The Truman Show

トゥルーマンショー

監督 ピーター・ウィアー 主演 ジム・キャリー、エド・ハリス、ローラ・リニー、ノア・エメリッヒ、ナターシャ・マルケホーン、ホランド・テイラー

よしだ(★★★)(3月22日)
yyo@d1.dion.ne.jp
今さらながら、みました。
普段、アメリカ映画はみないので、ジム・キャリーがどんな人なのか知りません。この映画の設定やあらすじも全く知らず、とにかく先入観なしで、みられました。
トゥルーマンのこれからはどうなるのか?
マスメディアは残酷だ、人の人生をもて遊ぶなんて...っていう以前に、今、この地球もトゥルーマンの世界と同じように、小さな世界でしかないんじゃないのか?そして、こんな小さな地球でああだ、こうだ言って生きている人間って滑稽だ、って思いました。
自分中心で世界が回っているって考えたことは誰でもある(ないかもしれませんが)と思うし、それをむしろ現実的に説明してくれていると思います。また、現実逃避として、自分の周りがみんな役者だと思ってみるのもいいかなと思ったのですけど。
ゆん(★★★★)(2月15日)
junny@ma4.justnet.ne.jp
まあ、実際にこんな事はいろんな点から絶対に無理ですので、これは分類としてはファンタジーの中のヒューマン、って感じでしょうか。
設定の無理さを考え出すと、映画を作った意味がなくなってしまうと思います。
このショーが始まってから、映画の冒頭のシーンに到達するまで30年、この辺りでスタッフの気が抜けてきたり設備が老化したりしてきたのでしょう、と勝手に推測しますが、いろいろボロが出始めますね。
これまで気付かなかったのがおかしい!と思ってしまうのですが、ジム・キャリーによるトルーマンの人柄が、そんな疑問を封じ込めてしまいます。彼なら騙されていてもおかしくないと。
この映画は残酷です。残酷ですが、彼の立場や思考を考えると、トルーマンが「何かおかしい」と思い始める辺りはものすごくおかしいです。空からいきなり何だかわからない機械が降ってきたり、エレベーターの中に部屋があって食事している人がいたり。どんなに不思議に思ったり驚いたりしただろうと思うと。でも、「明らかにおかしい」と確信し始めてからのそういう出来事はものすごく不気味です。同じところをぐるぐる回る人たち、出かけようとすると次々起こるアクシデント、突然ココアのCMを始める妻。特にこのCMを始める妻のシーンは、今でも思い出すと背中に寒気がします。
クリストフに関しては、思うところがありすぎてまとまらないので割愛しますが、私が唯一気に入らなかったのは、トルーマンに真実を知らせようとした役割のローレンの存在です。
彼女の、真実へのナビゲーターのような存在がなくてもこの映画は十分描けたはずだし、最初に書いたようにこの映画はファンタジーなのだから、ローレンの存在は「設定の無理さ」を突然持ち込んでしまう余計な存在なのではないかと思います。
トルーマンの純粋さに胸が詰まりますが、その彼が外の「真実の世界」に出てどうやって生きていくのか。私は悲観的な想像をしてしまいますが、思わず「幸せになれるといいね」と心の中で願ってしまいます。
キリヤマ(12月24日)
eigoka@ocjc.ac.jp
