重箱のフーコー
Foucault en détail
「重箱の隅をつつく」という表現があるが、そのように、時間がかかっても、細部にこだわって、フーコーのテクストを読んでいこうと思う。

1キーワード 「ルネ・シャール」

 フーコーの「デビュー作」、『ビンスワンガー「夢と実存」への序論』(1954年)のエピグラムとして、ルネ・シャールの詩の断片が掲げられているが、なぜ、フーコーはこの詩を引用したのか。この詩がどのような詩であるのかがわかれば、その後続く論文の言おうとしていることの、少なくとも「輪郭」のようなものがわかる。
 しかし、現在読みうる本論文の邦訳(A『ミシェル・フーコー 思考集成1』(筑摩書房)、B『フーコー・コレクション1』(ちくま 学芸文庫)C『夢と実存』(みすず書房))、『において、この詩は、十分な配慮を払って訳されているとは思えない。そもそも、本論文の訳者たち(AとBは、石田英敬、Cは、荻野恒一、中村昇、小須田健)は、このシャールの詩がどんな詩であるのか、わかって訳していたようには思えない。
 「原書」である、『Foucault Dits et écrits 1, 1954-1975』に収録されている、「Introduction」という論文(が、本論文(「序文」なのだから)の題名である)に引用されているままを引くと、

 《À l'âge d'homme j'ai vu s'élever et grandir, sur le mur mitoyen de la vie et de la mort une échelle de plus en plus nue, investie d'un pouvoir d'évulsion unique : le rêve... Voici que l'obscurité s'écarte et que VIVRE devient, sous la forme d'un âpre ascétisme allégorique, la conquête des pouvoirs extraordinaires dont nous nous sentons profusêment traversês mais que nous n'exprimons qu'incomplètement faute de loyauté, de discernement cruel et de persévé rance.》
 RENÉ CHAR, Partage formel.

 それぞれの訳文は、AとBは(同じテキスト)、

 「人間の時代に、私は、生と死を隔てる壁の上に、次第に裸形の度を深めるむき出しの一本の梯子が立ち延びていくのを見た。その梯子は、比類ない引き抜きの力を帯びていた。その梯子こそ、夢であったのだ……。かくして、暗闇は遠ざかり、〈生きる〉ことは、過酷な寓話的禁欲の形をとって、異常な諸力の征服となる。われらは、それらの力に横切られていることをひしひしと感じてはいる。だが、われらは、誠実さ、厳しい分別、忍耐を欠くがゆえに、それを不完全にしか表現しない。」
 ルネ・シャール『断固たる分割』

 Cは、

 「成年期に達して私は、比類ない摘出力をそなえて少しずつ露わになってゆく一本の梯子が、生と死を分かつ境壁の上に高くそびえ立ち、伸びてゆくのを見てきた。その梯子とは夢のことだ。……こうして、いまや闇は遠ざかり、生きることが、過酷な寓話的禁欲生活のかたちをとって、数々の途方もない力をかちとることになる──私たちはそれらの力が溢れんばかりに身のうちを貫いてゆくのを感じてはいるのだが、誠実さや仮借ない識別力や根気に欠けているため、それを完全にしか表現できないでいるのだ」
 ルネ・シャール『断固たる配分』ⅩⅩⅡ

****

 まず、シャールのこの詩『Partage formel』が、どんな詩かというと、これは、55章からなるアフォリズム形式の詩である。フランス語テキストの赤字の単語は、普通の辞書には見いだせないものである。たぶん、évolutionのことではないかと思われる。フーコーが引用する際に間違えたか、単純な誤植か、それはわからないが。
 とにかく、「引き抜きの力」だの、「摘出力」だの言われても、梯子がなんでそんな力を持つの?と言いたくなる。いくら「夢」についての記述でも。いや、そうであるからこそ、「厳密」であらねばならない。なぜなら、この論文のテーマは、そういった厳格さを規定いこうとするものだから。
 また、青字の句、À l'âge d'hommeの訳も両テキストではだいぶ違っている。はたして、これらのような訳で、全体の文章がわかるのか? いくら、詩とはいえ。
 今回は、上記のような疑問を提出するに留め、次回には、シャールの詩について、もう少し踏み込んでみようと思う。
(2007/06/02)

★★★

 まず、évulsionという単語であるが、ある方から、「プチ・ロベール(LE PETIT ROBERT)」に載っていたというご指摘を受けた。フランス人があまりに誤植等に大胆なので、勝手に偏見を持ち、そこまで探さなかったのは、恥ずかしいかぎりである。さっそく、私も調べてみました……ありました。

évulsion ___n.f.___evulsion 1540 ; lat. évulsio__CHIR. et VX__extraction.

