私のプリンタは安物である。安物でも困らない。カラーで印刷するのは年に一度の年賀状くらい。ふだんはテキスト(文字)しか印字しないので、仕上がりなどどうでも良いので高いものはいらない。
しかし動かないのは困る。日本にはプリンターメーカーは大きいのが二社ある。私はC社は良くて、もう一社のほうはアカンと思っている。というのはその会社の製品を過去に二度購入したがいずれも具合が悪かったし、その後のサービス体制の悪さにも泣かされたから。
と言いつつ、現在のプリンタも悪いと信じている会社の製品である。一年前ヨドバシに買いに行ったら店員に「これが売れてますよ」と大いに勧められたので買ってしまった。私も振りこめ詐欺にあいそうな性格である。
そして三番目の正直はなく、私は三度バカを見たのである。ともかく動きが悪い。印刷が遅いとか音が大きいとかいうことではない。だいたいスイッチがゴムのぐにゃぐにゃなのは気分が悪いだけでなく、ONしたのかしないのかわからない。
しかしそんなことはまだよい。動かないのが一番悪い。
プリントできるまで、スイッチを何度も押したり、リセットするために電源コードを抜いたりさしたりするのは毎度のことである。
それでも動かないことがあり、プリンタを叩くこともある。本当は叩くのではなく叩きつけて壊してしまいたいところだ。
だが我が家は貧乏なのでそんなことをしたら家内に叱られてしまう。
あるとき、動かないプリンタを叩いていたら、たまたま居合わせた息子が「お父さんは古い人だ」という。機械が動かないからと叩くのは古い人なのだそうだ。
これは重大かつ意味深長である。
私が動かない機械を叩くのを論評されたのではなく、私が古い人間であると断定されてしまったのである。
では、本日は機械を叩く人は古い人か否かを考え見たい。
超古いが「プロメテウスクライシス(1976)」という小説がある。制御困難になった原発をどうしようかと右往左往する物語である。最終的に原子炉はメルトダウンしてしまい、そこから放散する放射性物質の雲が近隣の都市に流れて大惨事となる、まさにプロメテウスのクライシスだ。よくあるストーリーだが、チェルノブイリ(1986)やスリーマイル(1979)の事故が起きるよりも早かったのがとりえだろう。
この中で原発が異常となったとき「叩けば直る」という人物に、主人公が「機械は理屈で動かすものだ」という場面がある。
主人公のいうのももっともであるが、私は「叩けば直る」という言葉に共感する。
ホームページのアクセスカウンタのデザインが何を模したのかご存じだろうか?
昔といってもたかだか30年前まではデジタル表示するには、歯車を組み合わせた方法しかなかった。だから数字が変わるときは一瞬にして変わるのではなく、歯車の回転で数字が少しづつ下から上にずれていきました。
そのカウンタをまねているのです。
|
映画「アポロ13」をご存じだろう。月を目指す宇宙船のトラブルを対策するために、地上にあるまったく同じ機器をいじって対策を検討するシーンがある。というよりそういう場面ばかりの映画である。
そのとき映される機器は現在の人が想像するようなものはない。つまり液晶の表示板とか、計器がモニターに表示されるものは一切ない。そこにあるのは目盛り板の上を指針が動くという原始的かつ根源的なものばかりである。
その映像を見て私は若いころに使った計測機器を思い出したのである。
私が若い頃、電気の測定器といわれるものに多種はなかった。電圧を図るのは電圧計、電流を図るのは電流計、自動的に同期しないオシロスコープ、周波数を図るのは周波数カウンタというふうに単能機である。いろいろな機能が複合したものアナライザというようなものはなかった。そして表示機構はほとんどが指針であり、周波数カウンタは小さなランプ中に数字を表示するものだった。そんなことを知っている私は古い人間であることは間違いない。
乱暴な言い方だが、可動コイルだろうが可動鉄片であろうが、指示計器の原理は直流モーターと同じである。ぐるぐると回転するか、少しの角度だけ回転させるかの違いである。そしてモーターはプーリーから回転力を取り出すが、計測器は軸に時計の針のような指針をつけてその回転角度を表示させ、測定者は針が示す目盛りを読み取ったのである。
目盛(メモリ)とはまさに、目印を盛ったものである。
機械的な表示機構にはヒステリシスというのが存在する。ヒステリシスとは、ある値まで上昇したときと、その値まで下降した時の表示に差があることです。たとえば、歯車の組み合わせには必ずガタがあるので、回転方向が変わるとそのガタぶんは表示に差が出るといえばおわかりだろう。そんな機器を使って計測をしていたのです。
一般家庭のラジオだって同じですよ。放送局を選ぶのにつまみを回しますが、このつまみには軸が付いているだけです。この軸にバリコンに固定した糸を滑車をいくつも経由させて数回巻きつけてあったのです。そしてその糸の途中に文字とおりの針がくくりつけてあり、私たちはラジオのキャビネットの窓を通して、その針がメモリのところに来るように調整したのです。もちろんメモリを見るだけでなく音が大きくきれいになるところを探しながら、そしてマジック(マジックアイ)と呼ばれた表示管の緑の線を見ながらでした。
|
そんな言葉も知らない人が多いだろう。私の子供のころはラジオを作れるのが男の子の証明であった。
バリコンとはバリアブルコンデンサのことでLC共振回路の共振周波数を変えるための部品である。
マジックは高いラジオにしか付いていなかった。
いずれも今どきの若者には知る人は少ないだろう。
|
何を書いているのだ? 機械を叩く人は古い人だということと関係ないじゃないか?
