ニイタカヤマノボレ 2011

11.12.10
「今年はニイタカヤマノボレはないのか?」
「真珠湾攻撃を忘れてしまったのか!」
と言われているかもしれない。いや影でそうおっしゃっている方はいるだろう。私が真珠湾攻撃を忘れるはずはない。このところ、出張続きでネットに書き込む時間がなかっただけです。多少遅れてもお許しください。
どこかの国の外務省が、アメリカへの宣戦布告を届けるのが遅れて日本の名誉を傷つけたというのは有名な史実であります。それに比べれば私の遅刻はかわいいものです。
ということで、若干遅れましたが、ニイタカヤマノボレ2011であります。

../wtc.jpg 昔、アメリカ人なら真珠湾攻撃のとき、どこにいたか忘れないと言われたそうです。まあ、「トラトラトラ」から70年も経ちましたので、そのとき物心ついていたアメリカ人の多くは、既にお亡くなりになっていることでしょう。もちろん開戦時に物心ついていた日本人の多くも、既にお亡くなりになっているのは間違いない。
今は、アメリカ人ならWTIビルテロ攻撃のとき、どこにいたか忘れないと言うのでしょう。
日本人なら、東日本大震災のとき、どこにいたかを忘れないということになるのでしょうか?
ともかく、真珠湾攻撃はものすごいインパクトがあり、歴史と記憶に刻まれたのでしょう。もちろんWTIテロも東日本大震災も、

しかしと、最近思うのです。
明治維新から143年経ちました。真珠湾攻撃からは70年、もう今から明治維新までの半分の遠さになってしまったのです。
「降る雪や、明治は遠くなりにけり」と詠まれたのは1931年、そのときは明治が終わってまだ20年しかたっていなかったのです。ならば、70年も経った真珠湾が遠くなるのは当然なのでしょう。
今から10年前、私がこのウェブサイトを作ったときは、真珠湾攻撃から60年だったのですが、既に70年経過したのですから、いつまでも過去の出来事をどうこう語るのも意味がないのかもしれません。

でも、歴史を教えない日本、歴史を捏造する特定アジア、この差は圧倒的なひずみをもたらします。そのひずみは日本への圧力となり、歴史を知らない(無知というべき)若い日本人は、韓国や中国のうそに精神的に負けてしまうのは間違いありません。

../akagi.jpg 真珠湾攻撃を忘れても、その精神を忘れてはほしくない、
東日本大震災、そして経済危機など難関が立ちはだかっている現在、かっての日本人が持っていた勇気と犠牲心そして誇りを失ってはならないと思うのです。

戦争を美化することはありませんし、人間も国家も間違いもすれば失敗もします。でも日本は、けっこうがんばってここまで来たということを忘れてはいけません。
そして、がんばらずに滅んだ国はおびただしくあり、今生き残っているすべての国々は、過去大いにがんばって、そして戦争に勝って生き残ってきたということを忘れてはいけません。
お手々つないで徒競走するような感覚では、この弱肉強食の世界を生きてはいけないのです。

しかし、私自身がさめつつあるのですから、もう、これがニイタカヤマノボレの最後かもしれません。



みなみ様からお便りを頂きました(2012.04.23)
ニータカヤマノボレ
初めて読ませて頂きました、継続してほしいです。
日本を離れて40年が過ぎました、離れて暮すと短所長所が良く見えてきます、最近の若い欧米日本人には私が若かった時の様な誇りがあまり感じませんね、”如何でも良い”と言う様な感じですね〜。私も他人の事をとやかく批判する様な者じゃ無いですが、日本語が少し変になってますが、でもやはり本文を読んだ時にすごく嬉しいかったです。
みなみ

みなみ様 お便りありがとうございます。
日本人よ誇りを持ての主宰者のおばQです。
みなみ様の日本語は全く正常ですよ。現在の日本人(私を含む)のほうが、あやしげなテレビや新聞でおかしい日本語に変化していると思います。
このウェブサイトを作りましたのはもう10年以上前のことです。私は終戦直後の生まれですが、父や母に教えられたことと戦後の報道や学校教育があまりにも違うのにとまどいました。そして戦死した叔父のお墓さえ親族が鬼籍に入るにつれてお参りする人さえいなくなってしまうことが悲しかったのです。
日本のために戦争に行った人を祭ることは、誇り以前の人間としてのアプリオリのことのように思えます。
まあ、そんなことを思いましたのでウェブサイトを作りましたが、それから10年、いまだ日本は変わらず、どうなるのでしょうか?
ただ、座して死を待つことは嫌いなので、社会に主張するだけはして死にたいと思います。
また気が向いたらお便りをお願いします。
ありがとうございました。


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