その朝でなくその日というのは、当時我が家に新聞が届くのは朝ではなく昼前だった。だから我が家で一番早く新聞を読むのは父ではなく母であった。なぜ朝でなく昼頃に届くのかというと、田舎の新聞配達が更に町はずれの引揚者住宅にやってくるのは日がたいぶ登った頃になるからである。
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当時、田舎ではNHK(正式名称は「犬あっち行け」というらしい)とNHK教育、民放がひとつだった。それではチャンネル争いがおきるはずがない。
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新聞の使い道・・・ 懐かしい話でした。私たちの世代までしか、この使い方は理解できないかもしれません。 あ、そうそう・・・すごい使い道が新聞には残されています。 窓掃除です。あのインクが抜群な洗浄効果を発揮して、半年〜1年はピカピカです(不思議ですが本当なんです)洗浄効果に加えて、ゴミを寄せ付けません。(これが不思議なのですが・・・) ブランドには関係なさそうです。朝日でも毎日でも・・・ま、あ、我が家は朝日と産経・・・で試してどちらも大差なく、今は中庸ということでとっている読売でも効果は同じです。 乾いたそのままの新聞紙でやるのがコツとか・・・私はちょっと新聞を濡らして拭いて、二回目に乾いた新聞で拭きます。 うちはそれで年1〜2回の窓掃除でいつもピカピカに保っていますよ。 ぜひ試してみてください。 |
ふっくん様 毎度ありがとうございます。 新聞の利用法は無限ですね! でも新聞の価値はその情報にあるわけでして・・他社より窓ふきに適していると褒められても新聞社の社主はうれしくないでしょうね ![]() |
思い出すなあ 佐為さま 『新聞は時代遅れの・・・・』を読ませていただき、まさか私の子供のころを知っていたのではないかと一瞬疑ってしまうほどありありと当時が思い出されました。あの臭くて不潔な便所の中までよみがえってきてまさに臭覚は記憶を呼び起こすと納得するに至りました。 薪の風呂といえばその水汲みの辛かったこと。ちっぽけな我が家にも木の風呂桶がありましたが、水は200mくらい離れた共同井戸から天秤棒の前後にぶら下げたバケツで運ばなくてはならない。飲んだくれの親父に水汲みしろ、などといわれると頭にきて、こんな心理状態の時にはバケツの水は歩くたびにこぼれて家に着くころには半分くらいになってしまうのですね。ですから風呂は一家5人で1週間も使っていました。暗くて見えなかったけれども不潔な汚水につかっていたんですね。それでも誰も病気にならなかった。今はエネルギーをふんだんに使って夢のような時代。新聞といえばガラス職人の娘婿が言うには朝日新聞紙が一番だそうです。吹いて膨らませたガラス器の形成に使う紙です。私も30年も続けていた朝日を止めたのだからあんたも止めたらと提言したときの彼の言葉でした。ちなみに尻を拭w)氓ュには産経新聞紙が一番いいような気がします。 |
無才様 いつもご指導ありがとうございます。 お互いに歳がバレバレですね。 我が家ではお風呂に入るのは週に3回と決まっていました。薪ももったいないし、水もたいへんでしたから。 そして風呂場の電気は暗い裸電球が一つでした。おっしゃるとおり、明るいところで見たら汚い水だったのでしょうね。 そんなことを思うと、今はなんて清潔で明るく快適なんでしょうか! やはりエネルギーによってその快適さが支えられていると思うと、文明って素晴らしいことではあるけど、危うい状況にあるのですね。 まあ、外にある風呂から寝巻で母屋に来るだけでも冬は大変なつらさでした。だから熱い風呂に入ってすぐねてしまったのですね。 懐かしいとは思うけど、あの生活は・・あまりしたくないです。 |
新聞のお話 国民が政党を監視して、其弊害を無くするまでに発達しなければ、政党政治は唯だ弊害あるのみで、完全に行はるべきものではないと思ふ。殊に国民が之を監視すると云ふても、其最も有力なる機関となるものは新聞紙であって、新聞道徳の進歩が最も必要である。 新聞紙が反対党をも、多少尊敬の意を以て見なければならぬので、反対党と云へば、無暗に中傷して徒らに罵言悪口するに止まるようでは、政党政治の弊害は救ひ難いであろうと思ふ。 美濃部達吉「近時の政界に於ける憲法問題」(『最近憲法論』、実業之日本社,大正2年)
何が言いたいかというと、マスゴミは今も昔も変わらないのかなということです。本来は「権力の監視」をしなければならないのに「嫌いな政治家の中傷」しかしないのでは政治は熟しません。 |
木下様 毎度ありがとうございます。 今現在は、マスコミは権力の監視役ではありません。 権力そのものと化してしまいました。 しかも更に悪いことには、権力を持っていることだけではなく、己の意思を国民に植え付け、そして扇動する機関と化していることです。 マスゴミを燃えないゴミの日に捨てましょう! それとも、燃えるゴミの日なのでしょうか?
