遠いコンサート・ホールの彼方へ
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新日本フィルハーモニー交響楽団
第300回定期演奏会

ドビュッシー:「映像」第3集より「イベリア」
ベリオ:「夢の回帰」
ブラームス=シェーンベルク:
「ピアノ四重奏曲ト短調」管弦楽版

指揮:ペーター・エトヴェシュ
チェロ:工藤すみれ
ピアノ:野平一郎

2000年4月14日(金) 午後7時15分 すみだトリフォニーホール


エトヴェシュが素晴らしい

変わったプログラムなこともあり、休憩中にじいさん、ばあさんがどんどん脱出していく。おいおいブラームスだぞ、シェーンベルクではないんだぞ!一方、若い人はそもそも少ない、日本のオケに未来はあるのだろうか?

1.ドビュッシー:「イベリア」
寝ていました。午前中に10年ぶりの国宝展、展示品が10年前の時と比べて明かに落ちていた、と10年ぶりの上野動物園散策、その後、上野広小路、秋葉原、御茶ノ水、神保町、渋谷と回った疲れもあったので、「ドビュッシーだ、これ幸い」と寝ていました。もっとも、第3曲目冒頭で目が覚めましたけど。

2.ベリオ:「夢の回帰」
疲れも取れたところでルチアーノ・ベリオの「夢の回帰」、まるで武満の作品みたいな題名ですが、独奏チェロとほぼ独奏に近いピアノと小編成のオケによる曲。ザッヒャーがロストロポーヴィチの独奏を想定してベリオに依頼した1974-77年の作品。ディスクがあるかどうかは知りません、というわけで初めて聴く曲。
相対的な意味でしかありませんけど、メロディックなチェロ(かなりメランコリックで陰鬱な感じ)の独奏と細かく震えるような音形や旋律の断片をかき鳴らすピアノとオーケストラ(直近作の「レンダリング」のつなぎ目部分を思い起こさせます)が異なる時間を保っていることを聴かせてくれる不思議な曲。解説(吉松)がシンフォニアを引合いに出していることや最近ラトルの振ったマーラーの10番をよく聴くのでその第5楽章後半を思わせるような、ただしマーラー程のエネルギーはない、作品でした。
一方で、初めて聴く工藤すみれのチェロは、正直言ってあまり魅力は感じませんでした。楽譜の指定なのかもしれませんが、オケに埋没し過ぎて独奏チェロの役割を果たしていないし、チェロの音色もそうは豊かに感じられず(全体的に静かで渋い曲でもあったけど)、これは「70年代」のフレンド・オブ・セイジの独奏で聴いてみたいと思わせるのでした。オケも弦楽器群は比較的問題無く聴けるのですが、金管がどう聴いても曲の指定になさそうな音を出すのですがねえ、怪しすぎる。

3.ブラームス=シェーンベルク:「ピアノ四重奏曲第1番」管弦楽版
実演はメルクル指揮NHK交響楽団以来。一方で、エトヴェシュの指揮でブラームスのような「19世紀」の作品を聴くのはディスクも含めて初めてなので、曲を聴く楽しみと同時に、一体どのようにエトヴェシュがブラームス(?)を処理するのかという興味もありました。勿論「エトヴェシュはハンガリー人なのでハンガリーっぽい4楽章が得意だろう」(千鳥嬰ハ朗)ということは考えませんでしたけど。
当初は、96年の来日時の記憶もあり、かなりアップテンポで切れ味鋭い演奏かと思ったのですが、意外や意外、1楽章、2楽章はテンポをかなりゆったりと取って旋律をふくよかに歌わせたり、4楽章などもコーダ以外は飛ばすことも無く、時たまタメも散見されるなど、結構ロマンティックな演奏でした。だからといって、重低音に支えられた音が団子状態で聞こえ、「何となく神秘的」な演奏にはならず、その瞬間瞬間の音をすべて聴かせつつ、こんな音が背景で鳴っているのかということも含めて(4楽章は本当に異常な曲だと思いましたね)、立体的で見通しのよい演奏でした。ただ、金管、トランペットにしてもホルンにしても演奏に難ありということがかえって白日のもとに曝け出されてしまったのですが。

全体として、ドビュッシーの第3曲目も含めてですが、時々、あまりライヴで聴けないような曲だからと思って聴きに行って、「何をやってんだか?」と思わせることが多い新日フィルでも、本日は、軽くて明るめだけれど充実した響きで、立体的で見通しのよい演奏をするとは、ある水準以上のオケならば指揮者次第で変わるという、初めてN響をデュトワが振った時に感じた驚きに近いものもあった演奏会でした。


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