三単現 2010.03.06

私が中学生の時、三単現という先生がいた。みなさん嘘だって顔してますね!
本当だってばさ
まず私だって中学生の時はあり、それどころか小学生のときだってありますよ。
そしてあだ名が三単現という英語の先生がいたのも事実だってばさ

私の通っていた中学校は一学年5クラスあって、英語の先生が何人かいた。
進駐軍の通訳をしていたという年配の赤ら顔の先生がいた。この先生は確かにアメリカ人に通じる英語を話していた。この先生は軍隊にも行っていて我々が何か悪さをするとビンタをした。
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今どき中学の先生が授業中に生徒にビンタすれば新聞沙汰になったり、くびになるかもしれないが、50年前はそんなのは普通のことであり、驚くことではなかった。さすがに行き過ぎて木刀で叩いて怪我なんかさせると騒ぎにはなった。
おもしろい話がある。今は生徒が恨みを持ったりすると学校の窓ガラスを割ったりすることがあるが、私の子供の頃、頭にきた先生が何十枚も学校の窓ガラスを割る事件があった。先生も子供だったのだろうか?
もちろんその先生は首になんかならなかった。

ハンサムで背の高い英語の先生もいた。この先生は新制大学出身でそれゆえに先輩の先生方からは軽く見られていた。1960年頃は旧制の大学とか師範学校を出た先生は新制大学のランクは下とみなしていたのだ。この先生の英語の力はどうだったのだろうか? 子供心にも英語らしくなくジャパングリッシュだったような気がする。でも毎回実用英語検定の試験官になって子供相手に英会話の試験していたのだからまあまあだったのだろう?あるいは日本語的英語の方が子供相手の英語の試験には向いていたのかもしれない。

短大を出たばかりの女の先生もいた。この先生は他の英語の先生に比べて実力はかなり低いように思われた。もっとも中学の英語教師に求められるのは、個人の英語力ではなく、いかに子供たちに教え込んでなんとか中学校を追い出すということであって、別に進駐軍の通訳ができなくても、実用英語検定の面接試験ができなくてもかまわなかったのだろう。
彼女が教えるのは通じる英語ではなく、教科書に書いてあるあったり前のことだけで、それでもってこの女性の先生はガキどもから三単現と呼ばれていた。
なぜか?
わかっちゃったでしょう?
play→plays eat→eats have→has take→takes
授業でいつも三単現のs(エス)を忘れるなと語るしか能がないと子供たちにまで足元を見られていたからだ。幸か不幸か、私はこの三単現に2年間習ったので、三単現には詳しくなったが、英語の力は全然付かなかった。もちろん勉強もしなかったけど。
私が子供の頃、家で真面目に勉強した子供なんているのだろうか?
誤解のないように。
我々の年代は勉強していなかったのは間違いないが、農家なら畑仕事、商店なら家の手伝いをしていたのであって、街をうろついていたわけではない。

中学を出て私が行った高校は全員が就職する工業高校だったから、ここでもまっとうな英語など習ったことはない。英語の先生は定年退職して悠々自適の暮らしをしていた総入歯のウチダという先生だった。ウチダといっても本名ではない。
計算尺である
当時製図と言えば計算尺で計算し、T定規、コンパス、雲形定規などを使って書いたものだ。当時も今も内田洋行といえば製図用品の老舗である。もっともCAD全盛の今では製図用品など死語であろう。
話が大きくそれた。この英語のウチダ先生は、英語の授業をするために学校に来るのではなく、真の目的は別にあった。授業がないときは、生徒に交じって授業を聞いていた。そして製図も一生懸命に書いていた。我々は工業高校生用の安物の鉄板を折り曲げたおもちゃみたいなコンパスやデバイダを使っていたが、さすがにウチダは真鍮なのだろうか亜鉛合金なのだろうか、ずっしりとした内田洋行製品を使っていた。よってウチダと命名されたのである。
ディバイダである
内田洋行のデバイダとか烏口(からすぐち)などは機能が優れているだけでなくコンパスを広げたり閉じたりすると、その動きはスムーズで何とも言えない感触で、見ているだけで女性のヌードを見るような感情を持ったのである。
えっつ!烏口を知らない?
昔の製図はケント紙に初めは鉛筆で書き、それからインクで墨いれをして、鉛筆を消しゴムで消すというのが手順、烏口とはからすの口先のような形の筆記具で中にインクを入れて線を引くのです。会社に入ってからですが、万年筆の代わりにこの烏口で文字を書く人がいました。もうすばらしい達筆でした。

