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肝っ玉の小さい奴らだった。犯罪者のくせに人を殺すことを恐れていた。まるで、強盗と殺人の間には、決定的な差異があるかのように。力づくで人から金品を奪うのに、できるだけ血を見ないようにしていた。なんて言うか、オレに言わせれば、そっちの方が汚い。どのみち、犯罪は犯罪なのさ。いや、違う、オレの言いたいのはそんなことじゃない。実を言うと、そういう屁理屈も、オレの性にはあっていない。人を殺すのに、一瞬の躊躇もあってはならないということだ。たとえ一瞬でも躊躇するやつなど、人を殺す資格はない。ま、そんなやつだからこそ、オレさまと目があった時は、すでにヤられているというわけだが。
五人の容疑者のうち、オレ一人が生き残った。刑事はこの時、気づくべきだった。あまりにも明白な、単純すぎる話に。そうさ、ストーリーなどというものはシンプルな方がいい。その方が、奥が深い話にし上がる。
今ごろあいつは、バラバラに破られた「絵」を、ひとつずつ繋げ、並べているに違いない。だけど、その「絵」は、平面じゃない。時間という、もう一つの次元を含んでいる。とても、単純な話なのに、それゆえ、やつは混乱するのだ──。考えて見れば、目の前に映った、すでに存在しているモノほど、リアリティーを作り上げるのに便利なものはない。オレはあの取り調べ室の、壁に貼り付けられた、いろいろな紙切れを、いちいち読んでいたのさ。それもまあ、恰好の退屈しのぎにはなったよ、だって、あの刑事の取り調べときたら、てんで生ぬるくて、あくびが出るほど退屈だったのだ。彼の前のオレと来たら、「信頼していた仲間に軽く見られていた」のを、刑事に知らされて、涙さえ浮かべていたのに。
そして、ついに、「『真犯人』を、刑事が探り当てた時」、刑事はオレに忠告した、このまま帰ってもいいが、検察側の証人として、警察の保護を受けた方が、安全じゃないか? 安全て、なんだ? オレは吹き出しそうなのをガマンして言った。「いいんです、命なんか、今となっては、仲間ももういないんだし」。そう言って、自分で、守衛室でサインし、所持品を受け取り、警察を出た。
オレは不自由な足を引き摺りながら、舗道をどんどん歩いていった。(安全がなんだ、安全が。オレは自由がほいしんだ……)てな表情をして……たくさんの人とすれ違った。すれ違うたびに、オレは、オレの足は、だんだん……まともになっていった。脳裏に、刑事がオレに向かって吐いた言葉が浮かんだ。
「(主犯格の男はオマエにアトを託した)なぜなら、オマエが弱虫で役立たずだからだ!」
そうだ、オレは、足を引き摺り、利き手も自由に動かないふりをしていた。世間の人は、口ではなんと言ってても、結局、そんな人間を甘く見る。しだいに速度を速めながら、オレはほくそえんだ。舗道の切れ目まで来た時は、完全に、****・**の顔になっていた。オレは利き手でライターを付け、タバコに火をつけた。手下の弁護士が、ちょうど車を横付けしたところだった──。
*
***・*****は、この役でアカデミー助演賞を取った。なぜ、「助演」であったのか? なぜ、クレジットに並んだ名前の順番が、5番目なのか? これは、そこまで、考えられた作品であった。
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おそらく、火星人は、何も見ない。彼らは、地球では当然のこととされる事柄を識別しない。たとえば、彼らには、北朝鮮産の松茸と、韓国産の、北米産の、日本産のそれの、「違い」がわからない。彼らは、ただ「松茸」としてだけ認識する。恐るべきことに、彼らは、小さいのが4個で、2500円の、北朝鮮産の松茸と、大きいのが4個で、6500円の韓国産の松茸と、それと同じ量なら、2、30000はすると言われる日本産の松茸が、なぜ、そうなるか、ということがわからないし、知ろうともしない。そして、われわれ日本人が、どれほど、この茸の一種に思い入れているか、ということも、当然知るよしもない。
だが実際、それらは、ほんとうに、「違う」のだろうか? 確かに、「香り」が違う、という人もいる。なにしろ、この茸は、香りが命だから。
また、われわれ日本人は、Made in (South)Koreaを、とかく劣る代物の代名詞のように見てきた。それは、その昔、アメリカ合衆国で、Made
in Japanが、チャチな製品の代名詞であったことと、同じである。衣類や電化製品はともかく、松茸までが、そのように位置付けられているのである。
