ス ターリングラード



監督 ジャン・ジャック・アノー 出演 ジュード・ロウ、エド・ハリス

ぶっくえんぢ(2002年9月2日)

ジュード・郎はいい役者に成長したな
でもジョセフもレイフに負けずいい役者になったな
内容は何もたいした仕掛けはないがただハラハラした。
NEK(2001年8月 17日)
★☆=(★★-☆)
 スピルバーグの『プライベート・ライアン』は個人的に戦争映画の歴史を変えたんじゃないかと言う位視覚的インパクトが強烈な作品でした(ストーリーは除 く)。しかし所詮は一度も母なる大地を戦場にした事がないアメリカ人の手による映画(実際にはユダヤ人でしたね…)。第2次世界大戦の本場に住んでいた ヨーロッパ人こそ本当の戦争映画を撮れる筈だと言う全く根拠の無い想いを抱いていたら。作ってくれましたよ、しかも史上最大最悪の市街地戦といわれるス ターリングラードの攻防戦を舞台にして。
 俳優も揃えてきました。濃さと美貌は折り紙付きのジュード・ロウが天才スナイパー、そのライバルに世界で最も軍人役が似合う漢、エド・ハリスと言う組み 合わせ。それにレイチェル・ワイズが華を添えます。これは期待出来そうですねー。

 と言うのは嘘で、実は見る前から一抹の不安がありました。実際の戦争で宿命のライバルなんてのが存在するのでしょうか?ガンダムのシャアとアムロじゃあ るまいし。しかも「これ戦争ものじゃなくて、西部劇じゃん」と言う前評判がチラホラと聞こえてきます。
 なんかイヤな予感がしますが、「愛するターニャ、君のために僕は今日もまた又1人ナチを撃つ」なんてモノローグが流れる予告編は格好良かったです。西部 劇なら西部劇で、別の意味で期待が持てます。史実との整合性なんて映画的盛り上がりの前には瑣末なものと割りきり、スコープを通してターゲットを狙い撃つ 時、観客とザイツェフが味わう快感、つまり映画的愉悦を多いに味わえば良いはずです。ア、この文章は別に哲学的、啓蒙的な映画評論を書かれる方が仰ってい る事をパクッている訳じゃありませんよ。パ、パクッてないってば!(←嘘です。)

 いやインターネットや、雑誌で前評判ばかり見て、現物を見ないで偉そうにモノを言うってのはいけませんねー。これは確かに戦争映画じゃありませんわ。
 ただ個人的には最後の対決部分を除けば往年の西部劇の香りって言うよりは我が青春の幻影、時の流れを旅する漫画家こと松本零士先生と、一体ゴルゴ13は 幾つなんだとツッコミたくなる漫画家こと、さいとうたかを先生にリスペクトを捧げていると言う70年代マンガ精神を感じたんですが。
 証拠ですって?以下に挙げてみようじゃアーリマセンカ。ちなみに私が見た西部劇って言うのは『ワイルドバンチ』と『荒野の7人』だけデス……って思いっ きり現物見ないで偉そうに語っとるやんけ!

松本零士リスペクトの証拠その1:ドイツ人もロシア人も末端の兵士に至るまで同じ言葉、しかもクイーンズ・イングリッシュを優雅に喋っています。軍隊でそ んな高等教育をやっているとは思えないので、きっと宇宙人も日本語喋っていた宇宙戦艦ヤマトを真似たのでしょう。
松本零士リスペクトの証拠その2:「勇敢なるボルシェビキよ!我々には武器もなければ戦術も無いが愛国心と仲間の命で危機を切り抜けファシスト共を駆逐す るのだ!」なんて言う「命こそ最大の武器だ」なんて言う沖田艦長イズム全開で戦車、飛行機に挑んで当然返り討ちに合う一般兵士。まるで白色彗星帝国に特攻 するヤマト状態。
 ちょっと違うのは沖田艦長が愛で諭す理想の上官ではなく、「粛清だー!銃殺じゃー!国家反逆罪でシベリア行きじゃー!」とばかりに絶叫する典型的ムチ型 上官だと言う事ですが。
松本零士リスペクトの証拠その3:ムチを駆使したソ連共産党本部の必死の苦労も虚しく、「先生の漫画では私達ドイツ軍凄く優遇されてマース。引っ込め騎士 道精神わからぬ田舎者のプロレタリアート!」とばかりに、戦車に乗って破竹の勢いで押し寄せるドイツ軍。
松本零ニリスペクトの証拠その4:ドイツ軍の猛攻の前に、シェークスピアになってアカデミー取る前に年貢の納め時かと観念する情報将校。しかし彼の目の前 に表れたる救世主こそ天才スナイパー、ザイツェフ君。
 「おいどんに不可能なターゲットは無いばい!」とばかりにドイツ軍将校は次から次へと眉間から脳みそを飛び散らせます。たちまち田舎者だったザイツェフ 君は3面記事の常連に。ついでにシラーやゲーテを読む教養豊かなレイチェル・ワイズとお付き合いできる様になり、まさにウハウハ状態。この田舎から来た若 者が出世して年齢不詳の美女とアバンチュールと言うのもエメラルダスとトチロー、または鉄郎とメーテルの関係を思わせます。
 松本零ニリスペクトの証拠その5:『宇宙戦艦ヤマト、愛の戦士たち』的サービス精神故か爆弾の前にぼろ雑巾の様に吹き飛ばされるヒロイン。哀れ也、結局 戦争映画のヒロインは死んでお客様の涙をさそうのが仕事なのね。

