金色日記 Diary in Gold


7月16日(月曜日)

 『パール・ハーバー』____マイケル・ベイ監督+ジェリー・ブラッカイマー制作+ベン・アフレック+じょしゅ・ハートネット+ケイト・ベッキンセール

 これは、いわゆる、「歴史モノ」ではない。歴史を題材に取った、「青春ロマン」である。そう思ってみれば、物語は、ステレオタイプながら、なかなか「見せる」。日本軍もあんなもんだろうし、真珠湾攻撃も、実に壮大に描かれている。しかしあれは、「真珠湾」ではなく、やはり、「パール・ハーバー」なんだろうね。そうカタカナで言い換えてしまうと、もはや、物語は、アチラのものである。「にっくきジャップをやっちまえー!」と、私なんか本気で思って見てましたもん。

 ルーズベルト大統領役の、アンジェリーナ・ジョリーのおとっつぁん、ジョン・ボイトには、ひさびさ、目を引きつけられたね。


7月17日(火曜日)

 久世光彦『簫々館日録』(中央公論新社 2001年5月刊)____この小説は、14ヶ月に渡る『中央公論』での連載で、14章、つまり、1回が1章のわりで、初回と最終回が、少し長く四百詰めに換算して60枚から70枚、あとは、50枚たらずである。全体では、700枚くらいか。

 主に大正時代に活躍した日本の作家たちの群像が、それらの作家の一人を父親に持つ娘を語り手として語られる。この娘は、たったの五才で、日本の文学史に通じ、すぐれたテキスト読みでもある。娘の父親は、作家としてはパッとしないが、そのぶん、人としての幸福には恵まれている。愛する家族がおり、作家の家には、多くの友が夜ごと集まる。

 語り手としての、五才の麗子の関心は、なかでも、作家の九鬼=芥川龍之介へと向けられる。これは、麗子の、九鬼への恋物語と見ることもできる。幼い少女が、中年男を語る、「逆ロリータ」でもあろうが、その少女を愛しげに描く、作者久世の視線は、やはり、ある種のロリータを求めているのかもしれない。

 それにしても感心させられるのは、明治大正の文学のテキストの挟み方である。物語の中にうまく溶け込んで、「つなぎ目」が見えない。「知的な初恋物語」とも読める一方、近代文学論としても読める。

 物語の時間は、引っ越し好きの麗子の父、児島簫々(=小島政二郎)が、新しい家に引っ越し、大正という時代が終わった時から、次の家に引っ越すまでの四季が描かれているが、作中で麗子が言うように、ほんとうの明治の終わりが、漱石の死をもってやってきたように、ほんとうの大正も、芥川の死をもって終わる。その終わり方が、実に、あっけらかんとして、よい。時代というものは、そのように、終わってしまうのであろう。



7月20日(金曜日)

 『千と千尋の神隠し』___宮崎駿原作・脚本+(声)柊瑠美+入野自由+夏木マリ+内藤剛志+沢口靖子+菅原文太

 「ここわね、やおよろずの神様たちが疲れを癒しにくる御湯屋なんだよッ!」___なんとなく懐かしくも隠微な匂いのする魔界を支配する魔女=ミヤコ蝶々を髣髴とさせる髪型に、体は時折鳥になっている「湯ばあば」の、夏木マリ演じる声がいい。もう、どの台詞もまねたくなってしまう(笑)。「まあ、みっともない子が来たもんだねえ」「千尋? ぜーたくな名だねえ。今日からおまえは、千、いいか、千、返事をおしッ! 千ッ!」
 対する、12才の柊瑠美演ずる「千」こと「千尋」の、「ここで、働かせてください」も、何度もまねしたくなる。作者、宮崎駿曰く、「甘やかされて育った、ちょっと気だるい態度を取っている典型的な現代の女の子10才の千尋」が、ひょんなことから、魔界へまぎれ込んでしまう。そういや、われわれが、コドモの頃も、心が不安定な状態になったとき、当人はそうと気づかず、垣間見てしまったような世界だ。これはアニメだから、その瞬時の魔界が、物語として引き伸ばされているにすぎない。
 なんともけったいなカタチの「やおよろずの神様たち」も、どこかで垣間見たような……。そこは懐かしくも、過酷な生を強いる世界。働かないものは、ブタにされるしかない___。
 それで、千尋は、必死になって働く。
 少女が、おとなになる瞬間、と言ってしまえば、語弊を招くような……。そして、あの魔界は、われわれが大昔から、切り捨ててきた「異形」の者たちで成り立っている……。
 んーーーん、もっと「異形」の者たちの世界に浸っていたい、と思うのは、私がたんにゲテモノ趣味だからか?


