新聞は時代遅れのビジネスモデル 2009.06.30

新聞とは何か? なんて問えば、その意味するところは人によって大きく異なるだろう。家内にとっては新聞とは、口うるさいジジイ(私)を会社に送り出した後の憩いであり、午後の買い物の情報源であろう。
ある人にとっては株価を知る手掛かりであろうし、政治家の発言を知る手段であるかもしれない。あるいはそんなグローバルでも全国的なことではなく、住んでいる地域の事件やバーゲン情報、不動産の売り出し、新しいスーパーの開店、学校の行事を知るためのものかもしれない。

私にとって新聞との付き合いは小学校に入った頃からだ。お間違えないように、子供に新聞が読めるはずがない。当時の田舎で小学校に入る前に字を教える親なんていなかった。まして新聞の活字も今と違い、文字の大きさは小さく、旧字体ではないが難しい漢字が多く、また文章の中の漢字の割合が多かった。当時の読売新聞には「轟先生(とどろきせんせい)」というマンガが連載されていたが、子供にはその面白さが分からなかった。
私も6歳くらいになると我が家の風呂焚き係を仰せつかった。当時我が家の風呂は薪(まき)である。薪なんていっても現代人は知らないかもしれない。木を切り出して製材して柱とか板とか取った残りを短冊に切った端材(はざい)で、木の皮がついているものもあった。木の種類は、ほとんど松でたまに杉もあった。昭和30年当時、庶民が住む安い家は柱もかもいもみな松であった。杉は高級で、近所の年寄りが建てた家が杉の柱だったので自慢していた。だから当時は全国どこでもお金になる杉を植林し、それで今はスギ花粉症が多くなったという。
さて風呂を焚くとき、薪に直接マッチで火をつけても燃えるはずがない。まず新聞紙をグシャグシャに丸めておいて、その上に焚きつけといって細かな木を置いて、そしてそれから薪に燃え移るように工夫して積み重ねて火をつけるのだ。これがまた難しく、一発で薪に火がつかないと、燃えカスをきれいにかき出して初めからやり直さないとならない。焚きつけ用として細い木を売っていたが、我が家では「なた」で薪を細く割って作っていた。今我が家で風呂に入るにはボタン一つ押せばよいが、半世紀前は水を入れるにもお湯を沸かすにも大変な手間と労力がかかった。子供でも風呂焚きを任せられるということは、一人前と認められたわけでうれしかった。
さて、このとき使う新聞紙であるが、もちろんその日配達された新聞を使うわけではない。
その朝でなくその日というのは、当時我が家に新聞が届くのは朝ではなく昼前だった。だから我が家で一番早く新聞を読むのは父ではなく母であった。なぜ朝でなく昼頃に届くのかというと、田舎の新聞配達が更に町はずれの引揚者住宅にやってくるのは日がたいぶ登った頃になるからである。
新聞の使い方というのは次のような流れになる。
まず読まれる。新聞が配達されると母が読む。夕方、父が帰宅すると読む。私たちも小学校高学年くらいになるとマンガとか見たが、順番は父の次であった。読むにも家族の序列があった。新聞にきれいな写真(もちろん白黒だ)が載っていると、翌日父がハサミで切って壁に張ったりした。私たちがスクラップできるのはその後になる。

家族全員に読まれた新聞紙はゴミに出されるのか?
まさか!
新聞は貴重な資源で、古新聞紙は捨てられずにしっかりとため込まれた。その用途は多目的だった。
まず便所で使う落とし紙、新聞紙を一定の大きさに切りそろえて使いました。これは消耗品です。古新聞のかなりの割合が便所の中に行ったと思います。
それから当時は大掃除を年に2回しました。当時の家は作りが簡単で、畳の下に板がありますが、今のように合板を敷き詰めるようなことはありません。隙間をあけて板を置き、その上に畳を敷きました。だから秋の大掃除には板の上にビッシリと新聞紙を敷きつめて床下から寒い風が入らないようにしました。春にはそれを取り払い、風が通るようにしました。まさに清少納言の世界ですね。畳の下から取り除いた新聞紙はかび臭かったのですが、もちろん捨てることなくそういう役を終えたものが焚きつけになったのです。
それから弁当を包むのも古新聞のお役目でした。私が小学校高学年になるまでは学校給食がありませんでした。家から弁当を持っていくのですが、中からおかずの汁などが出てくるので、ランドセルとか教科書を汚さないために新聞紙で包んだのです。数日、弁当を包むと新聞紙は汚れてきますので、そしたら焚きつけのお役が回ってくるのでした。
新聞紙とはそういうふうに非常に有効な使われ方をしていました。当時は古新聞の回収はありません。なんといっても便所紙とか焚きつけに使われると、消えてしまうのですから
そしてもちろん、本来のニュースを伝えるという役目においても、インターネットもない、テレビもない、ラジオもない、昭和30年頃の庶民の家で新聞紙の存在は今よりも非常に大きく、新聞に載っている記事はそれはそれは信用されたのでした。
まさに新聞は神であり、新聞事業は情報提供だけでなく、様々な用途に使えるというすばらしいビジネスモデルだったのです。

