始皇帝暗殺


監督 チェン・カイコー 主演 コン・リー、チャン・フォンイー、リー・シュエチェン

灘かもめ(12月16日)
seagull@d1.dion.ne.jp

やっと、観れました。
コン・リー、やっぱりすばらしいですね。台詞が無いときの方が より多くの感情を表現できるなんて!!
普通だったら、ただの「心変わりした女」で終わってしまうのに、趙姫がとった 行動には、まったく不自然さを感じませんでした。
パンちゃんが、荊軻と出会ってからの彼女の演技のことを書かれてましたが、 私は、顔に焼印を押すくだりの前後の表現がとても好きです。
やたら悲壮感を出したりしない演出と(「軽くやってね」とお願いしたりするとことか・・)趙姫の、民を戦争の犠牲にしたくないという思いと政を守りたいという思いが 矛盾せず同居している、コン・リーの表情&演技!!
出掛ける前、とても美しく装う趙姫。深夜の外出を政には言わないよう口止めして。
鏡を覗き込んで「わたしの顔、きれい?」と聞く。
自分の顔に別れを告げるシーンだ。同時に、決意を固める行為でもある。
そして、事実を知って駆け付けた政に顔を見られまいとくるくる体をかわすシーン。
どれもこれも、趙姫の気持ちがずきずきと突き刺ささってきて、すごくせつない気持ちになってしまったなぁ・・。
けれど、当の趙姫はそんな私の感傷を通り越して、「犠牲は最小限に食い止めてみせる」作戦に命をかけてのぞんでいるのでした。
荊軻にも、いろんな点で驚いた。
私は中国史が好きで(と言ってもピンポイント知識ですが・・)、特に三国時代と この時代が好きなのです。だから、はっきり言ってストーリー(歴史的事実)は 知ってるし、暗殺の方法やどうして暗殺が失敗するのかも知ってるので、 陳監督がどんな風に事実を曲げずに新たなキャラクター(趙姫)を加えて展開するのかにも興味津々だったのです。
荊軻は、史書では始めから「暗殺者」として登場します。
なのに、この作品ではいきなり荊軻が「暗殺者を廃業した理由」の鮮烈な映像から 入っていく。このシーンがとても印象的。
たったひとりの少女に出会ったことで、荊軻はそれまでの自分の人生すべてを 捨ててしまうことになる。少女の生きざま(死にざま)に触れたことで 自分の生きざまをも変えられてしまった。
そんな、「暗殺者」としては役立たずな彼が、どんな風に蘇るのか、その変化も 実にムリがなく私の中に入ってきた。
これもコン・リーの存在のおかげだなぁ。
荊軻はふたりの女に「生き方」を変えられてしまう。
彼女たちにそれが出来たのは、ふたりとも「腹のすわった」女だったからだ。
彼女たちは、決して流されない。全部、自分で決める。結果に後悔しない。
こんな、どうしようもなく引き付けられる、すばらしい人物を創造した陳監督は やっぱり、さすがです。
秦王・政(始皇帝)を演じた李雪健も良かったです。
始皇帝の、極悪非道の支配者のイメージや中国全土を統一する政治的手腕の確かさ、 不幸な生い立ち、家庭環境etc・・
そういったものをすべて含めた李雪健のユニークな演技には、とても興味を覚えた。
政の純粋な部分がとてもストレートに伝わってきたかんじ。
趙姫を手放さなかったのは、趙姫が本当に好きだから。
趙姫を手放したのは、趙姫が自分のためにしてくれてる気持ちを尊重したいから。
非道な征服者に変貌していったのは、趙姫がそばにいなかったから。
趙姫は、政の人間の部分だったんだなぁ、と思う。
趙姫が秦を追われる前の夜、政との別れの場面で昔話をするふたり、
「私たちは十代のころに結ばれていた」etc
このふたりのシーンがまた、いい。
政を鍛えるため(?)毎日、丸木橋の上を渡らせていたとんでもない(笑)女なのに、 それがふたりの原点であり、絆でもあることを回想シーンなしの演出で、 ふたりのセリフと演技のみで、観ている側に納得させる。すごい、すごい!
(だから、ラストの二度目の決別が、さらにぐっとくるのです。) 
・・・と、好きな部分ばかり並べましたが、不満が無かったわけではありません。
趙姫のこころが、完全に政から離れてしまう場面、(趙の子供たちが城から 次々と飛び降りるシーン)何故か、スクリーンを観ても何も感じなかった私。
こういうのって、ひょっとしたらかなり遠くから撮った方が悲劇性が伝わったのでは・・と思いながら観てしまった。趙姫が、叫びながら地面を掘り返しはじめてからようやく ずし〜んと来ました。こういうのを、「映像に力がない」というのかな?
