A.I.


監督 スティーブン・スピルバーグ 出演 ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジュード・ロウ、ウィリアム・ハート

りょうこ(2003年8月25日)

なんかもーがっくり。
上映時間の長さの割りには話のスケールがでかすぎる。飛ばしすぎ。
もっと小さな世界(時間?時代?)を綿密に作った方がいいと思いました。なんかスカスカなんですよね。
おまけに、はっきり言って最後はいらん。宇宙とか宇宙人とか出てくるとロクな作品にならない事を証明してくれました。
泣きましたよ、そりゃ泣きましたよ。でも親子の話がお涙頂戴すぎる。
オスメント君はやっぱりかわいそうな役がハマるのでしょうか?
他のが見てみたいもんです。
★は1つ。
みいみい(2003年7月31日)
(新解釈:いろいろ感想をみたけど、こう考えた人いなかったので)
スピルバーグも年をとって意地悪になったなぁと感じました。
すごく発達したロボットが人間になれるか、なんてすごく優しい話も作れそうなテーマの映画なのに、そう昔つくったE.T.みたいにね。映画を見る前の情報と写真からこれはすごい特撮のピノキオみたいな映画になるなと思って見ていたら、ちょっと子供には見せられないホストロボット何か出したりして、で熊のぬいぐるみも出す??
 スピルバーグの意図がわからなくて混乱したまま見ていたら、ロポット狩りのシーンで、なんとE.T.では感動のシーンの象徴でもある月が、恐怖の象徴として描かれています。スピルバーグは自分のつくってきたものをこの映画でぶっ壊したくなったのかな。なんかの反動なんでしょうか。
だからラストシーンの正しい理解の仕方はこうなんだと思います。
最初に子供を冷凍冬眠させている母親が、ロボットに自分の子として意識を持たせて起動させようとします。その時に、自分は死んでしまっても、ロボットは死なないので、永遠に母親のことを思い続けながら生きていくという事がわかっています。ですが、それでもロボットを起動させてしまうのは自分さえよければという人間のエゴです。
自分が死んだ後も永遠に行き続けるロボットの孤独を考慮できれば、しかも自分の子供としてこれから生活を共にしていくのですから、起動させることはできないはずです。それを後先かまわず自分の寂しさを埋めるために起動させてしまうのは、自分さえよければいいと思う人間のエゴに他なりません。
人間=エゴ
この図式ができてしまうと、ラストシーンで宇宙人にであったロボットが1日しか生きられない母親を蘇らせる、これって、最初のシーンの裏返しですよね。そして相手の後先のことは考えずに、じぶんの寂しさを埋める為に、母親をよみがえらせるように頼んでしまうロボット。
見方を変えれば復讐劇ですね、この映画。
ついにロボットはエゴをもったのです。イコール人間になれた!!
ピノキオは木の人形から本当の人間になれたけど、じゃあ、人間って一体何?
で、その答えがエゴ。
こんな風にまとめる映画じゃないはずだと思うのですが。
スピールバーグなんか嫌な事でもあったのか心配になります。
でも嫌いじゃないので★★★★です。
ペレストロゐカ(2003年6月10日)
はじめまして、短いですが。
この映画をみて「あり?」と思ったのは主人公がデヴィット君だったことでしょうか。
予告を見て私が想像したストーリーは、果たして「プログラムされた愛情」を持つロボットの子供を人間の母親は愛せるのだろうか?