面白そうだなと思って早くから見に行こうと決めていたのですが、新聞 で簡単な紹介記事を読んだ以外は、別に積極的にこの映画について色々と知ろうとし ていたわけでもないし、パンちゃんのページの採点欄も読まずにいました。だから映 画を見る前に私が知っていたのは、「主人公トゥルーマンの生きている世界は実は巨 大なセットで、彼の周りの人間は皆が演技をしていて、彼の一挙手一動足が全世界に 24時間生中継されていて、しかも彼はそのことを全く知らずにいる」という基本設 定(?)だけだったけれど、これがこの映画の全てだったように思いました。この設 定を知っていると、車のインパネを通してトゥルーマンが見えるなんていう変な映像 も、”妻”が「赤ちゃんが欲しいわ」と言うのも、”妻”が台所で突然ココアのCM みたいなことをやりだすのも...この映画を見てから一ヶ月近く経っているので他 にどんなのがあったかもう良く思い出せないのですが、とにかくこの映画の中で起こ ることと登場人物のやりとりのどれもが「そりゃそうだ」という程度のことにし か思えない。基本設定の範囲で簡単に予想されること、説明できることしかこの映画 の中では起きない。映画を見終わって、結局事前に知ってた以上のことは何も見られ なかったなぁというのが正直なところでした。「!」も「?」もなくて、特に始めの 30分ぐらいは危うく眠ってしまいそうになりました。
映画館の窓口で、係の人に「これはどんな映画か?」と聞くぐらい何も知らずにいた らもっと面白く見られたのかもしれない。映画そのものは悪くなかったのかなー、そ れにしても見どころが無かったなー。
みさき(12月2日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
★+★(見ているあいだはおもしろかったから)
最初はああいう映画もありなんだろうな、と思っていたんだが、だんだん腹がたって きたというか、この映画はあたしにとってはちっともおもしろくはなかったんだ、と 気付いた。
誤解しないでくださいね。腹が立ったのは自分に対してです。みんながほめてるんだ から……っていうのが前提ではだめじゃん。みんながほめてたって、自分がつまんな ければ、つまんなかったって大声でいうべきだ。
みんながけなしてたって、自分が好きなら、好きって大声で叫ばなければ……ねえ。 『シティオブエンジェル』の時のように。
なにがいやって、ああいう設定のドラマは成りたたないとわたしは思うんだ。トゥ ルーマンはいいさ、なにも知らないんだから。でも、奥さん役の女優さんや幼なじみ 役の俳優さんの人生はどうなるの?
こういう質問封じのためのインタビューシーンも冒頭にはあるけれど、あたしは納得 しない。成立するかしないかは問題じゃなく、成立したものとして物語を見よ、とい う人もいるだろうけど。
ま、あたしだって、たった1人の二等兵をわざわざ8人で探しにいくわけないじゃ ん、といわれたら「それはそれで置いといて……」って、きっというだろうけどさ。
だからさあ、映画のいろんな設定に関して、こういう設定は受け入れがたいって思う 人が観客の何パーセントかはいるんだろうなあ。これはしょうがないやね。
あたしとしては奥さん役の女優が、一度だけだけど「いくら仕事でも、もうこれ以上 はできないわ」って叫ぶ、その叫びはきっと真実の叫びだ。それにこたえてやりた い。
「そうだ、そう思ってあたりまえだ。あんたは悪くないよ」っていってあげたい。
「ほんとは、ぼくが嫌いなんだろ」って女優として奥さんを演じているメリルにトゥ ルーマンがいう。かわいそうなトゥルーマン。気付いちゃったんだね。そこからドラ マがぼろぼろ破綻していくなら、あたしは納得したんだけどな。
つくりものの壁を空だと信じて、そこにぶつかって終わり、なんて、やだな。
もっと、わからないのはラストでトゥルーマンの心の恋人がわーっと喜んで部屋を飛 びだし階段をかけ降りるけど、あれは何? 階段の下になにか、あったの?
彼女も実はずっとスタッフの1員で、TV局のどこかに、彼女の部屋のセットがあっ て、次の瞬間、トゥルーマンやクリストフたちと抱きあってるシーンとかにはならな いのかしらん?
