9月25日(土曜日)
『黒猫・白猫』エミール・クストリッツァ監督(1998年仏・独・ユーゴ合作、2時間10分)
4年前に、あの『アンダーグラウンド』を作り、カンヌ映画祭の大賞(パルム・ドル)を獲ったものの、セルビア人であるために、パリの上映で、批評家たちにボイコットされた、あのクストリッツァの新作である。
というより、新生の作品である。世界の中で、すっかり「悪人」になってしまった、セルビア人への風当たりが辛かったのか、一度は引退宣言をしたのちの作品である。
『パパは出張中』と『アンダーグラウンド』しか見てなかったが、確かに、クストリッツァは変わった。相変わらず、「ヨーロッパのゴミだめ」と呼ばれる祖国が持つ、猥雑さをそのまま表現してはいるが、それが、強い政治的メッセージ性から、豊かな生への賛歌に変わったのである。
この人こそ、ほんとうに「天才」なんだろうと思う。なぜなら、一瞬にして、すべてを計算する才を持っているようだから。ここには、「生」そのものが、ある種の懐かしさとともに提出されている。
バルカン半島の、ドナウ川のほとりの、自然の残る地域に生きるジプシーたちの物語。近代化していったヨーロッパの切り捨てた、残滓のすべてで織られたロマンス。二人の、ほんもののジプシーのジイサンがよい! それは……
美しい友情の始まり!
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「ヒューストン美術館展」__「美術館展」は、「作家展」より、散漫になりがちである。その通りの、散漫な展覧会。やっぱり、「ルーブル」へ、いきたひー。
あえて、気に入った絵を挙げるなら、ブラマンクの「アンドロメダ」。10号ぐらい(テキトーに言ってる)の小さな絵である。ギリシア神話の、ゼウスの娘アンドロメダが、怪物(相手忘れた)の生贄になるエピソードを絵にしたものである。裸の太った女が岩の上で、両手を鎖で繋がれている。全体としては、暗い色調の絵であるが、左隅、真ん中あたりに、「青い色で塗られた部分」があり、その青がすきだと思った。
出口の売店で、図録を立ち読み(なんかするなー!)すると、「全体の閉塞感を、この青い色が救っている」とあった。やっぱりねー……。
帰ってから、妹に電話して、その絵について、上記のようなことを伝えると、「いかにもブラマンクらしい」ということだった(ほんとかよ?)。
(またして、どーでもいいことに、言葉を費やしてしまったな)
9月26日(日曜日)
昨日は睡眠不足で、疲れていたので、「日記」↑は、誤字+変な表現でした。気になったので、少し書きなおしました。より正確には、こんなふう↑。
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ハギオさんと待ち合わせる。先に街に出ていたハギオさんが某デパートへ行くと、ダイエー優勝記念セールで大にぎわいだったそうな。ウォッチングしてひとこと──。
ハギオ「(デパートも)普段はべつに応援すらしていなかったくせに、勝ち目がついたとたん、『ガンバレ、ダイエー!』なんて騒ぎだして。『記念セール』とかいって、並んでるものも、ろくなものなかったよ。(お客も)つまらんものに、行列なんかしちゃってさ。安っぽい靴下とか、どーでもいいものばかり買ってたよ」
ボケてるようで、ボケてない、とか。
9月27日(月曜日)
なぜか、月曜日はすきな曜日である。反対に、日曜日はキライだ。
やっと、秋らしい気候になって来た。空は晴れ渡り、空気は澄んでいる。月も星(少しだが)も、くっきり見える。
湿気がなくなると、私はとたんに気分がよくなる。
夜は、窓を開け放しておくと、寒い。
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昨日のハギオさんとの会話をまた思い出した。
彼女は、社交ダンスのレッスンに余念がないが、あがり症なので、イマイチ本番で実力を発揮できないのが悩みである。
ハギオ「どうしたら、あがらずにできるかねー?」
私「そりゃあ、練習を人一倍して自信をつけるとかさー」
ハギオ「その練習であがるんよ」
私「…………」
9月29日(水曜日)
どへええ、9月ももう終わりかぁー! はやぁーい!
