それでも、ファンかー(笑)?
ファンです。
「アンアン」買いましたから。
私も、ライカがほしいぞーーーー。
パンちゃん(★★★★-★)(12月21日)
期待していなかったせいだろうか、なかなか面白かった。
もとの『死神の休暇』を私は知らないが、たぶん、その作品がすぐれているのだと思う。
死神が、生というものを知り、だんだん感情を獲得してゆく。そして、ついにこの世を去らなければならなくなったとき、「去りがたい」という感情を持つにいたる。
その過程をブラッド・ピットがかなり面白い味で演技している。その演技の変化というか、人間性(?)の変化が面白い。「死神」としてというより、そこに「人間」としての変化が見えて、いい感じだ。
私は、だいたい変化して行く人間を描いた作品が基本的に好きだ。何かに出会い、変化して行く、それが人間の一番美しい性質であると思うからだ。
そうした変化の果てに、実際にこの世を離れて「死」の世界へ帰らなければならなくなったとき、死神がとまどう。去りがたい気持ちに襲われる。それがとても自然に見える。感動的である。
この「死神」の奇妙な演技に影から支えているアンソニー・ホプキンスの演技も魅力的だ。
彼の存在によって、「死神」という非現実的なブラッド・ピットの役所にリアリティーが出てくる。「死」というものが重苦しくならず、コメディータッチで軽く描かれているのも、アンソニー・ホプキンスの演技がリアリティーの部分をきちんと請け負っているからだろう。
★4個の価値はある。ただし、不満があるので、★1個をマイナス。
不満の理由は三つある。
一つはラストシーン。死神が、死んだはずのブラッド・ピットをこの世に返すこと。『死神の休暇』がどのような結末かは知らないが、この結末によってファンタジーがファンタジーという枠のなかに閉じ込められてしまった。
この世は去りがたい魅力に満ちている--という美しい発見がファンタジーに閉じ込められてしまって、現実のものとなることを拒否されてしまっている。これでは映画を見たかいがない。
二つ目は、ブラッド・ピットの恋愛シーンが、ファンタジーになりすぎている。キスもセックスも初体験というのはいいのだけれど、あまりにも初体験を強調しすぎている。
その結果、ファン(若い女性)に媚びている感じがする。キスもセックスもブラッド・ピットの初体験の相手でありたいというファンの欲望にあわせすぎている。
「この世は去りがたい」ということは、そういうことじゃないんじゃないのかなあ。それだけじゃないんじゃないのかなあ。--と思わず思ってしまう。
この恋愛シーンは、最後のブラッド・ピットの復活同様、『死神の休暇』を貫いていると思われる美しい哲学をファンタジーに閉じ込めてしまうことになる。これではいけないんじゃないかなあ。
(このシーンは、『死神の休暇』には絶対になかったシーンだと思う。)
三つ目はタイトル。『ジョー・ブラックをよろしく』では、客は来ない。ブラッド・ピットが何やらファンタジーをやるらしいという感じしか伝わって来ない。この作品が内に秘めている美しい哲学がぜんぜん伝わって来ない。
ブラッド・ピットが新しい役所に挑戦し、ちゃんとそれをこなしているにもかかわらず、日本語のタイトルと、先に書いたセックスシーンが、それを台無しにしている。



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