実際は「母親がいかにして子供を愛するのか」ではなく「子供はいかにして母親の愛情を得るのか」でしたが。
ロボット視点でなく人間視点で描かれていたらどうなっていたのか……
キューブリックの構想はこっちに近かったらしいので小説にでもして欲しいです。
こういった先入観がなければもっと楽しめたかもしれないので星は★★★
mark(2002年3月26日)
 よくなかったです。これは生き長らえていたらばスタンリー・キューブリックが撮った作品だという話ですが、何のことはないスピルバーグ作品の典例ではないでしょうか(キューブリックを引き合いに出すのはまったく営業的な戦略だったと思います)。
 全篇は、要するにピノキオのおとぎ話を引用してロボット少年がアイデンティティを摸索するという筋で、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』で見せたリアリズムからすると一歩後退して『E.T.』のニュー・ヴァージョンというところではないでしょうか? それで私はこのスピルバーグのファンタジーがどうも苦手な性でして、そもそも『プライベート・ライアン』にしても末っ子のライアン二等兵を救出するという部分は、おとぎ話としか解釈していないので、今回のように真っ向からファンタジー節をやられてはもうたまりません。たとえば後半になって人類が滅亡し、なにやらふしぎな知性体が出てくるあたり、いかにも唐突で観ている我々にはまともな説明もありません。
 このように突飛な展開を平気で行なうのがスピルバーグ的ファンタジーの特質といえる点です。どうもこういうセンスに、ディズニーをはじめとしてこの監督の引用するやりかたに違和感を覚えるのですが、『未知との遭遇』でもそうでした。前半はあれこれ意味ありげな挿話を(工夫された映像表現なのですが)描きながら、後半はいきなり巨大な円盤が登場してあれよあれよという間に宇宙人が既得のものとなってしまっている。もともとその宇宙人や円盤が謎だった筈なのに、肝腎の部分の説明がどこかへ飛んでしまっているんです。
 あえてキューブリックからの影響ということでいえば、すでに上述した『未知との遭遇』あたりでもろに両者の違いが現れています。要するにキューブリックならSFを撮ってくれたかもしれないところを、スピルバーグではあくまでファンタジーが至上命題なんでしょう。いくつかのショットでは、あざといくらいにその意図が見え見えで、たとえば月にそっくりな巨大な飛行船が森の中から浮び上ってくるところなど、ちょっと観ているこちらのほうが気恥ずかしくなるほどでした。
 本質的な批判になるかもしれませんが、私としてはスピルバーグにはもうおとぎ話は卒業してほしいです。そして最近のリアリズム路線からでも一様に感じる違和感は、実はこの彼のファンタジー趣味なんですよね。
エイジ(2002年3月24日)
★女性のための映画。キューブリックが撮ってたらって思わせちゃだめだよね。幼児虐待が減ればいいなと思いました。最初の30分までだなあ。よかったの。
ブレードランナーと比較してしまって・・・
せんしゅ(2001年11月17日)
★★★★
こういう感傷的な映画は、直ぐに泣いてしまう・・・・。キューブリックだと、もっとダーティな作品になっていたかな?でも、キューブッリクを持ち出して、この映画を批判するのは、スピルバーグにはかわいそう。スピルバーグらしい、心温まるおとぎ話し的なSFファンタジーに仕上げてくれた。キューブリックがずっと映画化しなかったのは、こういうスピルバーグのような素直な感性が無かったからかな?
コメット・ジョー(2001年10月29日)
最初〜ジャンクなんとかまで★★★★
物知り博士〜ラスト★
前半はキューブリックっぽいグロイ部分があり、なかなかブラックで良かった。後半はスピルバーグ色が強く、ETになってしまっていた。キューブリックが撮っていたら心地よいグロさの映画になっていたに違いなく、そちらを見てみたかった。
veloce(2001年9月27日)
もう終わったからいいよね、オレはラストにママに抱き締めて貰いながら「aiways loved you」と言って貰ったときに心ならずも字幕が滲みましたね。ちょっとだけど。それまでママに愛して貰うには人間の子供になるしかないと思いこんで2000年も願いつずけたけど、ママに抱きしめて貰うにはママの大好きな「mix coffe」をいれてあげればよかったんだ。なにも夜中に寝室に忍び込んで髪の毛を切ったり、ブルーフェアリーにお願いしたりしなくても、ママの愛が欲しければママにやさしくしてあげれば良かったんだ。それもほんの少しだけ、コーヒーを淹れるくらいね。★★★★ですね!