7月31日(火曜日)

 スズキビリーバーズ『マシーン日記』(於:西鉄ホール)___松尾スズキ作・演出+宝生舞+阿部サダヲ+松尾スズキ+片桐はいり

 中卒の女子工員が、工場の敷地にあるプレハブの倉庫のようなところで、工場主の弟(高卒)に強姦された。兄(高卒)は責任を取って、彼女と結婚した。そこへ、女子工員の中学の恩師である女が、大卒のパートのオバサンとしてやってきた……。

 唐十郎の芝居を思わせる乱雑な舞台装置、つかこうへいを思わせるモチーフ。荒唐無稽な台詞とディテールを、達者な演技力と個性的な肉体で表現しながら、しかし、この芝居は、なにについても語っていない。けど、やはり、面白い。なぜなら、芝居とは、でたらめな言葉が、俳優の肉体によって、リアルに変わるのを見る場だからだ。

 舞台でニ度、現実で一度、片桐はいりを見たが、小味のきいた得がたい役者だ。




8月1日(水曜日)

 『猿の惑星』___ティム・バートン監督+マーク・ウォルバーグ+ティム・ロス+ヘレナ・ボナム・カーター

 猿の特殊メークがすごい。ティム・ロスなんか、ホンモノの猿かと思ったもんね。あと、ヘレナ・ボナム・カーターの猿的演技もすごい。人間のマーク・ウォルバーグは、人間の女と猿の女の間でマジに悩む。「しょせんあたしはサル……」ヘレナには、そんな哀愁もあった。そして、最後が、……まさに、Nightmare……

 初飛行猿も命をほしげ也


8月4日(土曜日)

 『ジュラシック・パーク3』____ジョー・ジョンストン監督+サム・ニール+ウィリアム・H・メイシー+ティア・レオーニ

 だいたいが、「ジュラシック・パーク」なる映画のオリジナリティーは、恐竜を現代に甦らせて、遊園地を作っちゃうというところにあった。それは、全部、「スピルバーグのもの」であった。あとは、それをどのように展開させようと、その「スピルバーグのもの」に乗っかったものでしかない。そういう映画である。


*****

8月7日(火曜日)

 『蝶の舌』(於:シネスイッチ銀座)___ホセ・ルイス・クエルダ監督+スペインの役者+子役

 外国の美しい風景、古い時代、ファシズム、心ある老教師、8才の少年……とくれば、物語はいつでもできる。『A.I』の、あのデイヴィッドも8才だった。8才と言えば、小学2、3年である。小学2、3年の少年にいったいなにができるのか? そして、『千と千尋の……』の千尋は10才。うんうんうん……である。

 『こころの湯』(於:シャンテシネ日比谷)___チャン・ヤン監督+中国の役者

 中国の風呂屋、父子、思い出、風呂にはそう簡単に入れない民族……とくれば、映画はいつでもできる。『變瞼』は見損なったが、北京の下町で風呂屋を営む父親役の朱旭(チュウ・シュイ)という役者、蓮實重彦に似てるぅ〜〜。

 『Made in USA』(於:シネセゾン渋谷レイトショー)___ご存知、ゴダールのなにである。その昔、学生時代に見たような気がするが、いかなる断片も記憶に留まっていなかった。けっこーオモシロイ「ミステリー」ではある。やはりアンナ・カリーナの表情が抜群によい。ぷ、ぷろぐらむが重過ぎる。なんとかしてくれぇー。

 (たまたま、「見るべき映画」が重なっていたのだが、しかし、このスケジュールは、なんかビンボー臭いな(笑))

 夜、ホテルの窓より、109(2)の上空にしきりと花火が上がっているのが見えるが、あれは、「神宮花火大会」のものであったそうだ。ふーーーん。


8月8日(水曜日)

 『クレーヴの奥方』(於:シネセゾン渋谷モーニングショー)___マノエル・ド・オリヴェイラ監督+キアラ・マストロヤンニ+ペドロ・アブルニョーザ(ポルトガルの人気ロック歌手で、本人そのままの役で出演)

 ハスミちゃんがほめていたポルトガルの高齢監督作品をやっと見た。うーーーん……「ほめたい」気持ちもわかるが、そして、「クレーヴの奥方」が精神的な「不倫」をする相手が、実名で登場するのもオモシロイが、なんであんな男? というほど、魅力がない(と私には思えた。好みの問題であろうか?)。禿げ、二重顎、脂ぎった感じ、にもかかわらず、台詞が少ないのだから、ますます「容姿」が重要になるのに……。しかし、第三者から見た他人のレンアイなんてそんなものなのか?

