シベリアの理髪師
監督 ニキータ・ミハルコフ 出演 ジュリア・オーモンド、オレグ・メンシコフ、リチャード・ハリス、ダニエル・オルブリスキー
由良紀子(2001年7月24日)
飯田橋のギンレイホールでこの春『シベリアの理髪師』を観ました。
列車での出会いの場面で、いきなりオペラを唄い始めるところは、さすがロシア・・・と妙なところで感心したり。
規律や政治的不安の影を差し引いて余りある、若者たちの心の輝きと明るさが印象に残りました。
主演のオレグ・メンシコフ、素晴らしかったです。年齢的に無理がないとは言えませんが、(実年齢を考えると)初々しさをあそこまで表現し得た演技力に脱帽です。
上映時間の長さを忘れさせてくれる、長編に☆4つを。
norico
しほざむらい(2001年3月11日)
舞台は帝政ロシア1885年。ロシア陸軍の士官候補生がアメリカからきた高級娼婦に恋をする。このロシア人士官達の明朗快活さ、友情の厚さ、ユーモアが好ましい。モチーフとなっているのはモーツアルトの「フィガロの結婚」の一場面セビリアの理髪師です。モーツアルトは欧米人の精神的支柱となっているのでしょうか?確か「ショーシャンクの空に」でも使われていましたね。
灘かもめさんが言うように、主人公の心を奪うのはもっといい女でないとという不満がやや残りました。しかし、純真なエリート候補生が外国から来た性悪の女に心を奪われてしまうという視点からみるとそれほど魅力的でなくむしろ下品でもいいのではと思い直しました。
灘かもめ(2000年12月2日)
http://www.d1.dion.ne.jp/~seagull/
なんと愛らしい映画なんでしょう!!監督は絶対ロマンチストに違いないっ!
パンちゃんも書かれていましたが、これを観たらロシア人を好きになってしまいます。ロシア人とお友達になりたくなってしまいます。ロシアに行ってみたくなります。
士官候補生たちの、なんと伸びやかでおおらかな日常!いえ、決して楽な訓練をしているというのではなく、軍隊という、規律を厳守なければならない世界にあっても、彼らの心の中はとても若者らしくて個性にあふれ、決して画一的ではないんです。
なにより、みんなとても明るい!その無邪気でとても明るい人々の中で、無邪気な恋が生まれ、無邪気に突進していく。
この映画は、母が息子にあてた手紙にそって展開されていく。母の回想として語られていく。
自分の、過去の過ちも悔いも、全て息子が生まれるために起こった出来事だとして語られる。そこには後悔がない、と思う。悔いを語っていても、それは「過去の悔い」として語られている。”今”を肯定している明るさがあると思う。「前向き」っていう言葉はちょっと安っぽいけれど。そこがとても好き。
役者はみんなよかったけれど、ジュリア・オーモンドだけは、ちょっと???でした。
なんだか、彼女の表情にはっとさせられるものが無かったんです。オレグ・メンシコフの、めちゃサバを読んだ若者ぶりも(だって、彼今40歳でしょ^^;)全然違和感無かったし、老いらくの恋(?)をユーモアたっぷりに表現してくれたアレクセイ・ペトレンコも、とっても良かった。発明オタク、リチャード・ハリスのまじボケ演技も、すんごく楽しかった。オーモンドだけが、なんだか表情に変化が無かったような・・・。
うーん、これは嫉妬かしら(笑)。メンシコフのアツ〜イまなざしを注がれるのは、もっとキョーレツなオンナでないと!と思ってしまったからだろうか(笑)。
この映画の中では、本当に頑固な者だけが勝利するのであります。それも、明るさの要因なんではないかな。たとえ、後半、あれだけ息苦しい展開になったとしても。これを観れば、ロシア=旧ソ連に画一的なイメージを持っている人は、印象変わるのではないだろうか。
思わず、近くにロシア人はいないかと探してしまいたくなるかも(笑)。
パンちゃん(★★★★)(2000年10月16日)
前半が非常に無邪気である。幼い。そして明るい。これは人間関係がゆったりしているということと関係がある。そして、その人間関係には、ロシアの広い大地が関係しているように思う。
日本のように狭い国土ではなく、広い空間に満ちたロシアでは、人間関係というものが、たぶん大雑把になっていると思う。いやなことがあっても、その人から簡単に離れられる。広い距離を置くことが出来る。国土があまりに広過ぎて、「隣人」感覚というものが育たないのだと思う。微妙な感情の裏表を読み、そこで読み取った感情をもとに行動するということがないのだと思う。
この「隣人」感覚の欠如、無邪気で幼稚な人事感覚が、「恋愛」をめぐって、悲劇を生む。
……それが、悪いというのではない。
それが面白い。こんなに無邪気に、あからさまに「恋」を表面に出しながら、それでもなおかつ行き違いというものが生まれ、どこまでもわがままで未熟なこころを燃やす。横恋慕(?)する方も、まるで他人の感情が見えないように、強烈に横恋慕する。
なんだか、すごい。
これは、別の角度から見れば、どんなに恋ごころを氾濫させても、ロシアは広い。広くて、恋ごころが届かないということかもしれない。
軍隊のように「組織」がしっかりしているところ(?)では、人事はすぐに感情と結びついて動くけれど、「組織」などというものを持たない恋は、なかなか、思うような動きをしない。届かない。
そうした恋の不思議さ、人間の作りだした組織との違い、というものが、広い広い、そして冷たい冷たいロシアの大地で繰り広げられる。
ロシアの広さは、シベリア流刑にあった男を女が尋ねて行くのに10年かかっていることに象徴的に語られている。
その距離を埋めるには、猛烈な恋、無邪気な恋、盲目的な恋が必要だ。
一方で、男に密かに思いを寄せる別の女は、主人公の女が10年かかってたどりついた場所へ、もっと早くたどりつき、自分の恋を実らせている。人間の感情は「距離」にとても左右されるのだ。
(主役の2人が出会うのが列車の個室、離れようにも離れられない距離、というのがとてもいい伏線になっている。)
何とも不思議な、ロシアならではの大恋愛ロマンである。
こんなふうに国土にきちんと根ざした感情というものを見せつけられると、とてもどぎまぎしてしまう。
この映画は、ニキータ・ミハルコフの映画としては、そんなに良質なものではないかもしれないが、ロシア人の感覚というものが、何に影響されているかということを知るにはとてもわかりやすい映画だと思った。いや、この映画で、突然、ロシア人がわかったような気分になった。
アメリカ映画にも、フランスを代表とする西ヨーロッパの映画にも、日本映画にもない、この無邪気さあふれる恋の悲劇は、なんとも切ない。
突然、ロシア人そのものが好きになってしまう映画である。