シャンハイ・ヌーン



NEK(2000年8月20日)
★★ 
 カンフー映画を見る際には余り左脳を使わない様にしている僕には(普段から使っていないけどね)。ジャッキーのアクションを見ているだけで幸せです。まだまだ行けるぜジャッキー!てね。
 功夫映画、特にジャッキーやジェットのそれは、江戸木純じゃないけれど借用するならば、戦前に作られたアステアやケリーのミュージカル映画と本質的に変わりは無いと思う。こう言った映画はストーリーがあると肝心のアクションに集中して愉しめない、と言うよりストーリーは刺身のツマと同じ扱いなので、結果として「理屈」の部分はそれ程重要ではないのだと思う。
 その意味でこの映画も判っちゃいるけど物凄い(個人的にはもうチョット体張ったスタントを見たかったが)ジャッキーのアクションを愉しめる映画であるのは事実だと思う。
 けどそうは言っても、脚本や舞台設定、そして撮影が酷い。ジャッキーとロイ(途中で最後のオチはある程度読めたけど笑っちゃった)。以外のキャラクターの扱いがこれ以上無いくらい適当だ。
 お姫様がいきなりカンフーをしているのはいくらなんでも説得力が無いよ。護身術の練習シーン1つあるだけで随分変わってくるはずなのに。それについさっきまで殺し合いをしていた2人(主役2人ではない)が、いきなり和解する過程もチョット…だった。
 これは邪推かも知れないがジャッキーはこの「東洋が西洋に出会う話」を作る際にスタッフと打合せを余り行わなかったのではないかという気がする。
 とみい氏がいう世界観が作れていないというのは個人的にほぼ同感だ。けどその原因はストーリー云々ではなくてハリウッドのガンアクションとジャッキースタントは余り肌が合わないと言う事では無いのだろうか。
 ジャッキーの映画を見るとアクションシーンのカット当たりの時間が比較的長い事に気がつく。またカメラは基本的にそれ程アップにならない。これはジャッキーが得意とする、コミカルでスピーディでスタントマンを使わないアクションを観客に愉しんでもらう為に、ジャッキー自身が気を使っている事だと思う。又それがあるから肉体・技量の分野でジャッキーを凌ぐカンフーアクターが現れても決してジャッキーの人気を越えられないのだろう。観客はジャッキーが体を張ってスタントをしているのを否応なく認識させられ、それに感動を覚えるからだ。
 ところがガンアクション、特に西部劇の様に、まっ平らな平原での1対1の対決シーンをとる場合は、舞台にアクション栄えさせる工夫を作りづらい。その為ジャッキーアクションの様に引いた、1カットが長い画面作りでは、どうしても起伏や迫力が出にくい。その為カット割りを上手く使って緩急をつける(これが上手いのがジョン=ウーやペキンパー)事になる。
 上海ヌーンでは基本的にカット割りを多用しているみたいだが。こうするとジャッキーのスタント、カンフーは結果として他のそれと差異が測りにくく、そこらのカンフーアクションみたいに見えてしまった様なきがする。この事がどこか気の抜けた印象を持ってしまう原因だろう。
 この事に監督、武術指導もこなすジャッキーが気づかなかったとは考えにくい。やはり東洋と西洋とでコミュニケーション不足があったんかしらんネ?
とみい(2000年8月17日)
★☆。
殴り合うより、銃ぶっぱなしたほうが、絶対速い。
それを感じさせない世界観がつくれてないんだよな。
荒唐無稽なものであっても、守らなければならないルールは存在すると思う。
たとえば、「叔父の敵」は、ちゃんとぶったおす、ということ。
この映画、そういうことが、きちんとできてないから、 気が抜けてぬるくなったビールみたい。
もはや、ワイヤーアクションも、食傷気味だなあ。