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中学の英語の先生で一番英語がうまかったのは進駐軍の通訳をしていた人だった。
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試験の点数を取る勉強法という要領だけは身につくだろうが・・ ![]() |
妙にアメリカナイズされた(英語ができるわけでもないくせに)父のせいで、アメリカ人のような名前までつけられてしまった私は、多くの中学生が患ってしまう英語アレルギーにもならずラッキーであった。 すんなりと英語が頭になじみ、テストでの得点源となり、受験のときも英語という科目が柱になり、なんとか希望の職に就けた。 ![]() 大学では海外の論文を読まないと卒業できない(?)事態に陥り、辞書を引きながらだが専門用語の羅列された、おおよそ日常会話には関係ない英文を読むことはできたが。 そして今、父をぎゃふんと言わせたいと受け始めたTOEIC。 (実際、言ったのかは不明だが、多分、言ったはず?) 一応、外資系企業に応募できるスコアをクリアはしたが・・・・仕事場では、なぜか私しか英語が分からない、ということになっており、外国の方がいらしたときの係りにさせられてしまう。 しかし、聞かなければならない事を聞き、伝えなければならない事を伝え、少しの世間話をするのがやっとというところである。 海外旅行に行った際には、だまされては不味い!と、タクシーの運転手と交渉したりする場合には、(多分でたらめな)英語が出てくるには出て来る。 ただ、それは、相手も必死でこっちも必死、という状況だからこそ成り立つコミュニケーションであり、たとえば友達同士のフランクな会話とか、映画のなかでのスラングを理解して笑える、というのは、はるかレベルの違う話である。 なぜ日本人の英語のレベルが上がらないのか? それはやっぱり使って磨くチャンスが無いから、に他ならない。 なぜ夫は英語を覚えようとしないのか? 私が話せると思って、自分は話す必要がない、と考えているからである!! 確かに必要の無いことは学んでもテストが終われば忘れてしまいがち。 死ぬ気で勉強した国家試験も、合格し仕事をしていくうちに、日常使わない知識以外は忘れているので、時々、新卒の子に「あれはどうだったっけ?」と聞くこともままある。 『必要ないことは分かんなくてもいいじゃん』と割り切ってしまえば、英語なんて勉強する必要ないという考えも否定はしない。 しかし、英語を言語として、生きるためのツールとして以外にも履歴書に書き、出世を有利にするといった使い方があるのも事実。 それを狙いにして、英文法やムズカシイ単語を暗記してTOEICでいいスコアをとるのも別に間違ったことじゃない。 (実際、英語コミュニケーション能力が高いんだということで採用されてしまった後、どうなるかは知らんけど) 父はヨン様を字幕なしで理解したいという動機では、韓国語はできるようにならない、というが、それはそれでいいんじゃないか? 私はジョニーデップのインタビューや、ヒューグラントのオチャメさを、英語のまま理解できる自分に感動する。 (細かい話だが、私の好きな俳優や映画や小説はイギリスのものが多く、学校で習ってきた英語と違うので苦労しているが)何も日本語と同じように外国語を使うとか学問としてでなく、趣味としてやるのならば、素敵なことじゃなかろうか。 いまや、情報は即時的で、国境も無い。 逆に言えば、自分が興味がある情報を仕入れたいとき、英語が分かると、日本語だけに限るよりもたくさんのことを知ることができるのだ! 私は、遠い国にいるイケメンが今、何をしてるか知りたいので、日々、英語を読んでいる。聞いている。 そして、podcastやU−tube、ウエブはタダ。 英語を学ぶのに実は、お金なんて一円も要らない。 アマゾンなら洋書も格安!いい世の中になった。 |