ちなみに我が家ではラジオは昭和34年頃に買ったと思う。テレビは私が高校生になってからですから昭和40年頃でしょう。信じられないかもしれませんが、1970年代以降も新聞はテレビよりも信用されていたのです。
首相佐藤栄作が引退するとき、「新聞はまっとうなことを報道しない」と言って、それを怒った新聞記者が退場してしまったのは昭和47年(1972)のこと。
新聞がおかしいと思った人はまだ少数だった。もちろん朝日新聞の偏向を批判した本、たとえば「朝日文化人―この日本をどうしようというのか 」(1967年)などは当時からあった。まあみんな多少は偏っていても、それほどひどいとは思っていなかったのも事実だ。

我が家ではずっと「読売」を購読しており、それはオヤジが信仰のようであった。 ../futari.gif あるとき、遠い親戚が毎日新聞社に入ったというので「毎日」に切り替えたことがあったが、わずかひと月かふた月で元に戻った。ところでその遠縁の人が毎日新聞に入ったといっても、何になったのかわからない。まさか記者になったとは思えず、新聞配達でないとしてもせいぜい販売店の店員くらいであったのだろう。
私が結婚したのは昭和50年頃だが、親と別居しても新聞を取ることはごく自然と思っていた。しかし便所はもうトイレットペーパーであり、風呂は都市ガスであり、弁当を新聞紙で包むこともなく、大掃除もしなくなった。読み終わった新聞はちり紙交換に行くようになったのである。
新聞の価値というか用途は時代とともに狭まってきた。姉は私より早く結婚して都会に行ったが、姉の家庭では新聞を購読していないといった。都会ではテレビのチャンネルをどこに回しても映るから、テレビを観れば新聞はいらないと言っていた。
当時、田舎ではNHK(正式名称は「犬あっち行け」というらしい)とNHK教育、民放がひとつだった。それではチャンネル争いがおきるはずがない。

私は結婚してから30年以上、ズット新聞を購読してきた。都会に来てから若干の変化が生じた。都会に出てきたのは2002年、はじめに住んだマンションは新聞配達が1階の郵便受けまでしか来ない。朝忙しい時に服を着替えて1階まで新聞を取りに行くという気にはならなかった。だから朝出勤前に新聞を読むことができなくなった。その代り、パソコンを立ち上げると、インターネットでもっと新鮮なニュースが読める。これはいい!
しかも、読売、朝日、毎日、産経と、よりどりみどりである。更にである、なにか自分が文章を書こうとすると、テキストをコピーしてウェブにでも掲示板にでも引用することができるのだ。
いやあ、すばらしい。
その後、引越しに次ぐ引っ越しがあり、今住んでいるマンションでは玄関のドアまで新聞を配達してくれるがもう朝に新聞を読むという習慣は戻らなかった。いや、夜帰宅してからも新聞は読まなくなった。手に取ることさえしない。私は紙の新聞を読まなくなった。もちろん読売オンラインとかアサヒコムとかMSN産経ニュースは見る。そういったウェブを見る回数はますます増えてきた。なにしろ新鮮だ。
そして最大の取り柄は、タダということだ
いまや我が家で新聞の役割は、家内の買い物情報の折り込みチラシを運ぶこと、そしてテレビ番組情報を提供することだけだ。

