一瞬の話 2008.02.09

一瞬とは瞬(まばたき)一回の極めて短い時間のこと。では本日は一瞬という言葉から一瞬にして3000字の駄文をひねってみせよう。私の文は稚拙ではあるが書くのは、それはもう速いのである。神速なんては言いません、単なる拙速です。細工はないが仕上げをごろうじよ
御覧じる(ごろうじる):見るの尊敬語
一瞬と言えば事故、ほとんどの事故は一瞬のできごとだ。私が事故というものに関わったのは、何度もあるが、幸い大きな事故はなく、おかげで今まで60年間生きてきた。

子供の頃、10歳くらいの時であるが近所の子供たちと遊んでいて、深さ2メートルくらいの堀に頭からまっさかさまに落ちたことがある。 ../boy.gif 落ちた瞬間はウワアと思うだけで危ないも助けても頭に浮かばなかったような気がする。まして声に出すほどの時間はない。
堀に満々と水が流れていればよかったが、その時は数センチほどチョロチョロと流れていただけであった。しかし、幸いなことに底はU字管などでなく泥であった。それでも頭を打って気を失った。数分なのか数秒なのかわからないが、気がつくと周りに仲間が集まって心配そうな顔をしていた。起き上がるとまったく外傷はなかった。
頭を打って頭が悪くなったのか? あるいは良くなったのか? 定かではない。
墜落する前も後も私は劣等生であったので、この事故は運命にも知能にも関係なかったようだ。

私が二十歳、といってももう40年も前、静岡近辺で働いていて、日本平という小高い丘に自転車で遊びに行った。 ../cycle.gif 帰り道の下り坂でブレーキがきかず暴走した。このときは一瞬ではなく長いといっても数秒間なのだろうけど、もう死ぬかと思うだけの時間があった。最後は自転車ごと大回転して地面に叩きつけられた。体が痛くて起き上がることもできず、しばらくその場に倒れていた。遠くで農作業をしていた人がじっとこちらを見ているのがわかった。私が起き上がらなかったら様子を見にこようという風情である。
何分かしてなんとか起き上がることができ、農家の人はまた仕事に戻った。
あのときは体中を打ってあちこちの擦り傷から血が出たが、頭は打たなかったようで、このときも頭は良くも悪くもならなかった。

やはりその頃、荷物を運ぶ手伝いをしていて車の助手席に乗っていたとき、その車が人をはねた。このときは本当に一瞬のことで、人をはねたということさえ私は理解しなかった。何か黒いものが横から出てきて、吹っ飛んだということを感じただけだった。
はねられたのは小学生で幸い怪我は大したことがなく、運転していた会社の先輩も罪にならなかった。
ただ私の受けたショックは大きく、交通事故というのは一瞬のことで避けることなどできないと感じて、その後何年も車を運転する気にならなかった。
私は無免許運転もしたし、そのときは免許も持っていたが、それまで事故を起こすとか事故にあうなど考えたこともなかった。
その後、再び車に乗るようになったのは、結婚して子供が生まれてからのことである。なにしろ田舎であるから、子供が急病になったらマイカーがないと医者に行くこともできない。

30歳くらいの時、家内と子供を乗せて田舎の畑の中の直線道路を走っていたとき、左の脇道を車が来た。運転している若い女性が助手席のやはり若い女性と顔を見合わせて、おしゃべりをしている。あれはこちらに気がつかず、止まらないで出てくるだろうと予想したことを覚えている。案の定、その車は一時停止をせずに出てきて、私の車に横からぶつかった。お互いのスピードが遅かったので、私の車のドアがへこんで開かなくなった程度で、お互いに怪我はなかった。
このときは、アッツという一瞬の事故ではなく、数秒間かあるいは実際はもっと短く1秒くらいだったのか、危ないと考えるヒマがあった。
なぜ私はその車を見て急ブレーキをかけなかったのか今でも覚えている。当時、シートベルト着用義務は運転手だけで、家内も二三歳だった娘もシートベルトをしていなかった。だから急ブレーキをかけると二人がフロントガラスにぶつかってより危ないと思ったからだ。もっともそう頭に浮かんだのであて、考えたのではなかった。
ただ「ああ!ぶつかるぞう」と家内に言ったような気がする。

10年ほど前、田舎に住んでいた時、我が家からバス停までの道ばたにラーメン屋があった。たいして美味くもなく近所の人が食べるでもなく、通りすがりの人が車を停めて食べる程度の店だった。
朝その前を通って会社に出かけ、帰ってくるとなんだか店の雰囲気が違う。自宅に着くと家内が「知ってる?」という。知ってるって聞かれても何のことかわからない。
「あのラーメン屋のご主人が、店の前でひかれて死んじゃったのよ」という。しかもひどいことにラーメン屋の奥さんが夫がひかれるのを見ていたという。奥さんのショックは大変なものだったろう。もう想像しただけで同情してしまう。
いつのことかと聞くと、私が朝バス停まで歩いて行ったその直後らしい。挨拶する中でもないが、朝出勤時にラーメン屋のオヤジが店の前に立っているのを見た。その数分後に死んだのかと思うとなにか不思議な感じがした。
もっとも、見方を変えれば私が死んでも、その親父はあのとき見かけた勤め人がバスの事故で死んだのか?と考えてたわけで、これはお互い様か?

