金色日記 Journal d'or


3月15日(土曜日)

 フランス語のクラスの学期の終わりもあって、クラスメートの女4人で、フランスパンとワインとチーズとオードブルを持ち寄ってミニ・パーティー。場所は我が家を提供する。知っているいろんな人をサカナに話がはずむ。たとえば、かつての仲間のTさん。彼女はさる放送局の報道部へお勤めだったが、今は定年後の悠々自適生活を満喫している。彼女は、政治には詳しかったが、世の中のことには疎かった。Tバックも知らなかった。「そうよね、

橋本首相がTバックを・・・なんてニュースないもんね」

と私。私がチョイスした1800円のサンテミリオンの赤もとてもおいしいと好評であったが、どうも私の体はアルコールを受けつけなくなっているようだ。

あー、頭がガンガンする。

でも、気分はそれほど悪くない。
 あひみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり。
 (今日は酔いにまかせて、「じゅりくら」のじゅりちゃんのための現代語訳を載せておこう。−−−−「えっちしちゃった後に比べるとさ、その前ってのは、いくらあなたのことが好きだったとはいえ、大したことなかったな」・・・なんか橋本治みたいになちゃったなー。おやすみなさーい!)


3月16日(日曜日)

 博多のできたてほやほやの映画館で、96年度カンヌ映画祭大賞受賞作品『秘密と嘘』を見る。ひとことで言えば、「イギリスの新派」。カンヌで主演女優賞を取った、ブレンダ・ブレッシンは、水谷八重子(初代)プラス市原悦子って、感じかな。いや、あの表情は日本人にはやはり出せないものだ。人間は表情と衣装によってどうにもなれるという見本を、この映画のすべての出演者は表していた。この映画に出て来る母と娘は、幸福でない生活そのままに、なんとも言えない惨めで悲惨な表情をしている。その表情だけで、見る者の心を痛める。そしてそれは最後に救われるのだが、なんていうか、人生における幸福とはこの程度のものだろうということを、無理なく認識させる。
 イギリスのビンボー人というのは、日本のビンボー人とよく似ているとも感じた。
 映画館のあった博多の天神は、さまざまなデパートやビルが次々オープンし、東京にも負けない大都会になってしまった。
 寒さが戻った。
 帰って少し休憩し(こたつで眠ること)、昨日C先生にチェックしてもらった「小説」の仏語訳のファイルを作った。見てね!


3月17日(月曜日)

 体がだるくてしかたがない。今年は杉花粉の量が例年の3、4倍だそうで、ふだんは花粉症の症状が出ない人も出ているそうだ。そのせいか、私も鼻水がずるずる出る。でも全体としては風邪の症状に似ている。肺病病みのヒラテミキ状態である。どうも私はたとえが古い。こないだも、「小室テツヤ」と言おうとして何度も「小室等」といって冷笑を買った。トシがワカルぞ、トシが。でも、家人がニュースを聞くために流しているラジオの「昼の歌謡曲」を、しかたもなしに聴いてしまうのだが、そこで最近三波春夫の特集をやっていて、

 「落ちぶれ果ててもヒラテは武士・・・」

なんちゅう台詞入りの歌を歌っていたのだ。寝まーす。


3月18日(火曜日)

 うーーーん・・・この頃は「じゅりくら」のじゅりちゃんの日記をチェックしてから自分の日記を書くようになってしまったのよねーーー。「今日」のじゅりちゃんは濡れていたので、私も思わず、

もらい濡れ。

そんな言葉があったのかよー! ですが、今作ったんです。なかなかいいでしょ? さて今日は、「日記」に私のことを書いてくれたじゅりちゃんへのお礼に、たまたま、いや、またまた、百人一首、じゅり語訳いっちゃいます。

 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ

 (私のことをずーっと愛してくれるってのはわかってるのに、初めて激しいえっちをしてあなたが帰っちゃった今朝は、えっちの後の黒髪みたいに、私の心もいろんなことを考えちゃって、乱れてるの)

 でも今日は、えっちをせずに、エクスタシーを感じた。
 (日記らしいことは何も書いてないなあ・・・)
 あっ、それから、「象形文字」サイトに『秘密と嘘』の映画評を書いたので読んでね。