むしろ、そういう『蒲田行進曲』的なオチで、終わってほしかった。そのほうがすっ きりする。と、わたしは思う。
見おわってあたしが思うのは猿岩石にはじまる日テレ電波少年のサバイバル芸人 ルポのこと。日テレは大家族ものも好きだけど。
どの部分がヤラセで、どの部分が演出で、どの部分が事実なのか、もうどうでもいい じゃんっていうくらいに編集次第の番組なわけじゃん。トゥルーマンショーも日テレ みたいな編集すればいいのに、とも思いました。だって、ずっと中継ってのは疲れま す。
浅間山荘は初めてだったから、ずっと見てたけど、麻原逮捕の朝も、函館ハイジャッ クの一夜も寝ちゃったでしょ、皆さん。
猿岩石のヒッチハイクも、あんなのヤラセに決まってると思いながら毎週、彼らを見 続けて、実は1ヶ所だけ、飛行機に乗りましたってのがバレて大騒ぎになったなあ。 だけど、あんなに騒ぐってことは、みんなヤラセはないと信じてたというのか? 純 真な視聴者がかくも多きか! って、あたしは驚きましたがね。
タケ(11月28日)
take-5@yc4.so-net.ne.jp
この映画を見た一週間ぐらい後で友人とヒッチコックの「裏窓」について話をしてい た時、ジム・キャリーがジェームズ・スチュアートに傾倒していて、演技やコスチュ ームの参考にした、という記事を思い出したのですが、そういえば「トゥルーマン・ ショー」(以下TS)ってヒッチコック的な構造の映画ですね。
ちょっと比べてみると「裏窓」では主人公が周りをのぞき見するのに対しTSでは周り が主人公をのぞき見していますし、ヒッチコック映画の特徴である「主人公がトラウ マを持つ」(TSでは海恐怖症)というのも、さらに最後にはそのトラウマを克服する 点も似ています。父親が以前事故で死んだはずなのに目の前に突然現れる、といった あたりは「めまい」のキム・ノヴァクの役どころとダブりますし、ほかにも探せばで てきそうですね。TSをヒッチコックが撮ったらどんな風合いの映画になったか(まあ 撮りゃしないでしょうが)想像してみるのもいいんじゃないでしょうか?
採点は★★★★。エンターテイメントの舞台であるテレビドラマを裏返していながら 、この映画自体も十分にエンターテイメントになっているのがいいと思います。見終 わった後で「感動」以外の面で色々考えさせられる、という意味ではもしかすると最 近の大作映画よりも上なんじゃないかという気がしますね。
ダグラス・タガミ(11月28日)
douglas@msc.biglobe.ne.jp
私は、嫌いです。こういう映画。人の気持ちを壊す。
許せない。私がトゥルーマンだったら、あの親友役と 母親は、傷つけてしまうかもしれない。(当然、クリストフも)
それくらい恨むし、憎む。あの歳になるまで、彼らは、 名声や金のために自分をずっと騙してきたのだから。
絶対に許せない。私はどうせ小さい人間ですよー。
なんか、変に感情移入してしまい、イライラしてみていました。
★★。ジム・キャリー、嫌いだったが、今回はとても良かったです。
KOUSEI(★★★★)(11月27日)
kousei@mars.dtinet.or.jp
http://www.mars.dti.ne.jp/~kousei
映画を見る前は、現代のメディアに対する視点から描かれているものだと思ってましたが、見終わってみるとむしろある種の愛をこれまでになかった形で見事に視覚化したものじゃないかなと思いました。
クリストフの主観から、この物語をみてみようと思います。ネタバレやたらしてます。
テレビドラマの制作者クリストフは、胎児の頃からずっと視ているトゥルーマンのために、クリストフが経験した劣悪な現実世界の中からある部分は捨て、ある部分は拾い、現実世界よりも素晴らしい世界を創りあげた。人にはプライバシーを商品にしていると言われても、クリストフはトゥルーマン自身にとっては一番幸せな世界を制作していることは確信していた。スクリーンごしでしか触れ合うことができない関係でも、これは最も優れた愛の形だと確信していた。しかし愛されることでなく、愛することを選ぼうとトゥルーマンは、クリストフが荒らせた海を越え、世界の果てにたどり着き、愛するために愛する人のもとへと、階段を上り扉をあけて、ニッコリと一礼して消えてしまいました。30年24時間全て分かっているはずだった。クリストフの30年は、形は普通とは違っても、トゥルーマンのことだけを視ていた30年だった。5000個のカメラをしても、トゥルーマンのほんとの気持ちは分からず、太陽も雲も雨もコントロールできとも、トゥルーマンをコントロールすることはできなかった。クリストフにとって衝撃だったのは、逃げられたことでなく、自分がトゥルーマンのために一から制作した良くできた世界を捨てて、ひとめぼれした女のもと選ぼうとトゥルーマンが考えたことだと思う。逆説的ですが、クリストフは世界の全てがこの放送を非難したとしても、トゥルーマンだけは私の意図の本当の理解者だと思っていたのだ。歪んだ愛なのか、それぞれ歪んでいるからこそほんとの愛だと言えるのでしょうか?
