パンちゃんの好きな監督5



1 タビアーニ兄弟
最初に見たのが『父パードレ・バパドローネ』だった。主人公の男が羊の番をしながら初めて音楽を聞く。それはアコーディオンの音なのに、バックではオーケストラが流れる。とてもきれいだった。あ、音楽はこんなふうに聞こえるものなのか、と感激してしまった。
『グッドモーニング・バビロン』ももちろんすき。映画の撮影シーンで、天窓をあけて恋人に光を降らせるシーン、涙が出ました。美しい。ただただ美しい。
この兄弟の作品、そして、ただ美しいだけではなく、出てくる人間がみんな気持ちいい。いやーな人間がいない。これが一番いい。
2 ジャン・ルノワール
本当は1位に選びたいけれど、そんなに見ていない。『ゲームの規則』『大いなる幻影』『河』『黄金の馬車』だけ。
ルノワールの映画は映画という感じがしない。役者が演技をしているという感じがしない。
いや、違った。演技をしている、ということが前面に出ているので、演技というものを忘れてしまう。
映画なんて現実じゃない、遊ぼう、という感じが、なぜかとても楽しい。みんなで食事しながら、それじゃあ、今度はこのシーン、はい、好きなようにやって---という感じかなあ。そして、そのとき大切なのは、演技じゃなく、まるで食事の方、という印象がある。みんなで一緒に生きているという感じを楽しみたくて一緒に映画を作っているという感じがする。
だから、役ではなく、人間そのものを見ている感じがする。(タビアーニ兄弟も、そんな感じがする。)
3 エルマノ・オルミ
『木靴の樹』は思い出すたびに涙が出る。ミネクの幸福を祈らずにはいられなくなる。映画なんて偽物、作り物とわかっているのに忘れてしまう。
素人をつかって撮ることが好きな監督のようですが、ルトガー・ハウアーを使った『聖なる酔っぱらい』もおもしろかった。(これはルトがーが素人の域の演技しかできない、ということなのかもしれないが……)
この監督の作品も、人間を見る、人間を直に見る--という感じがしてくるところが大好き。
4 ルキノ・ビスコンティ
ともかく映像がきれいですねえ。うっとりします。そのきれいさも、しかし、デビッド・リーンとは違って奥行きがある。余裕がある。
好きなシーンはいろいろあるけれど『ルードヴィヒ』でロミー・シュナイダーが城を見て回りながら笑い出すシーン。いいなあ。豪華で。
5 フェデリコ・フェリーニ
『甘い生活』の通りを歩きたくてイタリアまで行ってきました。本当はセットで撮影したというのですが、通りには「フェリーニがここで『甘い生活』をとった」という看板がありました。
でも、まあ、この監督はどっちかといえばセット派、偽物派なんでしょうねえ。『カサノバ』の夜の波のシーンなどきれいでしたねえ。『アマルコルド』の雪のなかの孔雀は本物でしょうか。偽物でしょうか。忘れられないですねえ。
偽物----ということばは響きが悪いけれど、偽物のなかにしのびこんでくる本物という悲しいものもありますねえ。『道』などは、そうしたものだと思う。

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