いやあ、娘が書き込んでくれたのは何年振りだろうか? というのは大げさだが一年ぶりくらいであるのは間違いない。 私の駄文はパロディというか逆説であって、本音は英語なんて勉強するなら日本語を勉強しろよということである。 今の若者が語っている日本語を英語で話せたとして、およそ意味がない。 「・・・きれい」 「・・・すれば」 「チョーカワイイ」 そんなことを日本語で言っても英語で言っても価値があるとは思えない。 言い方を変えれば、仕事でまっとうな日本語を話せない者が英語で同じことを語っても価値がないのである。情報として価値のあること、語るべきものを持っている人なら日本語であろうと価値があるのだ。 英語を使えるということに価値があるわけではなく、価値があることを話せることに価値があるのだ。 娘が語るのと私の語るのはすれ違いなのは30年いつもそうだった ![]() |
小学校の英語教育 「英語の達人」として、「ジョン万次郎」や「ヘレンケラー」がよく知られていますね。 幕末に通訳士として活躍した「ジョン万次郎」は、”WIKIPEDIAによると、貧しい漁師の次男に生まれた。死亡した父や病弱な母と兄に代わって幼い頃から働き、家族を養った。寺子屋に通う余裕が無かったため、読み書きも殆ど出来なかった。14歳の時に漁師の手伝いで漁に出たあと遭難し、アメリカに渡り、学校で英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学ぶ。寝る間を惜しんで熱心に勉強し、首席となる。”とあります。 「ヘレンケラー」は、一歳半のとき視力と聴力を失い、7歳のとき先生が手のひらになぞった”WATER”という文字を理解することから言葉を覚えます。 22歳のとき「私の生涯」という自伝を出版しており、以下の節はその本からの抜粋です。Waterという文字を理解した日の出来事を回想している最後のフレーズです。 I learned a great many new words that day. I do not remember what they all were; but I do know that mother, father, sister, teacher were among them - words that were to make the world blossom for me, "like Aaron's rod, with flowers." It would have been difficult to find a happier child than I was as I lay in my crib at the close of that eventful day and lived over the joys it had brought me, and for the first time longed for a new day to come. 「その出来事があった日の終わり近く、ベッドで喜びに満ちていた私より幸せな子供を見出すのは難しかったでしょう。私は生まれて初めて、早く明日がこないかな〜と待ち望んでいました。(明日になるともっともっと新しい言葉をおぼえることができる」 とヘレンケラーは回想しています。 わくわくどきどきして「早く明日が来ないかな〜」と待ち望む子供の気持ち、これが子供にとって英語が上達するポイントではないでしょうか。 ちなみに私の場合、子供時代、わくわくどきどきして明日を待ち望んだのは、遠足がある日、修学旅行の日など・・・。体育の授業がある日とか、運動会、英語の授業がある日の前日、寝るときには、明日の朝、目が覚めなければ良いとか、地震でも起きて世の中が終わりになっていれば良い、などと願っていました。 小学校から英語が強制されるとなると、私の場合、不登校の要因となっていたかも(泣)。私も英語を聞く耳はありませんが、尊敬するヘレンケラーだって、TOEICを受けたら0点なんだから・・と慰めています。 |
のんきなとうさん様 毎度ありがとうございます。 私とTOEICの出会いは03年頃です。大学を卒業した息子が家を出て行って、残された本やがらくたを処分したときです。TOEICの参考書がありました。へえ、こんな試験があるのだと思っただけです。その後、職場の女性とTOEICの点数競争をしようとあいなり受験しました。なんと!380点、あまりの素晴らしさに涙が出ました。 それから苦節1年、630点になりました。700くらいは期待してたんですが・・ 私の娘が私が面白いことをしていると思ったのか、受験したら・・アア、なんと高得点、 神は私を見放したか! 以来、決して受験しないと誓いました。 そう言えば、私がどっぷりとのめり込んでいた囲碁から足を洗ったのも、私が教えた義弟があっという間に高段者になって私を追い越してしまったからです。 私は傷つきやすいのです ![]() |