愛する人から愛されることを望むのではなく、自分の姿を場面と場面の間に隠して、愛する人がほんとは望む世界を創ろうとするという愛の形をこの映画は非常に大胆な場面を設定して、表しているのかなと感じました。この映画を観ていて居心地がいいような悪いような不思議な気持ちになりました。
そん(11月26日)
皆さんの感想を読んでから観たので、エド・ハリス様の怪演に注目してしまいました。さすが、「私が選ぶセクシーはげNo.1」だけあって恐いくらいの愛情の注ぎっぷりでした。
シー・ヘブンのような世界ってそんなにいやなところかなあ。
私は“現実”で生きていかねば、生きてゆきたい、と99%は思っているけど、1%くらいはシー・ヘブンに住みたいって思います。おかしいかな。
◎私の好きなシーン
ほんとのことに気づきかけたトゥルーマンが朝、鏡を観るシーン。
彼の起床をぼけーと待っていたスタッフが、シリアスな表情で鏡を覗き込む彼を見て「やばっ、気づかれたかな」と思うんだけどトゥルーマンがいつも通りにおどけるのを見て「ああ、良かった。いつものふざけたヤツだぜ」と安心する。この表情が好き。番組スタッフの彼に対する愛情(?)というか仲間意識を感じました。
だって、あの(ブルック・シールズ+モデルのヤスミン+やぶれまんじゅう)÷3の女子大生より、絶対に“「トゥルーマン・ショウ」に関わる人々”の方が彼のことを好いているとしか思えないんだけどなあ。
星は★★★★です。
しーくん(★★★☆)(11月24日)
kanpoh1@dus.sun-ip.or.jp
ある程度の予備知識がありましたが、まさか<注意!いきなりネタバレ!!!>空や雲、太陽、月、天候までもが人工的なものだとは思わなかった。そうか、そういえば冒頭で空からライトが落っこちてきたっけ・・・
早朝の回を観たので、まだ人はまばらでしたが、多くの女性の方は、泣いていたみたい。私もラストはそれなりに感動はしましたが、いざ映画館を出るとその感動の余韻が全然残らない。それに上映時間は100分足らずなのに、やけに長く感じてしまった。
トゥルーマンが”本当の世界”でどうなったか・・・そして、人生を犠牲にしてまで(と、私が勝手に判断する)家族や友人を演じきった人々の、その後の方が興味があります。余談ですが、顔は全然似ていないのですが、ジム・キャリーの特に笑いの仕草が、ジャッキー・チェンとダブってしまうのは、私だけでしょうか?・・・
きりこ(11月19日)
yt0408@alpha-net.or.jp
良くも悪くもライト、というのが第一印象。
重圧感のある映画にすることをあえて避けたのだろうけど、物足りなさを感じる人もいるだろうな、きっと。Newsweekなどの批評に書いてあったようなマスメディアのなんちゃら、とか、人々の欲望のなんちゃら…な−んていうのを期待して観るとガッカリするかもね。私は「なんとなく面白そうだ」というだけで特定の期待はしていなかったので、結構楽しめましたが。
悲惨と言えばあまりに悲惨な話になってしまうのを、良い意味でドライに描いていたところは私好みなのだけど、その先が今一歩かな。作品全体を貫くシニカルな意味での「笑い」が欲しかったなぁ。ただ、トゥル−マンに勝手に感情移入してしまったのは、fakeの世界からrealの世界へ辿り着こうとしていること。
「一体、自分の周りに”本物”はどれくらいあるんだろう」などと、ふと考えてしまったりすることがある。それは周囲との人間関係においてであったり、自分自身についてであったりする。(…まあ、それだけ自分が未完成で、ガキだってことなんだろう。)
最近、5年間付き合ってきた友人とケンカをして、(ケンカというもの自体、久しぶりにしたのだけど…)結局、今の状態で一緒にいても悪い方向にしか向かわないだろうから、しばらく離れてお互いにもっと成長するよう努力して、もう少し自分のことにも自信が持てるようになったら、また会おうということになった。
今までの関係がfakeというわけではないけど、もし、そんな日が来たとしたら、その人との関係はrealになるかもしれない。まあ、これはあくまでほんの一つの例でしかないし、自分そのものを”本物”だと自信をもって言うことのできる日は(かなり)遠いかもしれない。Trumanだって、セットからは出られたかもしれないけど、彼が「本物の」人間になるための戦いはその後だろう。とりあえずは初めの一歩ってところかねぇ。
…こんな個人的なことばかり考えながら映画を見ていた私はちょっと邪道かなぁ。でも、そういった意味でかなり楽しめたのでボ−ナス付きで★★★+★。
