情報化社会 2008.08.17

現代は情報化社会だなんてだれでも言う。では情報化社会って何だろう?
Wikipediaによると情報化社会とは「情報を扱う諸活動が顕著であることを特徴とする社会のこと。最近は、情報の流通により、情報社会と呼ばれている。」とのことである。
現代は本当に情報化社会なのだろうか? 私は何にでも疑問を持つ。ウィキペディアのいうように情報化社会とは情報を扱う諸活動が顕著なら現代の日本国民は情報を十分に手に入れて、それを使いこなして判断し、行動しているのだろうか?
どうも、そうではないようだ。
ちょっと待ってくれ  簡単に情報とか情報化社会といっては困ります。そもそも情報ってなんだろう?
情報化社会というなら、その前に情報とは何かはっきりさせなくてはならない。

情報って言葉は品質管理や情報処理などではJIS規格などで明確に定義されている。
一例をあげると【情報】とは「事実、事象、事物、過程、着想などの対象物に関して知りえたことであって、概念を含み、一定の文脈中で意味を持つもの」であり、【データ】とは「情報の表現であって、伝達、解釈又は処理に適するように形式化され、再度情報として解釈できるもの」である。(JISX0001:1994)
国語辞典を引いても【情報】とは「ある物事の内容や事情についての知らせ、文字、数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され受け手に状況に対する知識や適切な判断を生じさせるもの」であり、【データ】とは「物事の推論の基礎となる事実、また参考となる資料、情報」である。(大辞泉)
簡単に言えば、【データ】とは事象とか状況を表す生の材料であり、【情報】とはそのなかの意味のあるデータである。
このようにデータの一部が情報であるということになるが、客観的に誰が見ても重要なデータが情報になるのではなく、受け手にとって役に立つデータが情報となる。例えば株価のデータはデイトレーダーにとってはお金につながる情報であるが私にとっては意味がなく、アイドルの朝帰りはファンにとってはチョー重大情報であるが私にとっては意味がない。そしてISOの動向は私にとっては面白い情報であるが、デイトレーダーにとってもアイドルの追っかけにとっても意味がないだろう。そして株価のデータも時期遅れであればデイトレーダーにとっても情報ではない。つまり受け手によって役に立つデータのみが情報たりえる。

このような情報という言葉の意味から考えると、現代はデータが豊富に扱いきれないほどあふれているが、実は情報はそれほど多くはないのではないだろうか?
いや、本当は私たちが必要とする情報は非常に少ないのではないだろうか?と思う。政治や社会的事件に関しての情報は報道規制あるいは非常に偏向されたことのみが伝えられているのではないだろうか?と私は考える。
嘘 ウソ ウソ ウソ ウソ

uso USO ウソ ウソ 嘘

うそ ウソ ウソ 嘘 うそ

ほら USO ウソ うそ
● ● ● ●

例えば日本に星の数ほどあるテレビ放送局は朝から深夜までニュース、バラエティ、歌謡番組、ドラマ、芸能界、スポーツその他ありとあらゆることの電波を発している。そのデータ量はビットとかバイトなんていう単位では表せないほどのボリュームであることは間違いないが、その中に情報はいかほどあるのだろうか?
暇つぶしの意味のないデータを取り除き、うそ800を取り除き、偏った報道を取り除くと・・・まっとうなデータは非常に乏しく、そこから得られる情報など本当に微々たるものではないだろうか?
テレビなんて情報化社会を担うものではなく、いくらテレビを見ても暮らしに役立つ情報など得られない、と言っては間違いだろうか?
2ちゃんねるではうそを語ることをデンパというが、テレビの電波はまさにデンパである。 
もちろん娯楽としてテレビの役割は大きい。しかし水戸黄門を見ても昼メロを見ても情報といえるものを得られないだろうと思う。ましてやモーニング○○とかお昼の○○なんてのを見ても、そこで話されることはスポンサーの意向とディレクターの主義主張によって偏っており、見てためになる情報はほとんどゼロに近い。
ああいったところで語られる政治とか犯罪についてのコメントの過半はおかしいと思わなければあなたがおかしいよ。
私はテレビを見ない。だから公平性が保たれているのではないだろうか? 

○○新聞

嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 
嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 
嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 

嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 
嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 
嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 

嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 
嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 
嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 
新聞なら大丈夫か?
新聞社によって主義主張は明白であり、同じことを伝えても好意的、批判的となっていることはご存じのとおり。だから伝える事実を正確に読むには複数の新聞を読み比べることが必要だ。もっとも今はインターネットがあるのでお金をかけないでも複数の新聞の社説や事件の報道を見ることはできる。だが、投稿欄やカラムの一部はインターネットに載せていないので注意が必要だ。
ところで主義主張に関わらないことで私がゼッタイ変だと思うことがある。例えば経済効果というものだ。最近のものでは北京オリンピックの日本国内の経済効果は3450億円だという。あなたはそれを読んで「そうか!やはりオリンピックはすごいんだ」と素直に驚くだろうか?
オリンピックの経済効果とは観戦するために大画面テレビを買ったり、家でビールを飲みながら観たりすることによりビールやおつまみが売れることを予測して計算するそうだ。
それを聞いて「なことねーだろう」と私は思った。
確かにオリンピックを機に大画面テレビを買う人もいるかもしれない。でもそうすると子供をディズニーランドに連れていくのを止めたかもしれない。家でビールを飲みながら観戦する代わりに居酒屋で同僚とビールを飲むのを止めたかもしれない。財布はひとつ、可処分金額は変わるはずがないのでオリンピックによる経済効果はゼロであり、単に使途を変えたに過ぎないのではないだろうか?
もっともオリンピックボーナスを出した会社があれば別だ。
大画面テレビが大当たりした電器メーカーはボーナスが増えるかもしれないが、そのお金が元々行くべきだったガソリンスタンドや行楽地では冬のボーナスが減るかもしれない。
同じことで野球のチームが優勝すると経済効果が・・・なんてのも眉唾だと思う。だってある球団が優勝すれば二位以下のチームのフランチャイズでは景気低迷することになる。

