日々好日

12.05.25
早いもので私が引退してちょうどひと月になる。
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うるさいね
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まあまあ
今日は家内が出かけているので夕方洗濯物を取り込むと、マンションの中央の緑地で子供たち・・小学校前から低学年であろう・・が遊んでいる。だいぶ暗くなっているが、マンションの敷地中なので車が来る心配もないし防犯上も安全だから親は気にしないのだろう。
家内が帰ってきたのは6時過ぎであったが、まだ表で遊んでいる子供たちの声がマンションに反響して大きく聞こえる。
「うるさいねえ〜」
座るなり家内が不満そうに言う。
「そんなことを言うなよ、子供たちがいて表で遊ぶのはいいことじゃないか」と私

耄碌の始まった私は60年前にタイムスリップした。
私は引揚者用の長屋に住んでいた。6畳と4畳半の二間で風呂もない数十戸の長屋があり、我が家はそこに両親と兄弟4人、それに父方の祖母の7人が住んでいた。そんな狭い家に大勢が住んでいるなんて、今の人には想像もつかないだろう。 当時の畳の大きさは今の団地サイズより大きかったとはいえ、狭い二間に7人が住むというのは私自身信じられない。
長屋というのは壁を共有しているわけで、隣で何を話しているか聞こえた。だから夫婦喧嘩とか親が子供を殴ったことなどはもう筒抜けだ。
私が住んでいた長屋は天井がなかった。もちろん屋根はある。電灯の電線が屋根の裏側をはっているのが丸見えだった。雨風が防げればありがたいと思っていた時代である。
もっとも天井がないということは良いこともある。ネズミが住むところがない。やがてお金ができると天井を付ける家が増えてきたが、そうなるとネズミが天井を歩く音が聞こえるようになった。

小学校は片道4キロくらい離れていて、子供の足では1時間以上かかったように思う。学校から帰ってくるとすることがない。昭和30年頃は宿題もないし、予習復習なんてするわけがない。まして中学校を出たら歩いて行けるところの小企業で働くのが運命であった我々に、勉強しようという発想があるわけがない。また当時はテレビどころかラジオもない。
ラジオが一般家庭に広まったのはいつ頃からなのだろう?
貧乏長屋の家々でラジオを買うようになっても、更に貧乏な我が家では買えなかった。「笛吹童子」というドラマが子供たちに人気で、聞きたくて近所の家に頼んで窓を開けてもらって外で聞いていた記憶がある。調べると笛吹童子は1953年放送だそうだ。

そんなわけで学校から帰ると夕飯になるまでの数時間、長屋の路地で何十人という子供たちが遊んでいた。当時は車どころかバイクなど走っていない。せいぜい自転車があったくらいだ。もっとも長屋の路地は砂利道で、雨が降るとあっという間に泥の川となった。東南アジアの風景そのものだ。

話がそれにそれている。
私が思い出したのはまさにそんな風景だ。狭い路地に大勢の子供たちが思い思いの遊びをしていて、それはものすごくうるさかった。縄を輪にして電車ごっこをする連中もいたし、縄跳び、鬼ごっこ、すもうとか、お金がかからない、道具がいらない遊びをしていた。
当時、キャッチボールをすることはない。グラブはない、ボールもない、バットもない。
サッカーはまだ知られていない。サッカーなんて世に知られるようになったのは1965年以降のこと
体を使う遊びのほかに、五並べも石を使わずに地面に棒で書いて遊んだ。
まあ、みんな貧乏だったから
マンションで遊ぶ子供たちの声を聞いて、あの夕暮れの長屋の喧騒を思い出した。
ゲーム機で遊ぶよりも、根源的というか人間の子供のあるべき姿のように思う。
いずれもうろくした頭の妄想である。



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