老後 その2 2010.03.27

なんか、いよいよというか、とうとうというか、私も会社人生はオシマイとなってしまった。いやはや老齢となった私にはもう自分がいる場所がないようだ。まさに崖っぷちである。 
スウェーデンでは昔、高齢者は口減らしのために崖から身を投げたという。日本の姨捨山と同じだ。姥捨て山より一瞬で決まるので親切なのか、あるいは残酷なのか? 崖から落ちて息のある人は、村の衆が親切にもこん棒で殴ってとどめを刺したという。非情なのか、武士の情けか?
現在スウェーデンは福祉国家なんていうけど、そんな昔の反動ではないのかしら?(「福祉国家の闘い」中公新書より)
しかしながら年齢とはある意味相対的なものだと思う。つまり時代々々によって年齢の持つ意味というか印象、ニュアンスは変わっていると思う。

歌詞に年齢がある歌はたくさんある。
・村のはずれの船頭さんは、今年60のおじいさん〜♪
・父は今年2月で 65〜♪
なぜか60歳というのは老人とみなされる年齢であるようだ。悲しいねえ〜
なにしろ、つい最近まで、15でねえやは嫁に行く〜♪ 時代だったわけよ

私である 私は今満60歳であるが、ドリンク剤を飲まなくても元気はつらつで、歯は1本も欠けてもいない。耳も補聴器はいらないし、目は・・これは老眼だな。子供もどんどん作れるとは思うのだが家内が相手では無理だろう。相手をしてくれる若い女性はいないようだ。
まあそれはともかく、私が生まれた終戦直後の60歳よりははるかに若いと思う。思うだけでなく、それは間違いないだろう。

日本で平均寿命が50歳というと昭和25年くらいだが、その頃の60歳といえば、当たり前だが同じ年齢の人は半分以上が亡くなっている。頑健で60まで生き残ったにしろ、体はもうガタがきていただろう。40肩とか50腰60耳なんてのが言われた時代だ。
今、40歳で肩がこるなんていう人がいるのだろうか? と言いつつ我が娘は大学の頃から肩がこると言っていた。あれは年齢ではなく体質なのか姿勢の問題なのだろうか?
ともかく50歳で腰がどうのとか、耳が遠くなったなんてことは今どき聞いたことがない。

当時の定年は54歳か55歳だったろうと思う。
定年というものは会社によって異なる。昭和30年頃の実態は分からないが、50代前半であったようだ。
当時は60歳の人は当然ほとんど全員が引退しており、老人が少ないこともあり悠々自適であったろうと思う。そして60歳の高齢者は社会的に尊敬されるだろう。その年齢まで生きてきたということ自体普通の人には真似ができないことだ。経験豊かで、欲のない生き方は人望を集めるだろうと思う。
なによりも当時はまだ社会の変化が穏やかで、今よりも経験や社会常識が変化せず、年寄りは価値があったのだ。
とはいえ、今の年寄りより優雅な老後だったかと言えばそうでもない。なにしろ残された余命はわずかな日々しかない。

平均寿命が60歳の頃はどうだろうか? 実は日本で平均寿命が50歳から60歳になるのにほんの数年しかかかっていない。平均寿命が10年伸びるのに10年かからないというのも変だが、実際にそうなのである。だからその間の60歳の人の意識はあまり変化はなかったはずだ。

平均寿命が80歳の今、60歳ということは同じ年齢の人はまだ8割以上が生き残っている。だから60歳なんてどこにでも転がっていて、ありがたみがなく尊敬などされるわけがない。それどころかなお働き続けて、より高齢の人のために尽くさねばならない年代である。
もちろん体力も以前の時代よりはあり、現在の60歳は30年前の50歳以上に若さが満ちていると思う。想像だが100年前の40歳相当ではないのだろうか? それなら働かなくてはばちが当たるというもの。

最近、坂本竜馬がおおはやりだ。竜馬が暗殺されたのが31歳、今なら夭折というか若いのに惜しいことをとみなさんが嘆くだろう。しかし当時の寿命は40歳くらい、非業の死であり、天寿を全うしたとはいえないが、特段若くて亡くなったというわけでもなかった。司馬遼太郎の本で竜馬の友人であった千葉道場の栄次郎は、病気のため29歳で死んでいる。
敵対する新撰組だってみな若死にしている。近藤勇は34歳、沖田 総司は24歳、そんなものだ。
幕末当時の60歳といえばもう化け物か仙人かというところではなかったのだろうか?
このように年齢の持つ意味は社会的には大きく意味が違う。

