お正月には年賀状がつきものだ。私は付き合いが広いほうではないから、あまり出さないし、こない。家内の分を除くと50枚というところか

もう20年も前のこと、同じ職場にいた同年代の人が田舎のいろいろな団体や会合に顔を出していて、300枚以上年賀状を出すと語っていた。きっといずれは市会議員などをと思っていたのだろう。しかし年賀状を300枚といえばはがき代も大変だし、プリンタもない時代のこと宛名も本文も書くのは大変だったろう。もっとも彼は書道の師範の資格も持っていて、毛筆で書くのもお手の物だったのだろう。残念なことに10年ほど前に病気でお亡くなりになった。いや、正月から縁起でもない・・
パソコンとプリンタの普及によっていまどきは自筆の年賀状など絶滅危惧種であるが、たいていの方は印刷した傍らにちょっと手書きで言葉を添えている。そのお心がうれしいし、それを読むのが結構面白いというか楽しい。
なになに
- 退職してからゴロゴロしていましたがもう退屈も限度なので、年が明けたらハローワークに行くつもりです。
まあ、8ヶ月もゴロゴロしていたら退屈になるだろうね。私は年末からお正月にかけて休みはまだ4日であるが、もう退屈極まりない。しかし家内が言うにはハローワークには職を求める老人がゴロゴロしていて、仕事なんか見つからないとのこと。つまり、家でゴロゴロするかハローワークでゴロゴロするかの違いということか?
- 何もせずに家でごろごろしています。
この人は、単身赴任を10年もしていた。失われた10年分を今奥さんのひざまくらでゴロゴロしても許す。
でも、長く離れていて自宅に戻ってきて、奥さんとか子供さんとかとコミュニケーションとれるのだろうか?なんて心配する。もっともたとえ遠く離れていても心の絆は強く、私のほうが家内とコミュニケーションが少ないのかもしれない。あるいは60になって再婚したと思えば新鮮なのかもしれない。
- ひざの具合が悪く病院に通っています。
オイオイ、悲しいことを言ってくれるじゃないか、治療してまた街を闊歩するどころか、安達太良とか磐梯山に登ってください。
私は今のところ特段悪いところはないが、年をとって体力の衰えは実感する。先日家内と近くの公園を散歩したら、周遊路のなかにたくさんのアスレチックの道具がある。鉄棒の逆上がりは問題なくできる。平行棒で両足を水平にできたのはできたが、その後足が引きつった。そんなわけで吊り輪は止めておいた。今度から毎朝すこし柔軟体操をしよう。
- 道場で子供たちに柔道を教えています。
こいつは体格が良くて中学時代はジャイアンのようないじめっ子だった。その後高校で柔道を習い、それをいかして柔道整復師としてどこかの病院に勤めていた。奴が病院に勤めたと聞いたとき、昔の悪がき時代しか知らない私は非常に驚いた。まして還暦になればドラえもんのジャイアンも好々爺になるのだろうか?
私の同級生とか知り合いというのは当然私と同年代だから、現時点続々と定年になり、あるいは自分で商売をしていても息子に譲ったりして引退しつつある。定年後をいかに過ごすかというのが喫緊・最重要課題である。
元日ばかりでなく、出し忘れた人からの年賀状が毎日数枚届く。みな退屈と自信をなくしたような文面だけで少し悲しい。
- ハローワークに行け
おお、これはまだ生存している、いや存命の叔父上からである。彼は20年も前に公務員を定年退職したが、それからずっといろいろとお仕事をされている。80歳の今でもどこかの温泉旅館で雑用をしていると聞いた。
家内のおばさんたちも70から80歳になるが、多くは近くの工場などで働いている。昔の人は働かないことが恥という感覚なのだろうか?

それとも嫁や婿さんと一緒にいるのが苦痛なのか?
とそんな妄想を考えつつ、また酒を飲む。
まあ正月だから・・
なんで「その2」なのかとお尋ねの方、もう何年も前に
同名のタイトルで書いたことがあるからでございます。
あらま様からお便りを頂きました(2011.01.02)
年賀状
佐為さま あらまです
今年もよろしくお願いします。
そういえば、戴く年賀状が減少傾向です。
虚礼廃止・・・ということなんでしょうか ?
それとも、小生の人望が薄くなったということなんでしょうか ?
年賀状だけのお付き合いということで、30年以上も、ご無沙汰している人もいます。
でも、昨年、発覚した「消えた高齢者」。
親族が成りすまして年賀状を出し続けていた例もあったとか・・・
そういうわけで、彼の生存確認でもしてこようかと思います。
・・・でも、本当に発覚したらどうしよう・・・
なんて、妄想にふけっています。
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あらま様 あけましておめでとうございます
誕生日はいくつになってもいいもんだ〜♪ なんて唄がありましたが、お正月もいくつになってもいいものだと思います。
冥土への一里塚なんていやみはいちゃいけません。
親族が成り代わって年賀状とは驚きですね。
しかし私が死んだらどうなるのかと思うと複雑です。たぶん、生命保険が入ったうえに面倒な宿六の世話をすることのないと、家内はウハウハかもしれません。
うーん・・・
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やよい様からお便りを頂きました(11.01.05)
年賀状その2を読んで
あけましておめでとうございます。
携帯電話やパソコンのメールで年賀葉書ならぬ年賀メールを送っています。
おかげで私が送った年賀状、そしてやってきた年賀状は共に0です。
送らない私も悪いといえば悪いのですが、気が付けば全滅です。
おかげでお年玉つき年賀葉書の賞品があたる機会がありません。
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やよい姫様 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお付き合い願います。
年賀状というものは大昔からあったものではありません。どこで読んだか忘れましたが明治になってからとのことです。
そもそも、武士が年賀にお伺いして相手が不在の時、書き物を残したそうです。
「わしはだれだれである、年賀に来たが貴殿はご不在で残念であった。」と、とりあえず訪問した証拠を残しておいたようです。
その後、それが訪問せずに書状で代用することがあり、それが武士以外に広まったのが年賀状の始まりとかありました。
それが事実か否かわかりませんが、どう考えても郵便制度が整う明治以前に、一般人が年賀の挨拶を書状で出すということがあったとは思えません。
前世紀末に、年を越した瞬間に年賀メールを送るということをテレビで見たときは驚きましたが、驚くことも何もないのでしょう。
新年の挨拶という習慣はあるとして、それを伝える方法は、その時と場合で使える手段を使うということに過ぎません。
何もないときは歩いていける人にだけ挨拶する、郵便ができれば書状を送る、インターネットが使えればというだけのことでしょう。
ちなみに年賀状の賞品だって、そう古い話ではなく、ましてその商品で一喜一憂したのは終戦後の物のない時代と聞きます。
すべてはそんなもので、やがては歴史のヒトコマになってしまうだけでしょう。
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