トリコロールに燃えて




  
はせ(2004年11月11日)
  イギリス人大学講師のスチュアート・タウンゼント(ガイ)は、折りしも勃発したスペイン内戦に共和国軍側の義勇兵として参加しようとする。その際、パリで同棲中の写真家のシャーリーズ・セロン(ギルダ)に結婚を申し込む。だがセロンは好意を濃密に寄せながらも、自由と独立を犯されたくないため、迷わず断る。
  男性にとっては、危険地帯に赴くのだから、結婚という形で恋愛関係を固定しておきたい、そういうかたちで、せめても後顧の憂えをなくしておきたいところだ。あわよくば、そうすることで女性の奔放な異性関係を封じ込めてしまえれば、という願いもある。お互いに縛りあうのだが、恋愛のゴールであり、恋愛の不安定さの除去に見える結婚を、男性は口にせざるをえない。はねつけられるであろうことが目に見えていても。一方、セロンにとっては縛られずに気儘に生きることこそが、タウンゼントとの恋愛の持続にとっての必要条件だ。彼女は富豪の娘。やりたいことをやろうと、写真家の前は映画女優、画家をめざしていた。異性関係も直情径行で、派手だ。
  このあたりの男女関係の心理、意志のせめぎ合いを追究してくれれば、おもしろかったのにと思うが、映画はストーリーを追うことに忙しい。通俗的な戦争ラブロマンスで十分、という割り切り方を作り手はしているようだ。
  スペインから無事帰還したスチュアート・タウンゼントは、今度はドイツ軍占領下のパリへ、イギリス軍の地下工作員として仲間とともに潜入する。やがて、シャーリーズ・セロンとの再会を果たすが……。
  
  シャーリーズ・セロンが輝いている。美形の特権か、映画の特権か、女子大生と同衾中のタウンゼントの家へ深夜に押しかけて行くが、憎めない。写真家として仕事をつづけるためのパトロンとの関係も同様だ。モデルで同居中のペネロペ・クルスとのパーティ会場でのダンスシーンも、時間はわずかだが印象に残った。「暗殺の森」(1971/イタリア)でも女性同士の同じようなダンスシーンがあった。そのときは、ステファニア・サンドレッリとドミニク・サンダ。★★★