そして、20世紀も、まさに終わろうとするこの時代、その劣る韓国製より、さらに劣る、北朝鮮製が、市場に出回っている。しかも、高級料理素材である、松茸が。香りは、確かに、弱々しいかも知れない。何しろ、飢饉で食う物もろくになく、人々は、木の根を食べていると言われる国に産する「農産物」である。かの地の人々はどんな気持ちで、この高級料理素材を出荷しているのだろう? たとえ、末端市場価格が、小4個で、2500円だとしても、2500円もあれば、北朝鮮では、一家4人で、1ヶ月食べられる金額ではないだろうか? 適当な推測にすぎないが。
確かに、わが国のある新聞も、学者や役人などのグループで作られた「北朝鮮訪問団」に随行した記者の能天気な報告を載せている。そのレポートによれば、「なんと、ホテルでは、蟹グラタンも出た」。それがどうした? こうした「歓迎」は、食べ物でいっぱいの、ユダヤ人のゲットーを撮影させたナチスのように、「やらせ」であるかもしれない、ということがどうして思い浮かばないのだろう? 一面には、堂々と、首都ピョンヤンの広場で、アイスキャンデーをなめる女子中学生たちの写真も載せている。彼女たちは、上流階級の子女かもしれない、という疑いをどうして抱かないのだろう──?
まあ、そういう背景を背負った「農産物」である。しかし、それさえ、火星人にとっては、どうでもいいことで、なにしろ火星人の感情には、ノスタルジーとか、センチメンタルとかいうものは存在しない。ハンバート・ハンバートが愛した、あのLolitaのソックスも、ただの「靴下」にすぎないし、東池袋の通り魔殺人者が、岡山弁で、「わし以外のまともな人がボケナスのアホ殺しとるけえのお。わしもアホ全部殺すけえのお」「アホ今すぐ永遠じごくじゃけんのお」(『毎日新聞』1999年9の月、9日、夕刊、西部版)などというメモを残しても、そのエクリチュールの荒廃に一顧だにしないし、果たしてそれにも「著作権」があるのかどうか、などということに関しては、まったく思い悩まない。
しかし、なぜか、**なる言葉は、火星人の辞書にもあった。これについては、事件が事件だけに、あえて伏字にさせていただく。
しかして──、アメリカ合衆国陸軍、犯罪捜査部捜査官、ジョン・トラボルタは、容疑者ムーア大佐(ジェームズ・ウッズ)が留置されている監獄の、檻の前に立った。「レイプか?」と訊くトラボルタに、ウッズは、謎めいた動作とともに、「Worse(もっと悪い)」と答える。
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私が遠州という時、それは、住所で言うなら、静岡県周知郡春野町一帯を差している。その番地を、小学生の私は、今はどこにいるかもわからないイトコたちに向けて、年賀状やハガキの上に、何度書いたことだろう──。
その遠州の家を、眠れぬ夜に思い浮かべている。道から家に辿りつくまでに、石段があって、また石段があって……。要するに、敷地自体が、小高い山の上にあったのだ。家の前は平らな空き地になっていて、母家の向いには、屋根のある井戸と、流しがあって、そこが「洗面所」だ。井戸の周囲には、緑の濃い、白い産毛のある、ユキノシタが生えていた。ちょうどよいことに、というか、わざわざ植えたのか、その茎が葉脈に沿ってスジのある、歯磨きにする草も生えていた──。
道に向かって、数段ずつの段々を降りていくと、その段は、端が石ころで留められていたのだが、小暗い牛小屋と、明るい山羊小屋があった。道の向こう側には「お茶工場」があった。
また、母家の左寄り、一段下がった場所には、「離れ」があった。「離れ」は、二つあったかもしれない。われわれ一家のような、その家から出たものが里帰りしたり、もっとほかの親戚も集まったときには、そこで寝るのだった。その部屋には、電気がなかった。したがって、懐中電灯で移動し、真っ暗闇のなかで、人々は寝るのだ。いや、あったかもしれない。小さなカサのついた電球がひとつ。いずれにしろ、寝る時は、真っ暗になった(いま闇のなかで、私はその、寝つかれぬ子どもにとっては、ひどく退屈な闇について、思い出しているのかもしれない)。
朝、非常に早く、巡礼のような乞食が訪ねてくることもあった。私はそのことを、起きたあとに聞かされ、少し恐いような、山は計り知れないことがあるような、気がしたものだ。
そうやって、寝床のなかで、過ぎていった日に過ごした家を再構成する──。