何十人の子供が飛び降りる場面よりも、母后の二人の子供たちが袋に入れられて 撲殺されるシーンの方が怖かったです。
後半の、ストーリーが大きく動いていく重要なところで、映像が迫ってこなかった、 というか・・・。
戦闘シーンも、それなりに迫力はあったんだけど「ブレイブハート」を 越えるほどじゃないな〜、と感じてしまった。
(それにしても、なんで、ヴィスタサイズなの??なんでシネスコサイズにしなかったの??せっかくのセット&自然がもったいない!!!)
それから、政と荊軻が初めて顔を合わせるシーン、趙姫を愛した二人の男が 初めて出会う場面だというのに・・あぁ、それなのに、そこに趙姫の影が見えない。
まぁ、ストーリー上そんなことはどうでもいいことなんだけど、私にはちょっと 物足りなく感じてしまったなぁ。
趙姫の変化を知らない(理解してない)政と、今の趙姫の思いを背負ってきた荊軻の 対面なのに。画面にいるのは政と荊軻だけど、そこには過去と現在の趙姫の 思いが同居してなければならないはず。けれどスクリーンには、趙姫の思いを 置いてきぼりにして、ただただ暗殺場面が展開されていった。
ラストの荊軻のセリフも、 「おまえー、それだけかい!?もっと他にいうことあるだろー!!」と、こころの中でめちゃくちゃツッコミをいれてしまった。
というわけで、星は★★★★です。役者の演技に敬意を表して。
あっ、そうそう、ろうあい(漢字が出ない)の設定にも驚いた!!
あの役者、好きになってしまったーーー!!なんだか、西洋の「道化」みたいで おもしろかったです!あんなやり方もあったんだー、と感心してしまいました。
だから、プラス☆!!
なんだかんだ言いつつ、高得点だなぁ(笑)。
そん(12月4日)
チェン・カイコーの映画は初めて観ました。実は「さらば我が愛」も未見・・。^^;
コン・リーは本当に素晴らしい。口元、というか顔つきが左右で少しずれているのがたまらなく色っぽい。真っ白な肌と憂いを含んだまなざしは、もちろん演技力も含めてアジアを代表する女優そのもの、という感じでした。同じアジア人だし、頑張ればコン・リーばりの真珠肌も夢ではない!と週末にスキンケアを頑張ってしまった。
私を勘違いの世界にいざなわないでえ・・・。
でもさ、どんなに頑張っても私にキャサリン・ヘプバーンは無理だけど(骨が違う!)そういう意味でアジア系の美人女優は夢を見させてくれますね。
あくまでも夢、ということで軽く流してください。
お話のほうは、せっかくの印象深い映像がストーリーの流れにうまくのりきれていないと感じました。私も剣が折れていた理由は、ここを読んでいなかったら分かんなかったかも。
中国の壮大な景色は満喫できたので、大きなスクリーンで観てよかったです。
パンちゃん、お疲れのようですね。お体に気をつけて・・・。
YUJI(11月29日)
yuji-f@cg.netlaputa.ne.jp
「始皇帝暗殺」ですが刀が折れていたのは前もって始皇帝が折った刀を手渡したからではないでしょうか?
自分の身を守るためにです。
それから暗殺者の名前は刑珂(けいか)です。
確かに名前が難しくてストーリーが判りずらいと感じました。
まあ、巨大な城塞のセットだけでも一見の価値は有ると思います。
よって★★★でセットに★半分です。
遠藤三千代(★★★★)(11月28日)
GZK02214@nifty.ne.jp
先週の金曜日、「始皇帝暗殺」を見ました。
私、中国の歴史なぞ、全く五里夢中の状態なので、歴史的なことはぜーんぜん分かりませんが、コン・リーの憂いを含んだ眼差し、どこか若い頃の百恵さんに似ている・・・と思いました。
あの刺客、なんていう名前だったかな・・・漢字が難しいしどうも覚えられない・・・・冷血な殺し屋だと思っていたのに意に反して良いとこあるじゃん!!って感じ。
でも、でも、最後のシーンがどうしてもわからない。どうしてあの刺客の刀が折れてたの?
誰か、このお馬鹿なおばさんに教えて!