 しかし、このように、古いモラルが生きる「贅沢な世界」がいまどこにも存在していないことも確かである。博物館の高価な骨董品のようだとか。


8月9日(木曜日)___8月15日(水曜日)

 親の家で過ごすも完全にアタマをやられ復帰できず。今回これほどまで滞在が長引いたのは、ひとえに、8月14日(火曜日)の祖母内藤さとの墓参りをしようと思ったせいである。昭和の終わりに、彼女が死んでから2回目ぐらい? 十年ぶりぐらいである。死んだ祖父母はほかにもいるが、私が親しみを覚え尊敬できるのは、この人だけ。なんせ完全に自立した女であったから。


8月16日(木曜日)

 妹のコドモ2名、小学6年、5年の男子が当地に到着、拙宅に滞在する。これも「修行」のためであるが、こっちも「修行」である。コドモを持つことはほんまに大変やね。虐待する元気もない(苦笑)。

 みなさま、よい残暑を!

 スティングを流して過ごす晩夏なり



8月20日(月曜日)

 これは、8月27日の早朝に書いています。ははは。

 『ドリブン』___監督は誰かは知らんが、スタローンが脚本を書き、プロデュースもした、スポーツカーの限界に挑戦するドライバーたちを描いた作品。脚本が書ける、すでにそのことで、エライのかも知らんが、『ロッキー』の「栄光」がやはり恋しいのか、この映画の「土台」も結局はそのセン。どーでもいいが、真っ赤な頬紅は、死に化粧のように見えるぞ>スタローン

補記:そういや、今夏、帰省中に、渥美半島のリゾート・ホテルの屋内プールと屋外プールと、ビーチで泳ぎました。竹馬の友と妹の、オバサン三人組みで、水着は恥ずかしいなー、と思っていたが、甲羅干ししている若者の、誰も、一瞥もくれませんでした、案ずるより産むが安し←そういう場合に使うんじゃないって。

 フランス本を買っていたフランスのオンライン書店、bol.frが閉じてしまいました(日本bolも同じ状態のようだ)。ネット業界もそろそろ変わりはじめているのだろうか?
 とりあえず、仏書のお買い物は、こちら→CHAPITRE.COM


8月28日(火曜日)

 『彼女を見ればわかること』___ロドリゴ・ガルシア監督・脚本+グレン・クローズ+ホリー・ハンター+キャシー・ベイカー+キャリスタ・フロックハート+キャメロン・ディアス+エイミー・ブレナマン

 これまで撮影監督をしていたロドリゴ・ガルシアの処女作。処女作なのに、有名女優がずらりと並んだオムニバスというよりも、もう少し繋がりのある時間+場所での、五つの話。

 『マグノリア』や『マイ・ハート、マイ・ラブ』を思い出してしまう。しかし、それよりも、もっとさりげない。

 処女作なのに、有名女優が安いギャラで出てくれたのは、監督の父親がノーベル賞作家だったからだろうか? という邪推も働くが、そうではないだろう。この人には長い経験があり、映画に対するひとつの信念があり、それらに、知的な女優たちが共感したということだろう。

 主要な6人の女優のなかでは、刑事役のエイミー・ブレナマンに共感し、彼女の盲目の妹役のキャメロン・ディアスの美にも惹きつけられた。場所は、暑いところ、ロスのサン・フェルナンド・ヴァレーだとか。

 演技的には、平凡なオバサンの雰囲気が持ち味のキャシー・ベイカーが実力のある人かもしれないが、しかしなんといっても、グレン・クローズの、ラストのバーでの場面で、タバコをくわえてライターを探しているうち、隣の席の男が火を貸してくれて、その後……その男をちらりと見る、あの演技には負けるワ、である。





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