"Danbury, Conn., 1874〜1954"
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交響曲第2番を廻るエッセー

その3 レニーの初演


どうも、当エッセーの第3回、「レニーの初演」にようこそ、案内役のSt.Ivesです。今回はとても短いです。

すでに、第2回をごらんになった方はご存知の通り、1951年2月22日、作曲から実に半世紀を経てアイヴスの交響曲第2番が初演されました。また、その初演を執り行ったのは、レニーこと、アメリカ初の国際的な指揮者バーンスタインです。以後、この曲はバーンスタインを語る上で欠かせない作品となります。ラジオ放送されたならば録音が残されているだろうと思うのが人情です。長いことそれを聴きたいと思ったアイヴス・ファンも数多くいたでしょう、しかし、それは長いこと叶わぬ夢でありましたが、再び半世紀近い時を経て、アイヴス本人がラジオを通して聴いた世紀の初演を我々も今や聞くことが出来るようになったのです。アイヴス・ファンとしてこれほど嬉しい瞬間はありません。早速ですが、聴いてみましょう。皆さん心してその演奏に耳を傾けてください。

むむ、違うぞ、これはいつも聞いているレニーの演奏している版と違う!と思ったあなた、素晴らしいです、よくお聞きです。そう、私もかなり違う部分やぎょっとした部分を感じました。例えば、5楽章 79小節目 : まるで伸びたテープのような音な奇妙な音、同楽章 129小節目 : 小太鼓の出遅れなどなど。

第5楽章に限らず、あれ?と思う部分が多々ありますが、やはり今回も最大の謎は第5楽章の「スキップ」です。初演のスキップはこれまで以上に大胆でして、レニーが慣習的に用いているものともかなり異なっています。通常の慣習版が、167小節の2拍目から184小節目の3拍泊にスキップするのにたいして、初演では、5楽章167小節目の2拍目までは同じなのですが、スキップ先がさらに先の186小節目のフェルマータ付きの8分休符によるゲネラルパウゼまで飛んでいます。つまり、何の盛り上がりも何もないまま、唐突にゲネラルパウゼに突入するので、初めて聴いた時は、一瞬オーケストラが止まってしまった、いわゆる「事故」が発生したのかと思いました。きっと初演を聞いた人達もそう感じたに違いないと思うのです。残念ながらアイヴス本人は、何も語らず、彼と共にラジオ放送された演奏を聞いた人々もアイヴスの反応はよく分からなかったようです(人によっては嬉しそうであったということです)。ところで、初演の際の「台所でジーグを踊った」という伝説は一体どこに由来するのでしょうかね?当演奏の収められていたニューヨークpo.のBOXにもその手の解説がのっていまして、驚きました。"Charls Ives Remembered. An oral history" Vivian Perlis著 Da Capo Pressを読めば、当日席を共にした人の思い出が語られているというのに!

事故であったのかも含めて、1951年出版譜が入手できれば異同がすべて分かるのですがねえ、どこぞにないでしょうか。

さて、2楽章アレグロがゆっくり過ぎだと思ったあなた、実はアイヴス自身も放送を聴いてそう思ったそうで、バーンスタイン宛の感謝状にも、この楽章に関してはtoo slowだと書き送っています。1楽章より遅目に感じてしまうのですから。しかし、最後の不協和音の八分音符は後の録音と異なりピシッと短く決めてくれます。これは、とっても小気味良く、後年の長々と伸ばすよりはお勧めです。


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