チラシからの妄想 2010.02.27

体重が気になる私はなるべく歩くようにしている。地下鉄の駅も最短のところを利用せずに、数百メートルくらい歩いた方が、訪問先までの時間調整にもなる。とはいえ、寒いときは表を歩く気にはならない。せいぜい風の当たらない地下道を歩く程度である。
さて2月も末となり、やっと少しは温かくなった。表を歩いても鼻水が垂れるようなことはなくなった。ということで最近は地下道ではなく表を歩いている。
1週間ほど前のことだ。東京駅近くに用があった時のこと、そろいのパーカーだかジャンパーだかを着ている年寄りが何人も丸ビルの前でビラ配りをしている。私にもビラをさし出したので、断っては失礼だろうと思い、押し戴いた。
なになに? 受け取ったチラシを読むと三菱地所という会社が二子玉川に建てようとしているマンションに反対しているという。
実を言って私は二子玉川という地名を知らなかった。後で調べてみたら、東京都ではあるが神奈川県との県境の近く、東京駅から10キロはあるだろう。
なんで二子玉川に建てるマンションの反対運動を丸ビルの前でするのか?と不思議だったが、人に聞いたら丸ビルは三菱地所の所有だという。田舎者だからその辺が良くわからない。

チラシには次のように書いてあった。
@建設予定地は、風致地区に隣接し、現在5階建てまでのマンションしかない地域です。
A8階マンションの高さが突出し、多摩川河川敷からの景観が、著しく損なわれます。
B世田谷100景の松林に連なる「二子の渡し」の松(幹周り3m、樹齢約300年)を、突然伐採するなど、水と緑の風景軸(世田谷区)に逆行しています。

正直言って私は二子玉川なんてところに行ったこともなく、現場がどんな状況なのかもわからない。ただ、このチラシを読む限り、反対理由は景観の問題だけだと読める。
環境権というものがあるのかないのか私は分からない。風景は価値があるのであろうけど、いかなる風景に価値があり、その景観は残すべきなのか・・これは主観以外に判断基準はなさそうだ。

実をいって、今私の近くで大規模マンションが建築中で、そのまわりでは太陽がおがめなくなるといって反対運動が起きている。反対運動をしている家々のフェンスや玄関には反対運動のビラをパウチして掲示されていて、まさに満艦飾の様相だ。
じゃあ反対運動をされている方々はどうなのか?と振り返れば、みなさん元からの地元住民ではなく、せいぜいここ10年くらいしか住んでいないようだ。そしてミニ開発というのか乱開発というのか、乗用車もすれ違いできないような狭く曲がりくねった道の両側にびっしりと狭い敷地にすきまなく家を建てている。大型消防車など入れそうない。ひとたび火事でも起きたらどうするのかと心配してしまう。
こんなミニ開発に、元からの住民たちは反対をすべきではなかったのだろうか? 後で聞いたら、ミニ開発の時に以前からの住民の反対運動があったらしい。10年経つと新住民も地元に溶け込んでそんな反対運動はもう時効か?


ボケた頭はさらに昔を思い出す。田舎の町にだってマンションはある。10階建てかもう少し高かったか忘れたが、マンション建設の計画があってその日陰になる4・5階建てのマンションの住民が猛烈な反対運動をした。大義はやはり「日照権を守れ」であった。
だが私はその反対運動を白けた気分で眺めていた。だって住んでいる彼らは知らないだろうけど、その4・5階建てのマンションを建設する時、日陰になる人たちが反対運動をした。しかし反対運動に関わらずマンションは建てられ、そしてそこに今反対運動をしている住民が入居したのだ。その人たちが日照権を守れと反対運動する権利があるとは私には思えなかった。自分たちは元からの住民の日照権を奪い、自分たちは日照権を叫ぶということはどう考えてもおかしいと思う。
いや、そういう理屈を理解できないだけかもしれない。

ちょっとニュアンスは違うが・・
東京駅前にある郵便局を今解体して新築中である。いやあったのである。
鳩山弟が昔の建物を壊すな!といいだして、全くの新築ではなく表側を残して内部のみを建て直しになった。いやはや、これで何十億も費用が増加したと聞く。日本経済に貢献したことであろう。
私の年金に影響しないのだろうか?
古い建物を残して、耐震は大丈夫なのだろうか? ビジネススペースが減って次回立て直すまでの数十年間の機会損失はいかほどになるのか? 旧郵便局の一階は通常のビルの1.5階くらいあるので、使いにくくないのだろうか? そもそも古い建物が使いものになるのか? と他人事ならず心配である。
そのような事態はすべてハトポッポ弟の記念的建築物を残すべきだという発想から始まっている。あのビルがいかなる意義があるのか私にはわからない。誰か説明してほしい。
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交通が便利になるのは歓迎だが、自分の土地が減ったり換地するのはいやだ。そんな価値観というかわがままは至るところに見られる。
数日前、成田空港の団結小屋の地上権はないとかいう裁判が千葉地裁であった。(2010.02.25)
おいおい、何十年間、成田闘争をしているんだ。個人の権利と国民の利益を天秤にかけて判断してほしい。成田闘争をしている人たちは、闘争が生きがいなのだろうか?
私は空港を安全に便利に利用する権利を主張して、反対運動に反対運動をしたい。


本日のお断り
私は二子玉川のマンション建設に賛成でも反対でもない。またマンション建設会社といかなる関わりもない。またマンション反対運動がチラシ以外になにか根拠があるのかどうかも知らない。
ここに書いたことは、すべてマンション反対のチラシを読んで考えたことである。もしチラシにはすべての事情が書いてないというなら、チラシの文章が稚拙だというだけだ。


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