失楽園


監督 森田芳光 主演 役所広司、黒木瞳


パンちゃん(★)
久々に眠ってしまいました。ベッドシーンではなく、ベッドそのものを見たんでしょうか。
この映画の一番いけない部分は、役所広司も黒木瞳も幸福な顔を演じることができない点。例外的に、列車に乗るのを見送り、見送られるシーンでは幸福な顔を見せるが、肝心の、二人が会ったとき、その瞬間の顔がまずい。ちっとも幸福そうじゃない。うれしそうじゃない。とても本当に恋をしている人間とは思えない。これで、すっかり眠くなりました。『奇跡の海』(★★★★★)のエミー・ワトソンを見てください。美人じゃないけど、その恋している顔の輝きのまぶしさ。うーん、いいなあ、恋したいなあ、という気持ちになるよなあ。
携帯電話を持って役所広司があっちうろうろ、こっちうろうろするシーンは、その形態自体はおもしろいし、まあ、かわいいもんだと思う。しかしなあ、そのときの顔が喜びに輝いていないのだから、そのうろうろも嘘だよなあ。
それに、もう50なんだから、ちょっとは禁欲的にしろよな。原作がそうなのかもしれないが、会社にいるときや、会社の同僚と一緒のときぐらい、携帯電話は切っておけよ。いくら恋をしたって、恋人に秘密の時間くらい持てよ。それくらいのプライバシーがないと、恋なんて成り立たないんだぞ。そうした基本的なことがまったくなっていない。こんな映画を見ていると、日本には恋愛なんかないんだ、と思わずにはいられない。恋愛がないから、性愛ももちろんない。
ベッドシーンは、ともかくひどい。ありきたり。というか、古い男の視点だけでできている。森田芳光というのは、こんなに古臭い視点しか持たない監督だったのか。女を知らない監督だったのか。服を脱がせるにしろ、指を肌に滑らせるにしろ、それらの映像が、あまりにも男の視点だけでできている。男は、女に対してこんなことがしたい、こうしたなら、女にはこんなふうに感じてもらいたい----そういう視点だけでできている。これじゃあ、女が男に恋した理由がわからない。恋愛も性愛もまったく知らず、ただ愛というもの、性交というものに飢えていただけとしか感じられない。欲求不満の女が、男にだまされているだけという感じだ。
しなる体の線も、歪む顔も、指の形も、みんなどこかにあったものばかり。性交なんて、一回一回違い、相手が変わる度にかわるはずなのに、(少なくともこの映画はそうした映画のはずである)、どれもこれも「官能」と誰かが定義し、流通したものをただなぞっているだけだ。
まあ、自立しない女を相手に、好き勝手なことをして、自分の欲求不満を解消するのが、渡辺淳一の世代の究極の愛なのかもしれないが、森田芳光や役所広司も同じとは知らなかった。



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