NEK(2001年9月27日)
★=(★★★-★★)
 取り敢えず一言「デビッド君はどうでも良いけど、熊ロボット私に下さい」じゃ駄目ッすね。え、何ですって?「お前はデビッドが可哀想だと思わんのか!」ですか。思いませんよ全然。だってこれスッゲー欠陥商品じゃないですか。愛をくれー!愛をくれー!ってアホの一つ覚えみたいにほざきおった挙句、偉大なる人間サマまで殺そうとしおってからに………。
 ま、ここは優しいブルーフェアリィの気分になりまして、デビッド君の願いを…。
デビッド:「ママだけ生き返らせて下さい」。
 …こんな欠陥ロボットクソガキとっとと捨ててしまえ…。

 と冗談はさておいて、これは最初の構想時点で致命的なミスがありましたね。スピルバーグは「SFとは世界観が命」って事を忘れてしまった事と、自分の演出スタイルが大人になってしまった事を忘れて、ジュブナイルなSF(と言うよりファンタジー)を創ってしまった事がこの映画最大の敗因でしょう。才能溢れる演出も、ジュード郎、六感少年の熱演も全てが空回りで無駄になってます。ついでに言えば脚本に無駄が多すぎ!
 この映画をどう言うスタイルで撮ろうとしたのか、定かじゃありませんがキューブリックなら違うタッチだったろうと言うのは容易に想像つきます(もっともそれが傑作になったかと言われたら「?」ですけどね)。ただSFにしてもファンタジーにしても細部のディティールが余りにもお粗末じゃないデスか?いやここで言っているのアシモフの3原則とかの配慮がされているように見えないだとか、人工知能の定義がアレだとか、反重力システムみたいなオーバーテクノロジーがあって、なんで地球温暖化が防げないんだとか、クローンが1日しか生きられない云々のオカルト的説明を何とかしろと言ったハードSF的ツッコミではなくて、映画からは「全然未来世界にも見えない」し「地球滅亡の危機に瀕していると言うのも判らない」事。

 まず美術が凄くダサい。いまどきチューブが走って、その中をリニアモーターカーが走っている未来都市を見せられた気分です。小松崎茂画伯の絵をそこらの美大生崩れが描いたみたい。
 水没したマンハッタンの映像なんて、これが本当に『ET』で感動的な映像を作ったスピルバーグかと言いたくなるほどにセンスを感じない。大体世界が水没の危機に瀕している時、あんな歓楽街は無いだろ。って言うかこんな馬鹿な事で二酸化炭素出しているから地球が水没するんだよ全く。
 未来と判る様な小道具も全然出てこないので、オープニングのナレーション(主人公以外のヤツにナレーションさせてどうする!)がなかったら、これが未来社会だとさえ殆どわからなかったに違いない。予算10分の1位だった『ブレードランナー』や、30分の1位のジュブナイルの方が遥かに未来を感じる映像があった。少なくとも未来社会のシミュレートと言う点では『2001』年の方が遥かに作り手は冷徹で真摯な眼で作っていただろう。
 そんな美術に合わせてストーリーもハードSFっぽくなったり、ブラックなギャグが突然かまされたり、ファンタジーになったりとフラフラしてどう見て良いやらわからない。ハードSFにしては妙に説明が雑だし、今世界がどんな状況になっているのか判らない。地球が水没しかかってとか言う割には、それを思わせるショットがマンハッタン以外どこにあったけ?地球が水没しかかっていたら、こんなAIBOもどき作っている暇ないでしょ。
 あの天馬博士(じゃないけどまぁ創造主だから…)の行動にしたって馬鹿過ぎる。ロボット探すのになんで、街頭ナゾナゾボックスにあんな細工をするんだ。モット直接的に探せよ。あと50年前のロボットが現役だったり(50年前の電化製品なんか今博物館にしか、ありゃせんぞ)、何故大企業の本社が海のど真ん中にあるんだとか首を傾げたくなる描写が多い。

 じゃあファンタジーとして見てみてもアトムの出来そこないはマザコンストーカーにしか見えず全然可愛げないし、ブルーフェアリー云々の下りも「なに寝言ほざいているんですかぁ?」って言いたくなる。遊園地の置物やホログラフィーなんぞを本物と見間違えるヤツなんて、今時小学生でもおらんぞ。