新聞は時代遅れのビジネスモデルなんて言われるが、新聞というしろものが一般家庭において意味するところが半世紀前とはもう完全に異なっている。パラダイムが変わってしまったのだ。新聞記事が信用されるとか、されないという以前に、新聞が家庭内における重みがもうない。新聞紙というオブジェクトが家庭内でさまざまに使われることはもうない。新聞の役目は、公告を運ぶこと、テレビ番組情報を提供すること、そして一日遅れの旧聞を伝えることにとどまる。

2008年朝日も毎日も産経も部数を減らし、赤字を増やしたそうだ。偏向報道とか、報道姿勢がどうこう以前に、もう新聞は社会から必要とみなされていないのだろう。そうなるのは必然のようで読売も日経も同じ道を歩いている。真っ赤かになった毎日より、たかだか数年遅い程度問題だろう。
新聞が過去の栄光を取り戻して、家庭でも社会でもマスコミの中心的存在になることはもはやない。だって社会環境がまるっきり変わってしまったから。家庭で古新聞の用途があればいやがおうでも、新聞社を変えても購読しなければならない。わざわざ便所紙を買うなら新聞をとって古新聞を使った方が賢いかもしれない。
しかし今はそうではない。
新聞は時代遅れのビジネスモデルなのだろうか? と考えると、そうではなく、新聞はKYで浮世離れのビジネスモデルになってしまったのではないだろうか?

本日の疑問
潤沢なエネルギーがなくなり家庭で薪で風呂を沸かすようになると、また新聞の出番が来るのだろうか?
まさか!
新聞紙のもとになるパルプもなくなっちゃうでしょうね 



ふっくん様からお便りを頂きました(09.07.01)
新聞の使い道・・・
懐かしい話でした。私たちの世代までしか、この使い方は理解できないかもしれません。
あ、そうそう・・・すごい使い道が新聞には残されています。
窓掃除です。あのインクが抜群な洗浄効果を発揮して、半年〜1年はピカピカです(不思議ですが本当なんです)洗浄効果に加えて、ゴミを寄せ付けません。(これが不思議なのですが・・・)
ブランドには関係なさそうです。朝日でも毎日でも・・・ま、あ、我が家は朝日と産経・・・で試してどちらも大差なく、今は中庸ということでとっている読売でも効果は同じです。
乾いたそのままの新聞紙でやるのがコツとか・・・私はちょっと新聞を濡らして拭いて、二回目に乾いた新聞で拭きます。
うちはそれで年1〜2回の窓掃除でいつもピカピカに保っていますよ。
ぜひ試してみてください。

ふっくん様 毎度ありがとうございます。
新聞の利用法は無限ですね!
でも新聞の価値はその情報にあるわけでして・・他社より窓ふきに適していると褒められても新聞社の社主はうれしくないでしょうね 

無才様からお便りを頂きました(09.07.01)
思い出すなあ
佐為さま
『新聞は時代遅れの・・・・』を読ませていただき、まさか私の子供のころを知っていたのではないかと一瞬疑ってしまうほどありありと当時が思い出されました。あの臭くて不潔な便所の中までよみがえってきてまさに臭覚は記憶を呼び起こすと納得するに至りました。
薪の風呂といえばその水汲みの辛かったこと。ちっぽけな我が家にも木の風呂桶がありましたが、水は200mくらい離れた共同井戸から天秤棒の前後にぶら下げたバケツで運ばなくてはならない。飲んだくれの親父に水汲みしろ、などといわれると頭にきて、こんな心理状態の時にはバケツの水は歩くたびにこぼれて家に着くころには半分くらいになってしまうのですね。ですから風呂は一家5人で1週間も使っていました。暗くて見えなかったけれども不潔な汚水につかっていたんですね。それでも誰も病気にならなかった。今はエネルギーをふんだんに使って夢のような時代。新聞といえばガラス職人の娘婿が言うには朝日新聞紙が一番だそうです。吹いて膨らませたガラス器の形成に使う紙です。私も30年も続けていた朝日を止めたのだからあんたも止めたらと提言したときの彼の言葉でした。ちなみに尻を拭w)氓ュには産経新聞紙が一番いいような気がします。