一瞬のできごとで怪我をしたり死んだりするのも大変だが、ある程度の時間 間違いなく事故になる、あるいはひどい目にあうということが分かっている場合は、そのあいだ、よりつらいというかショックが大きいのではないか。
高校時代のことである。私の同級生がスケートにいって転んだ人の指の上をほかの人のスケート靴が通り過ぎて指を切ったのを見たという。
私は話を聞いただけで背中がざわざわするが、指が切断された手を見たらよりショックを受けるだろう、さらに同級生はその一部始終の何秒かを見ていたのだから、受けたショックはひどいものだったろう。
その話を聞いてから、私はスケートをするときは必ず手袋をするようになった。効果があるのかないのかはわからないが、手袋をしていればだいぶ違うだろうと思ったから。

最近、日本では死刑執行が多い。特に鳩山法相になってから死刑執行が多くて論議を呼んでいる。死刑判決が出るたびに、アムネスティをはじめとする死刑反対の団体が大騒ぎし、死刑執行されるとまた騒ぐ。そんなことをするより、殺人事件が起きたとき大騒ぎをしてほしいと思う。さらに言えば殺人事件など起きない社会をつくるよう運動してほしい。
死刑の是非はおいといて、08年2月1日に死刑執行された死刑囚は三人、婦女暴行殺人の持田孝は死刑判決から死刑執行まで3年4月、二人殺した松原正彦は10年10月、やはり二人殺した名古圭志は3年6月であった。
死刑が決まってすぐに執行ならともかく、死刑執行までの時間が長いのはその間の苦痛も長くいっそうひどい罰かなと思う。
その間、毎日毎日、今日か今日かと考えると気が狂ってしまうかもしれない。もちろん人さまの命を奪ったのだからそれこそが罰といえば罰なのだが、命をもって償う以上に罰を与えることもないと思う。
日本には死刑囚が105名いるそうです。(08.02.1時点)そして、死刑判決を受けてから執行されるまでの平均期間は7年5月だそうです。(読売新聞06.10.26)
その間、毎日毎日今日か今日かと考えていると、大変辛いでしょう。どうせならひと思いになんて発想するのでしょうか? それとも1秒でも1分でも生きたいと思うのでしょうか?
2700回も日が昇るのを見ていると、当然2701回目も日が昇ると思うのでしょうか?

でも、これは囚人の立場での考え方で、被害者の家族からみたらまた違うだろう。
家族や親しい人が殺されれば、その心の傷、経済的な苦しみは一瞬どころか一生まとわりつく。死刑囚以上に苦しんでいるのは間違いない。


本日の言い訳
これを書いたのは、家内のお茶飲まない〜という茶々を受けながら約1時間でした。
瞬きするよりは長いなんて言わないでくださいな、それときっかり3000字です。
../pen.gif すごい才能でしょう?
最近ある研修を受けにいきましたところ、最後に小論文の課題がありました。講師におおむね3000字書けと言われて、多くの受講者は「エーッ」という声を出しました。私にとって、3000字とはちょちょいのちょい、でもキーボードを叩くのとシャープで書くのは大違いで、手が疲れました。


