素人考えだが、発行部数を偽るにしても印刷する必要があるのだろうか? 必要部数のみ印刷して、広告主(スポンサー)に水増しした部数を言えば済むのではないだろうか? そのほうが同じ詐欺にしても環境に悪くはないぞ! |
麻生さんがとてつもない日本なんて本を書いたが、だれかとてつもない押し紙という本を書いてくれ! 工場から出る産業廃棄物の量はどれくらいか? 事業の種類にもよるが1000人で1000トンというのが一般的だろう。一新聞販売店で年間400トンとはべらぼうである。 |
週刊新潮(09.06.11)による滋賀県の琵琶湖周辺(世帯数24万9436)における押し紙の実態調査結果 ■読売新聞:推定実売配達部数⇒57,744/ABC部数⇒70,769/押し紙率⇒18.4% ■朝日新聞:推定実売配達部数⇒41,079/ABC部数⇒62,587/押し紙率⇒34.4% ■毎日新聞:推定実売配達部数⇒11,478/ABC部数⇒26,910/押し紙率⇒57.3% ■産経新聞:推定実売配達部数⇒4,772/ABC部数⇒11,164/押し紙率⇒57.3% ■その他地方紙など:推定実売配達部数⇒38,126/ABC部数⇒69,117/押し紙率⇒44.8% |
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ストップ押し紙 |
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再販制度 佐為さま あらまです 新聞の「再販制度」の是非については、正直なところ、小生はどう考えてよいのかわかりません。 ただ、たとえ嵐が吹こうとも、毎日、定刻に配達される新聞・・・という制度は崩してもらいたくはないですね。 どう考えたらよいのでしょう ? |
あらま様 毎度ありがとうございます。 通常「再販制度」とは「ある商品の生産者または供給者が卸・小売業者に対し商品の販売価格を指示し、それを遵守させる行為」をいいまして、新聞においては「割引販売禁止などで宅配制度を守るために」特別に許されているものだと理解します。 という前提ですが・・ 「世の中は変わるものだから自分を変えていかなくてはならない」とは民主党の元小沢代表の言葉だそうです。小沢は私の大嫌いな人物のひとりでありますが、この言葉は正しいでしょう。 新聞は今大不況です。その原因は時代遅れのビジネスモデルと言われています。それは日本だけではありません。グーテンベルグの活字印刷の時代は過ぎて、今はインターネットの時代です。新聞よりも早く正確で安い、そういった情報源を使わなければ人に遅れてしまいます。 じゃあ、高齢者はどうするのだ?ということになります。新聞に限らず車を持たない、体も効かない高齢者はそれなりに対応しなければ暮らしていけないと認識すべきでしょう。いえ、厳しいことを言うつもりはありません。郊外に広い家を持って暮らすことは移動にも日常生活にも支障があるのです。だから歳を取ったら都市中心部の集合住宅に住むとかそういう対応は必要です。老人が広い家がいいとか林の中で暮らしたいというのは贅沢なのです。もちろんしてはいけないということではないですが、それなりに経済的に負担すべきです。郊外に住んで、年寄りが快適に暮らせるように行政が対応しろというのは我がままなのです。 同じく、情報についても旧来の新聞を読みたいといっても、新聞社が倒産してしまえば読めるはずがありません。 非情なようですがそれを認めなければならないでしょう。 たとえ嵐が吹こうとも、毎日、定刻に配達される新聞・・・という制度は 捏造とか押し紙などによるボイコットに関わらず、いつかなくなってしまうと覚悟することです。 そもそも新聞の宅配の歴史なんてたかだか100年、それ以前は路上で買っていたわけです。それに戻ると思えばそれもしょうがありません。 今、毎週のテレビ番組欄と折り込みチラシだけを配達するというビジネスモデルがあちこちで起こりつつあります。インターネットが使えない高齢者が困るというなら、ちゃんとそれに応えてくれる事業はあるのです。 そういうことを考えると、新聞の再販制度なんて砂上の楼閣、なくてもよいものと思います。 |
佐為さま あらまです 詳細にご教授くださいまして、ありがとうございました。 新聞少年だった小生にとって、新聞の宅配が消失することはザンネンなことだと思います。 しかし、ダーウニズム的に考えれば、進化の為の淘汰も自然の成り行きですから、仕方ないですね。 さて、新聞配達をしていると、配送のトラックや配達員が、事故に遭ったり、汚損・破損で、新聞が足りなくなることがありました。 そんなとき「押し紙」を利用していたんだと思います。 ちょいと、すっぱい昔を思い出してしまいました。 |
あらま様 毎度ありがとうございます。 非常に個人的なことでありますが、私が子供の頃の話です。朝刊は朝には配達されませんでした。お昼頃に配達されたのです。町はずれの引揚者住宅でしたので、新聞がお昼頃に配達されることが私には不思議でもなんでもありませんでした。たまたま遊びに行った町の親せきの家には朝飯前に新聞が配達されるので、すごいと思ったものです。要するに朝刊が朝届くという事は当たり前のことではなかったのです。 蛇口をひねれば水が出る生活を当たり前と思うか、文化的ですばらしいと思うか、その人の生い立ち次第でしょう。 本心ですが、折り込みチラシもなく、新聞が毎日配達されなくても、水道がなくても、もちろんインターネットもなくても、私には不思議でもなく、不条理も感じません。 まあ、いっときでも便利な生活をしてしまったので、そういったものが使えなくなれば不便と思う事は間違いないでしょうけど。 まあ、贅沢と思えばそれまです。 |
間違いだろう思いますが、 毎週10トンなら年間500トンになります 押し紙が配られなくても有価物なら廃棄物ではないでしょう |
ご指摘ありがとうございます。 おっしゃる通り、一年間は52週ですから520トンになります。本当を言えば勘違いして400トンと書いてしまいました。でも考えてみると新聞の休みの日もありますからどんなものでしょうか? それとおっしゃるとおり古紙はお金がもらえますから、法律的には廃棄物ではなく有価物になります。 でも廃棄物ではないから良いということもないでしょうね。どんなものでしょうか? |