ばかな話を語ってもしょうがない。
実を言って田舎に住んでいる高校時代の同級生から定年になるというはがきが届き、昔を思い出してしまったのである。
1枚のはがきから思い出はどんどんと広がっていく。
戦闘機のプロペラを設計していた先生は、20年以上前にお亡くなりになったと聞いた。
魚雷と呼ばれた海軍技術士官の先生は生きているのだろうか? 生きていたとしても90近いはずだ。生きてはいないだろう。
ずっと若かったフライスと呼ばれた先生も80近くでボケてしまって数年前に介護施設に入ったという話を聞いた。この先生には逸話がある。1960年代はオーディオのはやり始めた頃。当時、外国製の高級オーディオ機器は20万、30万なんてざらだった。高卒の初任給が2万に届かない時だ。この先生はSMEのピックアップアームを見て、その図面を起こして、学校で授業の合間に作ってしまった。
当時はもうSMEなんて垂涎ものだった。もちろん我々に買えるはずがない。
今ではSMEどころか円盤のレコードさえ知らない人が多いだろう。

先生をあだ名で呼んでも、尊敬していなかったわけではない。あだ名で呼ぶほど好きだったともいえる。そういった恩師がどんどんと鬼籍に入るのを聞くと、自分の年齢を思い出す。私も還暦を過ぎ、間もなく定年である。
しかし今の年まで英語を使わない生活をしてきても、三単現を覚えているのは三単現先生のおかげかと思う。もっとも3単現を知っていて得をしたとか良かったという記憶はないが・・

本日の感謝
私を教え導いててくれた大勢の先生方に感謝、そして安らかに眠ってください。
マズイ!
まだご存命の方も多いのである。



外資社員様からお便りを頂きました(10.03.08)
佐為さま
懐かしいお話ですね。 今思うと学校英語では随分と「嘘」を教えられたように思います。
もちろん、当時の先生はそのように教えろと言われたので怨む訳ではありませんが、仕事の現場では、英語には随分と苦労もして、恥もかきました。
英語授業の嘘は言い出すときりがありませんが、「仮定法過去完了」だの、Will, shallなど助動詞により「未来形」などが代表です。もうないのだろうと娘の参考書をみると、「鯨の構文」などという『漢文』の係り結びの法則が書かれていますので、文法の世界では、それほど変わっていないようですね。

烏口は、学校で使ったのは私が最後の世代かもしれません。
機械製図で使いましたが、先の手入れが大変なのですね。
友人が持っていたロットリング(西ドイツ製)が羨ましかったですが、CADが大学でも使われるようになってもっと便利になりました。

短大出の先生:昔は、教員養成所で2年で教員免許が取れたのですね。これも私が高校卒業の頃が最後だったと思います。
今では4年生の教育学部を出て教員免許はあっても、教員採用試験が狭い門で、大変なようです。
若い人の機会が失われるのは悲しいことと思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
ちょっと待ってください!
仮定法過去完了や未来形のどこが嘘なんでしょうか?
私は大地と同じく永久に堅固であると今でも信じているのですよ!

私は工業高校を出て会社に入り、機械製図工になりましたが、そのときはもう烏口でもロットリングでもありませんでした。もちろんCADはまだ現れていませんでした。会社に入りますとシャープペンシルで図面を書いてました。
これは楽でいいです。
当時はジアゾのコピーでしたが、まもなくゼロックスになりました。これもいい!
なんでも安逸な方向に流れていきますが、楽なことは良いですね

ふっくん様からお便りを頂きました(10.03.09)
英語の思い出
私の学校の英語の先生は授業の前に必ず英語の歌・・・ビートルズとかカーペンターズとかを歌わせていました。
ま、それでかどうか・・・特別好きではないですがキライではない教科でしたね。たまに今でもカラオケで歌っています。
「三単現」は懐かしい表現ですが、今も使っているのでしょうか?
あ、そうそう製図道具・・・
今の若い人は何も知らないですね、寂しいやら、時代なのかなと思うけど。
先日、「字消し版」(定期券サイズのステンレスの薄い穴あきのやつです)を使っていたら、それなんですか?って興味深そうにみていました。これこれこういうモノだって言ったら、感動していました。妙に新鮮でしたよ。
あぁ・・・昭和は遠くになりにけり・・・ですね。
あぁ、でも私もSMEは知らないなぁ