ちょっとつけたし。J.Carreyも期待を裏切らなかったけれど、やっぱりEd Harrisが良かった〜。既に書かれているようだけど、大きなスクリ−ンに映し出されたトゥル−マンの寝顔を手でなぞるクリストフが印象的でした。
パンちゃん(★★★+★)(11月17日)
ピーター・ウィアーのテーマは終始一貫している。異質なもの(自分が知らなかったもの)に触れ、人間はどのように変わり得るか。
『目撃者/刑事ジョン・ブック』ではアーミッシュの文化、『モスキート・コースト』では熱帯のジャングル、『今を生きる』では詩……。
今回、ピーター・ウィアーが選んだ「異質なもの」--それは、テレビだった。
このことに私は何よりも驚いた。「テレビ」が異質なもの、という感じを私は持っていなかった。私は長い間テレビを見ていないが、それを異質なものと感じたことはなかった。それは「日常」そのものだった。
「日常」そのものを異化するということだけで私は黒星を10個つけたい気持ちになる。100個つけてもまだ足りない気持ちになる。本当に驚き、映画を見ている間、ずーっと、「テレビ」を異化するその手法に考えを突き動かされつづけた。興奮もした。
映画を見ながら考えつづけたことを語り続けたい気持ちにもなる。
ところが映画としては、それほど感動しなかった。
これは映画というよりはあまりにも文学的である。哲学的である。ピーター・ウィアーは、その美しい映像にもかかわらず、最初から哲学的だったが、この映画ではさらに哲学的になってしまった。
『トゥルーマン・ショー』の世界は、映像を忘れ、頭のなかで出来事を反芻するときに、いっそう明確になり、感動的になるものである。
これは私の考えでは「映画」ではない。「小説」あるいは「哲学」の世界のことがらである。
ここに描かれていることは、ことばに置き換えない限り、感動にはかわらない。
ジム・キャリーの演技もことばに置き換えない限り、感動にはならない。
*
この映画を映画として支えているのは、ジム・キャリーの演技であるというよりも、エド・ハリスの演技である。
エド・ハリスは信じられないくらい繊細な演技をする。『アポロ13』のときもそうだったが、「出来事」の裏方に徹し、裏方を引き締めることで「出来事」が現実へ引き寄せる。
石橋尚平さんが書いているが、ラスト近く、ノートパソコンにうつったトゥルーマンを指で触れるシーンはとても美しい。思わず涙が出る。
私流に補足すると、エド・ハリスは、その前にアップになった「トゥルーマン」の寝顔にそっと触れている。「トゥルーマン」に触れるという行為が、反芻されている。反芻されることで、エド・ハリスの「トゥルーマン」に対する愛情が表現されている。
その愛情は、テレビで「トゥルーマン」の行動を見て一喜一憂しているバーのホステスや老女の姉妹の感情とはまったく違っている。彼らは「トゥルーマン」を肉体とは感じていない。人間とは感じていない。ストーリーを語るための偶像と見ている。ただエド・ハリスだけが「トゥルーマン」を人間と感じている。触れれば温かい血が流れていることが実感できると感じている。
これはおかしな話であるかもしれない。逆説的な話であるかもしれない。しかし、その逆説をエド・ハリスは見事に肉体化している。
このエド・ハリスの演技の怖さに★1個を追加。
エド・ハリスが「トゥルーマン」の映像に触れるという行為によって、「トゥルーマン」は実在の人間になったのだ。
*
このエド・ハリスと「トゥルーマン」の映像の関係から語り始めれば、また別の事柄が語りうるものとして浮かび上がり、そのことでまた★1個を追加したい気持ちにもなるけれど、それではもっともっと映画から離れていってしまうという気もする。
colles(11月16日)
colles@sam.hi-ho.ne.jp
http://www.sam.hi-ho.ne.jp/colles/
☆☆☆☆
おもしろかったです。
なにがおもしろかったかっていうと、きっとだれしもがTrumanとおなじように、居心地はまあまあいいけど、本当(True)じゃない世界に、いるってことを気づかせてくれるからです。
ドット(11月14日)
n-tomoo@mtj.biglobe.ne.jp
トルーマンショウについて11.14
この映画は皮肉と諧謔の連続だね。とことん嫌みな映画だ。長ったらしくなくて、結構楽しめた。星は4つです。こんな映画作っちゃって、これから先アメリカはどんな映画作るのかなぁ。
もしかして下品?な疑念だけど、トルーマンはその奥さんとどのような性生活をおくっていたのだろうか?それも仕事で演技なのだろうか?
