歩きタバコ 2011.01.30

私はタバコを吸わない。産まれてから還暦を過ぎた今まで、一度もタバコを吸うという習慣はなかった。では、本日はタバコにまつわるおばかな話である。

昔だって中学校でも高校でもタバコは厳禁であった。中学や高校の喫煙の規制は今より厳しかったと思う。当時は学校で喫煙が見つかれば親を呼ぶなんてまどろっこしいことはせず、即ビンタをとられ腫れた顔で帰宅することになった。親も先生がビンタするのはもっともだと納得して、学校に怒鳴り込むなんてことはもちろんせず、更に子供をひっぱたくというのが通り相場だった。
というわけで在学中は少なくとも人に見られるところではタバコを吸っていた同級生はいなかった。しかし中学で就職した仲間たちは、すぐさま大人の真似をしてスパスパしていた。高校を出て就職した連中もすぐさまタバコをふかし始めた。そんな仲間を見ても、なんで煙がうまいのか私にはわからなかった。今でもだが

もちろん子供は周りの人に染まりやすい。私が高校を出て就職した職場が酒を飲む人たちばかりの職場であった。毎日会社の帰りに酒屋でモッキリのコップ酒を飲んでいた。飲み屋とか居酒屋ではないですよ。家まで自転車で帰る途中、酒屋の前に自転車を停めて、100円玉を出してコップ一杯注いでもらいそこで立ったまま飲むのです。はじめは恥ずかしかったですが、慣れは恐ろしい。そのうちに店にぶら下がっているするめをかじるとか、秋刀魚の缶詰を買ってお店の人から使用済みの割り箸をもらいそれを店先の水道で洗って食べるようになりました。毎日そんな風な生活をしていると、恥ずかしくもなんともなくなります。

 
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職場が変わって、マージャン好きな人たちばかりの職場のときは、毎晩マージャンをしました。もちろん私は先輩のカモです。当時手取り1万数千円だった月給の何割もが先輩に巻き上げられていきました。まあ、それが職場の流儀だと思えばしかたありません。
その分先輩は酒を飲ましてくれたりしました。渡世の義理というのでしょうか?

私の父親はもちろんタバコを吸っていた。いつも吸い終わったタバコを庭に投げ捨てた。庭にタバコを置いておくと蛇がこないという。確かにそのようだった。人間が毛嫌いする臭いを自然の生物が好むはずがない。そもそもニコチンとは植物が自分の体を食べられないために作り出したものではないだろうか?
当時私は田舎の長屋に住んでおり、周りは畑でマムシはいなかったが青大将とかヤマガジを庭で見かけることは珍しくなかった。

いまならどんな会社でも現場作業なら、午前中に1回、午後1回くらい休憩時間があると思う。だってトイレに行きたいという人に行くなといえば不当労働行為になりますし、好き勝手な時に職場を離れてトイレに行かれては困ります。ましてライン作業ならなおさらです。
しかし、当時私がいた職場は一人ひとり別々の機械作業だったので休憩時間というのがなかった。だから朝仕事が始まると昼休みまで、昼休みから終業まで休憩時間がない。
職場の親方は「タバコを吸わないやつは休憩するな」と言っていた。そして休憩のことを一服と呼んだ。まさにタバコを吸うために一休みするという意味である。タバコを吸う人は一段落したい時には自由に休んでタバコを吸えるが、タバコを吸わない人は駆け足でトイレに行くしかないという不条理である。
ところでその親方は当時56歳で定年退職してすぐに亡くなった。タバコが原因ではないだろうとは思う。
そんなふうに、一休みするためにはタバコを吸わなければならない職場ではあったが、私はタバコを吸うことはなかった。
どうしてだろうか?

1970年頃は成人した男ならタバコを吸うというのが当たり前だった。タバコを吸わないというのは珍しいというより、変わり者と思われた。当然、映画館でも、職員室でも、事務所でも、バスの中でも、汽車の中でも、待合室でも、病院でも、タバコを吸うのは当たり前だった。バスの背もたれ、汽車は窓の部分に灰皿が備え付けてあるのが当たり前だった。
やがて働いていた会社でも午前午後に休憩時間ができたが、周りの人がタバコを吸う臭いがいやで、皆と離れて表にいると、「あいつはおかしな奴だ」と言われ、仲間はずれになるのも当然という雰囲気だった。
古い映画だが「我等の生涯の最良の年」というのをご存知だろうか?
第二次世界大戦が終わり、故郷に帰還した士官と兵の物語。新婚早々で戦地に行った爆撃手はもう奥さんと生活が合わない。両腕をなくした兵士はフィアンセに対する負い目、元銀行員は幹部として元の職場に戻るものの上司と価値観があわない。
しかしそれぞれがしっかりと生きていくという、もう涙なしには見られない。同じパターンで日本で映画化すれば湿っぽくていけないが、アメリカ映画だからまだ救いがある。
まあ、それはこのさいどーでもいいのだが、この映画は全編タバコの煙モウモウである。喫茶店、バー、家庭、どこもかしこもみんなタバコスパスパ、当時のアメリカ人は老いも若きも男も女もタバコ文化であったということが良くわかる。今なら考えられないことだ。

だが時代は変わる。いつの間にか、タバコはまさに社会の敵となってしまった。肺がんの原因かどうか私はわからないが、はた迷惑であることは確かである。
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昔親しまれ今嫌われているのは、タバコばかりではない。日光浴も昔はすばらしいことだったが、今では緩慢な自殺と思われている。