佐為さま あらまです 小学校からの英語教育については賛否両論がありますね。 しかし、とにかく日本の小学生が習いだしました。 ところが、ザンネンなことに、きちんとした英語の授業が出来る先生が少ないのだそうです。 英語が話せる外国人に言わせれば、日本人は、「右」も「左」もうまく言えてないそうです。「ライト」も、「明かり」なのか「右」なのか、区別がつかない。 つまり、「L」と「R」の発音の区別が出来る先生が少ないのだそうです。「V」にしても唇を噛んでいないし、「TH」にしても、舌を噛んでいない。 そういうわけで、日本人の英語は、いわゆる「あうええお英語」「五十音英語」です。たとえば、日本人の数の数え方は「椀」「津ー」「掏りー」「頬」「背部」となっているそうです。 ところが、小学生時代に教えておきたいのは、まさにそのところです。 さらに、文法から脱した決まり文句なども、小さい頃に「音」として覚えておけば、一生わすれない。 しかし、そんな大事な時期に、右 も 左 も正しく発音できない先生に教わっているのですから、意味がないのですね。 まあ、仕事を休んで思想活動をしている教師に、何を教えてもらっても身になるものはありませんけどね。 |
あらま様 毎度ありがとうございます。 音というのは言葉特有のところがあり、英語に限らず、デキナイ、ワカラナイというのがあります。 タイ語で「遠い」は「クライ」、「近い」は「クライ」と言います。 違いがわかりましたか? ![]() 私には何度聞いても、その違いがわかりません。 気をつけよう甘い言葉と暗い道 |
父よ。 父が駄文で伝えたいことは分かっている。 英語(外国語)を学ぶには母国語こそが基礎になる、ということは。 ただ、英語について私の熱い思いを書いてたら、夫が出かけるよ、というので、終わりにしてしまったという感じであった。 ははは〜ん。 確かに、言葉の乱れは気になるところである。 新卒の若者たちが来ると、まず、文章が書けないのに驚く。 そして、社会人としてのマナーを会得していないことにも閉口する。 そんなことばかり言っていると、ババアの小言だから、と流されかねない今日、これからの日本を思うと不安である。 そして・・・・ 父が「娘とは30年間分かり合えない」とコメントしたことで、私が30ウン歳であることがばれてしまう、という恐ろしいカラクリ・・・。確信犯か? TOEICで娘に負けた腹いせか? 恐ろしい父親である・・・・ ひとつ父を擁護することを言うとすれば・・・ 私が勉強することが大好きになったのは、父の負けず嫌いな性格が見事に遺伝した賜物である。 知らないことがあると悔しい、そう思えるのは、父のDNAがそのままそっくり私に受け継がれているからに他ならない。 (母の血が、もう少し多めに混ざっていれば、私はこんなかわいげの無い女で無かったのかも・・・・) |
ハイハイ、大人になっても歳をとってもかわいい娘であることは変わりないよ ![]() そうはいっても、理屈っぽいのは誰に似たんだろうねえ、私じゃないような気がするが? 母の遺伝が強ければ、多分キャリアウーマンにならずに田舎で子守をして夫の帰りを待つような生活だったのではないだろうか? まあ、人生はイフがないのでワカリマセン |
小学校の英語教育 オバQ様 お嬢様とはすれ違っているのでしょうか、火花が散っているのでしょうか。 でも、いい関係ですね。娘を持たない者にとっては羨ましいことです。 昔、父の友人が「これ、娘にもらったんだ・・」などと言って物を見せびらかしていたとき、「いいなぁ、女の子がいると・・」と父は呟いていました。息子ってのはそっけないですね。 十数年前、数人の外人さん達と仕事をしていたことがあります。ある日、電話がかかり、嫌な予感がして受話器をとると、恐れていた外人さんでした。女性の金切り声で、とても興奮していて切羽詰まっている様子であることはわかるのですが、何を言っているのかわかりません。そこで近くにいた帰国子女の女性に代わってもらいました。彼女は、たったの二言三言話して受話器を下ろしたので、「何て言ってたの?」と訊いたら、「セキュリティカードを事務所に置いて外に出たので事務所に入れなくなった。ドアを開けて欲しい」とのことでした。「なぁ〜んだ、そんなことなの」と思ったのですが、これって、外人であれば幼稚園児だって電話番できるかもしれませんね。お恥ずかしい話です。しかしその後の10年間も英語のヒアリングは上達しませんでした。学校を卒業して会社に入ったときは、いつか英語に堪能になって、海外にでて活躍してみたい、と思ってはいたのですが・・ もう定年間近だとは・・ |