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にもかかわらず、ふるわない日々だ。
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とりあえず、やらなければならないことをやろうと、夕食を食べながら、「今朝」録画しておいた、BSの、「フランス2」のニュース(あちらでは、夜8時のニュースであるが)を見、ジェレミー・アイアンズの『ロリータ』を聴きながら、同人誌の編集をする(実のところ、トシをとると、「……しながら」何かをするというのも疲れる)。
実は、ニュースまでは、なかなか聞き取れないのだ。「何が問題になっているか」ぐらいは、だいたいわかるけど。ついでに入れておいたBBCの方が聞き取れるのだ(やっぱ、イギリスへ行くべきか?)。
ちなみにハギオさんは、ダンス仲間から、社交ダンスの本場、イギリスは、ブラックプールへ行こうと誘われている。ハギオさんにとっては、はじめての海外である。いっしょにパスポート取りに行こうね、とは言ってるが……。
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毎週月曜日に届く『L'EXPRESS』(9/23-29号)を、今ごろ読むのである。
今回、目を引くのは、写真特集で、『ひどい状態の子どもたち』__ルーマニアでは、チャウシェスクが権力にあった、1970年代、「一家族で、最低5人の子供を生むように」という「法律」ができた。その「受け皿」として、600もの孤児院ができた。
国の地区ごとに教会があったみたいに、孤児院があるのである。
それは、チャウシェスクの、「人口を2倍に」「家族より国家」の共産党国家の目標であった。
1989年に、チャウシェスク政権は崩壊したが、なんと、いまも、当時以上の多さで、孤児院に、子どもが捨てられている(15万人近い)。
その孤児院における子どもは、髪を短く刈られ、年の大小、男女混合で、暴れる子どもは鎖に繋がれ、ベッドない子、車椅子の子はそれがベッド、という、ナチの強制収容所を彷彿とさせるような状態である。
年が最も若い子たちは、大きい子どもに暴力を振るわれるのを避けるため、一日中、暗いトイレに隠れている。あの、刑務所か収容所のような、ホースで水をかけられるというシャワーのあとは、裸のまま、職員が服を着せてくれるのを待っていなければならず、プライバシーさえ奪われている、と、
すでに成熟した体の少女の写真の傍らにキャプションが付けられている。
精神に異常をきたして叫び出す子どもも何人もいる。
もちろん、笑っている子は、一人もいない。
9月30日(木曜日)
ギュンター・グラスがノーベル賞?! いやん、ちょっと前、この日記に書いたじゃん。でも、なんか、遅いつーか、大江の健ちゃんの前にとっていてしかるべきでは?
中日優勝?! これで、ほかにこれといって楽しみのない一家も救われるでしょう>わが実父母+弟
あたしゃ、べつに、どーだっていいんだけどねー……。
そのほか、ABCもCNNも、トップは、「日本最悪の臨界事故」だ(「臨界」ってのは、爆発スレスレってイミだね)。
(↑これらは、10月1日午前6時45分頃、記入しています)
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すでに10月ですかー……まだ、暑いけど。
10月3日(日曜日)
『ホーンティング』(The Haunting)__「とりつく」ちゅーイミか。辞書には、「出没」とあるが。
ヤン・デ・ボン監督+リーアム・ニーソン+キャサリン・ゼタ=ジョーンズ+リリ・テイラー。
ドリーム・ワークス・プレゼンツ。
これまでにあった、このテの作品より、ていねいに作ってあるって感じがしたし、超常現象の「原因」にも、社会性を滲ませ、かつ、ディッケンズの世界のような味わいもあった。
ただ、あんまり恐くはない。この頃、現実の方が格段に恐くなってしまって、映画はそれに追いつけないでいるって感じだ。
役者であるが、リーアム・ニーソンは、ほとんど初めて、(ぎゃあーーーー! いま、扉がギギィッと動く音がしたぁー!)「現代劇」の扮装で見たが、なんか、コスチュームと取ってしまうと、意外とチンケな顔してるな、とずーっと思いながら見ていた。
それと、「オジサマ・キラー」のキャサリン・ゼタ=ジョーンズもしっかりチェック。このヒト、古典的な美貌なんだけど、フットワークがすごく軽そうで、そこが、吸いも甘いも噛み分けた、オジサマたちを魅了するのだろうか? 美人なのに、根性ありそうなところがよい。
リリ・テイラー。ほんとは、このヒトが主役なんだよー! でも、弱々しく神経過敏で生真面目な感じが、いかにも幽霊にすかれそう。
10月4日(月曜日)
そういや、小学校の時、図書館で、みんなが世界名作を借りているのを尻目に、『人類の夢 原子力』って、本を読んだなー。そこには、ビキニ近海のマグロ漁船被爆のことや、中性子爆弾の威力などが書かれていたなー。
ウランなどの放射性物質が出す、放射能は、半分に減る(崩壊)するまでの時間、つまり、半減期が、何万年もかかって、扱いには、注意を要するってことは、あの時、擦り込まれてしまったなー。
なんせ、ウラン(U、原子番号92)は、何個かの同位体があって、たとえば、ウラン235の半減期は、なんと、7.13億年だもんなー。
あの東海村のプラントでおきた事故は、放射能が漏れていたと知らずにそこへ、丸腰(防御服なしで)で入った人々が、今後、どんな症状に見舞われるかという、「薬害エイズ」みたいな、「事件」へと発展するかもなー……。
あと、農作物や、電柱など、屋外で、晒されていたもののなかに、どれだけ、放射能が残っているかだよなー……。
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やっぱ、『理科年表』は買っとくべきだろうなー。
10月8日(金曜日)
遅ればせながら、橋本治『双調平家物語2』(「栄花の巻T(承前)」(まだ)中央公論社)を読んだ。うーーーん……。やっぱりスゴイ! まさに、小説とは思想である! ということを改めて認識させられる。また、このまま、日本の歴史でもある。しかも、誰も、よくわかるようには、教えてくれなかった──。
書法の面から言うと、緩急自在の時間の使い方、得意のモノローグとダイアローグの組み合わせからなる、サスペンス溢れる語りはまったく舌を巻く。
このように、何巻も続くレキシ物だと、フツー、おそらく書き飛ばしたんだろうなーと思われる、冗長な部分が出て来るが、すべては、端整に書き込まれている。
それに、氏自身が、すでに、日本の歴史がすっかりアタマの中で整理されてるんだろーなーって感じ。
仰げば尊し、わが師の恩──♪
(よくわけわからなかった、あの藤原氏以前のレキシも、まるで手に取るように、わかったよ。また、フィクションとは何かも)