金色日記 Diary in Gold
5月16日(水曜日)
『日本の黒い夏 [冤罪]』_____熊井啓監督+中井貴一+寺尾聰
例の「松本サリン事件」の映画である。しかしこれが果たして「映画」か、「松本サリン事件」の、いったい何を描いたのか、は疑問である(
)。
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……ほんとうはもっと長く書くつもりであったが、PhotoshopLEで、ロゴを作ったり、タイトルの写真を作ったりする「お勉強」をして、遊んでいるうち、エネルギーを消失する。(結局のところ、やっぱLEは、機能が限定されていて、ろくなロゴはできないやー(……と思うけど……))。
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というか、これが(また映画のハナシに戻るが(笑))、アメリカ映画なら、冤罪の一市民を弁護する弁護士の活動をもっとつぶさに描くだろうし、また「良心的なローカル局」の「特番」(その市民の疑惑を晴らすための)も詳しくやるだろう。そこんとこが、実にいいかげんなのである。そういうものをきちんと描きながら、「魅せて」いく、それが、「映画」つーもんだろーがー! と、こないに思ったのである。
熊井啓は、一から映画のお勉強をやりなおすべきだ。
5月20日(日曜日)
『アメリカン・サイコ』___メアリー・ハロン監督+クリスチャン・ベール+ウィレム・デフォー
80年代のニューヨークで、すべてを手にいれた若きヤッピーが、そこなしの虚無感に襲われ、次々と殺人を犯していく……。
「レトロ」というには、熟成を欠き、「現代」と呼ぶには、すでにズレている80年代。「すべてを手にいれた」というには、もはや、それほどうらやましくもない生活が展開されていて、なにが虚無を呼ぶのか? あるいは、それはほんとうに虚無感なのか? わからない映画。確かに80年代に作られたら、それなりのリアルさはあったかも……。
ディカプリオが、このヤッピー役をやりたがったとか……。しかし、メアリー・ハロン監督は、この役は、クリスチャン・ベールしかいないとつっぱねたとか。惜しい! 私なら、ディカプリオにやらせるね。クリスチャン・ベールは、スピルバーグの『太陽の帝国』の天才子役であり、演技派かもしれないが、じみー、である。ディカプリオの「華」を持ってすれば、もう少し違うメッセージが盛り込めたかも。
5月24日(木曜日)
約一年半ぶりに水泳にいく。「パーソナルカード」なるものは、まだプール前の棚に残っていた。見ると、2000年は一度も行ってなかった。体重は増え、血圧は高くなっていた。いかん。325メートル泳ぐ(フツーは1000とか2000とか泳ぐんだろうな、こういう数字は恥ずかしくて言えないけど、「日記」なので正直に書いておこう)。上腕ナントカ筋が痛くなる。
5月25日(金曜日)
『15ミニッツ』___ジョン・ハーツフェルド監督+ロバート・デ・ニーロ+エドワード・バーンズ
デ・ニーロが「主役」なんだろうなー、と思ってみていると、物語はべつの方向へ転回していく。もはや「花形刑事」は飽きた。ハリウッドはいち早くそれを察知して、登場させたのが、消防保安官=「ファイア・マーシャル」。キーワードは、「火事」である。
そして「新世紀を予感させる男が遂に登場!」(チラシ)、その名をロバート・バーンズという。新世紀のヒーローは、デ・ニーロとは対照的に、アクがない、清楚、おとなしい。んーーー、なんか私も気に入ってしまった(
)。
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フィラデルフィア管弦楽団+ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮(於:福岡シンフォニーホール)
●モーツァルト 交響曲第40番ト短調K.550
●ブルックナー 交響曲第4番変ホ長調<ロマンティック>
音はあくまで繊細である。しかしサヴァリッシュはすでに高齢で、これが「腐った鯛」なのか、どうか浅学にしてわからない。
モーツァルトとブルックナーは年齢にして68才違いだが、モーツァルトは十八世紀の人、ブルックナーは十九世紀に人である。そこにはっきり作風の違いが出る。それにしても、モーツァルトは、今さらながらに単純なフレーズの繰り返しが多いな。小林秀雄の時代はこれでよかったんだろうな……しかし、S席15000円として、すべてS席ばかりではないが、シンフォニーホールの座席数は、1900席余りである。15000×1900……フィラデルフィア管弦楽団は、二つの曲で演奏者の一部入れ替えなどがあり、総勢100人くらいかもしれない。サヴァリッシュは当然「ファーストクラス」として、すると「交通費」だけでも……などという雑念がどこからともなく涌いてくるのだった、演奏中。
5月28日(月曜日)
『JSA』___パク・チャヌク監督+ソン・ガンボ+イ・ビョホン+イ・ヨンエ
JSA……Joint Security Area……韓国と北朝鮮の共同警備区域である。そこでは、南北の兵士たちがそれぞれの建物から睨み合っている。ある時、北朝鮮側の建物の中で射殺事件が起きた。__「11発の銃声と2つの死体」。当然、南北の一触即発の政治的状況が予想される。しかし物語はべつの方向へ進んでいく。
南北朝鮮と言えば、われわれはとかく、「政治的」眼鏡でしか見ないが、それぞれの区域を守っている兵士たちもまた人間である。人間であるからには、「こころ」を持っている。その「こころ」が、こういう政治的状況下でどう動くのかを描いた映画である。
われわれにとっては、70年代のアングラ劇を思わせる音楽も、それらの「こころ」が生きる絶望的な状況をセンスよく表現している。ついにそこまで描ける時代になったか。
5月29日(火曜日)
水泳。また325メートル泳ぐ。クロールと平泳ぎを交互に。
血圧高し。べつの機械で計るとそうでもない。機械によっていろいろだな。
5月31日(木曜日)
『ガールファイト』___カリン・クサマ監督+ミシェル・ロドリゲス
日米ハーフのカリン・クサマ監督にとっても、主演のミシェル・ロドリゲスにとっても、この映画は「デビュー作」である。
ボクシングを通して人間として成長していく……女の子の物語である。女がボクシングをやってどこが悪い? 自分勝手なオトッツァン、弱々しい弟、死んでしまった母親……少女はどう生きていいかわからず、ただケンカっぱやいだけの「問題児」で、屈折した日々を送っていた。ふとしたことから、ボクシングをしてみようと思いつく。鍛え抜かれた少女は、やがてオトッツァンをも腕力でねじ伏せることができてしまう___。
この映画は、真面目なスポーツ映画である。どこにも奇を衒ったところはなく、むしろ、カリン・クサマのカメラワークはどっしりと安定感がある。
ミシェル・ロドリゲスの視線と肉体がよい。「21世紀の美人道」、それは、「体力」である。
やー……私もボクシングがやりたくなってしまったなー。