 そもそもこの感動的な演出ってのが大体においてアダルトに過ぎる。ファンタジーってのはある意味子供っぽい部分が必要なんだと思うんだけど、全てが重厚長大な演出で全然ファンタジーに見えない。そのせいでハーレイ君もジュ‐ド郎も「一生懸命ロボットの真似をしている俳優」以上に見えない。C3-POみたいな稚拙な精神で演出されている方がまだロボットに見える
 大体ファンタジーならファンタジーで、もっと自然に感動できる展開をするべきだ。なんか妙に説明的なショット、セリフ、ナレーションが多くて大人が無理に子供に受ける話を考えているみたいだし、天真爛漫さが無くて、感動させよう、感動させようと必死になっているスピルバーグの姿が見えてしまう。ラストのジャコメッティみたいなアレ(←某雑誌のパクリだけど確かにそれ以外形容しようが無い)が出てからの下りが、やたら冗長で説明的なのも結局ファンタジーを信じる天真爛漫さがスピルバーグに欠けてしまったからではないか?それとも「ファンタジー=物語が滅茶苦茶でも良い」と言う有らぬ勘違いでもしてしまったのか?
 反面ロボット処刑ショーになると俄然面白くなってしまう所にスピルバーグの老成&ブラッキーさを感じましたけどね。

 ハーレイ少年に関してはまみ君の感想を見て激しく同意「ジョディ・フォスターを人生の師とし、ブルック・シールズを反面教師とせよ」と忠告してあげたい位、空恐ろしい芸達者だと言う事は良く判りました。でも個人的にはちっとも美少年とは思いませんでしたけどね。
まみ君(2001年8月12日)
スピルバーグは「2001年宇宙の旅」が映画史上、最高傑作だと思っているんだろうね、母親との再会シーンなんて、あのサイケデリックな映像シーンとそっくりだ。
スピルバーグの映画って、だんだん哲学的になっていくよね。それをうまく商売と結びつけられるのが彼の賢さの一面で、しかし常に挑戦的な映画を作っていると思う。でも実は、、、途中で睡魔に襲われて、、あ、いやいや、その仕事が忙しくて。
ひょっとしてこの人、人間嫌いなのかなと思ったりする。前回の「プライベートライアン」でもそうだったけど、何かこう「ほんとのとこ、あんまり人って信用できないぜ。」的な本質的な道徳(一部権威を含む)を否定するモチーフが流れているような気がするんだ。ただ単に人間の愚かさ、と簡単に片づけられないような。彼の初期の映画は残酷に人が死なない夢のある系映画が多かった気がするけど、そろそろ老年期に近づいてきて、いわゆる巨匠と呼ばれざるを得ないような存在になってしまって、いたずらにも本音をだしちまおうかって気になったのだろうか。インタビューでは多分、愛がどうのこうの、ロボット社会と人間の共存がどうのこうの、女子高生のホカパンツ販売がどうのこうの、あ、いや、、、宣伝に結びつくようなこと言ってるんだろうけど、この男のしたたかさからそんな一直線な議論を投げてくるはずがない。
少年役の演技云々については、「おまえさー、青年期になって子役からの離脱のとき、麻薬にはまるんじゃねーよ。」とお説教したくなりそう。
とみい(2001年7月24日)
アシモフのいわゆるロボット三原則というのはアメリカではどのくらい認識されてるものなんだろう。
プールに落ちたシーンなんか、明らかに違反してますよね。
迫害されるロボット達が、それが嫌だという意識、自我があるのなら、やっぱロボット同士連帯して反乱起こして、いずれはターミネーターの世界になるのが必然のような気がしたのですが。
閑話休題。
スピルバーグにたいして思い入れのない私にとっては予想どおりの作品でした。
甘ったるく、かったるい。
この映画ってロボットの自分探し(たぶんキューブリックの描きたかったこと)と母子愛(スピルバーグはこっちがやりたかったのだろう)がごっちゃになってしまって収拾不能に陥った感じ。
確かに字幕もまずいよね。
おまけに愛するということは、憎悪するということでもある。
そんな至極当然のテーマをさらっと提示しながらも思いっきり逃げてるのはお粗末ですよ。
