最近、殺人事件が多いように感じる。もちろん多い少ないという感じは「マスコミで報道される/されない」によって受けるイメージが異なるのでなんともいえない。
| 年度 | 殺人件数 | 
| 昭和34年 | 2683 | 
| 昭和35年 | 2648 | 
| 昭和36年 | 2719 | 
| 昭和37年 | 2348 | 
| 昭和38年 | 2283 | 
| 昭和39年 | 2366 | 
| 昭和40年 | 2288 | 
| 昭和41年 | 2198 | 
| 昭和42年 | 2111 | 
| 昭和43年 | 2195 | 
| 昭和44年 | 2098 | 
| 昭和45年 | 1986 | 
| 昭和46年 | 1941 | 
| 昭和47年 | 2060 | 
| 昭和48年 | 2048 | 
| 昭和49年 | 1912 | 
| 昭和50年 | 2098 | 
| 昭和51年 | 2111 | 
| 昭和52年 | 2031 | 
| 昭和53年 | 1862 | 
| 昭和54年 | 1853 | 
| 昭和55年 | 1684 | 
| 昭和56年 | 1756 | 
| 昭和57年 | 1764 | 
| 昭和58年 | 1745 | 
| 昭和59年 | 1762 | 
| 昭和60年 | 1780 | 
| 昭和61年 | 1679 | 
| 昭和62年 | 1584 | 
| 昭和63年 | 1441 | 
| 平成元年 | 1308 | 
| 平成2年 | 1238 | 
| 平成3年 | 1215 | 
| 平成4年 | 1227 | 
| 平成5年 | 1233 | 
| 平成6年 | 1279 | 
| 平成7年 | 1281 | 
| 平成8年 | 1218 | 
| 平成9年 | 1282 | 
| 平成10年 | 1388 | 
| 平成11年 | 1265 | 
| 平成12年 | 1391 | 
| 平成13年 | 1340 | 
| 平成14年 | 1396 | 
| 平成15年 | 1452 | 
| 平成16年 | 1419 | 
| 平成17年 | 1392 | 
| 平成18年 | 1309 | 
| 平成19年 | 1199 | 
統計データによると、殺人事件の件数は増えてはいない。過去半世紀の傾向を見るとむしろ減少している。
http://www.npa.go.jp/toukei/seianki4/20070521.pdf
しかし凶悪事件が増えているのは確かなような気がする。
私が子供の頃、バラバラ事件なんていったら、実際に起きるなんて信じられないことだった。人を殺すのはとんでもない悪であるし、しかも被害者を切り刻んでしまうなんて想像もつかない。紙芝居のお話よりも、お岩さんよりも怖いことだ。もちろん子供向けのお話には殺人事件はあってもバラバラ事件などなかったと思う。
「金田一少年」というマンガがある。絵はきれいだし正義の味方の物語ではあるが、出てくる事件は殺人また殺人、あげくにはバラバラ事件ととても子供に勧められるものではない。
現実社会で殺人事件が起きれば当然犯人がいて、やがて逮捕され裁判となる。事件が人々の間で話題になれば、その裁判も詳しく報道されることになる。
私は感情的であまり深く考えない。はっきり言って思慮深い人間ではない。
だから強盗殺人などの凶悪犯は死刑で良いと思っている。裁判の過程で弁護士が加害者の生い立ちとか被害者との関係などを並べ立て、犯罪を正当化し、無罪とはいかなくても情状酌量ってのを引き出そうと画策するのを見るとムカムカする。
最近は神のお告げとか、死者を犯せば死んだ被害者が復活するなんて新しい教義を被告人に教え込んだりする弁護士もいる。まったくあきれるほかない。いったい裁判とか社会正義を何と考えているのだろう。
もちろん私の考えが正しいとは言うつもりはないが、かような弁護士の論が一般社会通念とは大きく異なることは間違いない。
そういうのは好かないが、同時に被害者側が「犯人に反省が見えない」とか「謝罪の言葉を聞きたい」なんてことを語るのを聞くと、それにもまた釈然としない。
はたして裁判において、いや裁判の法廷で表明しなくても、犯人が罪を犯したことを反省したことを、被害者にお詫びの意を外部に示すことにいかなる意味があろうか?
道徳的な罪なら意味があるだろうが、刑法上の罪に対して謝罪という意味はまったくないと考える。
さらに言えば、現在の科学では人の心の中は読めないし、犯罪者であろうと心の中で思うことを制約されるはずがない。
言葉の上で謝罪をしようと犯人の心の中では逮捕されたのは運が悪かったと思っているかも知れない。そして既に殺人を犯した以上、悪いことをしましたと言ったところで被害者が生き帰るわけではない。
それは傷害致死であろうと交通事故であろうと同じだ。
だから私は情状酌量という発想が理解できない。同時に犯人に対して謝罪などを求める意味も理解できない。
そして犯人側だって本心からであろうと、表面つらだけだって謝罪する必要はない。いやそれどころか、してほしくない。
だって、悪人が最後の最後に悔い改めて、たとえ死刑になっても、天国とか極楽に行ってしまっては、私としては満足しない。悪人は悪人のまま、地獄に行くべきだと信じる。
本当に悪いことをしようと石川五右衛門のように、堂々と悪びれずに処刑されるべきではないのか?
