三丁目の夕日 2011.03.27

「ALWAYS三丁目の夕日」(2005)という映画があった。「三丁目の夕日」というマンガがオリジナルである。映画もマンガも、物語の時代は私が子供の頃で、ストーリィというほどのものはない。ただ懐かしい思い出というか、様々なエピソードを積み重ねただけの物語である。日本映画としては興行収入がトップクラスでいくつもの映画賞をとり、続編(2007)、続々編(2011)が作られたのだから、多くの人が感動したことは間違いない。
しかし私には、素直に感情移入できるところは少なかった。感情移入できる・できないというより、物語の舞台が東京であり、田舎で生まれ育った私にとって、物語の生活環境があまりにも違っており、私が子供時代に体験したことがないことが多く、エピソードの意味づけそのものが理解できないところもある。
といって、私が「三丁目の夕日」を貶めているわけではない。
両津勘吉が主人公の「亀有公園前派出所」という、国民的マンガがある。あれにも昭和30年代のお話がたくさんでてくるが、私には面白さとか懐かしさを感じるところは少ない。要するに、私は当時の都会を知らない田舎ものなのである。

../car.jpg もちろん私の子供時代と同じものもある。車の修理屋の様子は、私の子供の頃のイメージとおりだ。うちのオヤジは支那事変当時、自動車部隊にいたので、車の運転だけでなく修理もできたので、休日は近くの修理屋、といっても家から2キロ以上離れていたが、そこに行って手伝いのアルバイトをしていた。
当時の車はしょちゅう壊れた。だから修理屋が存在できた。今は自動車販売店はあっても、純粋な修理屋は少ないのではないだろうか。
小学校に入ったか入らないくらいの私は、ときどきオヤジが働いているところに遊びに行った。そんなとき、オヤジは板ばねの切れ端をグラインダーで削ってナイフを作ってくれたりした。また修理屋のオヤジから、古くなって交換したスパークプラグなどをもらうこともあった。一番価値があったものは、当時乗用車といえばアメ車がほとんどだったが、廃車になったボンネットやラジエーターグリルについていたエンブレムである。そういうものが私の宝物だった。
修理工場は土間で、機械油がしみて、そこに落ちたワッシャーやボルトなどが踏まれて埋まっていた。それはそれなりに趣があった。映画のそんなところは私の子供時代そのままである。

他方、やはり都会は田舎と異なるところは多い。
東京タワーの建設と映画の進行は同時である。集団就職の女の子が田舎から出てきたときは、まだ東京タワーは展望台の下あたりを建設中だった。お盆に女の子が帰省するときには、かなり上まで出来上がりつつあるタワーが遠くに見える。映画の登場人物たちは、東京タワーの建設と、これから日本はドンドン豊かになるぞという思いを重ねて持っているだろうということは想像できるのだが、私はその思いを共有できない。
田舎だって東京タワーというものができたということは新聞で知っていたが、実物の東京タワーが出来上がっていくのを見ることはできないし、完成したものを見たわけでもない。
私が現物の東京タワーを見たのは、15歳の時の中学校の修学旅行であった。
東京タワーと、日本の発展や生活が豊かになった実感とを重ね合わせることもできない。そんなことは、どこか遠い国の出来事である。

そして映画では、そのあと修理屋のオヤジがテレビを買い、近所の人たちが修理屋に集まってテレビを見る場面となる。ここも大きく違う。
私の田舎では、そのころテレビ放送が見られたわけではない。たぶん福島市などの都市には放送局があったのだろうけど、田舎には電波は届かなかった。テレビ放送が始まってからだいぶ経って、私の近所の大地主のところに電気屋がテレビを持ち込んで、町内の人を集めてテレビを見せたことがある。なぜ大地主の家かというのは広い家でないと、大勢の人が入れない。高い木にテレビのアンテナをつけないと映らない。だから大地主の家で映写会を行なったのである。その夜は近隣の人が集まって、プロ野球のナイター中継などを見て興奮したのである。間違いなく100人はいたとおもう。
当時、一般家庭でテレビを見ることは難しかった。まずテレビ受像機の値段が高い。それからアンテナを取り付ける高い木がない。その後何年もたって電波が強くなって、屋根に5mくらいのパイプを立てて八木アンテナをつければよくなった。
ずっとあと私が中学生になってからのこと、都会の大学を出て田舎の学校に赴任してきた先生が、家々の屋根という屋根に高いパイプを立てて、その上に八木アンテナがたくさん立っているのをみて驚いたそうだ。都会ではテレビの上に室内アンテナを置いただけでテレビが観られるという。それを聞いて私たちは驚く以前に、そんなことが信じられなかった。

