道楽者の成り行き
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行った、観た、帰った


2001年10月13日〜16日

シュトゥットガルト


13日 成田 晴れ
NYでのテロ事件もあり、今年2月と比べても成田はかなり閑古鳥状態。でもフランクフルト行きのルフトハンザは満員でした、せっかく席を占拠して寝れると思ったのに...。

13日 フランクフルト 晴れ
フランクフルトには予定通り、同日14時45分に着きました。そこからシュトゥットガルトへ移動に私は飛行機を選択していました、というのも重い荷物を持って空港からICEに移動したくないというだけの理由なのですが、着いてみたら待ち時間が3時間近くあって、選択は大失敗でした。
今回は表題のとおり、13日(土)出発、13日(土)着、15日(月)出発、16日(火)着というスケジュールのため、時間はないし、ドイツの場合「閉店法」によって週末は殆どの店が休みということもあり、フランクフルト空港でお土産を購入。会社用には、来年1月から導入されるユーロ紙幣模様の包み紙のチョコレートという定番(結構受けた)、家にはドイツに行ったのにゴディヴァ(ベルギー)のチョコレートにしました。それにしても警備は2月対比で厳しくなっていました。おお、装甲車がノース・ウェスト航空のジャンボに張り付いている。

13日 シュトゥットガルト 晴れ
空港は建て直しの途中でした。他のドイツの空港が細身の鉄骨とガラス中心なのに、ボリュームのあるコンクリートの柱を主体としていましたし、中もそれほどおしゃれにしていません、メルセデス風なのでしょうか?Sバーンで25分ほど乗るとシュトゥットガルト駅、何とすでに午後7時前、午後8時開演なのに間に合うのだろうか、と思いつつ駅の上にあるIntercityホテルに。
部屋に入ると早速シャワーを浴びて、着替えてからシュトゥットガルト州立歌劇場に向かって出発(なお、下記の感想は13日、14日の両日について合わせて書いています)。



ラッヘンマン

歌劇「マッチ売りの少女」

演奏:シュゥトットガルト州立歌劇場管弦楽団.&合唱団
指揮:ローター:ツァグロゼーク
演出:ペーター・ムスバッハ
1ソロ・ソプラノ:エリザベート・コイシュ
2ソロ・ソプラノ:サラ・レナート
語り:ザロメ・カンマー
演技:Melanie Fouche'
笙:宮田まゆみ
ソロ・ピアノ:菅原由紀子
ソロ・ピアノ:ヘンミトモコ

パリ・シャトレ座との共同制作



まず、舞台となったシュトゥットガルト州立歌劇場を紹介しましょう。大きさは、サントリーホールの1階中央通路より10列程度しか後ろがなく、さらにその10列がすべて雨宿り席となっています。また、横幅は東京文化会館よりちょっと広いかなという程度です。バルコニーは3階席までありました。

演奏者の配置は、まずバンダ部隊はこの劇場の2階席のほぼを埋めていました。サントリーでの公演では互いの奏者はかなり離れていたのに対して、劇場が小さいこともあって、2階は奏者でびっしり埋まっていました。また、通常のオーケストラ・ビットに加えて、左右の袖口にそれぞれ8名の合唱兼奏者、その客席側にピアノ、舞台寄りにパーカッションが並んでおり、舞台上に黒ずくめで顔だけを出したソプラノ二人が少し距離を置いて並んで座っていました。

さて、客の入りですが、プレミエ(12日)はともかく2日目(13日)はガラガラかなと思っていたら、あにはからんや満席、翌日(14日)も満席でした。
ちなみに私の座った席は13日が14列524番という雨宿り席、14日が14列504番というド真ん中の席でした(この劇場は、列番号があるにもかかわらず、席順は、偶数だけで、通し番号にしていて最初は戸惑いました)。両方ともトップ・カテゴリーで代金は49EURO(今だと5000円程度、ただし満席であることからエージェントも入手に手間取ったのでしょう、私はそれぞれ1万円程度支払いました。それでも東京で同じような上演があった場合を考えると安いかも)。もっとも、上演開始後30分程度たつと席を立つ人たちが現れ、どんどん帰っていきまして、終わる頃には8割程度の入りになっていました。


曲について語るのは、正直私の手に余ります。ただ、2000年3月の東京交響楽団の公演で聴いた時に感じた、とても聴き易い作品だという感を、ラッヘンマンにしてはという意味ではなく、他の同時代の作品と比較しても強くしました。もちろん、特殊奏法のオン・パレードで、それが場内を埋め尽くすような大音響(器が小さいのでサントリー公演とは比較にならない程に音が飽和します)から、かそけき音まで劇場内を飛び交うのですけど、とてもリズミカルに、時に三和音めいた響きが聴こえる。先鋭的な音楽に突き進んでいる人からは後退しているという批判もあるでしょうけど、不思議に聞き易い作品でした。ツァグロゼークの指揮、演奏は手馴れていました、としか言いようがありません(14日の方が若干テンポが速いような気がしました)。このリズミカルで、楽器間の応答めいたものも極めてスムーズで、特殊奏法が、ラッヘンマン自身の一種の異化効果を狙って採用しているのだというコンセプトではなく、音色の一つとして選択していると思わせるぐらいに「滑らか」に聴こます。もっとも、聞く分にはそう聴こえるだけで、舞台の袖の合唱団や二人の独唱はひっきりなしに音叉で音程を取っていましたし、二階席のバンダ部隊も顔を真っ赤にして苦しそうに演奏していまして、演奏家サイドにとってはラッヘンマンのコンセプトは依然として生きているようです。ちなみに、彼らは今年の5月か6月にオーケストラ演奏会でもラッヘンマンの作品を取り上げていて、事前準備はしっかりやっていますけどね。

