2月9日(土曜日)
『フロム・ヘル』___ヒュー兄弟(双子)監督+ジョニー・デップ+ヘザー・グラハム
「このジョニー・デップがいちばん美しい」とチラシにある。いちばんかどうかわからないが、確かに美しい。私は好みである(
)。なんたって、目が美しく、目で演技ができる。コナン・ドイルやスティーブンソンを思わせる、暗く陰惨な時代背景と題材である。一見、猟奇的な内容ながら、その実、ロマンチックな愛の物語でもある。「犯人」像も、反権力的でよい。
2月10日(日曜日)
橋本治『橋本治が大辞林を使う』(当然、三省堂、2001年10月刊)___ひさびさ、橋本センセイの本である。センセイは本を次々出されているが、昔出た本を新装しただけにすぎないものも少なからず含まれている、というのは、私のもう一人の師(?)、蓮實重彦も同じで、困ったものである。そういう本がすでに家にあるのに、N書店のFさんが、取っといてくれるじゃないのサ。Fさんは、「あったら、返していいよ」と気軽に言ってくれるけど、それもねえ……。
で、本書は、とりあえず、焼き直しではない本である。
橋本センセイは岩波の『広辞苑』を使っていない。私も、である。橋本センセイは、使える辞書として、氏の創作のために、『大辞林』を使っている。氏によれば、『大辞林』は、「平安時代の言葉」と、「明治時代の言葉」の間にある、江戸の話し言葉を「使ってもいい」といいと言ってくれる辞書だそうである。
なるほど、本書を読むと、『大辞林』こそ、よい辞書のような気がしてくる。私も、『広辞苑』そのものよりも、「広辞苑によると……」などと、エラソーに、かつズボラに、言う、たとえば朝日の『天声人語』的態度のムシが好かなかった。
しかし私は、その『大辞林』も使ってない。たまに使うのは、『大辞林』の子分かもしれない『辞林21』だ。これでほとんど用の足りてしまう私は、まだまだ大したものは書けないのだろう。
それにしても橋本センセイは、ほんとうに勉強家だと感心してしまいますね、今回も。このファイルは、ひさびさ、「橋本コーナー」にも納めておこう。
2月12日(火曜日)
『ジェヴォーダンの獣』___フランス映画。たしか原題は、『××の結社』みたいな題だったと思うから、怪奇映画に見せて、ほんとは、政治がらみの映画だとわかってしまう。
2月16日(土曜日)
『マリー・アントワネットの首飾り』___チャールズ・シャイア監督+ヒラリー・スワンク
フランスの歴史映画ながら、フランス映画とは言えず、使っている言語も英語である。かてて加えて、上野千鶴子せんせいを髣髴とさせる風貌のヒラリー・スワンクは、性同一性障害の少年=少女役で、アカデミー主演女優賞を取ったのが、記憶に新しく、どう見ても、フランス貴族には見えず……結局、いったい何が言いたいのか、わかんなかった映画。
2月20日(水曜日)
『プリティー・プリンセス』___ゲーリー・マーシャル監督+アン・ハサウェイ
フツーの女の子が、実は王女さまだった……ってな、いにしえの少女漫画的主題ながら、なかなか見せる。というのも現代生活がビビッドに描かれているからか。どの東洋人もチョウ醜いのは、どーにかならんか?
2月23日(土曜日)
『アメリ』___ジャン・ピエール・ジュネ監督+オドレイ・トトゥ+マチュー・カソヴィッツ(うーーーん、『クリムゾン・リバー』の監督かあー……なかなかの男だのー)
フランスで大ヒットしているというフランス映画。しかもいかにもフランス的な映画。画面も凝りに凝っている。単純な恋物語のようでいて、その実、人はいかに、現実世界と和解するかというケッコー哲学的な主題をさりげなく描く。フランス映画は、小品の構えの中にこそ真価を発揮するような……。
2月27日(水曜日)
『キリング・ミー・ソフトリー』__チェン・カイコー監督+ヘザー・グラハム+ジョセフ・ファインズ
ミステリー・タッチながら、結局、「あたしって結構激しい性愛に溺れた日もあったわぁー」ってな映画。『覇王別姫』のチェン・カイコー、どーしちゃったのか? それともこのテードだったのか? ヘザー・グラハムは真冬のロンドンで寒そーな格好してるし、いくら真実を知りたいがためとはいえ、死体を掘り出しに行きますー、フツー? どうも、展開が常識的な感覚と相容れない。
2月28日(木曜日)
さて。2月12日からの「日記」をためにため、今書いている私である。気がついたら2月も終わり。アチャー!
3月2日(土曜日)
『ピアニスト』___ミヒャエル・ハネケ脚本・監督+イザベル・ユペール+ブノワ・マジメル+アニー・ジラルド
ウィーンが舞台の、ウィーン在住の監督の映画であるが、主要な役者は上記のようにフランス人で、言語もフランス語である。ハネケ監督は、本作を、メロドラマのパロディと言ってもかまわない、と言っている。
実際、この映画には、解決は与えられていない。観客が自分の頭でものを考えられるように、と監督は言う。そのとおりに、知的な挑戦する映画である。
徹底したリアリズム。ワンショットが長い。しかしベルイマンほど長くはない。オリヴェイラのようでもある。しかしもっと挑発的である。
完全にハマった。ひさびさに陶酔して見ていた。危うく持ち物を忘れるところであった。中年女のユペールがなんとも知的である。相手役の青年、マジメルにはうっとりする。あらゆる女はこんな男に惚れるだろう(
)。
ピアノを教えるユペールの台詞がラディカルで注意を引く。音楽とはかくあるものか、と認識させられる。「アドルノはこんなふうに言ってる」などとユペールが、自分に会いたいがために、難易度の高い大学院に入学してきた青年に、厳しく言い渡すところでは、「ああ、アドルノを再開しなければ」(たぶん、する→「お勉強サイト」にて近日中に)と思う。シューベルトの難曲を軽々弾いてみせる青年に、「シューベルトは醜男だった、その彼の孤独があなたにはわかってるの?」と、美しい男に厳しく言い放つところにもうっとりである。
絶望的な愛ではあるが、なぜか、希望を持たせてくれた(笑)映画である。あー……ひさびさ、陶酔したあーーー。
真の愛とは、変態と紙一重のものである。あなたは愛するヒトのために、変態になる覚悟がありますか? 大急ぎで、自分が持っているかぎりの、シューベルト、ショパン、シェーンベルクを聴いた私だった。はるかに「足りない」が。