それから修理屋の子供の友達がバスに乗って、自分を人に預けて後家に入った母親を訪ねていくエピソードがある。「ああ、なんてかわいそう!」と思う人もいるだろうし、思わせるのが狙いなのだろうが、私にはぴんと来ない。なぜなら、子供の頃、私が住んでいた田舎にはバスが走っていないから、バスに乗ってどこかに行くというシチュエーションを思い浮かべることができない。そんな時代にバスが走っているわけないという思いを払拭できない。だから感情移入できない。
情感の乏しいやつだと思われるかもしれないが、それは偽らざる実感だ。

要するに、人は自分が体験したことだけしか理解できないし、他人の感情を理解することはできないのだろう。人を理解することとは、相手の中に自分を見出すことという表現もある。赤毛のアンであろうと、パトラッシュであろうと、ハイジであろうと、日本で受け入れられた物語は日本人の生活習慣、生活水準、価値観と一致するところがあったからだろう。小公女とか小公子は、その価値観、生活習慣が違いすぎて、日本ではあまり流行らなかったのではないだろうか?
つらい境遇の物語「おしん」が開発途上国でものすごく受けたと聞くが、その理由がわかりそうな気がする。
「三丁目の夕日」の意味を理解できるのは、1950年頃東京に生まれた人だけなのだろう。

ハタと話は変わって、今、10歳くらいの子供が大人になったとき、2010年当時の思い出を描いた「三丁目の夕日」が作られるのだろうか?
2011年の現在は、東京タワーを建設した当時より、生活は豊かになったが、明日は今日より良いと信じている人は当時より少ないことは間違いない。
また1960年頃のアメリカとソ連というイデオロギーの異なる二大強国の対立は解消し、世界中を巻き込んだ核戦争が起きるという恐怖はなくなった。しかし、世界は平穏どころか、動乱やテロはむしろ増えている。政治抗争だけではない。地球温暖化とか、レッドデータブックに表される生物の種がどんどん消えていくこととか、資源枯渇とか、環境だけでも暗い話題が多い。そして今は国家間の抗争だけでなく、宗教戦争、資源戦争、中国の覇権などなど、紛争の種は限りなく、悩みの種も限りない。
東京タワーの背景には夢と希望あったが、東京スカイツリーの背景には東日本大震災と原発事故があるのだろうか。東京タワーは21世紀の現在も人気の場所という。それは高度成長前の日本はこれからすごく発展するという元気のいい時代という思い出があるからなのだろう。好きな歌はメロディや歌詞がすばらしいのではなく、その唄が流行った時の自分の境遇を思い出すからだと思う。
50年後の東京スカイツリーは、環境問題、大震災、原発事故などの暗い思い出のシンボルとなり、楽しいところではないかもしれない。いやそれどころか、廃墟となった無人の街にただ立っているのだろうか?
福島第一原発の事故対策が遅々として進まない報道を聞いていると、気分がめいる。




Yosh様からお便りを頂きました(11.03.27)
昔のこと
とうた様、
オヤジは板ばねの切れ端をグラインダーで削ってナイフを作ってくれたりした。
私は子供の時分には田舎でしたから山刀を爺さんから古を譲り受けて持つてましたが、親と小さな町に住み始めてから其れが持てなくて、近くの修理工場から掠め取つた鉄片で短刀を拵へて持つてました。
竹や木を切つて遊ぶ道具を拵へるには必需品な訳です。

小刀と言へば:
近くに私鉄の鉄道(私が居た町は私鉄の終点が有りました、其の鉄道は何年かして潰れました)に務めてる人が居て其の人が私等に:釘を線路の継ぎ目に置き伸ばすことをする(小刀にするのです)のが居るが汽車が脱線するやも知れんから、絶対せんでくれ、(線路に物が置かれてると機関手は目が良くて見つけるさうです、其の度に汽車を止めることをせなければならんから、時刻通りに運行させられぬのが問題になるのださうです。)と言はれてので其れはせんかつたです。
其の人は近所の子供を集めて無料で汽車に乗せて他の町や村へ遊びに連れて行つて呉れてたので、其の人が言ふことには皆従ふてました。
其の内に“肥後の守”を持つことが出来ました。
他に今なら警察に逮捕されるでせうが、前込め式の単發の拳銃を拵へて人気のない川原で的撃ちをして遊んでました。
全て手作りので遊んでたのです。

