橋本治の「作家論」


「芥川龍之介」について

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 「芥川龍之介が自死に追いやられて行く時代は、私小説という文学のファシズムが擡頭して来る時代である。誰も人がそんなことを言わなくても、私はそう思うのでそのように言う。
 芥川龍之介は、私小説というエゴイズムに殺された作家である。芥川龍之介を殺して昭和は始まり、芥川龍之介を排除して始まった昭和の文学は衰退によってそのピリオドを打った」

 以上は、国書刊行会刊、日本幻想文学集成『芥川龍之介』の巻(1994年刊)を編集した橋本治の「解説」「殺された作家の肖像」に収められている。ここには、橋本治の文学観が現れている。また、次のような文章に出会って、私は感動する。

 「芥川龍之介は「美」の人であろうと、私は思う。『羅生門』の理屈はつまらないが、しかし羅生門に降る雨は美しい」

 なぜなら、ヴィム・ベンダースの『ハメット』の関して、その雨の美しさを声高に訴えていた蓮實重彦の文章を思い出すからである。

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「三島由紀夫」について

 「『戦後』という時代の愚かしさを知って、それを否定するために『古きよき日本』を再現する___しかし、その営みも結局は『嘘』にしかならないことを、『恋の帆影』を書いた三島由紀夫は、明確に知っていただろう。『知っていて、しかしそれでもなおまだ憧れはある』というのならいいが、その愚を知って、三島由紀夫は、その愚を自覚することを捨てたのである。おそらく、『忘れた』のではないだろう。『忘れた』なら愚かだが、『捨てた』なら、それは悲劇である。なぜ捨てたか?___私が知りたいのは、それだけである」(『新潮』2001年5月号所収「そして、『三島由紀夫』とはなにものだったのか」より)

 これは、『恋の帆影』という、三島のあまり知られていない、とんでもないバロック的な設定の戯曲について分析した文章である。ここには、もちろん、橋本の「戦後」に対する見方も出ているが、そういえば、橋本にも、『愛の帆掛け船』なる作品があったなと、ふと思い出した私だった。





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