ラスト、警備員の二人組が「またおもしろいテレビ番組ないかって」ワンカットが「アチャー」って感じ。俺が今まで見たアメリカ映画は、トルーマンがセットの外へ出ていってみんなバンザーイやって例の大げさな喜びの表現して「めでたし、めでたし」 的に終わってたのに。シュワルツネッガー主演のアクション映画でも「殺し合い」をテレビの放送にしてたけど、結局善玉、悪玉映画になっちゃって。どっかの映画評論で「チャンス」ってピーターセラーズが主演した映画と対比していたけどその映画自体忘れてしまったので何ともいえないが、まあどちらもテレビというかマスコミというかマスメディアというか、その怪物的なパワーを皮肉ったというか。インターネットで映画情報仕入れているおかげで見たくなってしまったんだよね。この映画。それもあの映画のなかの視聴者と同じ心理なのだろうね。視覚のすり込みというのは怖いものだ。
アメリカ映画も変わってきた。前から変わっているのかな。俺が知らないだけかもしれないけど。もう、バンザイはやめたのかな。だがこれからも短絡的なアクション映画を作ってほしいな。
この映画、画面の4隅がぼやけているときは「今テレビカメラでとってますよ」という意味だろうが、テレビカメラにとられてない、映画を眺めているおれたち、観客の目としてのカメラは結局なかったのだろうか?すべて映画の中のトルーマンショウのカメラだったのだろうか?
それにしても日本映画よ、がんばれ。こりゃ、なかなか、追いつけません。ジョンウーみたいにハリウッド産の日本人映画監督でもいいから、がんばれ。
石橋 尚平(★★★)(11月14日)
shohei@m4.people.or.jp
イマひとつ乗れませんでした。予想通りというか、予想外というか、どっちでしょう? J・キャリーはいいんですよ。ハマりすぎなくらい。よくあるアメリカ人の社交的なスマイルや挨拶が、この人が演ると何か奇異なものに思わせるんですね。J・キャリーの演技や存在感自体、極めて虚構的だから、その明るさが作品が重苦しくなってしまうことを救っています。この貢献は大きいです。30年も騙されてきたという屈辱と悲しみを鬱屈させないでしょ。能天気に大学時代の彼女のことばかり考えている。だからいいんです。だから感情移入できるんですよ。TVの前のトゥルーマニアのように。エド・ハリスもいいです。最後のシーンで、ノート・パソコンの画面に映るトゥルーマンの像を指で愛しく撫でるでしょ。あそこが素晴らしい。唐突に再び現れるトゥルーマンの父親が育ての親で、実の育ての父親の役割を彼が果たしているのは言うまでもないですけれども、星一徹のようでいながら、けっこう母性的なところが自然に漏れ出てしまうんですね。この映画で愛情は非対称性をなすんですね。父親は30年近くもトゥルーマンを追い続け、その人生を演出する。だけど父親はトゥルーマンの前に姿を表しません。最後も結局声だけの対話で終わりますね。この寓意性は平板であまり好きではないけれども、彼はトゥルーマンの世界の神であろうとしたということですね。だけど、運命を支配できるほどの力も持てなかった。結局、トゥルーマンを突き動かせ続けたのは、大学時代の彼女なわけですけれども、彼女はその後のトゥルーマンの一挙手一投足をずっとウォッチし続けていたんですね。雑誌の切り抜きでモンタージュを作るトゥルーマンと対称的に。彼らは相思相愛であっても、彼女が一方的にトゥルーマンの姿を映像で見つめるということの非対称性という点では、エド・ハリスと同じなんですね。本当にこの関係は、息子の結婚を反対する父親という相関図のもとに置くことができるのかしらん? 本当にトゥルーマンも彼女も本物のお互いが好きなのかしらん? むしろ、エド・ハリスの愛情こそが最もリアリティをもって輝いているような気さえします。
