ディー プ・ブルー

はせ(2004年9月20日)

 海洋生物の生態を追求した記録映画だが、学究的志向を排除して、映像としての面白さ、驚き、うつくしさを直截に鑑賞者につたえようとしている。それらが ふんだんにあって何とも心地よい。逆に言うと、しかつめらしさや退屈さをいっこうに感じさせない。また、ナレーションも学問的説明など極力ひかえられてい る。しかし、勘所はおさえる。例えば、「深海に降り立った人は宇宙飛行士よりも少ない。」というふうに。
  小魚の群を空から鳥が、海からイルカが襲う。小魚はどうするか。蜘蛛の子を散らすという言い方があるが、全く逆で、身体をすり寄せるように密着して渦 を巻く。黒々して、竜巻さながらだ。そこへイルカが突進する。海中に潜り込んだ鳥(アホウドリ)も同じく突進する、その驚くべきスピード……。これが海 だ、自然だなあ、と思わせる。このスペクタクルが最初と最後近くに二回登場して、大黒柱のように映画をひきしめている。
  海辺であそぶアザラシの子供をシャチが襲う。その前に大洋の大波を見せられているので、大波に乗って背をあらわしたシャチの黒々した背に鑑賞者は驚 く。何だこの生き物は?と思うと、わずかに時間をずらして「シャチが……」というナレーションが入る。このタイミングもいい。
  カメラはやがて海の底へ。珊瑚のちかくに珊瑚そっくりの生物が浮かんでいる。擬態性の魚なんだろうな、と直感が働く。すこしずつ生物の姿が大きくな る。(カメラが近づく、ズームアップする。)眼や背骨らしきものが判別される、という具合だ。この間、ナレーションは無し。カメラはさらに深海へ。
  クラゲが傘の内側から「触手」を伸ばす。これが不思議だ、ものすごく長い。紙テープのように色彩がある。またフリルのような白色の物質を数珠つなぎに 吐き出していく。また、発光性の生き物がいる。触手を一カ所から下方に傘状に伸ばして、七色の光を放つのだ。「七色」とは絶えず色の変わる様子が判別でき るからだ。それらが、生き物という感覚をいつか忘れてしまって、シュルレアリズムの芸術家が造った仕掛けものにも見えてくる。すばらしい映像だし、反対に 現実感が乏しくなる気もしないでもない。そんなときにタイミングを計ったように、ありふれた荒れた海の風景に戻してくれる。この間の取り方も、息継ぎをさ せてくれるようで、じつに要領を心得ている。
  見終わったあとで、あの生き物の名は何だったのか、大きさはどうだったのか、深海の撮影のライティングはどんな風にやったのか、などと疑問がつぎつぎ と出てくる。だが答えが出なくてもよい。興味が湧いた人は別の機会をつくって追求すればよいのだ。自然にそう思えるほど、映像美に酔うことができる。この 映画の作り手は撮影技術に長けたのみならず、芸術的構成のセンスにも非凡なものがある。
  人間界のごたごたや悲劇に疲れた人には、一服の清涼剤になることは請け負える。
  今回はネタバラシをしてしまったが、映像美にはとうてい追いつけないから安心だ。点数は応援の意味をこめて★★★★★。


panchan (★★★★)(2004年8月11日)

この映画にはいくつもきすばらしい驚きがある。
(1)波がとてもすばらしい。波が生きている。こんなふうにつやつや輝くことができる。こんなふうに盛り上がることができる。こんなふうに崩れることがで きる。波頭はここまで複雑にくだけることができる――そう主張しているようだ。こうした波の、人間でいえば「自慢げ」な表情があるから、イルカの動きも躍 動的だ。波と(海と)一緒に輝いて生きている感じがする。
(2)見たことのない映像がふんだんにある。
たとえば海中を飛ぶ(飛ぶとしか言いようがない)水鳥の動き。空を飛んでいる水鳥はみたことがあるが、魚を追って海中を翼を広げて泳ぐ鳥は見たことがな かった。その鳥は、魚をとらえるとロケットのように、水中から空へ飛び出す。
たとえば深海の不思議な光を放つ生き物たち。どれも見たことがない。
(3)そして、この映画では何よりもナレーションが驚異的である。驚いてしまう。
ほとんど何も説明しない。ナレーションは、イルカ、クジラ、ペンギン、アザラシ、白熊などについてはあっても、だれも知らない深海の生き物については名前 の説明すらない。
そして、そのことが不思議な効果をあげている。
イルカ、クジラなどについては、知っていることなので、その声が耳障りにならない。
深海の生き物については、ただひたすら夢中になって映像を見ることができる。
これはいったい何?と目が好奇心の塊になる。驚異の世界に引きずり込まれ、ことばをなくす。
ああ、そうなんだなあ。
驚異の世界にことばはいらない。ただ見つめていればいい。

ナレーションがないからこそ、驚異の世界は驚異の世界のまま。
説明があったら、驚異の一方、何かがわかったと勘違いして、驚異の深さにゆさぶられる感じが減ってしまうだろう。

ナレーションがないからこそ、もういっぺん見てみたいという気持ちになる。