幕末どころではなく、戦国時代だったらいったい何歳まで生きたのだろう?
織田信長が辞世の句で「人生わずか50歳〜♪」なんていったそうですが、実際は当時の平均寿命は37歳とのこと。
もっと大昔ならどのくらいに相当するのだろうか?
私がいろいろあたって作った平均寿命の表(?)である。
jumyou2.gif
いやはや、ちょっと時代をさかのぼれば、人間というものはバッタバッタと死ぬのが当たり前だったようだ。生まれたほとんどが天寿を全うするなど異常なことなのだ。
江戸時代、誕生日が来るまで赤ん坊は数に入らなかったらしい。生まれてから誕生までの一年で半数くらい死んだのかもしれない。
赤毛のアンはギルバート・ブライスと結婚するが生まれた子供はすぐに死んでしまう。1900年頃の話だ。所は変わっても人間ははかないものだったのだ。

話はパット変わる。
犬の年齢と人の年齢の換算表を見たことがある。
 中型犬の場合、24+(犬の年齢−2年)×4
 大型犬の場合、12+(犬の年齢−1年)×7
馬だって、牛だって、動物の年齢と人の年齢の換算表はネットで見つけることができる。
おおっと、時代による人間の年齢の換算表があるはずですよね?
こりゃ単に平均寿命の表なんですが・・・

 男性女性
明治24〜31年42.8044.30
明治42〜大正2年44.2544.73
大正10〜14年42.0643.20
昭和10〜11年46.9249.63
昭和22年50.0649.63
昭和30年63.6067.75
昭和40年67.7472.92
昭和50年71.7376.89
昭和60年74.7880.48
平成5年76.2582.51
平成15年78.3685.33
平成20年
資料:厚生省「簡易生命表」
この表から単純比例で計算すると、2010年の60歳は
 明治30年頃なら 32歳(44×60÷80)
 昭和10年頃なら 33歳(47×60÷80)
 昭和30年頃なら 48歳(64×60÷80)
 平成10年でも 58歳(77×60÷80)
とても引退しようという年齢ではない。

昔の年齢との換算表を作っている人もいる。
 戦国時代 現代の年齢=当時の年齢×1.2+3
 チンギスカン =当時の年齢×1.25+5
上式から逆算すると
 戦国時代では 60÷1.2−3=47歳
 チンギスハン時代では 60÷1.25−5=43歳
なんか明治とか大正時代との相関が取れないなあ〜 まあご愛敬!

話がパラパラと飛びすぎる 
ともかく私は若いということにしよう。若い人がごろごろしていてはろくなことをしない。やはり人は忙しくしていなければなりません。いや忙しくするだけでなく社会に貢献しなければなりません。ということで私、嘱託として働くこととなりました。

最後まで読んできてイチャモンを付けた方へ
長ったらしいはなしをして・・なんておっしゃってはいけません。
そういうお方は、まだ私の話法を理解していらっしゃらないということです。



木下様からお便りを頂きました(10.03.28)
久方ぶりの茶々
お久しぶりです、木下です。そうですか、佐為様も定年ですか。実は私のゼミの教授も今年で定年でした。今後は大学を去り、ご子息のなさっているパン屋でのんびり店番をするとか仰ってました。・・・まだ頭も身体もしっかりしてるのだから、どこぞの大学から講師の口があるんじゃないでしょうか。

木下様 本当にご無沙汰でございます。
見方によれば私は何と平々凡々という人生を送ってきたのでしょうか!
私の父の代は、戦争、敗戦、復興ともう世の中、日本がでんぐり返るような時代であったわけです。
また木下様の時代はこれからますます中国との対抗が激しくなりアメリカの衰退もあるでしょう。ひょっとするとまた戦争の時代になるかもしれません。戦争というのはこちらがしませんと言っても、相手が攻めてくれば戦争になってしまうのであって、友愛では防げません。そういう時代を生きていくのはまた大変だろうと思います。
私の世代は、そんな激動と激動の間の、がんばろう!生産を上げろ、品質を上げろ、技術を追いつけという単純明快な時代に生きてきただけです。
それを恥じるつもりはありませんし、また先代と後代にすまなく思う必要もないでしょうけど、安易な時代であったとは言えます。
若い人は、己自身のために頑張ってほしいと思います。
決して年寄りとか国家のためではありません。まして民主党の語る友愛の実現のためでもありません。
期待します。


両極様からお便りを頂きました(10.03.30)
定年
佐為様、御定年おめでとう御座います。
両極も明日で定年です。
4月からは、毎日日曜日です。
好きなことを存分にやる予定です。
(読書、外国旅行、スポーツ観戦、囲碁、ETC)
佐為様の今後の益々のご活躍を祈っております。

両極様 毎度ありがとうございます。
そうですか、お互いに定年まで働くことができたということは素晴らしいことです。
家族、近所の方々、教えてくれた先生方、職場の方、みなさんに感謝申し上げます。
でも終わりじゃありません。
これからは老人パワーでもって日本を良くしていきましょう。
ガンバルゾ

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