折り込みチラシからの妄想

12.09.12
私は新聞を読まない。いや、私は長年、5年や10年ではない、50年間も読売新聞を購読していた。アサヒや毎日に比べれば、保守的で客観的、まっとうな新聞だと信じていたからだ。それが数年前、読売のナベツネと朝日の若宮がタッグを組んで、日本を左に導くぞと宣言してから、私は新聞を読むのを止めた。報道は中立だからこそ意味がある。そんな偏向報道を読んでも少しも役に立たない。
また私はテレビを観ない。テレビなど時間の無駄としか言いようがない。じゃあ、どんな方法で社会の動き、ニュースを知るのか?というご質問があるだろう。インターネットである。各新聞社、通信社、個人の意見、その他を複数見ていれば社会の動きはわかる。社説など一つ読むより複数比較した方が、客観的によく分る。ということで新聞も読まず、テレビも見ないが、そう世の中に遅れているとは思わない。
捏造はいけません
テレビも信用できないね
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とはいえ、家内はテレビを観るのが楽しみで、番組欄が必要だし、折り込みチラシも必要だ。ということでそれ以降、読売にこだわらず、というか、数か月単位で切り替えている。新聞を切り替えるたびにトイレットペーパーとか洗剤とか観劇の招待券など、いろいろもらえるから良いという事らしい。折り込みチラシも重要である。安売りの広告は主婦にとって重要な情報源である。それだけでなく近くのスーパーのクーポンがあると家内は忘れずにとっておき、買い物の際に持参する。一回当たり何十円とか100円程度らしいが、月で考えると新聞代の3分の1くらいは回収しているらしい。

私も新聞は読まないが、折り込みチラシは楽しみにしている。曜日によって折り込み広告の種類が違うのも面白い。休日は求人広告が多く、パチンコの曜日もあるし、不動産の曜日もある。
今の季節に多いのは進学塾の広告だ。今日入ってきたのを数えたら、十指ではきかない。足の指まで使わないと数えられない。
リソー、トライ、個太郎、セレクト、正学館、栄光といった大手から、近所の個人経営の学習塾もある。夏休みから秋までは来年の入学試験に向かってまさに正念場なのだろう。
正月になったらもう手遅れと覚悟を決めて、おせちを食べるしかない。

いつものことだが、ここから老人の妄想が始まる。
私が入学試験というものを受けたのは1度だけだ。公立高校に入るとき入学試験を受けた。当時の中学校の一クラスは50数人いた。その内、7割くらいは中学卒業で就職したが、残りは高校に進んだ。当時は高校に行ければ御の字という時代だった。大学にはほとんど行かなかった。中学の同級生50数人のうち、大学に行ったものは知るかぎり3名くらいだ。その3人はみな公立中学の先生になった。
さて、高校の第一希望は公立高校だが、そのうちの半分くらいは私立高校を受けて滑り止めにした。当時福島県の田舎では私立高校はレベルが低く、公立に入れないときに行くものと思われていた。そして私立の授業料は高く、公立の倍以上した。
私は私立に合格してもどうせ学費が高くて行けないので受験することはなかった。いやそれ以前に、我が家では私立の受験料を払う余裕もなかったと思う。
ということで私の人生で入学試験を受けたのは、公立高校の一回だけである。
そんな状況だったから、塾なんて行くわけがない。当時勉強の塾があったかと思い返すとなくはなかった。だけどそれは良い学校に行くためのものではなく、レベルの低い子供が学校の勉強についていくためのものだったような気がする。
また家庭教師というものも田舎のことで近くには大学はないから、大学生がお金稼ぎに家庭教師をしていたという例はなかった。
私は体が小さくてけんかも弱くてスポーツまるで駄目という、のび太のような子供だったので、勉強で負けないという選択をした。といっても塾に行くわけでもなく、家で勉強したわけでもない。学校でまじめに授業を聞いていた程度である。それでも居眠りもせずに、授業をサボったりもせずにちゃんと聞いているだけで当時は良い点が取れたのである。
他の連中がいかにサボりにサボっていたかということだろう。だって中卒で働くのが決まっているなら、学校で数学や英語を勉強する気にならないのもやむをえない。当時の中学の数学の最後は三角関数だったが、中学を出て中小企業で働くのにサインやコサインが必要とは思えない。
ともかく当時は塾だとか家庭教師というのは珍しい存在だった。
私の学んだのはほんとうに田舎町のさらに町はずれの中学だったけど、それでも成績上位の生徒は県立の進学校に進み、東北大クラスには入ったのだから、当時としてはそんなにレベルは低くなかったと思う。

田舎町であっても市街地にある中学校では高校の進学率はもっと高かったし、大学に行った者も多かった。町はずれに小学校や中学校ができるまでは、引揚者住宅に住んでいる我々は片道4キロくらいを歩いて市街地の小学校や中学校に通った。市街地の中学は半数くらいが高校に進学し、1割くらいは大学に進学したようだ。