画像も『2001年』を観ていれば、ぜんぜんオリジナリティを感じない。
エンディング30分がなければ、という声が私のまわりには多かったが、その部分がなくても別にポイントアップにはならない。
もっとも、映画としての出来は別にして、ハーレイ君とジュード・ロウはすばらしい演技だった。
他者からの感情移入を拒否する、ロボットという存在をうまく演じられていたから(ちゃんとつくりものに見える。だから感情移入もできないんだよ)。 ★★。
黒猫(2001年7月22日)
★ ★ ★ ★ ★ (ネタバレあり)
映画の出来としては構成的に不安定(キューブリックをひきずってるからしゃーないか)で評価は低いんですが、個人的な感覚でかなり好きなんです。
グラディエーターに勧善懲悪ではなく、愛を失った男二人の業のドラマを見たが、この映画では、A.I.回路が愛を持つのかがテーマではなく、最初から、愛とは不可思議なもの、答えのない物として描かれている。
スピルバーグは日本贔屓だが、この映画は東洋的なものを感じる。もしくはユング的世界。
年月を得たモノには魂が宿る・・肉体は滅びても魂は滅びない。
デビットを救った200年後のロボット達は言う。人間の記憶=感情、愛、思念は宇宙に残存すると。
再生したモニカに一日だけ戻る記憶=愛。はたして再生したモニカは人間と呼べるのか?ロボットに作られたモノではないのか。しかしその記憶、愛は本物だ。
人間は滅びたがその"愛=魂"は、器が違っても引き継がれてゆく・・。
この映画ではロボットは進化した次世代の人類だ。そこがキューブリックの意図した部分だろうが、彼が監督したなら、この引き継がれる魂や、嫉妬や狂気までも生み出す狂おしい愛を描いたかどうか・・。例によって淡々とシニカルでクールな映画で終わってたような気がする。
「それでも"A.I=愛"・・は残る」・・甘ちゃん的だが、肯定的嗜好のスピルバーグを私は支持する。
オスメント坊やのいじらしさに泣いたというより、人類滅亡後の静謐な穏やかな世界にぞくっとするもの哀しさを感じてしまった私でした。
ちゃあ(2001年7月20日)
http://members.jcom.home.ne.jp/chah/
★★☆(2.5)
スピルバーグらしからぬ、観客の「共感」を拒否する作品。
主人公があくまでロボットで、“偽りの愛”をインプットされるシーンを強調されてるから、人間である観客が主人公に感情移入できないのは当然。
ラストはまったくハッピーエンドなんかじゃなく、ある一体のロボットが“愛”を追求したらこうなりましたっていう悲哀や滑稽さが漂うものになっている。ニセモノの息子がニセモノの家の中でニセモノの母親と過ごす「幸せな」一日…本編観ながらずーっと感じてた違和感は、ここでピークに達した。
キューブリックがこの作品撮る予定だったってのは頷ける。だって「2001年宇宙の旅」と同じで、観客は置いてけぼりだもの…
パンちゃん(2001年7月17日)
書き忘れていたが・・・。
一つだけ好きな、とても好きな、大好きで大好きでたまらないシーンがある。 スーパーおもちゃの熊が「月」から落ちてオスメント少年と別れるシーン。 「もう我慢できない」
って、おもちゃだろう、人間じゃないんだろう、「我慢できない」っていうのは肉体のあるものが言うことであって、機械が「我慢できない」ってことないでしょう。
笑って笑って笑って、とても大好き。
いや、突っ込みを入れてるんじゃないんですよ。
私はスピルバーグの、こういうナンセンスなシーンがとても好きなんです。本当に。
おんたけ(2001年7月15日)
http://www2m.biglobe.ne.jp/~t-gnp/index.htm
あまり評判がよろしくないですね。私もそうなんですが。
★★といったところです。エンディングの進化したロボットなのかはたまた宇宙人なのか?テーマは見えるんですが、スピルバーグらしい、テーマがあいまいなつくりでした。
雰囲気を重視した良いつくりではありますが、どこか中途半端。
脚本に難有りなのか、キューブリックと構築する部分がここだったのか?
