遠いコンサート・ホールの彼方へ!
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ヘルムート・ラッヘンマン

歌劇「マッチ売りの少女」

(演奏会形式、日本初演)
演奏時間:110分
2000年3月4日 18時10分 サントリーホール

東京交響楽団第467回定期演奏会

21世紀への挑戦

指揮=秋山和慶
ソプラノ=森川栄子、サラ・レナード
ピアノ=菅原幸子、辺見智子
笙=宮田まゆみ 語り=土師孝也
ヴォーカル・グループ
ソプラノ 坂本江美、渡邊史、宇留嶋美穂、大木美枝
アルト 戸邉裕子、押見朋子、有本泰子、浪川佳代
テノール 長谷川暁生、福留和大、志田雄啓、板橋江里也
バス 高澤孝一、松平敦、石崎秀和、木村聡
語り(録音)=桂 竜也(「マッチ売りの少女」)、野沢由香里(G.エンスリン)
副指揮:飯森範親、マティアス・ヘルマン、吉田行也
監修:ヘルムート・ラッヘンマン




どこから書けばよいのか?何を書けばよいのか?何より表現し得る言葉を私は持っているのか?


「110分があっという間に過ぎ去ってしまった」とか、「圧倒的な印象を受けた」とか「暴力的な響きは確かにあるが、実に『抒情的』な作品であった」とか、「秋山の指揮は的確であり、東京交響楽団や歌唱陣もこの難作の姿を聴衆、少なくとも私には伝えることに成功するほど、実に素晴らしい演奏を繰り広げていた」といった紋切り型の言葉が、何かを伝えたことになるのだろうか?

あるいは、「ラッヘンマンは1935年生まれのドイツの作曲家。今回の作品は1975年に構想され、1989年から本格的な作曲を開始、1997年1月26日にハンブルク州立歌劇場で初演された。初演時はすさまじいブーイングとブラボーが交錯したという。因みに、当夜の聴衆は極めて静かであり、終演後も意義深い静寂が訪れた。幾分かブーイングも聴かれたが(それが何に対してかは不明である)、ブラボーの声や拍手の方が遥かに勝っていた点からも、過去数回の東京交響楽団のプログラム『SYMPHONY』での連載『21世紀への挑戦』を読んだ『覚悟をして聴きに来た定期会員』とラッヘンマンが聴きたい私のような聴衆が多数を占めたのであろう。
今回はコンサート形式での初の演奏であるほか、ハンブルクでの初演以来始めての演奏でもあるらしい。また『二つの感情』、山口県秋吉台で日本初演された(私も聴いた)、が改作されていた。まず、簡単に楽器の配置を述べると、舞台上には指揮者を中心に弦楽八重奏が同一円周上にならび、その外側に巨大オーケストラが配置されている。両脇のパーカッション群、2台のピアノ、そのピアノに挟まれるように並んでいる2台のヴィィブラホン、チェレスタ、2台のマリンバとシロホンが壮観である。舞台最奥部中央の一段高いところに笙の宮田まゆみが着座している、彼女の笙が第3部後半で活躍する(後述)。2階客席にも聴衆を取り囲むように10の楽器あるいは合唱団が配置されている。マイクで拾った音あるいは録音された音を変形・ディレイして届けるスピーカーも同様に配置されており、作品に空間性を与えている。歌詞は殆ど不明である、そもそも歌詞と呼べるのかすら疑わしい程断片的である。ラッヘンマンと言えば必ず持ち出される特殊奏法をはじめ、発泡スチロールをこすり合わせた音、様々な音程でホール全体で歌われる舌打、時折不気味に闖入してくる日本語の朗読(テクストとして知覚可能)、といった音素材が静と動を幾度も繰り返していく。
あらためて順番に曲と演奏について書いて行こう。曲の出だしは弦による、多分駒の上で鳴らしているであろう静かな音がホールを支配した...」といった形式的な報告をしたところでそれは何かを伝えていることになるのだろうか?

取りあえず、「演奏された」という事実と2001年のザルツブルクあるいはパリで再び聴くことを決意したことのみお伝えして、この場は終わらせていただきたい。言葉がみつからないのだ。