金色日記 Diary in Gold


1月15日(金曜日)

 いやー……23才の芥川賞作家ですかー……。読売、毎日は一面ですかー……。朝日と日経は違ったけど。

 東に27才評論の東浩紀、西に23才小説の平野啓一郎。これでは、「自称作家のオバサン」の出る幕はないじゃないですか>新潮社の人。

 実際なー、ちょっと前の新聞記事でなー、なんか同人誌推薦作かなんかになったのに、編集者に年齢聞かれて、40何才とか答えたら、「もっと若い人とおつきあいがしたい」と、見放されたオバサンのハナシがあったなー。テーマは、「文学界もオールド・パワーが活躍」みたいなのだったが。

 しかし、読売の記事を読むかぎり、この平野って青年は、すごーくお勉強しているみたい。それなりに参考になりました。

 その昔、マーシャ・メースン、リチャード・ドレイファス主演の『グッバイ・ガール』って映画があったなー。マーシャ・メースンは売れないダンサーなんだけど、すでにお年で、若い子に混じってオーディションに出たりするけど、いつも「年をとりすぎ」と言われてしまう。
 いやー、なんか、そういうのを思い出したり。

 ひさびさバレエのレッスンのために街に出ると、「新成人」の若者がいっぱい。何年か前と完全に雰囲気違うのは、金髪で晴れ着ってコがケッコーいる。男女とも、髪がぐちゃぐちゃ風が多い。

 そういや、新芥川賞作家の平野氏も、茶髪の前は、金髪だったとか。

 そうかー、いつしか時代はそういうふうになってたかー。

 なんか、まだグァム島の穴倉にいる横井庄一みたいな気分だなー(といっても、その人誰?って人も結構いるかも)。

 今日もバレエに見なれぬ顔の若い女がいた。にこりともしないで、なんか無愛想な女だな、と思っていたら、それもそのはず。われわれの先生の生徒であるお母さんに連れられてきた中学一年の、12才の少女でした。

 オバサンの間に混じって緊張していたんでしょう。

 ……というわけで、自嘲的日記?

 つーわけでもないんです。あたしゃどーせ、ヒラリー・ロッダム・クリントンと思ってるから。ああいう迫力は、オバサンにならないと出ないでしょう。へっへっへ。

 それにまー、芥川賞作品なんか、読む気ないしさー。



1月16日(土曜日)

 『マイ・フレンド・メモリー』___体に障害を持つ少年と、心に傷を持つゆえ障害児と思われている少年の友情モノ……こういういかにものお涙ちょうだい劇は苦手なんだよねー、もうストーリーがみえみえでさー……などと思って見ると……オモロイやんかー!

 だから、なんでも、見ずになんかいっちゃ、いけないわけです。

 10代で、すでにケッコンしてしまったマコーレー・カルキンの弟の、キーラン・カルキン。こいつがまた、兄に劣らず芸達者なのだ。子役の渡瀬恒彦って感じをすでに出していて、シブイ。

 母親役のシャロン・ストーンは完全に脇に回って、エライ。

 私の理想のバアサン像である、ジーナ・ローランズはあいかわらずキレイ。

 『パリ、テキサス』のハリー・ディーン・スタントンは、温かいけどクライ。

 『X-ファイル』のジリアン・アンダースンは、イガイ。FBIとはエライかけはなれた役(こういうのもできるのは、役者冥利に尽きるだろう)。

 そして主役のデブのコ。このコが、いかにもウスノロそうな風貌ながら、すごく繊細な役を繊細に演じていて、きっとブレイクするだろう。

 というわけで、豪華キャストなんだけど、なぜかABCのレヴューのお点は、45点(どこがいけないんだよー!って、英語だから、細かいことはわかんない(笑))。

 人の評価がいかにあてにならないかわかる。

 私は、85点。



 えっと、メニューの「デザイン」(のようなもの)が、ちょくちょく変わりますが、これは、そのときどきの私の気分みたいなものを表わしているので、お楽しみを!



1月17日(日曜日)

 どーでもいいんですけど、先週の朝日の読書欄で、森まゆみってひとが、白水社の「『オデュッセイア』を楽しく読む」っていう本を紹介してました。それによれば、なんでも、『オデュッセイア』は、本場ヨーロッパでも読破する人は少ないとか。

 ほんとかよ? って思っちゃいましたね。

 だってあたし、去年読んじゃったもん

 それで森まゆみって人は、どうもまだ、読んでないみたいで、そういう人のために、「本書」がある、みたいな論調でした。

 こういうのは、なんていうのか、「他人のフンドシで相撲を取る」っていうのか?(正しい「使用法」ではないかもしれないでど)