さいとうたかをリスペクトの証拠その1:狙撃の道は奥深い、ドイツから渋さと貫禄を見せ付けながら「私はゴルゴ13の祖先だ。さいとう先生応援して下さ い!」とばかりに現れるライバル。その比類無き狙撃技術、冷静沈着な戦い方はまさにゴルゴの祖先。ジュード・ロウなんざ敵にあらじ。
さいとうたかをリスペクトの証拠その2 プロに徹する男は、仄かな友情を交えた少年であろうと裏切りに対しては容赦しせずキツイお仕置きをくらわせます。 プロとはかくも非常に徹するものなのですね。やはり彼はゴルゴ13の祖先なのでしょう。
  *
と言うように、途中までは見事なまでに70年代マンガ精神溢れる戦争映画だった筈なのですが、ラストの対決で路線ががらりと変わり80〜90年代バブル期 マンガ精神的戦争もどき対決マンガへと軌道修正されます。
   先ず第1にバトルルールが70年代的マンガの特徴であったテクニック対テクニックと言うルールから、80年代以降の少年マンガのお約束、友情+愛情パ ワーの原理に支配されています。一度裏切った仲間が、大切な人が死んだ途端に改心して、主人公の味方になるなんて展開はジャンプで死ぬほど読まされた気 が…。
 しかも圧倒的な強さを持つ敵に対して、仲間が命張って手助けすると言うなにげに卑怯な事している主人公も90年代的。
 この時ライバル側が、主人公以外に敵がいないと錯覚しているかのような行動をとると言うプロらしからぬミスを犯した気がします。いかにも堅物そうな外見 を持つ彼の事ですから、70年代的精神からの切換が出来ておらず「漢2人の神聖なる対決也!」と言う言葉が頭の中を渦巻いていたに違い有りません。

 と、良く考えて見れば宇宙戦艦ヤマトにゴルゴ13、そしてキン肉マン的少年マンガと私が愛してやまないものをこれでもかと注ぎ込んで生まれたこの作品。 求めていたものとは違っていますが面白いものを寄せ集めれば面白い!。面白いはずです。間違いないです。いや面白いって言って下さいヨー!
 だってほらスコープに映る獲物を捕らえる愉悦感は…冒頭30分以降あったっけ?、ほら松本零士先生らしくメカと美女が…冒頭30分のユンカース急降下型 爆撃機や3号戦車以外にメカ描写が…。それに美女ってレイチェル・ワイズですか?松本美女と比べて100倍落ちると思います。なんて言いますか、さいとう たかを先生の漫画に出てくる女性と同じ様な濃さは感じますが。
 えーと他に両者にリスペクトって言うと、最近の松本先生のマンガみたいに緊迫感なくアッサリ終わる両者の戦闘シーンとか…、ダメじゃん。

 さて哀れ昇天したかと、誰もが思っていたヒロイン。いかなる愛の奇跡か生きていましてザイツェフ君とラブラブファイヤー状態。最後の最後は『宇宙戦艦ヤ マト』に戻ったみたいです。きっと「愛するターニャ仇は討ったぜ。君の為ならナチの命なんざ羽毛同然さ」とか何とか言っていたのでしょう。

 …なーんて女とうつつを抜かしてんじゃねーよ!シュタイナー伍長かゴルゴ13の爪の垢でも煎じて飲め!
りょう(2001年4月24 日)
僕は、案外あの時代の事に詳しいんで、見ててすごく楽しめました。エドハリスの演技はさすがです ね
★★★★
パンちゃん(★)(2001年4月20日)
ジュード・ロウがナチス将校を狙撃するシーンまでは緊張感があった。
その後はいったい何?
盛り上がりも何にもない単なるジュード・ロウ・ショウ。
確かに美男子で、廃墟や泥がよく似合う。
それだけ。
エド・ハリスの張りつめた感じの方がよほど魅力があった。
だいたいターニャはなぜ生き残っているのだ。
いい加減すぎる。
音楽(音響)も最悪。
Colles(2001年4 月15日)

この映画の見どころっていったいどこなのかしら。
全然、わからんかった。
「愛するターニャ、君のために僕はまた1人ナチをうつ」っていうコピー、最悪。
もしもテレビコマーシャルが気に入ったなら、それだけで、満足しましょう。
見に行ってもがっかりするだけたから。