話はどんどん変わる。
私はとうに定年になり、今は悠々自適ではないが、ブラブラしている。
人生にイフ(もし)はないが、もし、私が大学に行っていたらどんな人生があったのかということは気になる。
昭和40年前半である。当時大学に行ったら、田舎では公務員か教員(やはり公務員だが)になるのが普通だった。既に述べたが、私の中学の同級生は公立校の中学の先生になった。
彼らはどんな人生を歩んだのかというと・・・
当時はイジメとかあんまり話にもならなかった。のどかであったのかといえば、そうではない。当時は日教組が強かった(今でもか?)。
一生懸命子供たちを教え、クラブ活動をし、問題を起こさないよう、落ちこぼれないように頑張るよりも、アカに染まってサヨク運動をしたほうが人生は気楽だったと思う。実際にそういう先生は多かった。
ともかく新人先生は街の中の学校に配属されるわけがない。我々が住んでいた田舎よりも、はるかに田舎に回された。運が良ければ5年くらいでそんなドイナカを脱出して、一応市と名がつくところに回されるが、運が悪ければ定年まで田舎の山奥の学校の先生であることも珍しくなかった。
今とは違い、誰でも車を持つ時代ではない。そして道路も交通も不便だった。帰省するにはバス、電車を乗り継いで同じ県内であっても1日かかりということも珍しくなかった。
職業訓練所の先生というか指導員になったものもいた。職業訓練指導員になるのは大学と違い、賃金がもらえるので、貧乏な人のねらい目だった。そして、公立学校の先生と違い、職業訓練所は山奥にはなく都市にあり、転勤も少なく良かったようだ。 公務員試験に合格して県職員になった者も、最初は山奥、10年も経ってやっと市街地に転勤できる。しかし課長になるとまた田舎に転勤、そして50近くなって市街地に転勤して定年になった。
それは大変だと思うけど、そうでもしないとみな田舎はいやだ、都市部がいいとなって収拾がつかないだろう。
結局、大学に行って先生になってもたいしたことはなかった。もっとも賃金は田舎の労働者風情よりは高く、田舎では社会的地位も高い。

私が30歳を少し過ぎたころ、1980年代初めのこと下請けに指導に行った。みたことのない顔が一生懸命作業しているが、手の動きの遅いこと、いったい今までどんな仕事をしていたのかと興味を持った。その社長に聞くと、学校の先生をしていたのだがいじめなどの問題があって先生を辞めてここで働くようになったのだという。私はそれを聞いて、せっかく大学まで出て、そして先生になったのに、なんで辞めてこんな仕事をしているのかと脇で見て思った。
当時は大学出は私のような立場から見れば、うらやましい存在で、まして田舎の先生を自分から辞めるなんて想像もできなかった。

公務員になった奴とは大人になってからも何度か会って話を聞いたことがある。一般企業と違い、仕事の手順はしっかりと定められていて、それにしたがって行うような話だった。
良く言えばISO的であろうし、悪く言えば封建制というのだろうか?
私はサラリーマンとしては最下層だった。しかし企業においては上司がいうとおりしてダメだったりすれば、その上司を批判することができたし、部下の評価によって管理職であっても左遷されるのは世の習いである。
しかし公務員はそういう発想もなく、規則を守り、前例を踏襲することが仕事をする上での鉄則とのことだった。あげくに昇給も入社年度によって一律に決まるというのだから恐れ入る。そういう人生もあるのだろう。
しかし働く人も、働かない人も、サヨク運動していても同じ賃金だというなら、サヨクをした方が楽だと思う。自治労にアカが多いというのはそれなりの理由がある。中小企業で左翼運動をしたら、会社がつぶれる。

私自身は都会に出てきて早10年、小中学校の同級生も高校の同級生とも、ほんのわずかしか年賀状のやり取りなどしていない。また電車でちょっと行けるところに住んでいる人はいないので、今多くの人がどんな暮らしをしているかは全然わからない。
でもたぶん、私と変わらない暮らしをしているだろうと思う。
そりゃ、預金通帳の額が私と違って何千万もあるとか、年金が倍も違うこともあるだろう。
しかし、そんなことは小さいこと、人間の最後はみな死ぬわけで、みんな人生の収支決算のボトムラインは同じではないかという気がする。
そう思わないと、やりきれない。 苦笑い

最後は学習塾に戻る。
20年も前に同じ職場で一緒に働いていた人が、今では田舎で学習塾を経営していると風の便りに聞いた。私より二つ三つ若いはずだ。なんでサラリーマンを辞めて学習塾を始めたのだろうと思ったが、いろいろあったのだろう。今頃は近所に生徒募集のチラシを配っているのだろうか?
ご苦労なことである。


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