ある高校生様からお便りを頂きました(08.02.09)
人の死
人は、皆死ぬことを知っています。ただ、いつ死ぬか分からない。だから今を精いっぱいに生きるのだと思います。でもこれが、いついつ、どんな風にしてあなたは死ぬよ、と知らされていたら、おそらく人の全てが死刑囚となってしまい、さい様の書かれたような罰を受けるのでしょう。こうみると、人が知らないでいると言うことと、努力、興味、はたまた活力などと言ったものとの関係は、深いものがあるなあとしみじみ感じます。
ひとが持っていない能力で、これほどひとが追い求め、なおかつ得てしまえばこれほど残酷な能力も無いと私が思うのは、予知の能力です。その能力を得たなら、例え自分のことだけに限ったものだったとしても、それはとても残酷なことになる。人は皆、何かしらの行為をせねば生きてゆけず、それには必ず善悪入り混じるはずです。その自分の所業を、もしも死ぬまでの間だったとしても、全て知りえたとしたら、自分は生きる気力を失います。
何が起こるか分からない、これからどうにでも変えられる、自分が自分の全てを創造することができる。思い込みだったとしても、このような未定の未来を予想できるからこそ、人間は生きられるのだと思います。既定、確定、不変。それは確かに美しくて、甘美で、透明で、外見には何とも魅力的なものでしょう。しかし自分は、それがガラス玉の美しさに見えて仕方がありません。
また良くわからない文章ですいません。ただ、人は確定した未来には希望を持てないと言う事だけ言いたかったのです。だからこそ、過去を永久に反省し続けて盲目に従属せねばならないと言う立場の人とは、私は馬が合いません。誇りのために、不定を叫びます。
ある高校生様、まさしくおっしゃるとおりです。
結果を知りたいけど知らない方が幸せと感じることは多々あります。
ギリシア神話のカサンドラは神から予知能力を与えられますが、同時に誰も信じないという付録も付けられます。世の中そうでなくちゃ話になりませんものね。
会社でもものすごい企画を立てる人、天才的才能のある人は尊敬されても煙たがられ、凡才でもネゴのうまい人が出世すると昔から決まっているようです。
おっと話がそれました。私がいつ死ぬか知りたくありません。ガンになったら絶対に言わないでほしいと家内にお願いしてあります。だから死ぬときまで知らぬが仏でニコニコしていられると思います。
あらま様からお便りを頂きました(08.02.10)
瞬間死
佐為さま あらまです
「死刑」というと「帝銀事件」の平沢貞通さんを思い出します。
もう、ずいぶん前に 95歳で獄中死したそうですが、ヒドイ話ですね。
関係者は、現在も名誉の回復のための再審請求をしているようです。
なにしろ、「冤罪」という可能性もあるので、なかなか執行できない事情があったのでしょうか。
さて、先日、テレビで『デス・ノート』という映画を放映していました。なんでも、そのノートに「名前」と「死に方」とを書くと、その通りになるんだそうです。
それを観た家内は、「デス・ノート」があったら、あなたの名前と「安楽死」って書いてあげるねっ・・・・てっ ! !
家内の最大の愛情に感謝したいと思います。
あらま様 毎度ありがとうございます。
私なら「不死」と書いてほしいなあ

木下様からお便りを頂きました(08.02.11)
つっこみ
私なら「不死」と書いてほしいなあ

「不老」とか「無病」をつけないと酷い目に遭いますよ。
木下様 毎度ありがとうございます。
実は私、デスノートって知らないのです。
不死だけではどうなるのでしょうか

ある高校生様からお便りを頂きました(08.02.11)
木下さんの投稿について
どうも安心してしまっているようです。二次前の最後の書き込みにします。
デスノートとはもとは悪魔が持っていたもので、悪魔が殺したい人間をそこに書く、悪魔道具なのです。
それを「善の死」に使い始めた辺りから話がおかしくなってゆくと言うお話で、デスノートに幸福を求めてはならないのが本来の形です。
で、さい様、さい様と言う「人間の不死」だけだと実際大変なことになりますよ。
まず、八〇歳超えた辺りから周りの知人みんなに先立たれます。彼らをしり目に生き続けなければなりません。
人間一五〇歳を過ぎればもう体は縮んで動かなくなり、関節の潤滑油は無くなって体中の関節がくっつき、皮膚はバリバリになってやぶけ始め、途方もない痛みに苛まれるでしょう。不死だけではこの状態でも生きなくてはなりません。
そのまま動かない地蔵で四〇〇〇年生きたとしたら、今度は生きている間常に死に続けている脳細胞が無くなります。脳味噌が消滅してしまうのです。この状態でも生き延びないといけません。
そして一万年後・・・およそ残っているのは何でしょうね・・・皮膚のかけらくらいでしょうか。それでも生きていると言い張らなければなりませんね・・・私は不死だけの生活は想像できません。
だから木下様のおっしゃるように無病、不老、飽食、不死、と様々に条件を付け加えねば大変なことになるでしょう・・・。
ある高校生様 ご教示ありがとうございます。
なるほど、デスノートの威力はすごいのですね!
しかし、おっしゃることを考えると、私はまだ死にたくはありませんが、普通の人の寿命まで生きればよいように思います。
だって妻が死に、友人が死に、子供が死に、孫が死に、子子孫孫より長生きしてもあまり面白そうではありません。
フレドリックブラウンの小説に3000世代くらい生きる人の物語がありますが、ちょっと私の神経ではもちそうありません。

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