インターネットなら大丈夫か?
インターネットは玉石混交であることは間違いない。このウェブサイトに書いていることもうそ800かもしれない。
しかし、テレビや新聞のようなマスコミと違う点はひとつある。それは「私が絶対に正しい」なんて語るホームページなどなく、掲示板においてはいかなる権威も初心者も平等であることだ。
情報発信において絶対の民主主義が成り立っていることは間違いない。絶対といっては言いすぎかもしれないが、マスゴミよりははるかに客観性、公正性があることは間違いない。
インターネットは便所の落書きなんて軽蔑する人(あるいはマスコミ)がいるが、実際はマスコミ以上にニュースソースは検証されているのがインターネットの実態である。
新聞ならねつ造報道をしようと、うそを書こうとほおっかむりだが、インターネットでは信用されない。
素晴らしいことではないか!

まあ、ちょっと考えただけでも、現代は決して情報化社会ではない
単なるデータ、ねつ造されたデータ、偏ったデータ、意味のないデータがあふれ乱れているに過ぎない。
データの海から情報を拾い出すことは簡単ではない。我々はデータの海に溺れずに泳いでいける情報処理能力を持たなければならない。
そのためには、いくつものニュースソースを見る習慣、一つのデータだけでなく過去との比較検討、あきらかにおかしいデータを排除できる論理的な考え必要だ。
そうしないと情報化社会という美名のうちに、だまされ搾取され社会的に落後してしまう。


本日の結論

現代は情報化社会ではありません。
意味のないデータがあふれているデータ洪水社会にすぎません。


ついでに言えば
個人情報保護というが、本当は個人データ保護ではないのだろうか?



あらま様からお便りを頂きました(08.08.17)
情報と因縁
佐為さま あらまです
その人に「関心」があるものが、情報でありデータである。
同意します。
小生もデイトレードには関心がありませんが、大学生らが先物取引で巨万の富を得ていると聞くと、心穏やかではありません。
さて、そうした情報とかデータには「関心」のほかに「縁」という要素もあると思います。
つまり、儲けたいと思っていても、なかなかそうした情報にありつけないことがあると思います。
つまり、宝くじに当たるような感じですね。
「関心」があっても、「縁」がなければ、その情報とかデータにたどり着けないと思います。
星の数より多いというホームページやブログ。そのなかで、佐為さまと情報交換できるのも、何かの縁かと・・・。。。

あらま様 毎度ありがとうございます。
「縁」ではなく「円」ではないかと・・・
最近知り合った若い人が自宅でデイトレードがお仕事なんだそうです。儲かりますか?と聞くと「そんなでもない」とのことでしたが、はたしていかがなものなのでしょうか?
破産などしないことを祈ります。
ところで、私は毎回ジャンボを買うのですが、今回も40枚がパーでありました。
宝くじの神様は私を見放したか

のんきなとうさん様からお便りを頂きました(08.08.18)
情報化社会
オバQ様、夥しい情報が押し寄せてきますね。
中でも毎日浴びているでっかい情報は次の二つに大別できます。
?「これを購入しますともっともっと楽しく満足できますよ。」
?「これを購入しますともっともっと不安が軽減しますよ。」
この悪魔の誘惑に負け、私も散々お金を使ってきました。
しかし、今は、老後の生活にも備え、アリさん生活です。
生命保険、医療保険、癌保険は解約しました。
新聞の定期購読も解約しました。
雑誌の新規定期購読はしません。
基本的に本や雑誌は購入しません。
我が家に携帯電話、車はありません。
クーラーは使わない。夏はシャワー。
ここ十数年、旅行、新幹線、飛行機には縁がなし。
十年前購入した自宅マンションには、前居住者のボロいカーテンが未だにぶら下がっている。
ケーブルテレビも解約した。
おそらく我が家は二酸化炭素の排出で、優等生の部類に入るでしょう。
排出権というものが個々の家庭にも与えられるものなら、ちょっとした資産がたまったかも知れない。
あふれる情報から身を護るにはお金を使わないことも一手段ですね。
私は、情報はインターネットから選別します。

のんきなとうさん様 毎度ありがとうございます。
のんきなとうさん様が家族割の二酸化炭素排出権取引でホットエアを売って大儲けすることをお祈りしております。 私たちはもう十二分に豊かになったのだと思います。
おっしゃるように保険をかけない、雑誌を購読しない、携帯電話がない、車がない・・・とおっしゃっても、それは私たちの20年前とか30年前の暮らしレベルということです。
21世紀だから「すごいだろう!」といえますが、1970年でしたら周りの人もみな同じで口にするのもおかしなことです。
そういう見方をすれば人間の欲がすべての根源なのでしょう。もっとも破滅の始まりは21世紀でもなく産業革命でもなく、サルが火を使うことを覚えた時が破滅へのスタートラインなのでしょう。
まさに、2001年宇宙の旅であります。


変換ミス様からお便りを頂きました(08.09.17)
変換ミスについて
情報化社会 2008.08.17
〜、【データ】とは「情報の表現であって、デンタル、解釈又は処理に適するように形式化され、再度情報として解釈できるもの」である。(JISX0001:1994)
の、「デンタル」は「伝達」の変換ミスのようです。

変換ミス様 ご教示ありがとうございます。
修正いたしました。


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