ふっくん様 毎度ありがとうございます。
字消板は製図だけでなく細かい書類の修正に使いました。でもこれもワープロ全盛になると無用の長物
短物か?
SMEは・・1970年頃のオーディオマニアならだれでも欲しがったピックアップアームでした。高かったんですよ!
もちろん私になど買えるものではありません。
でもCDになるともう・・・アナログはデジタルに勝てません。
飛び道具卑怯なり・・なんて言う人はいません。


ある大学生様からお便りを頂きました(10.03.09)
三単現の話
三人称単数現在形、略して三単現。懐かしい話を聞いてちょっと顔を出してみました。と言っても私の昔などほんの5年前ですが。
うちの中学の先生は30代と若く、それゆえかどうも暴走しがちで、英語の授業の時間は英語しか話しちゃいかんとのことでした。質問も英語でしろと言うので不便極まりなく、私は授業無視で参考書を解いていた悪い子でした。
三単現と言う言葉も聞いたことが無く、学校では高校になって初めて知りました。皆さまの頃と、教えてる中身は変わってないのに教える時間だけ無駄にかけてる感じですね。
高校無償化で、名ばかり高等学校が今度始まります。義務教育は無償なのになぜ子供手当かと訝っていたら高校まで無償になって、これはもう公の学校は自力での学力回復を諦めたのではないか・・・つまり国民皆塾生の時代が来るのではないかと本気で教育の劣化を憂いています。
さてさてようやく35%まで落っこちてきたぽっぽ政権ですが、私が就職活動する頃には景気も政治もまともなものになっていて欲しいと心から願います。また自民党との政権交代のゴタゴタで経済に悪影響とかはできれば避けて欲しいです・・・。
大人の世代にそれなりの期待をかけております(’’

ある大学生様 ご無沙汰でございます。
そのうちある大学院生様になり、大学講師様になり、準教授様になり、教授様になり・・その頃は私はあの世か!
英語の授業の時間は英語しか話しちゃいかん
そりゃすごい! 上智並みですね。それじゃあ、私には授業が始まったことさえ分からないですね。
まあ、どの時代でも学校ばかりではなく勉強した人は報われると思って頑張らなくてはなりません。
期待しております。

外資社員様からお便りを頂きました(10.03.10)
佐為さま
仮定法過去完了や未来形のどこが嘘なんでしょうか?
私は大地と同じく永久に堅固であると今でも信じているのですよ!


誘いに乗って頂き有難うございます。
例文:“I would like to invite you to dinner tomorrow.”という英文は、現場で普通に使われている表現です。。
内容は、「あなたを、明日 夕食に誘いたいのですが。」となります。
私たちが習った「未来形」では助動詞の現在形:will, shallを使えと言われたと思います。
上記の例文では、助動詞は「過去形」であるにも関わらず、明日という未来について語っています。
私たちが習った「未来形」とか「過去形」の考え方からは、こんな普通の表現を説明できないのです。
そこで、日本の英語文法の本では「願望を表す表現:would like to」として、特別な表現の如く教えています。
でも、英語の用法から考えたら特別でなくて、動詞の過去形は現状からの距離を表していだけです。
お誘いをするのに“will”と言うと、あまりにも強引だから、距離を置いて過去形にしており、これですと言う側の気持ちにある遠慮が伺えるのです。
Willは未来、動詞過去形は過去を表すという教条的な理解をするから、「願望を表す表現」なるものを新たに定義して教えることになります。
仮定法過去完了は、実現性から距離があるから過去完了という最も遠いものにしているのであり、実現性の話に「過去完了」という時制の定義をもってくるから、習う側は理解に苦しむのだと思います。
過去形、未来形などという基本の名付けに誤りがあるので、実際の現場での説明に無理があるのが日本で教えられている英語文法の問題点なのだと思います。 と、ここまで書いて、何やらISOのお話に似ているように思いました。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
もう英語とサヨナラして30数年、3年前TOEICを受験したらなんと!380点という強力なアホ力の持ち主である私には・・・
一応私の名誉のために申し上げますが、頑張って勉強したら半年後に630点になりました。

とそれはともかく、中学校では確かwouldやcouldは丁寧語だと習ったように思います。ただ過去がどうしてそうなるのか・・その辺はあいまいもこでした。今でもですが・・
ま、漢文を習って中国人と話そうとする人はいないのと同じく、英語を習ってアメリカ人と話そうとする人もいない・・え!そんなことないですよね。
そりゃ問題だ!



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