私が、オデュッセウスの故郷を、巡礼のようなスパイのような不審な人物が回るロシアの村を、また、騎士が白い馬を駆っていく場面を、脳裏に描くときは、きっと、その遠州の家を思い出している。
あの頃、時間というものは、柔らかく、ちょうど「お茶工場」の機械で揉み砕かれるお茶の葉のように、湿って、そう言ってよければ、よい匂いがした。
人がどこに、どのように生まれるかは、まったくの偶然だ。それによって、どんな思い出を持つかも。私は闇のなかで、自分が引き当てた偶然をしげしげと眺める。まるで、埃は積っているが、まだ読んでいない、小説のページを開くときのように。
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夢というのはナマモノで、これを書いている頃は、それは鮮度を失って、すでに死にかけている。まるで、あかつきの光の中で薄れていく、エルシノア城の見張りたちが見た幽霊のように──。それでも、その夢を写してみよう。あれは……
思いもよらない登場人物だった。高校時代の友人だったが、いまは疎遠の友である。彼女といっしょに、あるデパートのエスカレーターに乗っていた。彼女が私より少し前方にいた。エスカレーターが終わりかけた。そのとき、彼女は私の方に顔を向けていたので、足元に注意がいかず、ひっかかって転倒した。そのときは、どこも怪我してないように見えた。もう一度同じようなことが起った。私が彼女を抱き起こすと、彼女の顔は紫色のアザができていた。そのアザはひどいものだった。それで私は救急車を呼ぼうとした。彼女を支えたまま、表に出た。誰か──。
八百屋が見えた。倉庫のような簡単な作りの八百屋で、仕入れたものを大安売りしているようだった。私は、その八百屋に近づき、救急車を呼びたいので電話を貸してくださいと言った。八百屋の主人は、一瞬怪訝な顔をしたが、いいよ、と言って電話を持って来てくれた。私は119番する──。
「ハイ、こちら119番」。私は怪我をした友だちの様子を説明しようとする。とても、とても、ひどいようであることを。「そうですか、ではうかがいます。住所を言ってください」
やがて、サイレンを鳴らし、救急車が来た。なかには猫が入っていた。「同時に猫の世話もしているのです」と救急隊員は説明した。そして、友だちをその中へ、運び込もうとした──。
上の記述には、すでにウソが含まれている。私の脳が「表現」したものは……
彼女の青アザ。やけに暗いデパートの内部とそのトイレ。トイレでは、友だちが措き忘れたはずのスカートを、ホームレス寸前のような中年女が、「わたしのものだよ!」と主張した。
そしてなにより、私はその友だちをすきではなかった。
なぜ、このようなときに、どうでもいい人が登場するのか。
そしていま、思い出したのだが、エスカレーターの最後部の、階段が呑み込まれていく部分に足を取られて転倒した友だちは、しばらく倒れたままだったので、髪の毛が床とベルトの隙間に挟まり、バリバリと固まって抜けたのだった。
あのとき、彼女はすでに*****のかもしれない。
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トンネルを抜けると火星だった。火星には、「BBS=掲示板」があった。そこには、次のような書き込みがあった。
「これで、私が、いかにして火星人を愛するようになったか、おわかりですね」
投稿者は、「私のように美しい女」とあった。
2001年には、世界中の(英語の読める)子供たちの名前がCD-ROMに記録され、火星に送られる。NASAの「For
Kids」サイトに行けば、きみも登録できる。ただし、「いたずら」に対して、アメリカ合衆国は次のような警告を発している。
「警告:いたずらは、アメリカ合衆国の法律に対する侵害である!」
これ以上の「いたずら防止策」があるだろうか? どんなセキュリティー・プログラムも真っ青である。
しかして、21世紀は、コンピューターの世紀というよりは、エクリチュールの世紀となるだろう。エクリチュールが人を殺し、エクリチュールが国家を守る。また、子供たちは、ありとあらゆるエクリチュールを修得するよう教えられるだろう。
それはもはや、プログラムではない。ハードウェアでもない。
われわれは、抜けると火星のあるトンネルを探すだろう。そしてそこで、「私」が、「いかにして火星人を愛するようになったか」を理解するだろう。
The End ![]()
★「火星にきみの名前を送ろう」プログラムは、子供のみならず、あらゆる年齢の人が参加できます。あなたもどうぞ。証明書がもらえます。もちろん、私も登録しました。