年賀状 その2 2011.01.02

お正月には年賀状がつきものだ。私は付き合いが広いほうではないから、あまり出さないし、こない。家内の分を除くと50枚というところか
年賀状 もう20年も前のこと、同じ職場にいた同年代の人が田舎のいろいろな団体や会合に顔を出していて、300枚以上年賀状を出すと語っていた。きっといずれは市会議員などをと思っていたのだろう。しかし年賀状を300枚といえばはがき代も大変だし、プリンタもない時代のこと宛名も本文も書くのは大変だったろう。もっとも彼は書道の師範の資格も持っていて、毛筆で書くのもお手の物だったのだろう。残念なことに10年ほど前に病気でお亡くなりになった。いや、正月から縁起でもない・・

パソコンとプリンタの普及によっていまどきは自筆の年賀状など絶滅危惧種であるが、たいていの方は印刷した傍らにちょっと手書きで言葉を添えている。そのお心がうれしいし、それを読むのが結構面白いというか楽しい。 とそんな妄想を考えつつ、また酒を飲む。
まあ正月だから・・

なんで「その2」なのかとお尋ねの方、もう何年も前に同名のタイトルで書いたことがあるからでございます。



あらま様からお便りを頂きました(2011.01.02)
年賀状
佐為さま あらまです
今年もよろしくお願いします。
そういえば、戴く年賀状が減少傾向です。
虚礼廃止・・・ということなんでしょうか ?
それとも、小生の人望が薄くなったということなんでしょうか ?

年賀状だけのお付き合いということで、30年以上も、ご無沙汰している人もいます。
でも、昨年、発覚した「消えた高齢者」。
親族が成りすまして年賀状を出し続けていた例もあったとか・・・
そういうわけで、彼の生存確認でもしてこようかと思います。
・・・でも、本当に発覚したらどうしよう・・・
なんて、妄想にふけっています。

あらま様 あけましておめでとうございます
誕生日はいくつになってもいいもんだ〜♪ なんて唄がありましたが、お正月もいくつになってもいいものだと思います。
冥土への一里塚なんていやみはいちゃいけません。
親族が成り代わって年賀状とは驚きですね。
しかし私が死んだらどうなるのかと思うと複雑です。たぶん、生命保険が入ったうえに面倒な宿六の世話をすることのないと、家内はウハウハかもしれません。
うーん・・・


やよい様からお便りを頂きました(11.01.05)
年賀状その2を読んで
あけましておめでとうございます。
携帯電話やパソコンのメールで年賀葉書ならぬ年賀メールを送っています。
おかげで私が送った年賀状、そしてやってきた年賀状は共に0です。
送らない私も悪いといえば悪いのですが、気が付けば全滅です。
おかげでお年玉つき年賀葉書の賞品があたる機会がありません。

やよい姫様 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお付き合い願います。
年賀状というものは大昔からあったものではありません。どこで読んだか忘れましたが明治になってからとのことです。
そもそも、武士が年賀にお伺いして相手が不在の時、書き物を残したそうです。
「わしはだれだれである、年賀に来たが貴殿はご不在で残念であった。」と、とりあえず訪問した証拠を残しておいたようです。
その後、それが訪問せずに書状で代用することがあり、それが武士以外に広まったのが年賀状の始まりとかありました。
それが事実か否かわかりませんが、どう考えても郵便制度が整う明治以前に、一般人が年賀の挨拶を書状で出すということがあったとは思えません。
前世紀末に、年を越した瞬間に年賀メールを送るということをテレビで見たときは驚きましたが、驚くことも何もないのでしょう。
新年の挨拶という習慣はあるとして、それを伝える方法は、その時と場合で使える手段を使うということに過ぎません。
何もないときは歩いていける人にだけ挨拶する、郵便ができれば書状を送る、インターネットが使えればというだけのことでしょう。
ちなみに年賀状の賞品だって、そう古い話ではなく、ましてその商品で一喜一憂したのは終戦後の物のない時代と聞きます。
すべてはそんなもので、やがては歴史のヒトコマになってしまうだけでしょう。

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