そして、私は考えるのだが、犯人が刑罰に服することが謝罪そのものではないのか?
刑を受けることが社会的な罪を償うことなのだから、それ以外に人情とか心情を持ち込むのはルール違反でもある。
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そんなことを考えていると、日本人の謝罪と中国の謝罪の違いにも思いいたる。日本人は悪うございましたと言えば、相手はそれ以上責めないという約束事の上で謝罪をする。これが中国の謝罪となると、私が悪うございましたと言えば、相手はおまえは自分が悪いと認めたのだからと奴隷扱いするという違いがある。
 同文同種とか漢字を使っているからという、安易な発想では付き合いできるわけがない。
 日本語とたまたま漢語で同じ語句があっても、それはまったく別の言葉であり別の意味があるという前提で考えないと話が合わない。
 「私は日本語で謝罪するが、中国語の謝罪ではない」と言わないと、日本は中国の属国になってしまうのだ。
 
 谷村新司が次のように語っていると報じられた。(sankeiweb 2005年4月)
 「過去の戦争についても、日本人は「何度謝ればいいのか」といいますが、何度でも謝ればいいのです。相手が「もういいでしょう」といっても、誇りを持って謝罪を続けることが世界から尊敬されることになります。日本人の美徳は礼節、まず礼を尽くすことでしょう。」
 日本人がこのような考えをすることは中国人は大喜びでしょうね。
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もう30年も前のことだ。私が当時働いていた職場の人が交通事故にあった。しばらく入院した後に職場復帰した。特段、後遺症はなかった。しかしその方は「相手に誠意が見えない」との理由でずっと示談に応じないでいた。聞くと病院に入院していた時、お見舞いに来たのが二三度だったのが気に入らないという。加害者は遠く他の県の方で、ちょくちょく見舞いに来れるわけはない。サラリーマンであるから働かなくては食べていけない。そんなに何度も何度もお見舞いに来ていたら、慰謝料を払うにも払えないだろうに・・・と私はその被害者の言葉を聞いて、加害者に同情してしまった。
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免許の書き換え時の講習で、交通事故を起こしたときは刑事上の罰、民事上の賠償、行政の処分を受けますよと習った。しかし、更に良心の謝罪を要求されるのだろうか?果たしてそのようなことが実行可能なのか・・・疑問である。
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 保険金
 死亡退職金
 年金
 +★★慰謝料
 まる儲け
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私は家内に、もし私が交通事故にあって死んだら、加害者を責めてはいけないよといつも語っている。もちろん慰謝料は最大限に要求するのだよというのも忘れない。
私は、誠意を見せるというのはちゃんと慰謝料を払ってくれることだと思う。それ以上言葉とか形を求めるのはおかしい。
もっとも家内は私がそう言うと「フン」と応えるだけだ。たぶん、家内の頭の中で私の保険料、退職金、年金、そして慰謝料をチンジャラジャラと計算して、私が早いところ交通事故などで死んでくれた方が、私が今後ボケたりしても困ることもないし、これから20年飯を作らずに済むという結論を出しているのかもしれない。
ナンマイダブナンマイダブ 

木下様からお便りを頂きました(08.05.20)
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う〜ん他人のことは分かりませんが、私は謝って欲しいですね。といっても私が受けたのは嫌がらせ以上イジメ未満のことですので、殺人の被害者の怒り・悲しみ等とは重みが違うかもしれません。
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木下様 ご無沙汰しておりました。お元気ですか?
もちろん、このようなものごとに正解とかあるわけがありません。
人により、思想により、いろいろな意見や見解があってしかるべきです。
ただ私はそう思ったというだけです。
ときどきメールをくださいね
SLEEP様からお便りを頂きました(08.05.20)
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謝罪かあ 
自分にとっての凶悪事件といえばコンクリ殺人ですよね、なんでこれで出所できるのか、自分が親なら・・・とか。昭和63〜64年の事件です。
http://pine.zero.ad.jp/~zac81405/concrete.htm 
谷村新司さんはウブなんですね、中朝人は心底日本人が嫌いですから何度謝っても同じです。この点で欧米人とは全然違うんですが「近いから」というだけで話せばわかると思うんでしょう。 
私も何回か交通事故を起こしてますが、今の交通ルールではどうしても起きるんですね。牢獄に入れ反省を促すのは飲酒や明らかに危険な運転にとどめるべきです。それでも頭を下げて舌を出しと言うのは自由の国では仕方がありませんから、それがいやなら思想改造キャンプがギロチンですね。
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SLEEP様 実を言いまして、私はこの事件を忘れていました。
そうです、ひどい事件があったものです。少女を閉じ込めていた家の家族、特に父親は何を考えていたんでしょうかね?
その親父も20歳年を取って今もいるのでしょうか?
もう謝罪とか反省という範疇ではなく、全員殲滅というしかありません。
私の息子、娘がそんな悪逆非道にならなかったことに感謝します。
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