帰宅困難者訓練 2007.11.17

今後30年以内に東京に大きな直下型地震が起きる確率は70%なのだそうだ。30年以内ということは明日かもしれないし、30年後かもしれない。そして70%ということはほぼ間違いないということだろう。
そのとき交通機関は完全に止まるだろうし、電気や水道というインフラも壊滅するだろう。東京で働いている人、学校で学んでいる人たちで、自宅に帰れない人が650万人もいると見積もられているそうだ。
大変なことである。ひとごとではない。不肖おばQもその中の一人なのである。
もちろん行政も会社も労働組合も心配しているし、対策を考えている。
しかし誰が心配しようと、最後は該当するひとりひとりが覚悟すること、そしてなんとか自力で安全を確保し自宅に帰えることができることが必要条件である。
最近は書店で自力で帰るための心構えや手段を書いた本や、災害時のルートマップなどが売られている。
もちろんなにごともトレーニングが大事である。ダンスを踊るにもスケートをするにも本を読んだだけでできるはずがない。歩いて自宅に帰るにも地図を見ただけではだめだ。
だが、たったひとりで地図を頼りに練習に歩くのはちょっと気が引けるというのが普通だろう。私も実はそんな気が弱い(?)サラリーマンである。しかし神の助けか「2007年首都圏統一帰宅困難者対応訓練」という長ったらしい名前の行事が催されることを知った。
赤信号、みんなで渡れば怖くないというわけではないが、やはりこういったことはみんなでやれば恥ずかしくないし、また支援体制も整っているので安心だ。
ということで早速申し込んだ。

oldwoman.gif家内は私が歩行訓練に参加すると知ると、猛反対である。
「あなた、途中で具合が悪くなったらどうするの?」
「次の日寝込んでしまったら困るでしょう。来週は九州出張って言ってたでしょ」
いかに私が弱っちいと思われているかということだ。
「あなたではなく、私が困るのよ」
私の決意が断固たるものであると知ると「勝手にしなさい」もう円満な夫婦関係の崩壊である。

さて参加するにはどういった服装が良いか? と考えた。
歩きやすい服装とか靴というのは邪道というか、身軽な格好で歩いても意味がない。私はスーツ上下、靴も会社に通勤しているもの、日ごろ持ち歩いているビジネスバッグ、しかもそれには本を数冊入れて普段と同じくらいの重さにした。
私は宮本武蔵と同じく常に戦いに備えているのである・・意味不明

さて日比谷公園に集まると参加者が2000名以上とのこと、埼玉方面、千葉方面、西東京市方面、神奈川方面とそれぞれのご自宅の方向の4つのコースがあり、私は千葉方面である。千葉方面といっても、まさか千葉まで行くわけではなく市川市という千葉県の入り口までの約20キロ強を歩くだけ。
普段は一日4000歩程度しか歩いていない私は若干心配である。
お断りしておくが、私の子供のころは交通機関もなく二里や三里(8〜12キロ)歩くのは普通のことであった。夜明け前に尾瀬にバイクで出かけ尾瀬沼にタッチして家で昼飯を食うなんてこともしていたが、なにせもう30年も運動は何もせず、碁石より重いものを持ったことはない。
まあ、支援体制がしっかりしているから大丈夫だろうし、もうダメポとなれば近くのJRとか地下鉄に乗れば心配ない。
集まった参加者はみなナイキの靴、エコの靴などなどを履いて、着るものもそれなり、中には長距離走の格好の人までいる。
そんな人たちの中では私のようなビジネスの服装をしていると浮いてしまう。しかし、いよいよ私の身支度が実戦的か真価が試されると自信を深めた。 








主催者や東京都の幹部の挨拶が終わると、ミネラルウオターとビスケットをもらって歩き出す。





公園を出るとき、旗指物(はたさしもの)を渡された。これは大役である 
しかし連隊旗とまではいかなくても「風林火山」とか徳川家の旗指物ならアドレナリンが放出されるところだが、「帰宅困難者訓練」と大書してある旗指物ではあまりパットしないではないか。
まあ、旗のデザインも書いてある文句も訓練にはあまり関係はない。がんばって行こう。
さて日比谷公園を出て、銀座通りを歩いて東京駅の八重洲側にきたのが1時間後である。もうがっくりくる。要するに東京駅の西から東に来ただけではないか。出発前には1時間あれば隅田川を通り越し錦糸町あたりに着いていると思っていたのだが・・・

数キロおきに、エイドステーションというものが設置されていて、主催者や地元の方、消防署の方などが歩いている人を支援してくれている。
ありがとうございます。
ところがこのお世話が大サービスである。
水どうですか、非常食食べませんか、ビスケットどうぞ、パンをどうぞ、なめこ汁いかがですか、これをみないただいていたら、歩きとおせるかを心配するより太りすぎを心配しなければならない。
さすがにビールと酒はなかった

ぞろぞろと歩いていると、やがて信号機や休憩などによって行列は長く伸び、隅田川を越える頃には数名ずつのグループになってきた。仲間同士の参加者は話しながら歩いている。私はひとりで参加なので黙々と歩く。
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歩道にいかに邪魔者があるかに気づく。自転車を停めておくなんてかわいいもので、街路樹に店の看板をつけて電線を頭上に通していたり、道路にガムテープで止めていたりそりゃ私物化してひどいものだ。単に私物化はいけないよということではなく、歩くのに邪魔である。頭上の電線にはわが旗指物が引っかかってしょうがない。

仕事でもなんでもそうだが、目標と出来高が見えないと張り合いがなく、ファイトが沸かない。今あなたの歩いているところは全体の25パーセントのところですとか、ゴールまであと16キロとか、標識があると張り合いがあるのだが、そういったものがない。
実際の災害のときにそんなものがあるわけがないだろうといわれるとそうなのだが、どうも目標がビジブルではないと・・・

