『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う (ジャン=マルク・ヴァレ監督、2015年、原題『DEMOLITION』)

 この映画には、たとえ夫婦の過去の幸せな時間を表したシーンにさえ、セックスもなければキスもない。この映画の中では誰もキスしない。妻は死して、なぞなぞのようなポストイットの貼り紙を、冷蔵庫や車のサンバイザーなどに残し、妻のタンスの中には赤ん坊のエコー写真入りの封筒がある。しかし、主人公のデイヴィス(ジェイク・ギレンホール)がこれを見つけるのは、車なり冷蔵庫なりタンスなりを、「破壊する途中」である。妻が死んでも何も感じない苦しさに、デイヴィスは、夫婦の品物(家も含めて)を破壊し始める。体がもぞもぞしてと医者にかかると、なんとかいう蛾の幼虫に心臓が食われている写真を見せられる。その蛾は、両親の家で、父が庭の木について困ると言っていた蛾だ。

 なにもかもが「意外な展開」を見せる。妻が死んだ病院のM&Mのチョコの自販機で、チョコが引っかかって出ない。受付に苦情を言うと、「たまにそういうこともある。だが、自販機会社が管理しているので、そっちに文句を言ってくれ」と、アフリカ系の事務員に言われる。それで、デイヴィスは、自宅へ帰ってから、自販機会社へ、クレームの手紙を書く──。

「妻が死んだ病院で、空腹を感じたので、チョコの自販機にお金を入れたのに……」などと書き始め、待てよ、妻とのなれそめも必要だなと、その手紙は、小説のように長くなる。一方、自販機会社のクレーム係、カレン・モレノ(ナオミ・ワッツ)は、その手紙の書き手に興味を持って探し始める。二人が出会い、恋愛にはならず、ナオミは、ジェイクの自分捜しをそっと見守ることになる。一方、ジェイクは、ナオミの、「見かけは12歳だけど、実際は15歳」の息子のクリスと親しくなり、「自分はゲイなのか?」の悩みを相談される。息子は、上級生の「チンポを舐めたくなる」と言い、ジェイクは、「それじゃあゲイかもな」で、アドヴァイスを与える。「2、3年は、女の子をすきなフリをしていろ。それからマンハッタンかロスに移り住むんだな」まこと適切なアドヴァイスである(笑)。

 本作ほど感想の書きにくい映画はない。すべては確定されず、漂っているからである。もしかして、デイヴィスの妻は、「自殺」、あるいは、「無理心中」だったのかもしれない。なぜなら、運転中完全に横、つまりデイヴィスの方を向いて話していたからである。

 タンスから出てきた封筒から、妻が妊娠していたと知ったデイヴィスは、義父母に告げるが、義母は、「それはべつの男の子どもで、いっしょに堕ろしにいったと」と告白する。

 果たして、真実は? それは、どこにもなくて、ただ、主人公が「私に出会うため」の「破壊」をする。ジェイク・ギレンホールは、同じ年頃(36歳)の俳優やそれより上の俳優(ブラピ)などのように、ヒーローにはならない。いつでも透明で、まるで脇役のように主役を演じる。





 

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