金色日記 Diary in Gold


11月15日(木曜日)

 『ソードフィッシュ』(ドミニク・セナ監督+ジョン・トラボルタ+ヒュー・ジャックマン)を、ちょっと前に観たが、いつ観たのか、忘れてしまった。

 この映画は、雰囲気だけは、すごい。128ビットのセキュリティーは破れるが、512ビットのFBIのサーバーのセキュリティー・システムを破ることは不可能だ、とか、ネット上にワームを張って、チャンスを狙うとか、わけわからん、コンピューター用語でいっぱいだが、果たして、出演者たちもわかってやってるのか?

 映画の中の、コンピューター・ハッカーには、二種類あって、どうしようもないダサい男か、いい男かである。今回は後者。前に観た、『スコア』のハッカーは、前者。

 サントラは買い。

 ……つとうやゆみのCDを買いにいって(なぜかっていうと、「雨音に気づいて〜♪」という歌が、気分の今日この頃だったのだが、あれって、『11月の雨』だとばかり思っていたら、『12月の雨』だったのか……)、……いくる・じゃくそんのCDを買って帰る。6年ぶりの新作『Unbreakable』だって。なかで、表題作ほか、「Invisible」というのが好みだが、やはり、『ソードフィッシュ』サントラの、9曲めが気分だな。



11月20日(火曜日)

 『スウィート・ノベンバー』___パット・オコナー監督+キアヌ・リーブス+シャーリーズ・セロン

 仕事しか頭のない男の前に、突如、ナチュラル志向の美女が現れて、一ヶ月だけ、同棲しようと提案する。男は戸惑う。女はしつこく迫る……しかたなく、男は折れ、彼女と少しだけ、つきあってみることにするが、そのうち、彼女を愛するようになる……。
 この種の女というのは、よほど、自分に自身のある女なのだろう。自他ともに、魅力的であることを認めているのであろう。そうでなければ、こういう「ロマンス」は、成立するはずはなく、ストーカーまがいの犯罪物へと、物語は変わっていくだろう。

 ……って、何がいいたいのか? 要するに、こういう場合、女は、ワケアリの女で、そのワケというのは、去年だったか、ウィノーナちゃんが出た、『オータム・イン・ニューヨーク』と、まったく同じなのである。というか、本作は、その『オータム・イン・ニューヨーク』の同工異曲でさえある。

 しかしだ、ニューヨークは、すでにああなってしまって、舞台は、サンフランシスコに移ったが、やはり、前作の方がずっとマシであった。というのも、愛ってものが、あまりにきれいごとに終わっているからである。

 年貢を納めた、リチャード・ギアは、(小説にも利用したが)やはり、悪くなかった。ズンズン……

 (この映画は、あえて、感想というほどのものでもないので、あえて、「わかるヒトにしかわからないように」書いています)

 イチローは、愛知の男。31億円ほしさに、ウサマ・ビンラーディンを探しにいくか。雅子さまご出産か。



11月22日(木曜日)

 Kカンパニー、バレエ『ジゼル』__熊川哲也演出&王子+カトリーヌ・デュランテ(ジゼル)__(於:北九州厚生年金会館)

 熊川が自分でやっているバレエ・カンパニーの公演であるが、バレエの才能があれば、何でもできると思ったら、おおまちがいである。装置も演出も古臭く、なんかパッとしない。チラシには、三浦雅士が、「熊川は、バレエを男のものにした」なんて書いていたが、古典のバレエの出し物では、男は所詮、「添え物」にすぎない。あんまりよお、知らんが。いくら熊川人気とはいえ、17000円は高いぞ〜〜!


11月27日(火曜日)

 『夜になるまえに』___キューバの作家、レイナルド・アレナスの「伝記」映画であり、おホモのアレナスに関わる男たちが、実にギョーカ、キャスト(ショーン・ペン+ジョニー・デップ+オリヴィエ・マルチネス)であるのだが、そのギョーカさが、生きないほど地味な映画である。というか、そのギョーカ・キャストによって、かろうじて、華やかさを保っているというか。


12月2日(日曜日)

 『ムーラン・ルージュ』___バズ・ラーマン監督+ニコール・キッドマン+ユアン・マクレガー

 なかなか野心的なミュージカルである。なんせ、1900年のパリは、ムーラン・ルージュを舞台に、絢爛豪華な悲恋物語が、ビートルズやマドンナの現代楽曲で進行していくのだがら。しー、かー、もー、その楽曲は、本来の「状況」とは、違う状況を当てはめられて蘇っている。うーん……ミュージカル好きには堪えられない!……だろう。ところが、私は、ミュージカルがそう好きじゃないんよね。

 雅子さまは、無事、めでたくも女児を出産され、今年も残すところ、あとわずかですか。ついこのあいだ、「ハッピー・ニューセンチュリー!」なんて、言ってませんでした? ぬあんて、時間の経つのは速いんだ!