 少なくとも古典といわれるものは、他人が読んだ本で、読んだ気になるのは、やめてください。

 この書評はそういう意味ですっごく無責任な書評でした。「こんなんで、通るのかー、日本のマスコミ界は」と思っちゃいました。

 ついでにいえば、ちょっと前、やっと、橋本センセイが朝日に取り上げてもらいましたけど、その欄は、「著者に会いたい」っていうインタビューの欄なんだけど、ここって、主に無名の人ばっか出る欄なんです(苦笑)。

 ついでにいえば、朝日の読書欄は25面。前から開く人も、後ろから開く人も、ちょうどあきらめて飛ばす位置にあります。ま、そのテードのものなんでせう。

 ついでにいえば、去年の私の収穫は、この『オデュッセイア』を読破したことでした(膨大な註も含めてね。これは読んだ方が絶対いい)。

 なるほど、岩波文庫の呉茂一訳では挫折するかもしれない。でもその訳はもう出てません。今は松平千秋訳です。これはとてもよい訳です

 同じように、今年はダンテの『神曲』にいこうとしましたが、岩波文庫版は、つかいものにならないくらい訳が古い。なんとかしてくれー! です。

 で、しかたないから河出書房新社版の平川って人の訳にすると思うけど、絵も入ってきれいな本で、これはもともと買って持ってましたが、難点は、重いから、外出に持ち歩くにはちょっと……って感じ。

 実をいえば、『オデュッセイア』は小説を書くために読んだんですけどね。そのほかの関連書籍も読んだので、巷に出回る新刊を読んでるヒマはなかったわけです(またその必要もなかったけど)。

 私なんか、「作家」としては、サイテーの教養しか身につけてないので、それで日の目を見るのが遅れてるんだ、と思うけど、世間には、それすらクリアしてない「作家」がいて、驚きます。

 って、なんか、淡谷のり子さんみたいになっちゃいましたかねー。

 大屋のマサコちゃーん、は、死んじゃいましたが(数年前、福岡ドームのVIP席でアラブの王子様みたいな恰好をされて、ダイエー西武戦を観戦されていたのをお見かけしたのが最後でした……って、それっきゃないんですけど(笑))。なんまんだ。



1月18日(月曜日)

 いったん用事があるとなると、とことん用事があり、郵便局、銀行、区役所と回るが、まだ用事のすべては足せず。

 なんせ、私が家を出るのは、午後4時すぎが多いので、4時で閉まってしまう郵便局の、為替、年金、郵貯など、お金を扱う窓口はホントー、なんとかしてくれー! 区役所だって5時までやってるのに。

 実はN新聞の原稿料は振替の普通郵便でくる。それを換金しに、郵便局まで行かねばならない。しかも、最近では、身分証明書まで要求される。

 銀行振込にしてくれといえばできるかもしれないけど、そこまでいう勇気なし。なんせ、掲載紙ももらってない(苦笑)。映画評をやっていた頃は、なんと駅で買ったりしていた。

 でも、もうやめる(って、自然消滅に近いが)のでカンケイないのだ。

 昔、某詩誌が、「詩作品を至急おくれ」なんていって来たことがあって、速達で送って、掲載もされたが、稿料は当然、ないとこだったが、掲載号も送って来なかったので、意地でもその号を本屋では買わなかった。ゆえに、どんな作品だったのかもわからなくなった。

 いつか、せめて、「掲載号はくれ!」といえる立場になりたいです(って、希望は意外と小さいでしょ(笑)?)。



1月19日(火曜日)

 私の住む北九州市では、粗大ゴミの収集は月に一度、ゴミの大きさにより、300円、500円、1000円の券を、コンビニなどで買って、ゴミに貼り、収集センターに電話して取りに来てもらうことになっている。

 ミニ・コンポと、2行しか表示しない初代ワープロ(ポータブル)を出そうと思い、去年の暮、市の粗大ゴミ収集センターに電話したところ、「今月ぶんは昨日すんだところです。次は来年の1月19日」といわれたので、玄関に置いたまま年を越し、ずーーーーっと、この日を待っていて、前の日の夜、マンションのゴミ置き場(一般ゴミの日じゃない日には空いているので使ってもよい)に置きにいった。朝8時半までに出すということだったので。

 ミニ・コンポは500円。ワープロは300円であった。それぞれの券に名前を書いて貼る。

 ところが、今朝、たしかに、8時すぎに電話がかかり、「申し出の粗大ゴミを取りに来ましたが、どこに置かれましたか?」
 「え? ゴミ置き場にありませんでした?!」

 かけつけてみると、ない!

 そりゃあ、いらなくなったものだし、収集の人もないものは「ま、いいですよー」と苦笑していたが、では、300円券と500円券と、1ヶ月も待ちに待ったのは、いったいなんだったの?

 つー、わけで、私のいいたいことは、

 粗大ゴミを盗むなっちゅーの!!