のんきなとうさん様 私は思ったことを口にするタイプ、腹芸とか沈思黙考などとは無縁です。 当然、家族とも以心伝心とかおれの気持ちを分かってくれなんて論理(?)ではなく、考えを言葉にして伝えるというコミュニケーションスタイルをとってきました。 だから娘と私の話は言葉のマンマです。 ところで、娘が3歳くらいまでは「パパ」「ママ」でしたが、それでは具合が悪いと思い、それより大きくなったら「おとうさん」「おかあさん」と呼ばせました。しかしよその人と話すときはそれでは具体が悪いと「父」「母」と呼ばせるようにしました。 すると家で私たち夫婦を呼ぶのに「父」「母」といいます。これは中学時代からナン歳になった今もです。 癖とは恐ろしい! ところで英語のはなしですが、定年間近な今、もう諦念の境地 あきらめましょう |
小学校の英語教育 おばQ様 阿修羅ランキングで、英語教育について、「韓国日報」の記事が紹介されています。 曰く 「日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、日本語で学問をするという点も大きいようだ。」 ●日本がノーベル賞を取れるのは自国語で深く思考できるから。我が国も英語ではなく韓国語で科学教育を行なうべき 10月9日 韓国日報 薬師丸仁志氏の「英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想」という本も引用されています。 なるほどなぁ〜。「ISOを学べばバカになる グローバル思考と言う妄想」とも言えるんじゃないですか?日本には世界に冠たる「品質管理」があったのじゃないですか。 薬師丸仁志氏は次のようにも言っています。 アジア圏での科学先進国は日本のみ。英語でしか科学の教育ができない韓国、インド、フィリッピンに科学は育ちません。 漢字文化圏である東洋4国があまねく使っている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、アルファベット圏言語を自国語で把握しようとした日本の知識人たちによる翻訳の所産だ。「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものだ。 |
のんきなとうさん様 毎度ありがとうございます。 うーん、何事にも表もあれば裏もあるということでしょうか? バカになるかどうか? ここはひとつ私がモルモットになって、英語が話せるまで頑張ってから比較検討してみましょう。 ![]() |
佐為様 両極です。 今後、佐為先生は止めておきます。 正論に日本語教育の重要性について、社会学者の加藤秀俊氏のコラムが載っておりました。 小学校の国語の時間以外に、日本語という科目を教えている東京都の一部の学校があるとのことですが、なるほどと思いました。小生は以前は英語教育の早期化をしたらどうかという考えを持っていましたが、このコラムを見てから、日本語もろくに出来ないうちから英語などやっても効果が上がらないと感じました。 この意見に関して佐為様はどのようなご意見をお持ちでしょうか。 参考までにお聞かせください。 加藤先生のご意見は下記です。 http://sankei.jp.msn.com/life/education/081105/edc0811050303001-n1.htm |
両極様 毎度ありがとうございます。 加藤さんいわく、母語のタドタドしい人間が外国語に流暢(りゅうちょう)でありうるはずがあろうか。 まさにその通りと思います。私の同志で師であるKABU先生も同じことをおっしゃっています。 私の駄文はそういう思いでダジャレでケタグリをかけているだけですので、そこはご了承くださいね。 そのあたりは私より、私の娘の論を読んで頂いた方がよろしいかと |