関東平野は山も坂もなく歩くのは楽だ。せいぜいが川とか線路を越える橋の部分が高くなっている程度である。
小岩まで来ると、鉄筋不足で騒がれている市川市に建築中の高層マンションが見えてくる。あそこから数百メートルでゴールだとなると俄然歩くのが早くなる。ところが意外や意外、空気が澄んでいるわけでもないのだろうが、ビルが見えても実はずっと遠くにある。数キロ以上離れているのだ。
正直、江戸川を過ぎ千葉県に入った頃には足が疲れてきた。私の戦術が良かったのか、はきなれている靴なので豆もできなかったのだが、もう体全体が疲れてきた。
とはいえゴールが近いのはやはり元気が出てきた。
ゴールが見えると駆け足である。よくそんな元気が還暦間近な運動不足男にあったものだと感心する。
ゴールして甘酒をいただいた。体が温まってありがたい。
でもこれから自宅に帰るには市川駅まで2キロ歩いて電車に乗って乗り換えてまた乗り換えてと思っただけでも疲れてしまう。

市川駅について家に電話した。
「おい、風呂を沸かしておいてくれ」
「自分ですれば」
家内は冷たかった。


本日の結論

仮に大地震が起きたなら、まず身の安全を確保したら帰宅を急がないことにしようと思う。平常時、市川まで歩くだけで大変なのがわかった。我が家までこの倍も歩きとおすことはできないと改めて再確認した。
災害時は障害物があってこの数倍の労力を使うだろうし支援者はいない。そして帰ること自体にあまり意味がないのではないだろうか。
災害に巻き込まれた場合、己の五体が大丈夫であるなら自宅に帰るより人を助けることに協力したいと思う。
家内は私より強いので心配はしていない。
主催者、支援者のみなさんありがとうございました。
大変良い体験ができました。


相棒のたぬきからお便りを頂きました(07.11.17)
おひさです〜。忙しすぎて、カキコが出来ない・・・
ところで「帰宅困難者訓練」のニュース、TVでやってました。
ある意味、私も帰宅困難者かもしれません・・・帰りたくない?
相方!
そういうのは帰宅困難者ではなく、帰宅拒否者といいます。
blue moon様からお便りを頂きました(07.11.18)
今時は携帯にもGPSですが,そういうときは当然使えませんよね。
方向音痴の人は…大丈夫でしょうか?
車と距離感はだいぶ違います。
酷い状況の時には安全靴でないと歩けないような気がしますが,履きなれた運動靴などでないと長距離は歩けません。
私は運動靴派です。
運動靴だと楽に歩けます。
5キロは歩いてみたことあります。
平常時で1時間でした。信号を守ってです。
ブルムン姫
それなら普段から運動靴で通勤してないとそのとき役に立ちませんよ
わが師Yosh様からお便りを頂きました(07.11.18)
とうた様、この目的が何か分からぬかつた。
歩く訓練だつたのですか?

仮に大地震が起きたなら、まず身の安全を確保したら帰宅を急がないことにしようと思う。

全く其の通りです。
私なら;
先ず自分が居る所が地震の被害で居ては危険なのか、を知ること。
次に何処に行けば安全なのか、含む被害状況から自宅に帰るのが安全なのか、を知ること。
帰宅迄の途中の被害状況を知りこと。
が必要なのだと思ふのですが。
Yosh師匠 目的は、電車、バス、自家用車が使えないときに自宅に帰ることができるかの訓練です。
歩く訓練ではなく、歩いて帰れるかの訓練です。
とうた様、
歩く訓練ではなく、歩いて帰れるかの訓練です。
交通機関を使用せずにあなたが帰れるか、なのですか?
だけど健脚な人でも途中の道や橋等が破壊されてて通行不能ならば如何することも出来ぬでせう?
如何も分からぬ?
そりゃそうですよね 建物崩壊、道が寸断、橋が落ちたら歩けるわけがない
でも過去の地震の例を見ると、神戸でも安芸でも新潟でも、震源近くは道路だめ、橋だめという状況でしたが、その周辺数十キロは道路よし、橋よしでも電車や水道も電気もだめになりました。
これらはシステムですから、一部箇所がだめになるとシステム全体がダウンしてしまうのです。
たとえば私は電車に乗って通勤していますが、人身事故(飛び込み自殺やホームから誤って落ちたとか)があるとその線路全体がストップするだけでなく、その線路につながる他の線路の電車の運行も乱れます。
電車の連絡、乗り換えを考えて時刻表(ダイヤ)が作られているのでそうなってしまうのです。
まあ、帰宅訓練とは、そういう大崩壊は起きていないけれど、公共交通機関がストップした状況と仮定しているのです。そしてそれは地震で破壊された面積の数十倍になることは間違いありません。
じゃあ、地震でビルが破壊され駅も崩壊した場合というかそんなところにいた時どうするの?となりますが・・・
私の働いているビルは最近できたビルで関東大地震の倍くらいの地震ではなんともないそうです。もちろんビル内の机、棚、OA機器は転倒などで被害が起きるでしょう。
特別な地震を除いて、初期微動がありますからヘルメット(全員に配られている)をかぶり当座をしのぎ、一段落したら非常食とミネラルウオター(これも配られている)を持って様子を見るというくらいでしょうか?
ビルが崩壊したら・・となりますが、そのときはお祈りをして、今までしてきた悪事を反省し、やれなかったことを悔やむ程度しかできません。
人間できることと、できないことがあります。
人生とはそんなものでしょう

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