CHIRというのは、外科手術用語。VXというのは、今では意味がわからないほど使用されていない古い言葉。ラテン語のévulsioから来ている
。1540年に、evulsionという形で使用された記録がある。
羅和辞典(研究社)で、évulsioを引くと、「抜き取ること」とある。また、extractionを「プチ・ロベール」で引けば、
extraction___n.f.___XIVe ; estration XIIe (sens II) ; du lat. extrctum____extracteur ; traire *(encadré)
1_1 Action d'extraire, de retirer (une chose) d'un lieu (ou elle se trouve enfoui ou enfonce). ....

 長いので、冒頭の記述しか、引用していませんが、つまり、「引き抜くこと」「摘出」のようです。以上を考慮すると、とりあえず、évulsion というのは、
「外科的な摘出」を言うようです。

 シャールに『Partage formel』という作品については、今手元にあるのが、その作品の一部を含んでいるアンソロジーなので、そこから、この作品について、編者が解説している部分を訳してみました。

Poèmes en archipel
Anthologie de textes de René Char

Choix et présentation par Marie-Claude Char, Marie-Francoise Delecroix, Romain Lancrey-Javal et Paul Veyne

(Gallimard, 2007)



Partage formel(外形の分割)

 "
Seuls demeurent"(山下注:詩集名)の終わりの直前に、アフォリズムの形が現れた。それは、55の文章からなり、それらで、ひとつの知を表し、韻文であれ散文であれ、それらを共有するための詩の空間といったものをもはやを必要としない。それによって、詩集の構成はダイナミックなものになっている。つまり、そこでは、言葉が、シャールが詩に託したこと、「われわれをして非人格の状態で主権を有するようにすること」を達成している。それは支配の究極の時間か? アフォリズムとは、古代ギリシア語で、境界を定める、囲む、境界によって分かつ、ということを意味する。これこそまさに、「partage formel(外形の分割)」である。しかしこのアフォリズムは詩である。なぜなら、人を再び魔法にかけるために謎とイメージを用いているから。とりわけ、それは、既存の隠された知を指示せず、その存在の明白さの中に、意味が出現する場を創造する。ジャン・ミシェル・モルプワがアフォリズム形式の詩について、「飛躍を届ける」と言っている。


★★★

 その55のアフォリズムのうち、本書では、5つ(1から55までローマ数字で番号が打たれている)が収録されている。そして、フーコーがビンスワンガーの論文のための序論のために引いたのが、筑摩版ではナンバーが記されていないが、というか、フーコー自身、ナンバーを付けて引用していないようであるが、みすず書房のビンスワンガー『夢と実存』の方の訳者は、「ごていねいにも」(笑)、フーコーの付けていない、ナンバーを付けて訳していて、それを見ると、「XXII」(22)であるようであるから、今ここに、引用する詩片は、このアンソロジーでは「partage formel」の最初の作品であるが、フーコー引用作品の少しあとに続くものである。

  XXVI(26)

Mourir, ce n'est jamais que contraindre sa conscience, au moment même où elle s'abolit, à prendre congé de quelques quartiers physiques actifs ou somnolents d'un corps qui nous fut passablement étranger puisque sa connaissance ne nous vint qu'au travers d'expédients mesquins et sporadiques. Gros bours sans grâce au brouhaha duquel s'employaient des habitants modérés... Et au-dessus de cet atroce hermétisme(1) s'élançait une colonne d'ombre à face voûtée, endolorie et à demi aveugle, de loin en loin____ô bonheur____scalpée par la foudre(2).

死ぬこと、それは、意識がまさに自らを廃止しようとするとき、われわれにとって、ほどほどに未知であった、というのは、肉体についての知識は、われわれには卑小で散発的な窮余の策を通してしかやって来ないのだから、そういった肉体が活動しているか眠っているかしているある場所について、休暇を取るよう意識を強いることではない。がやがやとうるさい、優雅さを欠いた大きな町、その音は節度ある住人たちが夢中になってたてているのだが……そして、その恐ろしい錬金術の上に、アーチ型に反った、心を痛めた、そして半ば盲目の、人影の柱がそそり立っていた、ときどき──おお、なんという幸福──その影は、雷に頭皮を剥がされるのだ。

編者注:
(1)この錬金術は、自由を重苦しさに変える。
(2)雷については、直観、恍惚状態などのイメージ。

Poèmes en archipel


(07/06/06)



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