スモーク・シグナルズ


イングマル(6月11日)
furukawa@joy.ne.jp
ロードムービーというジャンルには、不思議な魅力があるといつも感じています。
キャラクターの異なる複数の人物が共に旅をして、反目し合いながらも次第に絆を深めて行く・・・と言った具合にパターンは決まり切っているのに、なぜか惹かれてしまう。まあ、恐らく僕自身の旅をしたいという願望の現れでもあり、開放的な空気と道の持つ視覚的魅力によるものでもあると考えます。いいロードムービーを観ていると、あの道の果てに何があるのかと好奇心が刺激され、もっと先へ、もっと遠くへと気持ちが高揚します。
ネイティブ・アメリカンの監督と役者による『スモーク・シグナルズ』もまたロードムービーの定石通りの作品ですが、この映画には重要な二つのテーマがあります。一つはネイティブ・アメリカンとしての誇りであり、もう一つは家族の絆です。
この作品は、父と息子の関係が軸になっています。主人公ビクターは、酒に溺れて身を崩し挙げ句の果てに家族を捨て失踪したろくでなしの父を憎んで生きてきたのですが、その父が死んだという知らせを受け、幼なじみのトーマスと二人で父の遺骨を引き取るための旅に出ます。これは彼にとって、初めてインディアン居留地を出て外部と触れる旅であり、亡き父の心に触れる旅でもあります。
トーマスは生まれて間もなく火事で両親を失い、また彼自身はビクターの父アーノルドによって命を救われたという経緯があり、幼少時代からアーノルドに父性を求めていました。
肉親への“許し”というテーマは日本映画『愛を乞うひと』にも通じますが、この作品には悲壮感がまったくない。決してネガティブにならずに、随所にユーモアを交えながら二人の旅は展開します。インディアン居留地のローカルラジオ局など大いに笑わせてくれるし、バックしかできない車でドライブする奇妙な女達などユニークな人物描写も実に面白い。それに何と言ってもトーマスが次から次へと発する自嘲的で毒のあるギャグは大きなみどころです。「西部劇に出てくるインディアンは惨めだけど、それを見ているインディアンはもっと惨めだ」という台詞がとても印象に残っています。
被差別者である現状を浮き彫りにしたシリアスな作品ではなく、むしろマイノリティであることを豪快に笑い飛ばしてしまう大らかな空気が作品を終始包んでいます。旅の途中、二人がバスの中で見るからに保守的な白人から差別的な扱いを受けますが、決して告発するわけでなく、この場面も旅の一つの出来事として淡々と描かれています。
また、インディアンはジョン・ウェインの西部劇をどう思っているか?ケビン・コスナーの『ダンス・ウィズ・ウルブズ』をどう思っているか?といった素朴な疑問にこの映画は答えてくれています。
外の世界を知ることでネイティブ・アメリカンとしてのアイデンティティに目覚め、父の苦悩を知ることで次第に“許し”の気持ちが芽生える。決して感動を強要する映画ではありませんが、この旅がビクターに与えたものの大きさを思うと、力強くも美しいラストシーンでは胸が熱くなりました。
若干28歳でこの作品を作ったクリス・エア監督は、既成の映画でのインディアンの描かれ方に大いに疑問を持っていたとのことです。白人の同情によって撮られた映画でなく、ネイティブ・アメリカンの映画人が結集し、自らの視点でこんなポジティブな作品を作りあげたことがたまらなく嬉しい。『セントラル・ステーション』もすばらしかったけど、個人的にはそれ以上に好きなロードムービーです。