12月6日(木曜日)

 『おいしい生活』___ウディ・アレン監督・脚本・出演+トレイシー・ウルマン+ヒュー・グラント

 原題は、『Small Time Crooks』、「三流詐欺師」という意味である。この作品は、去年の5月頃、CNN.comの「エンターテインメント」で紹介されていて、記事を読んだが、イマイチようわからんかった、内容が。さらにその前に、『L'EXPRESSE』だかで、ヒュー・グラントが、ウディ・アレンからFAXで出演依頼が来た、と語っていたのを読んで、どんな映画に出るのだろうと期待したものだが、それが本作だったのである。

 まったくの新作なのに、いくらわかりやすいとはいえ、邦題が、『おいしい生活』はないだろうってなものである。あれは、糸井重里の、はるか昔のコピーだろうが。まあ、しかし、内容にぴったり合ってはいるのであるが(笑)。

 要するに、トロい人間ばっかりが集まって、犯罪計画を練るが、彼らの思惑をよそに、別の方面から金が入り、それを、唯一のかしこい人間、だが、「詐欺師」のヒュー・グラントにだまし取られそうになるが、結局、「バカとハサミ」は使いようのことわざどうりの結末となる。

 あいかわらず、ニューヨークの街がよい。寅さんの下町の感じがある。これまで、ウディ・アレンは、インテリたちに、スノッブな文化批評をしゃべらせてきたが、教養のない人々を使っても、同じようにスノッブな会話ができるという「名人」の境地に達したようだ。



12月10日(月曜日)

 『ポワゾン』___マイケル・クリストファー監督+アントニオ・バンデラス+アンジェリーナ・ジョリー

 R-18(18才未満禁止)指定の映画である。「ポワゾン」とは、フランス語で「毒」のことだが、かつて、そういう名前の香水が大ヒットした。いまだにたっぷりふりかけているオバサンが、新幹線の隣の席に乗り込んでくると、鼻が曲がりそうで、「な、なんとか、してくれぇ〜〜」と、悶え苦しむ。
 そういう「ポワゾン」=官能の安易な連想からつけられたらしい題名は、あの「ポワゾン」って、そこまでスタンダードだったっけ? と思いきや、やっぱり、そういうイージーな題名をつけたのは日本であって、原題は、"Original Sin"(原罪)だったが、これとて、「ポワゾン」と五十歩百歩の考え方である。

 チラシの片隅に読み取れたのは、どうも原作は、ウィリアム・アイリッシュの『暗闇へのワルツ』で、ストーリー展開から、なんとなく納得がいく。いくが、どうせ、大幅に、換骨奪胎させているだろうことが予想がつく。というか、トリュフォー監督+カトリーヌ・ドヌーブ+ジャン・ポール・ベルモンドの『暗くなるまでこの恋を』をリメイクと言えば、さらに納得がいく。
 つまり、この映画は、どうもオリジナルの小説から脚本を構成したようには見えないからである。あるところは、推理小説的展開、あるところは、恋愛小説的展開、と、ストーリー自体が混乱しているのである。

 そしてさらなる不満を言えば、アントニオ・バンデラスもアンジェリーナ・ジョリーも、なんか深みが足りない、というか、セクシーならいいだろうってとこに居直っていて、ジョリーはただのスキモノ、バンデラスは、今回は、セクシー部分は女に譲って、イマイチ迫力のない男ということで終っている点である。と、そういう映画である。


12月15日(土曜日)

 『スパイ・ゲーム』___トニー・スコット監督+ロバート・レッドフォード+ブラッド・ピット

 スパイ映画は一時、もう流行らなくなかったかに見えたが、なかなかどうして、テロ対策として、「ヒューミント」(Human Intelligent(人間に関する情報捜査))を最重要視すべきだと、もと公安委員長が衛星放送で力説するくらいだから、CIAも再び注目されつつある。

 複雑な構成が新鮮な、なかなか面白い映画である。しーかーもー、これは、男の男への愛の物語であるような、というか、ロバート・レッドフォードのブラピへの愛の映画だったのね……である。
 こういうオジンが、美青年を愛する、というのは、よくあるが、たいてい気持ち悪い。それは、そのオジンが、愛される青年よりかっこ悪いからである。しかし、この映画では、あくまで、かっこいいのは、オジンのレッドフォードなのである。であるからして、観客は納得、「オジンもいいなー」と思いつつ映画館を出るのである。

 なんか、駄作より傑作の感想の方が短くなってしまうのは、どうして?