いかにもパラマウント的な社会派映画にはまらない品の良さは高く買えます。ある種の堅苦しい見方をする人には肩すかしをくらわされるかもしれませんね。「情報化社会の恐ろしさに一石を投じる…」などとマジメに(というか、お決まりのポーズでお決まりのパターンの貧相さで)考えてみようとすること自体、『情報化社会的』ですから。そういう人は、『トゥルーマン・ショー』という映画ではなくて、『トゥルーマン・ショー』という同名の番組を観ているんでしょね。この映画によく出てくるTVの前のトゥルーマニアのように。
しかし、如何せんこの映画では悲劇を笑い飛ばせるほどの力量というか、ぐいぐい引きつける力に欠ける気がします。それは一つには描かれる父権が弱いからです。意外にもトゥルーマンの住む世界は狭くチャチで、仕掛けもいい加減で、カメラの監視も簡単にかいくぐれてしまう…。神(父親)のエド・ハリスも結局、支配力に綻びを露呈させ続けます。彼の存在を象徴するのは太陽ではなく、月でしかありません。エド・ハリスの存在感だけでは父権の圧倒性は描ききれないんですね。私は父権の擁護をしているわけではありませんよ。だけどそれが情けないと締まらないわけで…。それから一人立ちするはずの息子も息子で、本物の(彼女のいる)世界が『フィジー』という楽園にあるとするトゥルーマンの憧憬は、非常に平板で幼稚なものでしかなく、結局、一人歩きできるのかしらん?…といぶかしく思わせてしまいます(大学時代の彼女はいるけれども…)。鉄壁の刑務所を脱出したり、海を真っ二つに割って民族ごとエジプトを脱出するような話などとはスケールと激突する力の強さが違います。ピーター・ウィアーのいいところは、社会派的なテーマを品よく感動的なドラマに仕上げるところだが、父権的な力や絶対的な悪が描けないところにこの話の限界があるのかもしれませんね。いや、それが『情報化社会』の限界と怖さなのかな?
れいな(10月31日)
reina@osula.com
ちょっと前の映画になってしまいますが...トゥルーマンはその後どうなるのでしょう?ある友達が「続編ができるのかな?」と言ってましたが、できたとして、どういう設定になるでしょう?せっかくセットから出れたトゥルーマン。でも出てきても、街中の人が彼のことを知っている。結局はセットの中にいたときよりも見られている。そればかりか、セットの中では普通の人として扱われていたのに、本当の世界では誰もそっとしておいてくれない。 これって普通の芸能人が普段経験してることですね。結局はクリストフもインテリ系パパラッチって事かな?彼のおかげ(?)でトゥルーマンの生活を覗けてたわけだし。
きり(★★★★★)(10月12日)
noriko@sec.cpg.sony.co.jp
あ、初の5個かも(笑)
アタシは今までジム・キャリーが嫌いだったので、彼の映画も1つも観たことがなかったんだけど、今回のジム・キャリーはちゃんと演技をしているっていう評判を聞いていたので観に行った。
今まで何故嫌いだったかって…、なんか演技に異様に力入ってて全然面白そうじゃないって思ってたから…(ちなみにアタシは、Mr.ビーンも嫌い)
でも、今回の映画を観て、見直したざます!良いじゃない、ジム・キャリー。。
子供みたいで可愛かったわぁ・・・・・
映画自体も面白かったわぁ…。こんなセット有り得るんかいっっとか思ったけど、だんだん、あぁ、今の技術なら有り得るのかも・・・とか納得してきて、ひたすら頑張るトゥルーマンの姿に思わずウルっっ(;;)
いつも貼り付けたような笑いのジム・キャリーの笑顔も何故かさわやかに見えたざますっ。
とにかく面白かったので、アタシはもう一度観たいです♪♪♪
MJBの予告も観れるしねっっ<それが一番の目的・・・・・・
ななんぼ(★★★★)(10月10日)
nananbo@din.or.jp
http://www.din.or.jp/~nananbo
もともとジム・キャリーが好きだったせいもあるかもしれないけど、とにかく今までのギャグ何連発!というような激しいコメディーではなく、(コメディー作品として観に行くと期待はずれになるかも・・・)飽くまでシリアスとまではいかないけど人間ドラマで良かった。
新しいジム・キャリーの一面を観ることができたしね。