3月19日(水曜日)

 私は教養がないので、歌といったら、百人一首がいいとこなのだ。これは九九みたいに覚えている人が多くて、不意に口をついて出てくる。たとえば、

 見せばやな 雄島のあまの袖だにも

 濡れにぞ濡れし

 色はかはらず

 って歌は、音にもかかわらず、べつにいやらしい歌でもなんでもないのだ。つまり、「つれないあなたのせいで、私の袖は涙に濡れて、この袖をあなたに見せたい。まるで雄島のあまの袖みたいだけど、あっちのは色が褪せてない」ってそれだけの意味なのだ。百人一首で意味がやらしいのは、ほとんどやり過ごしてしまいそうな音というか言葉のなかに込められている。・・・なんちゅうことを日記に書いてどうするんね、あんた。
 しかし、こんな暮らしをしていると早死にするかもねー・・・。寝るのが午前6時頃になっちゃうもんね。夜更かしの習慣は子どもの頃からあったけど、こんなにひどくなったことは、いままでなかったもんね。
 「ぼくは生活を変えよう」
 って台詞が別役実の『AとBと一人の女』という戯曲にあったのをいつも思い出すけど、こんなことを言ったってわかる人が何人いるか。ほとんど台詞だけの芝居で、「ぼくは生活を変えよう」と言う言葉は何度も出てくるが、生活どころか、場面さえ変わらないという芝居だった・・・と思うが、はるか昔に読んだので確かではない。ここから連想されるのは、当然、ベケットの一連のモノローグものである。その頃の別役実はベケットに影響されていたに違いない。


3月20日(木曜日)

 
 
 ついに『マーズ・アタック』を見た。これはやはり画期的な作品である。「小説」にスペシャル・チャプターを挿入したので、ぜひ見てね。
 『ファーゴ』『秘密と嘘』『マーズ・アタック』の三つを見ていれば、「ニューヨーク・タイムズ」の「映画フォーラム」でもひけを取ることはない。
 それにしてもジャック・ニコルスンはすばらしい俳優である。アクを出す、のではなく、アクを滲ませる。合衆国大統領としての生活、苦悩、決断、憂いをすべて表現してみせる。火星人に襲撃された時のね。




3月21日(金曜日)

 いやー・・・今日の未明はほんとにマイッタ。人生最大の失態のひとつと言えるほどの間違いをした。ある人から来たメールを、その人についての批判も添えて、べつの人に転送しようと、Re-Mailを利用してメールを作製したのはいいけれど、題名だけ変えて、宛先を変えるのを忘れ、そのまま送信してしまった。

 「アアーッ!」

と気づいた時にはすでに遅く、どうしたものか、パニックに陥ってしまった。結局取り戻す術のないことを知り、その人に謝罪のメールを出すことしか思いつかなかった。さいわい、寛大な方で、「気にしてません」という返事をもらいホッとしたが、

 失態は失態だよなー・・・

 でも、おかしな話だが、たまたまその人は自分に対する悪口を読んでしまったわけだが、その存在を知らないかったとしても、その事実は存在して、なんとも奇妙な気持ちになった。ひさびさに、

 知らぬが仏

 なんていう言葉を思い出した。この自分だって、ただ単に知らないだけってことはいくらもあるだろうと思うとなんか、考えてしまう。失態については、「すみません」というしかないが、いったい何が「すみません」なのか?
 「あなたの悪口を書きましたが、それはほんとうは、あなたの目に触れるはずのないもので、それを間違ってあなたあてに送ってしまってすませんでした」・・・などと言われてもねー・・・
 こんな時人はどうするのがいちばん正しいのだろう? 人の悪口を言わないようにすることだろうか?
でも言いたくなる時だってあるだろう。やはりその人の目には触れさせないようにすること、そして、あまり裏表をつくらないということしかないように思える。
 今度の件は、たとえ失態を犯さなかったとしても、悪口は存在するというところに、人生の不条理がある。まあ、みなさん、せいぜい、

 メールの扱いには注意しましょう!

 「あんたのことだろ、それは」? ハハーッ失礼しました!

 Sさん、まことに申し訳ありませんでした。そして、寛大なお返事、ありがとうございました! 


メニューに戻る