 これは窃盗に当たるのか? ひょっとして、古いワープロをノート・パソコンと思ったかも。

 どちらにしても、名前がついてるのをいいことに、使えなかったからって、また戻すなよーッ!!



1月21日(木曜日)

 『のど自慢』井筒和幸監督___オモロイやんかー。芸術やんかー。
 
 たしかに日本映画はビンボーくさい。しかし、そのビンボー臭さを逆手に取ることだってできるのである。それを恥じることなく突き詰めれば、それはすごーい、トリュフォーの思春期である。

 ダメパパの大友がよい、途中でひっこむ竹中がよい、Himselfの大川栄作も笑える、夫に逃げられた知人に生き写し(笑)のリリィがよい、松田美由紀がよい、もち冒頭の桜金造もいいし、「狩人」を歌う2組もよい、文学座北村和夫さえよいのである。

 主役の室井は、悪くないけど、ちょっと二枚目に未練がありげなとこが、ふっきりれてないかな? と。いや、これはそういう役なのか。私はこの人の演技、初めて見るので。

 注意:フィクションであることを忘れて、歌がフェアじゃないとか、そういう倒錯したことを言わないように。



1月23日(土曜日)

 こんな私でも、ユニセフの宣伝(?)で、「1000円でこんなことができます」と書いてあると、1000円といえば、私にとっても大金。今日のオカズが買えるもんなー……と思えど、なんかうしろめたくなって一年に一度くらいは寄付しちゃったりします。

 もう十分に生きた年寄りが死んでもべつになんとも思わないが、未来のある子供が不幸なのは、やはり心が痛む。

 にもかかわらず、「長野五輪招致疑惑」の記事(すべて朝日新聞、西部版、1月23日付)を読むと、「渉外に11億円」もの金が使われている。

 IOC委員とその家族への接待の例として、「昼食は一人一万円のフランス料理店。夜は一泊五万円の温泉旅館で芸者衆を呼んで宴会。1キロ二十万円のマツタケを取り寄せ土瓶蒸しや炊き込みご飯を振る舞った」

 「東京の宿泊先は当初、高級ホテルのスタンダードツインだったが、途中からデラックスツインに変わった」

 「夫婦で来た場合、滞在費だけでざっと百万円。これにファーストクラスの往復券が代が加わる」

 IOCの長老、アベランジェ委員(82才、ブラジル)の接待疑惑の場合。

 1992年夏季五輪に立候補して落ちたアムステルダムの招致委員会から、

 「ダイヤモンドなど金品を供与していたほか、アムステルダムの高級売春宿で定期的な接待をしており」(上記、なんで太字? なんか、太字にしたくなっただけー(笑))。

 ……なんちゅう記事を読むとだねー、

 ま、べつに、ビンボウ人の私がユニセフに1000円寄付したって、どうなるわけでもないかー。世の中には金持ちがいっぱいいるんだから、そういう人が出せばいいのだ。

 とか思ってしまうわけよ。

 でも、それじゃあ、世の中暗いまんまだよねー。でも、瀕死の子には、どんな金だろうと、1000円よりは、10億円の方が意味があるに違いない。でも、そんなやつにもらってまで生きたくないとか。いや、それは贅沢な思想だ……。

 とか、いろいろ考えちゃって、やっぱりひとりひとりの心の問題だよねー……っていうのが「文学」か。ま、私は「文学」の人なので、自己満足にすぎないかもしれない微々たる金額を寄付するだろう。どうぞ金持ちの方は嗤ってください。

 どーでもいいんだけど、ガイジンに、マツタケの価値なんか、わかるのかねー?



 ちなみに私は、長野だろうとどこだろうと、オリンピックにはぜーんぜん興味ありませーん。


1月24日(日曜日)

 『おもちゃ』__新藤兼人原作、脚本、深作欣二監督

 京の舞妓、芸者の世界が、京の街をきびきびと走り回る主人公の少女さながらに、きびきびと描かれている。

 前半は見ていて気持ちがいいくらいである。

 しかし結局のところ、芸者というのは売春婦である。舞台は昭和33年、売春防止法をめぐっての騒動があちこちで起きていた頃のことである。

 売春をめぐっての是非をこの映画は問わない、というより、肩を持ってる感もある。

 それはプロの世界でもある。プロにはプロの哲学や美学や倫理や誇りがある。

 それを、芸者置屋「藤乃屋」のオカアサンである富司純子はじめ、南果歩や喜多嶋舞がきっちり見せてくれる。

 主人公の少女を演じた新人、宮本真希のけなげだけれど、図太さもある感じもいいが、私はなんといっても、富司純子ですね。

 かつて熊本弁で緋牡丹お竜を演じたときもかっこよかったが、京都弁のこのオカアサンもすごくいい女なのである。なぜか、富司純子には方言がよく似合う
 



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