何作品も彼の作品は観てきたけど、涙腺が危うくなったのは、これが初めてかもしれない。
とにかく普通の人間ドラマとは違って、憎いぐらい人間のエゴを皮肉っているのだ。
「自分は24時間、生活を誰かに監視されている・・・」という疑問を持ったトゥルーマンが、生まれてからずーっと暮らしていた島から初めて出ようとする。しかし、島の世界は作り物、彼が島を脱出してしまえば、このドラマは終わりになってしまうとスタッフは焦る、視聴者は彼が脱出できるか動向を注目する。そんな人間の駆け引きが面白い。しかも、彼が本当に自分が作りモノの世界で生活していたという事実に直面した時のやるせなさ等の表現が凄く好きだ。そして、ラストのあの皮肉たっぷりのシーンもね。
自分達の生活に飽き飽きしていた視聴者やスタッフが、一人の人間が意図的にコントロールされて生きていく様を楽しんで観ている・・・。そして、彼が自分達と同じような生活を選んだ瞬間、(つまり同類になった瞬間)興味は一気に消えるのだ。それがエゴてものかもしれない。
殿(★★★★)(10月2日)
kyuki@beige.ocn.ne.jp
久々ですが、かかせていただきます。
書く事が苦手なので分かり図らいと思いますがご容赦を。
内容はトゥルーマンは自分では思う通りに生きているつもりでも、実は神の手の上でしか生きていません。
でも、そんな事は知らずに精一杯生きてます。
神ことクリストフもトゥルーマンに愛情があふれてて、でも、その愛情はクリストフの一人よがりに過ぎなくて。
ジム・キャリーとエド・ハリスどちらも最高。
CGがあまり使われていなかったのも良かった。
この作品でジム・キャリーが演技派に脱却できるんじゃないか。
haruhiko(7月27日)
ishii@binah.cc.brandeis.edu
Truman Showというのはテレビの番組で、主人公のTruman Burbankの一挙手一投足は世界中のテレビに中継されているというのが設定です。彼は巨大なセットの中で生活していて、まわりにいる人間は全て俳優なのですが、本人だけはこれがテレビ番組であることを知りません。でも、やがて彼は彼が住んでいる世界がどこかおかしいことに気付き、真実を知ろうとします。
これはなかなか一筋縄ではいかない映画です。一つのレベルでは、主人公がいかに真実を理解しようとし、外の世界に行こうとする冒険の物語として楽しめます。一方、番組に一喜一憂する視聴者の姿を笑うこともできます。彼らはメディアにうまく踊らされている愚かな存在とも言えるし、ショーを楽しむことを心得たしたたかな偽善者でもある。でもふと我が身を見ると、自分達も彼らと変わりがない訳ですよね。趣向は違いますが、Wag the dogもメディアを題材にした、センスの良い映画でした。ただWag the dogでは、それを受信する側の姿が十分に描かれていなかっことが歯がゆく感じました。The Truman Showは、そこをきちんと表現しています。
知人の中には、Jim Carreyが主演というので敬遠している人もいました。でも、彼は、人工世界で育った主人公にぴったりです。シリアスな場面もちゃんとこなしていて、「目撃者」のHarrison Fordや「今を生きる」のRobin Wiliamsもそうですが、Peter Weirのキャスティングのセンスには感心します。(もっとも、映画としては「今を生きる」はあまり好きでないです。「目撃者」は大好きですが。)
それからTruman Showの製作者、Cristofも奥行きのある人間に描かれていて、良かったです。彼はTruman Showの世界を神のように支配する傲慢な人間ですが、知的で、Trumanに対して父親のような愛情を持っています。
Peter Weirと言えば、Picnic at Hanging Rockのディレクターズカットが何週間か前に近くで公開されたのも見に行きました。ディレクターズカットというと、オリジナルよりも長くなるのが普通ですが、7分ほど短くなっているそうです。とてもミステリアスな美しい映画で、良かったです。