無才様 いつもご指導ありがとうございます。
お互いに歳がバレバレですね。
我が家ではお風呂に入るのは週に3回と決まっていました。薪ももったいないし、水もたいへんでしたから。
そして風呂場の電気は暗い裸電球が一つでした。おっしゃるとおり、明るいところで見たら汚い水だったのでしょうね。
そんなことを思うと、今はなんて清潔で明るく快適なんでしょうか!
やはりエネルギーによってその快適さが支えられていると思うと、文明って素晴らしいことではあるけど、危うい状況にあるのですね。
まあ、外にある風呂から寝巻で母屋に来るだけでも冬は大変なつらさでした。だから熱い風呂に入ってすぐねてしまったのですね。
懐かしいとは思うけど、あの生活は・・あまりしたくないです。


木下様からお便りを頂きました(09.07.02)
新聞のお話
国民が政党を監視して、其弊害を無くするまでに発達しなければ、政党政治は唯だ弊害あるのみで、完全に行はるべきものではないと思ふ。殊に国民が之を監視すると云ふても、其最も有力なる機関となるものは新聞紙であって、新聞道徳の進歩が最も必要である。
新聞紙が反対党をも、多少尊敬の意を以て見なければならぬので、反対党と云へば、無暗に中傷して徒らに罵言悪口するに止まるようでは、政党政治の弊害は救ひ難いであろうと思ふ。
美濃部達吉「近時の政界に於ける憲法問題」(『最近憲法論』、実業之日本社,大正2年)

何が言いたいかというと、マスゴミは今も昔も変わらないのかなということです。本来は「権力の監視」をしなければならないのに「嫌いな政治家の中傷」しかしないのでは政治は熟しません。

木下様 毎度ありがとうございます。
今現在は、マスコミは権力の監視役ではありません。
権力そのものと化してしまいました。
しかも更に悪いことには、権力を持っていることだけではなく、己の意思を国民に植え付け、そして扇動する機関と化していることです。
マスゴミを燃えないゴミの日に捨てましょう!
それとも、燃えるゴミの日なのでしょうか?

外資社員様からお便りを頂きました(09.07.02)
新聞というビジネスモデル
佐為さま こんにちは。
ビジネスモデルと聞くと、出てきてしまいます。(笑)
ご存じと思いますが、ビジネスの面では、新聞は特殊で公取委が定める新聞特殊指定(下記)で守られていますし、日本では出版物、音楽 全般が定価販売で守られています。

新聞業における特定の不公正な取引方法(略して新聞特殊指定)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%81%9E%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%8C%87%E5%AE%9A

この法律は、GHQ時代の置き土産で、新聞もごく最近まで割引無しでした。
(だから洗剤だの植物油だの、変なもので値引きの代わりをします)
一方で、新聞をアチコチで買ったことがある方は、値段は一律ではないとご存じと思います。これは、流石に定価性はおかしいと、公取委が1999年に見直しをかけた結果です。
2000年からは、完全な値段自由化に向けた抜本的な見直しをしていいたのですが、各新聞社と日本新聞協会が反対し、自民党新聞販売懇話会が公取委にお手柔らかにと言い、結局は中途半端になったのです。ですから、定価制でもなく、自由価格でもない妙な状態が続き、ツケの一部は販売店と消費者に回っていると見ています。
どういうビジネスでも保護に寄りかかるとダメですし、政治家に借りを作った新聞が本気で政治に対抗できるなんて思えませんよね。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
どういうビジネスでも保護に寄りかかるとダメですし、政治家に借りを作った新聞が本気で政治に対抗できるなんて思えませんよね。
前半はまさしく同意ですが・・後段はどうなのでしょうか?
日本の新聞は、日本を崩壊させようとさまざまな手を打ってきて、今まさに最終段階のようです。
それが日本の最終段階でなく、新聞の最終段階であればよいのですが・・
どうなりますことやら・・


外資社員様からお便りを頂きました(09.07.03)
日本の新聞は、日本を崩壊させようとさまざまな手を打ってきて、

佐為さま、新聞やマスコミ如きが国家を崩壊させられるでしょうか?
確かに日中戦争から”勝った、大勝利”などと太鼓を叩き、対米戦必敗でも「進め一億火の玉だ」などと鉦を叩いておりました。少なくとも前半は読者に受けるからであり、後半は国家側と目的が一致したからです。敗戦後 一億総懺悔などと言いましたが、現状をみると旧に変わらずです。