とお思いになった方は、勘の鈍い人です。
機械の構造そのものがメカニカル、表示機構がメカニカルの時代には、機械の調子が悪いということは、すり合わせがでていない、オイルがなくて摩擦が異常だ、なにかゴミでも引っかかっているんじゃないか、などなどがその原因だったのです。
だから憎い子供を叩くようではなく、かわいい子供をしつける程度に叩くことによって、機械が心を入れ替えて動くことは多々あったというより、そういうのが常識だったのです。
えっつ! すると私はやはり古い人間だったのでしょうか?
|
でもですよ、これほど技術が進歩して、安い価格で高精度が手に入る時代になったというのに、若者のほうが古いものにあこがれるようです。
知り合いはロレックスがいいなんていって、何十万もする自動巻きで日に十秒狂うなんてものをありがたがっています。私の腕時計は二万円そこそこですが、光発電の電波時計でエネルギー不要で誤差ゼロです。
どっちがいいかよく考えてみよう。
|
本日の反省
tono様からお便りを頂きました(08.01.05)
謹賀新年
今年は元旦から、最下方に併揚された日章旗を目撃し、本年最初の電話がこれに付いての抗議と質問になってしまいました。
本件詳細は拙ブログに記事を揚げておきました。
昨年天長節の半旗といい、どうしてこう「あってはならない物が目に入るのか」と考えますに、「あってはならないことがあっている」からと言う至極単純且つ悲しい現実を思い知らされた訳であります。
さて、佐為さまは「古い人間」だとか。
仰っておられることは、私には至極自然に理解でき、バリコンもボリュームも分かります。
そして、動かない機械は叩きます!
幸いプリンタに関しては、歴代C社を使用しており、過去に一度だけ叩いただけで済んでおります。
そう言えばC社のボスは「経団連」の会長でしたね。関係無いですが前会長より好きです。
本日の反省
負うた子に吾輩が古き人間であることを教えられる
これは、反省でしょうか?
反省ならば、古き人間=悪 になってしまうのでは無いでしょうか?
私も、周りからは古いと言われますが、反省しません(爆)
やはりここは、本日の覚醒! では如何でしょうか?
古き人 良き人なりと 言わせたり
本年が、佐為さま、またご家族様にとりまして佳き年でありますよう祈念致します。
|
tono様 今年もよろしくお願いします。
ここにアクセスされる方々はみな古い人である可能性も捨てられません。
tono様も私もみな古いのかもしれませんよ。
ともあれ、今年も日本を良くするために、ガンバロー
あらま様からお便りを頂きました(08.01.05)
接触不良
以前の電気機器の故障の原因は、接触不良が第一位でした。ですから叩いた衝撃で接点が回復して直ることがよくありました。
昔、小生もラジオを組み立てたことがありましたが、ボリュームをいじるとガリガリ音が鳴りました。これをガリオームなんて呼んで、接点復活のペーストを塗ったりスプレーを吹いたものでした。
また、自動車もよくエンコしたものでした。ボコッと蹴るとエンジンが掛かったりします。あれも、ピストンの位置が上死点で止まったときに、衝撃を与えて上死点からずらしてあげるとエンジンが掛かりやすい・・・なんてことがありました。
根性の曲がった悪ガキも、一発ボコッとやれば、おとなしくなったものでした。
いま、教師が生徒をボコッと殴れば、逆にモンスター・ペアレンツから袋叩きに遭います。なんともギスギスした世の中です。
|
接点復活剤!なつかしいです。ガリオームがでると必需品でした。
電子ボリュームが現れた時、音が悪いとかなんとかいってましたが時代が変わればみな変わる。
自動車のすべてがマニュアルでしたからね。チョークも手動、方向器も道を曲がれば元に戻す。ワイパーも下に来た時にスイッチを止めるのが楽しみ(?)でした。
と昔話を語っていてはやはり古い人間です。
本年の誓い、過去にではなく、未来に生きよう
ひとりごとの目次にもどる