何とも言い様の無い作品となってしまった。
でも、泣ける映画ではないと思うんですが、、、
かっくん(2001年7月11日)
素晴らしい特撮は当たり前のこの時代、もうちょっと内容がnなんとかならななかったのであろうか。★1つだねぇ。
あ、でもオスメント君の演技力に対しては1つじゃかわいそうかな。彼はたしかに頑張っていた。
それにしても、後味の悪い映画を見てしまったなぁ。
それと同時に、どうして日米同時公開されたか解ったような気がしたよ。。。
スピルバーグ大先生の映画がアメリカで評判悪かったなんて情報が日本に入ってしまって、先入観持たれたら、興行収入悪くなっちゃうからね。
スピルバーグ大先生のプライドを傷つけないよう、サイドが気を使った戦略だったのではないかと、思えてしまうよ。。
A.I.の予告の作り方が唯一うまかったねぇ。あれ見たとき迷うことなく見に行きたい衝動にかられたよ。期待しちゃってた。
あ〜、踊らされたね。
colles(2001年7月8日)
☆☆☆☆
むかし、S.F.小説を読んでいたいたころ、よくこんな話が、あったようなきがした。
なんだか、なつかしかった。
もっとたくさん、この種類の映画がつくられて、その中で、よい作品ができてくるというものではないでしょうか。
ある程度、大きな、市場がないと、良い作品が作られるという余地もりませんから。
最初に「愛」なんていう言葉がでてきてしまうのは、いやでした。
だってそうでしょう?
「愛とは何か」を二三時間かけて描くのが映画ではないでしょうか。
それを最初に言葉だけでかたづけるのは。
未証明の定理を公理あつかいにしている感じがします。
それはそれでよいのかな。
ちょっとおかしなかんじがするのは、そういうところのなのだけれども、そういう、手口って、よくSFには、あるわけだし。
いろんな世界につれていってくれたから、わたしは、よいと思います。
もっといろんな世界をみせてくださいね。
そして、私達の存在を明らかにしてくださいね。
りゅう(★★★)(2001年7月5日)
キューブリック好きとしては、やっぱり期待が大きすぎたんだろうか。
珍しく先行で観に行ったら、がっくりという感じで帰ってきてしまった。オスメント君の演技はホントに上手いし、泣かせどころもよく判るんだけど、だけど違うんだよなぁ。これを観た事で、キューブリック監督がもうこの世にいないんだという事をあらためて実感したような気がする。
いちばん強く思ったのは、"愛情"とか"感情"についてもっと深く描いてほしかった。って事かな。プログラムによってニ瓩靴修Δ壁従陦をするだけではない、A.I.としての部分をもっと見たかったと思う。
観て良かったと思えたのはジュード・ロウ。ここまでロボットに徹している彼が凄い。そして格好付けまくっているのがカッコイイ。ジョーとテディの存在の面白さっていうのは、理屈じゃない部分だと思う。
"キューブリックの"というつもりで見なければ、もうちょっと素直に楽しめたかもしれない。でも、「話題性>中身」っていう印象は変わらないけどね。
ゆきの(2001年7月1日)
★★
なんだか、メトロポリスとかぶっていませんか・・・・。
なんかいろんな今まであった話をミキサーにかけてミックスジュースにしたってとこでしょうか?