新聞もマスコミも、所詮 盆踊りの太鼓叩きであり、これを責任者とすれば本質を見誤る気がします。踊っていたのは国民ですので、変だと思えば踊りを辞めるしか無かったのだと思います。

踊りを辞めるのは簡単で、不買運動が出来ます。踊る人が減れば違う太鼓を叩くかもしれません。
アカピ新聞も購読者が減ったので左傾の勢いは弱っているようです。可笑しいのはアカピグラフは皇室特集の雑誌を売りまくっておりますので、思想ゆえのアカピではなく、ビジネスあってでの記事であることは明白だと思います。

マスコミや新聞の報道が矛盾だらけなのは、その通りで、派遣切りを非難する一方で、フリーライター、契約社員を薄給でこき使い正社員は高給とりですから「自らを正せ」と投書すれば良いのだと思います。
変なことを変だというのは、まさにこちらのサイトがやられていることなのだと思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
今、踊りを止めても、在日利権など確固たるものが築かれています。そういうものを作ってきた、あるいは支援してきたのはマスゴミです。犬HKとか赤日新聞とか変態新聞がそうです。
もう在日利権、北朝鮮の権益、中国への貢物、いやはや・・
正直、日本人を止めたくなります。右も左も政治家はキャッシュバックを期待しているとしか思えません。
ミンス党が今以上勢力を伸ばしたら、ハトポッポの愛で日本はおしまいです。
愛は日本を救わず、日本を崩壊させるでしょう
ナンマイダブ


草食世代様からお便りを頂きました(09.07.04)
かなり臭う
おじゃまします。
佐為様、いつぞやはとんだところでおめにかかりまして、ごあいさつまでいただきありがとうございました。
さて、今回の新聞について佐為様と外資社員様のやりとり、興味深く拝見しました。外資社員様のいう、拒否という意思表示もしかり。また、佐為様の嘆きもしかり。さて自分はとふりかえりますと、拒否し嘆き運動するといったところかと。これは大変孤独な戦いに違いありません。
狂ったようにミンス擁護するマス塵も、再編の時期です。読売と朝日、合併する話があるようです。どこまですすんでいるか不明ですが、朝日が独り立ちできなくなっているとか。毎日は論外。かの国の法則は、例外なく発動するようです。麻生さんの苦境は実は法則発動のせいではないかとw
どうもおじゃましました。

えーーーーーーーーーーー
読売と朝日、合併!
冷戦時代のアメリカとソ連が合併するような話ですね!
だいぶ前、ナベツネが朝日にすり寄っていましたが・・そうですか
でも法則発動で共倒れ!なんてすてきですね♪
では嘆かずに、しばし観覧させていただきます。


まきぞう様からお便りを頂きました(09.07.18)
新聞は時代遅れ
まきぞうです。
新聞はつまらないのでとっていません。しかし新聞は私の仕事にちょいと関係があります。新聞社の社員の一部の人とは仕事をともにしたこともあります。
会社員というより、彼らは役人に近いです。自分達が路頭に迷う可能性など微塵も考えてませんし、コスト意識はゼロ、というかマイナスです。湯水のように金を使うことが自分たちの仕事、と思っているのでしょう。環境記事を論じる前に、発行部数下げれば?と思います。付き合いが深いうちに押し紙のことも聞いておけばよかった、と今更後悔。
しかし情けないですが、彼らの存在が私の勤める会社も含めて、周辺に群がる企業を養っているのが現実でして、このビジネスモデルが真の意味で崩壊するには、もう少し人口が減る必要があるように感じます。

まきぞう様 毎度ありがとうございます。
役人とは保守的という意味でしょうか?
保守的という言葉は悪い意味はありませんが、革新とか改革とは遠いのでしょうね
新聞というメディアが存続する限り、ニュースを速く正確に伝え、それを正しく論評すれば存在価値があったのでしょうけど、現代はインターネットという小回りの利く哺乳類が現れて、体は大きいけど知能が足りなく敏捷でない恐竜マスコミはただ吠えるしか能がありません。
一刻も早く恐竜は滅んで新生代になるとよいのですが・・


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