誤解のないように
私はタバコを吸っちゃいけないとか喫煙は悪と考えているわけではない。しかし禁煙の場所とか、禁煙でなくても回りに人が多かったり子供がいたりする場所で、タバコを吸うのは公徳心に欠けると考えている。
人は自由気ままに生きていけるわけではなく、周りに合わせる必要があるのは当たり前だ。車が制限速度内なら時速何キロで走っても良いわけではない。周りの走行スピードや天候に合わせるのは当たり前だ。私はお酒が好きだが、山手線の中で飲むつもりもないし、そういうことが許されるとは思わない。
そういう意味でタバコもTPOを守らねばならない。
世の中は、法律だけでなく、社会通念というものがあり、それは時代と共に変わるものではあるが、人に迷惑をかけてはいけないという点は変わらないと思う。

今では地下鉄はもちろん、タバコ販売で稼いでいたJRも時代に合わせて駅構内は禁煙になった。タバコを吸わない者としてはありがたい。
東京では丸の内界隈だけでなく、駅前付近の路上禁煙となっているところが多くなっている。これも良い傾向だ。
私は日本国内をあちこち出張するのが多いのだが、駅前が路上禁煙でないところはまだある。歩きタバコが多いところは、学園都市とか政令指定都市とかいっても、ああ、ここは遅れた街だと感じる。

本日のネタばらし
先週、久しぶりに出張したのですが、かの地では繁華街・商店街を歩く一般人がタバコを吸いながらなんですよ!
マナーどころか、私は気管支炎になりそうです。
もし肺がんになった場合は、道路管理者である市長を傷害罪で訴えることができるのでしょうか?



外資社員様からお便りを頂きました(11.01.31)
佐為さま
一服休憩や、同僚麻雀のお話を伺い、何やら懐かしい気がします。
あの頃は、「男は**」「女は##」のように、世間で価値基準が決まっていた気がします。
今は、若者は車の免許も取らないし車は買わない、スキーにも行かないと、関連の産業は大変なことになっています。
久しぶりに車で苗場に行ったら、40代以上の人ばかりで驚きました(笑)
とは言え、若い人は意味もなく同じものに殺到せず自分の価値基準を大事にするは良いこととも思えるし、一方で考える必要が増えたから、鬱になったり、悩んだ末に短期間に転職したり引きこもったりと、始めから自分で価値基準を持つのは大変なのだと思います。
たばこ、飲酒、ギャンブルなどは愚行権の問題とも思えます。
とりあえず自分がやりたければやればよいけれど、他人や周囲に迷惑をかけるのが駄目ですね。
その点では、歩きタバコは良くないのですが、規制の行き過ぎも時に問題とも思います。
私は吸わないのですが、飲食店での全面禁煙は行き過ぎと思っています。
これはアメリカ西海岸に始まり、今や台湾でも始まりました。

駅前喫煙
出張時に、電車を降りてホッとすると吸いたいのですね。
結局、喫茶店で一服になるから、時間がかかります。
ですから駅前禁煙よりは分煙や時間規制で良いと思います。
私の職場の品川区でも、路上禁煙で条例があり、シルバーパトロールが注意していますが、通行人の聞き分けの良い通勤時間帯だけです。
夜になると、誰も聞かないので、無法地帯になっています。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
スキーも流行が繰り返すようですね。1970年頃はけっこうさかんでした。正直言いまして、スキーは金がかかるので私はスケート一筋でした。
その後、「私をスキーに連れてって」なんて映画があったのが1987年、あの映画でまた流行したようです。あのころ若かった人も現在は40代、うーん、スキーの前途は暗いですね
といいつつ、スケートなんてオリンピックで日本選手が出た時しか関心がない人が多いようです。
ちなみに私は若い時スピンくらいできたのですが、30年ぶりに50歳くらいのときスケート靴を履いて数秒後に転倒して左手骨折、それ以来スケートをしておりません。いや、今後永遠にでしょう。

あらま様からお便りを頂きました(11.02.01)
嫌煙権
佐為さま あらまです
1974年にヒットした宇崎竜童の出世作、スモーキンブギを思い出しました。
小生の場合、26歳のときにタバコを止めました。
理由は、家内との結婚でした。
それまでは、缶ピー族で、フィルターのない強いタバコを吸っていました。
そういうわけで 今でも タバコの煙はそんなには気になりません。
しかし、どうしてもタバコの煙はダメ・・・という人がいらっしゃるようで、そういった人たちが立ち上げた「嫌煙権」が市民権を勝ち取ったようです。
そうした流れは、時代の趨勢ですから当然だとは思います。
ただ、日本は、昔から酔っ払いや喫煙者には寛容な文化があったと思います。
その風潮が良いとは決して思いませんが、肩身の狭い思いをする人が増えたことは事実。
今後、酔っ払いは社会の敵だ・・・ということで、公衆での酔っ払い禁止令が出たら、小生の住む場所がなくなると思い、心配しています。

あらま様 毎度ありがとうございます。
../sake.jpg 私は田舎で酒を飲んだときは、もうベロベロ、まあ田舎ですから誰にも迷惑をかけません。タクシーがつかまらなければ、夜道を1時間くらい歩けばいいわけで、そのとき音痴な歌を歌ってもかえるが聞くくらいで誰も文句を言いません。
だけど、都会は違うわけですよ。満員電車で酒臭いと周りの人にあからさまに(当たり前か)いやな顔をされるし、といってタクシーで帰ったら何万円になるかわからない。
ということで都会の飲み会は乾杯して、少し飲んだらサヨウナラということが多いのです。
寛容というのは、まあ田舎だからでしょう。
モチロン、私も酒臭い人がいたら、いやな顔をします。
酒飲みは自宅で飲みましょう。タバコも自宅で吸いましょう。
家が臭くなっても汚れても、誰も文句を言いません。

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