残念でした。期待しないで見に行っていればまだ良かったかもしれません。前評判の高い映画は当分遠慮したくなりました。
佐藤基(星四つ)(2001年7月1日)
初日で観てしまいました。なんか「アンドロイドはブルーフェアリーの夢を見るか」なんて題名がつきそう。スピルバーグが作ったにしてはストーリがどこか暗く、子供を連れて観に行くにはちょっと考えてしまう。でも、ハーレイ・ジョエル・オスメントは確かに舌を巻く程上手い。ついでジュード・ロウ演じるジゴロ・ジョーは笑いたくなるくらいロボットらしくふるまう。後はとっぽじーじょさんの言う通りCGのオンパレードがすごいだけ。で・・・ネタバラシになりそうなので余り教えられないが、オスメントが発見されて自分の家(もどき)に帰るのは2001年のラストをほうふつした観客は多いはず。でもロボットなので、スターチャイルドには転生出来ないけど。正直言っていくらキューブリックの遺言でも、スピルバーグがこんな作品作る事はなかったと思う。でも、やっぱりこの作品が今年の興業成績一位なんだろうな。どーでもいいけど日本語で「ラブモーテル」のネオンサインはやめてくれ。ブレランの「鳥目」よりましだけど。
パンちゃん(★)(2001年6月30日)
唯一おもしろかったのは、本物の少年とオスメント少年が演じるロボットとの嫉妬合戦(?)かなあ。
そこには人間の苦しみもロボットの苦しみも描かれていて、間にはさまれた熊のおもちゃの苦悩まで描かれていて、笑いながら、考えさせられた。
あとはいったいスピルバーグが何を描きたいのかさっぱりわからない。
5000年の時を越える旅----なんて言っても、ことばで説明するだけで、どうして5000年?と思ってしまう。
最後の方、オスメント少年が自殺を図り、物語が母子ものになってしまうあたり、後ろの座席からは、ずずーっ、ずずーっと鼻をすすりながら涙ぐむ声が聞こえてくるんだけれど、それがまるで子守唄のよう。突然睡魔に襲われる。
とっぽじーじょ(2001年6月25日)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/4049/
序盤から中盤にかけてはそんなに面白くなかったし,なんかCGのオンパレードって感じで.CGすごいけどそれだけだった.
でも,後半は少しずつだけどキューブリック・テイストが出てきていい感じ.僕は好きです.
ただ,2時間半ぐらいの上映時間だけれども削ってもいい部分があったように思います.
ちなみオスメント君は『シックス・センス』よりも良かったと思いますね.
僕の場合,「キューブリックが作るはずだった」という気持ちが大きすぎてその雰囲気を非常に期待してたのがまずかったのか...★★★です.
しーくん(★★★)(2001年6月25日)
大好きなスピルバーグの作品に、こんな点数しか付ける事が出来ないのが非常に悲しい・・・・。
本当にこれがキューブリックが描きたかった作品なのだろうか?本当にスピルバーグが作った作品なのだろうか?本当に彼の集大成になる作品なのだろうか? 公開までまだ日数があるので内容には触れないでおくが、あんなくだらない結末になろうとはまったく予想していなかった・・・・。スピルバーグ自らこの作品のテーマは"愛"だと語っている。しかし"愛"を描ききれているだろうか?いつも、彼の作品に驚き、興奮し、感動してきた私にとってこの作品は非常に悲しい出来となってしまった。そしてジョンのスコアーも超平凡。唯一スピルバーグの作品だなあーと実感したのが"光"の使い方だけだった・・・・。まあ、でも安心して下さい。目を真っ赤にして劇場を出る女の方も結構いらっしゃいましたから・・・もう1回観ればこの作品の良さがわかるのかも知れません。公開が始まればもう1度内容についてコメントしたいと思います。しかし、例年に無い大作揃いだといわれている今年の夏映画ですが、ハムも今1つだったし・・・7月の中旬から公開される作品は観る前からカスだとわかっているし(笑)・・・JP3もたいしたことないでしょうな・・・ひょっとして全滅???


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