 Chai+あたりめを食いつつ……

 今年も残り少ないが、最後まで踏んばろう!


12月19日(水曜日)

 『シュレック』___ドリームワークスのアニメ、声→マイク・マイヤーズ+キャメロン・ディアス+ジョン・リスゴー+あの黒人の芸達者の……名前度忘れ。それがしゃべるロバをやったんだけど。

 これも、『千と千尋の神隠し』同様、「切り捨てられたものの物語」である。おとぎ話のキャラが、「いらないもの」として、住民に売られる。そして、それらは「ゲットー」に集められる。この場合の「ゲットー」とは、巨人の住む沼地である。

 そして、「美しい姫」を求める物語が始まるのだが……。「姫」も美しいままではいられなかった……。なかなかよく考えられた、「骨のある童話」である。

 23日の午前7時45分にこれ↑を書いているのであるが、なにをするでもないのに、なんでこう時間が早くすぎていくのか? 待って、待って、待ってぇ〜〜〜って、感じである。


12月23日(日曜日)

 『バニラ・スカイ』___キャメロン・クロウ監督・脚本+トム・クルーズ+ペネロペ・クルス+キャメロン・ディアス

 いやにニヤけたトム・クルーズが気にかかる。物語は、現実と幻想の境目ってどこ?ってやつ。この種のストーリーは、「終らなくなる」恐れあり。だいたい、映画のなかでは、「ハンサム」とかしきりに言われてるトム・クルーズって、それほどハンサムなのか? あちらでは、主人公の身長にあわせて、引き立て役を配してくれるっていうから、何人かの、トム・クルーズより身長が低く見えたわき役が(親友役と、「セックスフレンド」役のキャメロン・ディアスはしかたないとして)、なんかわざとらしく思えたりもした。彼よりはるかに背が高いはずのディアスも、写す角度を変えることによって、低く見えてもいた。
 新聞に載ったクルーズのインタビューで曰く、「何度も見てもらえばわかると思いますが、この映画は見るたびに違ったふうな解釈ができると思います」。一度だって、辟易したのに〜〜。


12月25日(火曜日)

 多和田葉子『変身のためのオピウム』(講談社、2001年10月25日刊)___あひゃ〜、ひさしぶりの本である。たかだか240ページあまりの本であるが、読むのにえらい時間がかかった。というのも、当方の読書力、集中力の低下はさておいて、本書が、詩的言語でできあがっているからかもしれない。選び抜かれた詩的言語で、長編小説を書くのは、至難の技である。それだけでも、尊敬である。

 かてて加えて、この人は、ほんとうに、ドイツ文学の、いわば基底部というものを、完全に自己のなかに取り込んでいるなあ、ということが、今回見えた。ただ、いたずらに、外国に滞在して書いている作家とはわけが違う。

 ドイツ文学には、あまりなじみはなけれど、たとえば、グラスとか、シャミッソーとか、そういう作家が透けて見えるのである。

 本書は、オウィディウス『変身物語』の書き直しであろうか? 想を得たことは確かであろうが、意識的な「書き直し」でもないような気がする。というのも、本書には、「叙事詩的要素」は皆無だからである。むしろ、自分と地続きの、女たちの身体の、外部との不具合、違和などが、「変身物語」として語られる。そういう意味では、多和田氏のテーマを一歩深めたということだろうか?

 あと、『読書人』のインタビューで、「源氏物語」を意識して書いたことを本人が語っていた。「女のカタログ」としての、源氏だろう。

 つけたしであるが、オウィディウス『変身物語』を下敷きにした作品では、クリストフ・ランスマイアーの『ラスト・ワールド』(高橋輝暁・高橋知恵子訳・中央公論社、1996年、12月7日刊)がある。ランスマイアーは、オーストリアの作家である。多和田氏が読んだかどうかは、わからない。ただ、こちらは、オウィディウス作の『変身物語』と同じ、15章から成っている。多和田氏のは、22人の「女神」が、1人1章の22章である。

 うーーーん……ま、私もそのうち、自分なりの書き直しをしてみたいと思ってはいる。





過去日記へ

メニューへ