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新聞というビジネスモデル 佐為さま こんにちは。 ビジネスモデルと聞くと、出てきてしまいます。(笑) ご存じと思いますが、ビジネスの面では、新聞は特殊で公取委が定める新聞特殊指定(下記)で守られていますし、日本では出版物、音楽 全般が定価販売で守られています。 新聞業における特定の不公正な取引方法(略して新聞特殊指定) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%8C%87%E5%AE%9A この法律は、GHQ時代の置き土産で、新聞もごく最近まで割引無しでした。 (だから洗剤だの植物油だの、変なもので値引きの代わりをします) 一方で、新聞をアチコチで買ったことがある方は、値段は一律ではないとご存じと思います。これは、流石に定価性はおかしいと、公取委が1999年に見直しをかけた結果です。 2000年からは、完全な値段自由化に向けた抜本的な見直しをしていいたのですが、各新聞社と日本新聞協会が反対し、自民党新聞販売懇話会が公取委にお手柔らかにと言い、結局は中途半端になったのです。ですから、定価制でもなく、自由価格でもない妙な状態が続き、ツケの一部は販売店と消費者に回っていると見ています。 どういうビジネスでも保護に寄りかかるとダメですし、政治家に借りを作った新聞が本気で政治に対抗できるなんて思えませんよね。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 どういうビジネスでも保護に寄りかかるとダメですし、政治家に借りを作った新聞が本気で政治に対抗できるなんて思えませんよね。 前半はまさしく同意ですが・・後段はどうなのでしょうか? 日本の新聞は、日本を崩壊させようとさまざまな手を打ってきて、今まさに最終段階のようです。 それが日本の最終段階でなく、新聞の最終段階であればよいのですが・・ どうなりますことやら・・
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日本の新聞は、日本を崩壊させようとさまざまな手を打ってきて、 佐為さま、新聞やマスコミ如きが国家を崩壊させられるでしょうか? 確かに日中戦争から”勝った、大勝利”などと太鼓を叩き、対米戦必敗でも「進め一億火の玉だ」などと鉦を叩いておりました。少なくとも前半は読者に受けるからであり、後半は国家側と目的が一致したからです。敗戦後 一億総懺悔などと言いましたが、現状をみると旧に変わらずです。 新聞もマスコミも、所詮 盆踊りの太鼓叩きであり、これを責任者とすれば本質を見誤る気がします。踊っていたのは国民ですので、変だと思えば踊りを辞めるしか無かったのだと思います。 踊りを辞めるのは簡単で、不買運動が出来ます。踊る人が減れば違う太鼓を叩くかもしれません。 アカピ新聞も購読者が減ったので左傾の勢いは弱っているようです。可笑しいのはアカピグラフは皇室特集の雑誌を売りまくっておりますので、思想ゆえのアカピではなく、ビジネスあってでの記事であることは明白だと思います。 マスコミや新聞の報道が矛盾だらけなのは、その通りで、派遣切りを非難する一方で、フリーライター、契約社員を薄給でこき使い正社員は高給とりですから「自らを正せ」と投書すれば良いのだと思います。 変なことを変だというのは、まさにこちらのサイトがやられていることなのだと思います。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 今、踊りを止めても、在日利権など確固たるものが築かれています。そういうものを作ってきた、あるいは支援してきたのはマスゴミです。犬HKとか赤日新聞とか変態新聞がそうです。 もう在日利権、北朝鮮の権益、中国への貢物、いやはや・・ 正直、日本人を止めたくなります。右も左も政治家はキャッシュバックを期待しているとしか思えません。 ミンス党が今以上勢力を伸ばしたら、ハトポッポの愛で日本はおしまいです。 愛は日本を救わず、日本を崩壊させるでしょう ナンマイダブ |
かなり臭う おじゃまします。 佐為様、いつぞやはとんだところでおめにかかりまして、ごあいさつまでいただきありがとうございました。 さて、今回の新聞について佐為様と外資社員様のやりとり、興味深く拝見しました。外資社員様のいう、拒否という意思表示もしかり。また、佐為様の嘆きもしかり。さて自分はとふりかえりますと、拒否し嘆き運動するといったところかと。これは大変孤独な戦いに違いありません。 狂ったようにミンス擁護するマス塵も、再編の時期です。読売と朝日、合併する話があるようです。どこまですすんでいるか不明ですが、朝日が独り立ちできなくなっているとか。毎日は論外。かの国の法則は、例外なく発動するようです。麻生さんの苦境は実は法則発動のせいではないかとw どうもおじゃましました。 |
えーーーーーーーーーーー 読売と朝日、合併! 冷戦時代のアメリカとソ連が合併するような話ですね! だいぶ前、ナベツネが朝日にすり寄っていましたが・・そうですか でも法則発動で共倒れ!なんてすてきですね♪ では嘆かずに、しばし観覧させていただきます。 |
新聞は時代遅れ まきぞうです。 新聞はつまらないのでとっていません。しかし新聞は私の仕事にちょいと関係があります。新聞社の社員の一部の人とは仕事をともにしたこともあります。 会社員というより、彼らは役人に近いです。自分達が路頭に迷う可能性など微塵も考えてませんし、コスト意識はゼロ、というかマイナスです。湯水のように金を使うことが自分たちの仕事、と思っているのでしょう。環境記事を論じる前に、発行部数下げれば?と思います。付き合いが深いうちに押し紙のことも聞いておけばよかった、と今更後悔。 しかし情けないですが、彼らの存在が私の勤める会社も含めて、周辺に群がる企業を養っているのが現実でして、このビジネスモデルが真の意味で崩壊するには、もう少し人口が減る必要があるように感じます。 |
まきぞう様 毎度ありがとうございます。 役人とは保守的という意味でしょうか? 保守的という言葉は悪い意味はありませんが、革新とか改革とは遠いのでしょうね 新聞というメディアが存続する限り、ニュースを速く正確に伝え、それを正しく論評すれば存在価値があったのでしょうけど、現代はインターネットという小回りの利く哺乳類が現れて、体は大きいけど知能が足りなく敏捷でない恐竜マスコミはただ吠えるしか能がありません。 一刻も早く恐竜は滅んで新生代になるとよいのですが・・ |