さて、期待したムスバッハの演出は、象徴的な色彩と光の効果、抑制された能のごとき動きが支配する幻想的な美しい舞台でした。前半は黒い壁面に切り抜かれて窓のような部分が大きくなったり、移動したりしながら少女、木靴、雪原、昇天といったイメージを垣間見させます。これが向こう側に何かあるが全体像がつかめないというもどかしさも同時に生み出していて、音楽にも合致していて秀逸に思われました。
途中ドイツ赤軍の「戦士」エスリンのモノローグ部分については、これはドイツ語を分からない身にも、ちょっと違和感を感じる部分でして。演出も黒い壁面に徐々に窓に煌々と明かりがつく高層ビル(マンションかな?)の壁面と、誰もいない冷たい感じの夜の高速道路の絵が徐々に見えてくるだけなので、ちょっと退屈に思いました。しかし、この壁画が引き上げられ、一面の雪原と白い家の壁、そして白塗りの横たわる少女が現れた時の美的な驚きたるや。
この少女はマッチを実際に擦ります。マッチをすって炎が上がるたびに、幻想的な影絵、マッチの炎や昇天していく少女が現れます。2回目を擦り終わると挿入節が入り、それまでの暗い背景と白い雪原は、一転してオレンジ色の光で照らし出され、帽子を被った語りが入ります。挿入節が終わり、最後のマッチをすると、おばあさんが現れ少女を連れて舞台後方に消えていき、代わって宮田まゆみが白装束で登場。以後、笙と執拗なピアノの打鍵音が続く中、舞台は青から段々と暗転して最後は場内が漆黒に包まれて終わります。

前半の舞台演出は秀逸であるものの、音だけでも十分だという気もしましたが、後半は少女の超スローモーションの緊張感あふれる演技、揺らぐ炎、幻想的な光の使い方が音楽とあいまって、絶対に舞台付きで演奏するべき作品だなと思う出来栄えでした。

聴衆の反応ですが、13日はブーイングがありました(14日はなし)。しかし、それ以上に熱狂的な拍手とブラボーを、数多くの老人も含めて飛ばしていたのには正直驚きました。14日の公演で私の前の席のスキンヘッドのおじいさんは、上演中何度の床を足で打ちつけていたので、ご不満なのかと思っていたら、終わってみたらスタンディング・オベイションでブラボーを飛ばしていました。無くて七癖なだけですね、でも周囲には迷惑。また、今回の旅行でお世話になったオペラ・ツアーズの鈴木さんからのメールによると、初日(12日)も凄い拍手でツァグロゼークはガッツポーズをし、ラッヘンマン、ムスバッハともに盛大な拍手を受けて満足そうだったとのことです。人口60万人弱の都市なので、周辺や極東から聴きに来る客がいたとしても、それほど現代音楽ファンが混じっているとは思えないのですけど、普段からこうした曲を取り上げているから理解もされるのでしょう(もっとも、CDにもなったノーノの「愛に満ちた偉大なる太陽のもとで」上演の際は、さすがに5日目、6日目になると客の入りは減ったようだと教えてくれる人がいました)。

なお、来年の2月、3月にもシュトゥットガルトで上演されます。また、演出は不明ですが、来年8月31日にザルツブルク音楽祭で、9月1日にベルリンでもこの作品は取り上げられます。トリの公演です(なお、ベルリン公演には行きました)。

また、同日販売していたパンフ(DM6、リブレット込みの立派なパンフ、でもドイツ語だけ...)にKAIROSから来年春にこの曲のCDを売り出す旨のチラシが入っていました。詳細は、チェーンIIからリンクを辿ってください。


後日談的に翌日以降の行動を書きますと、14日の午前中、晴天の中チューリンゲンまで電車にのって出かけました。ネッカー川の辺にあるヘリダーリンの塔を見物に行ったのですけど、午後からオープンということで残念ながら中はみれませんでした。ただ、車窓から眺める秋のドイツの田舎は、サイクリングに興じる人が多く、実にのんびりしていました。失業率10%超の国にしてこの生活感上の豊かさはどこに由来するのかと思いました。
また、例のごとく「名物に上手い物なし」行脚の一環で、昼にシュトゥットガルト市庁舎(普通のコンクリ製の建物)のラートケラーに行って、現地名物のヌードル、肉と野菜のスープ、今年のブドウで作った白ワイン(現地のボージョレ・ヌーヴォですな)を飲みました。前者は肉の味がスープに良く出ていて結構おいしかったです。後者は、ワイン通には「甘すぎる」と思われるほど甘いちょっと酸味のある白ブドウ・ジュースでして、下戸の私にはちょうど良かったです。その後、シュトゥットガルト現代美術館(これまた立派な建物です)をみてホテルで一寝入りしてから再び劇場に向かいました。
15日はあわただしくシュトゥットガルト空港に向かいました。空港はデルタ航空の乗り場だけ別扱いにされた上に、自動小銃を持った兵士がその入り口に立っていた以外は落ち着いていました。飛行機はフランクフルト空港の離発着の遅れから出発が遅れて、乗り換えに時間がない私はちょっとヤキモキしましたが、接続に問題は無く、日本に帰り着きました。


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