だけど、コン・リー扮する始皇帝の愛妾が最後にかの刺客の子を身ごもって、彼の子を育てるべく始皇帝のもとを去って行くところ、女性としてはよく分かりました。
結構、長い作品だったけど、飽きもせず楽しめました。
もっと中国史を勉強しようっと。
パンちゃん(★★+★★)(11月26日)
この秋はどうも私の「苦手」の映画がそろったようです。この映画も苦手です。
私はだいたい歴史物が苦痛。みんな同じような格好をしていので見分けがつかないのだと思う。
私がこの映画で興味深く思ったのはコン・リーの役どころ。
コン・リーは始皇帝の人間の器を見抜き彼を愛する。次に刺客の人間の器を見抜き彼を愛する。この眼力はなかなかすごい。というか、そうした眼力を伝えるコン・リーの演技がいい。
男の能力、人間の器の大きさを見抜き、歴史を動かして行く女を、非常にきめ細やかに具体化している。
特に刺客と会ってからがいい。名も知らぬ男の姿に何かを感受し、その秘められた力に吸いよせられ、同時に、それを花開かせる過程の、熱い熱い視線が強烈だ。
コン・リーの演技があまりにすばらしいので、壮大な歴史叙事詩が何だか濃密な室内劇のようになってしまったが、私には、それがむしろよかった。(歴史叙事詩、というものが私にはどうにも理解できない。)
*
このコン・リーの愛の形に比べると……『アウト・オブ・サイト』のジェニファー・ロペスのジョージ・クルーニーを見つめる視線が何とも甘い。
恋にしろ愛にしろ、人間を動かしてしまうもの、相手を違う人格にかえてしまう力をもったものなのだが、ジェニファー・ロペスの愛(恋)は単にセックスをするだけだ。
ストリーが違うといえばそれまでなのだが、その違いがとても重要だと思う。
★2個はコン・リーの演技に対して。
あの、思いのこもった黒い瞳で見つめられれば、自分が自分でなくなることをしてしまいそうだ。自分が自分でなくなっても、コン・リーがいるからいいのだ、と信じてしまいそうだ。
石橋 尚平(★★★)(11月15日)
shohei@m4.people.or.jp
私は監督の陳凱歌(チェン・カイコー)が大好きで、全作品を観ていますけれども、今回は残念ながら★を4つ以上つけることができません。角川と膨大な制作費だからダメだというような貧乏くさいひがみの偏見とか、『さらば、わが愛…』以前の作品を知らない人がどうのこうのいうのが大嫌いだから、試写会を観た人からのそのような趣旨のMLを受け取った時、「そんなわけないだろ、フンッ」と思っていたんですけれども、やはり残念ながら全体的に精彩を欠いていますね。ちなみに、私の評価では陳凱歌作品は、『人生は琴の弦のように』と『花の影』が★★★★なのを除けば、後はすべて★★★★★って感じですかね(私が特に好きなのは、2作目の『大閲兵』と3作目の『子供たちの王様』ですが)。本当に素晴らしい監督なんです。何と言っても、映像が力強いんですね。ぐいぐいと引き込む何かがある。この作品も素晴らしいところは随所にあります。だけれども、今回ばかりは何か凄味を感じないんですね。あのMLの言っていることは正しいとは思わないけれども、他作品のような凄味がないのはその通りですね…。カンヌ・グランプリ受賞で世界的に名を知らしめた5作目の『さらば、わが愛…』から(コン・リーが主演し始めてから)、作風というか、手法を含めてまでの作品そのものの傾向が大きく変わったことは確かですね。しかし、力量は全く変わってはいないんですね。『さらば、わが愛…』も、『花の影』も、引き込む力強さは失っていない。ただ、『さらば、わが愛…』からは映像よりもドラマが先立つ映画になった感があります。それまでは、ともすれば観念が先立つような、芸術志向が強く、力強い映像が遠景に溶けていく絵が中心だったんですね。その映像感覚が本当に大好きだったんですけれども。今回、いま一つ力強さを感じないのは、やはり対峙する二人の室内劇のドラマが中心となっているということでしょう。それまでは、ストーリーの説明よりも映像の挿入が優先されていたのに、その後はどうもドラマによる感動に依拠しすぎな感じがします。今回も人物のアップの多用で、どうも冴えないんですね…今回は。膨大な制作費を使ったわりには、意外に多人数のシーンが少ないんですね。合戦シーンとか、途中のクーデタ失敗のシーンなんか、やはりゾクゾクッとくるものがあるんですけれども。『大閲兵』を観た人なら想像つく通りに。それに戦の悲惨さを伝えるのに子供やデンデン太鼓を使う安直さもこの人らしくない。ただ、コン・リーはさすがに素晴らしいと思うし、始皇帝役のリー・シュエチェンも刺客のケイカもちょっとやりすぎなところもあるけどいいと思いました。