Yosh師匠 毎度ありがとうございます。
私が子供といっても小学校の頃ですが、汽車の線路に5寸釘をおいてぺちゃんこにして遊んだりしました。釘は軟鉄ですから、平たくなってもナイフになりません。
石を置くのはご法度でつかまったのもいました。
よかったか、悪かったか、今の価値観とか基準ではいえませんね。お菓子もなく、アイスキャンデーもなく、柿を盗み、芋を盗んで食べた時代です。

那須山のアオバズク様からお便りを頂きました(11.03.27)
再生・復興のシンボルになれるか
こんにちは。「三丁目の夕日」が話題になっていたのでちょぃと。
そうですか。当方も地方生れの地方育ち故にあの映画は一種の時代劇程度にしか感じられませんでしたから、共感できるものが少ないとピンと来ないのは致し方ないのかもしれません。「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」も似たようなものかも。
第二の東京タワー-スカイツリーが再興・再生のシンボルになるのか、はたまた「人類の最新技術・思考を凝らした結果のなれの果て」化するのかは、これからの人々の意志とか行動にかかってきますので何とも言えませんが。
スカパー・ヒストリーチャンネルで「人類が消えた日」とかいうタイトルのCGがありましたが土木構造物は100年以上は存在するらしいです。人間が去ったあとは野鳥や小動物が住人になるでしょう。ただ高層ビルは窓ガラスが割れてしまうと途端に朽ちる速度が速くなります。管理する人間が居ないと堤防やダムはたちまち決壊するでしょう。
なんだか次第に世界情勢が荒々しくなってきて人類にとっては住みやすいところと住み難いところが二極化してきているのでしょうか。管理人様の仰せの通り、すったもんだの原発災害、災難はどこまで追い打ちをかけるのか。
そういや、あの東電さんも仕事をえり好みしたりしていないだろうか。難しい、厄介なことを避けてきた結果があの状態ではないのだろうか。

那須山のアオバズク様 毎度ありがとうございます。
「人類が消えた日」は存じ上げております。観た時はまったくの想像の世界と思っていましたが、明日にでも現実になるのかという恐怖を感じます。
放射能で生物が死滅するという発想も人間の思い上がりらしいですね。一般に動植物は寿命が短いし、奇形や生存能力に弱点があれば適者生存、弱肉強食の世界ですから弱いものは斃れ、強いものが生き残り、それなりの生態系が形作られ生態系は存続していくようです。
人間が未熟児を救い、不適格者をバリアフリーという美名で共存できるのは、21世紀の今が豊かだからに過ぎません。
厳しい環境になればすぐにも楢山節考の世界になることは間違いありません。
願わくは、私の命のある間はそのような極限世界になりませんように・・アーメン


Yosh様からお便りを頂きました(11.04.03)
はい、とうた様、
釘は軟鉄ですから、平たくなってもナイフになりません。
小遣ひの金も貰へぬで本當の小刀を買ふことが出来ぬから小刀の形をさせたのを持ちたがつたのです。
友達の一人の家が町の映画館だつたので友達の手引きで仲間で忍び込んで観た映画で刑事(?)が五寸釘を手裏剣代はりに投げて悪党を退治するのがあり其れから流行りました。
其の映画の通り五寸釘は手裏剣にすると手頃でした。
後に折れた金切り鋸の刃を掠めて手回しのグラインダーで刃を付けたのは大概のは切れることを知りました。

Yosh様 お互いに子供の頃は物のない時代でしたね
鋸の刃は炭素鋼でしょうからそりゃ切れますよ。しかし、やわらかい鉄だって炭素を含ませれば固くなるはずなのですが、そういう方法はなかったのかな?
私の知識ではわかりません。


あらま様からお便りを頂きました(11.04.03)
軟鉄を硬鉄に
おばQさま あらまです
炭素の少ない鉄には「浸炭」と言う方法で、表面を硬くすることがあります。
昔は炭の中に軟鉄を入れて、焼入れ焼き戻しをしていましたが、今はガス浸炭が主流ですね。

あらま様 毎度ありがとうございます。
そんな魔法のような方法があるのですか!?
簡単に言えば、火鉢の炭の中に釘を差し込んでおけば炭素量が増えるということでしょうか?
うーん、魔法のようです・・・


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