家事労働

12.10.11
引退すると会社勤めをしていた時のように、朝5時過ぎになれば起きなければならないということはない。いや一日中寝ていても良いわけだが、そんなわけにもいかない・・
今の季節最低気温は17度くらいになったが、まだ夜はマンションの窓を開けて寝ている。それで7時半になれば必ず目が覚める。寝過ごすことは絶対にない。なぜなら幼稚園や小学校に子供を送り出すお母さんたちがマンションの中庭に集まってワイワイとお話をするのだが、それがうるさくて目が覚めるのだ。なにせひとりふたりではない。何十人もがいくつものグループになって何を語りあっているのか知らないが、若い娘のキンキン声で小鳥のさえずりのようだ。
寝ぼすけの家内も外がうるさくなると起きるしかない。

朝飯を食べながら家内との話である。
家内である
「昔、主婦が外でだべっているなんてことなかったよね?」
おばQ
「そうだねえ、何もしないでおしゃべりだけしているということはなかった。でも俺んちの方は各家庭に井戸も水道もなかったから、井戸端会議といって、共同水道のところで洗濯をしながら半日おしゃべりをしていたね」

ちなみに家内は私より5歳下だが、家内の実家に水道が来たのは1990年頃、まだ20年くらいにしかならない。ただ、家内は農家だったので、どの家にも井戸があり、井戸端会議というものはなかったという。
家内である
「まさか半日もおしゃべりしてはいなかったでしょう」
おばQ
「いや、昔は手で洗濯をしたので、時間がかかったんだ。信じられないかもしれないが、当時は下着でもなんでも三日くらいは着ていて毎日洗濯することはなかったけど、あまり汚れが落ちない洗濯石鹸で洗濯板を使って洗うのは時間がかかったんだよ」

洗濯板というのをご存じだろうか? 幅30センチ、長さ60センチ、厚さ1センチくらいの木の板で、横に何本も溝が掘ってあり、洗濯物をそこにゴシゴシとこすって汚れを落とした。
私はやせて肋骨が浮き出ていたので、学校の身体検査などでは洗濯板みたいな体をしているとからかわれた。そう言われてもしょうがない。まともなものを食っていないのだから当然だ。

当時、長屋には棟ごとに水道が1か所しかなく、洗濯するのも順番待ちだったように記憶している。当時幼稚園などあるわけはなく、小学校に入る前の子供は母親たちが洗濯している脇で遊んでいた。

家内である
「洗濯といってもあんたと結婚したときは二層式洗濯機だったもんね。あのときは洗濯が終わるとすすぎにして、脱水は入れ替えてと結構手も目も離せなかったね。それに一度に洗濯できる量が小さかったから、全部一度ってわけにはいかなかったし」
おばQ
「今は洗濯物を全部放り込んでスイッチを押せば終わりだ」
家内である
「でも我が家は乾燥までは付いてないよ」
おばQ
「全自動にしたらボケるというか、一層ボケが進んでしまう。まあ、ベランダに干すのもボケ防止と健康のためにいいんじゃないか」
と、そんな話をしたのであります。
そこから私の妄想が始まりました。

私が生まれた終戦直後の暮らしと言えば、60年後の現在より、それより60年前の明治中期の方が近いことは間違いありません。

一般家庭において
 
1885・明治18年
終戦直後
1945・昭和20年
現在
2012・平成24年
通学の履物 下駄、草履 下駄
照明 ランプ 白熱電球 蛍光灯・LED
暖房 コタツ、火鉢 コタツ、火鉢 ストーブ、エアコン
冷房 うちわ うちわ 扇風機、エアコン
洗濯 洗濯板 洗濯板 全自動洗濯機
冷蔵庫 なし なし 電気冷蔵庫
掃除 はたき、ほうき はたき、ほうき 掃除機
電話 なし なし あり・携帯もあり
ラジオ
放送開始1925
なし なし あり
テレビ
放送開始1953
なし なし あり

いつの時代でも進歩はあるでしょうけど、私の子供の頃の暮らしは明治とそんなに変わっていなかったように思うのです。 私が中学の時、技術家庭という科目があって、男も裁縫や炊事の真似事をしたものです。掃除は「はたき」をかけて「ほうき」で掃きだしました。家庭科の教科書に、電気掃除機というものがあるので将来はそういうものが普及するのではないかと書いてありました。
電話があるのは商店とか医者の家だけ、一般の家庭にはあるはずがありません。電話は受話器をを持ち上げると、郵便局の交換士が「ハイ、どちらにおかけですか?」と言って、「232番お願いします」なんていうとつないでくれるのです。
その頃は電話は郵便局が担当していたのです。電信電話公社というのができたのは1952年(昭和27年)のことです。

今、家の中にあるものを棚卸してみましょうか。
うちわ 扇風機、ありません。暑いときはうちわをパタパタしたものです。我慢できないほど暑いときは、やはり我慢するしかありません。
エアコンなんて扇風機さえないのにあるはずがない。バスにもない、汽車にもない、商店にもない、どこにもない。暑いとき涼しくなろうとすると、怪談話でも聞くしかない。
電気釜、ありません。ご飯はかまどで炊きました。だから日によっておこげができたり、柔らかすぎたり、めっこ飯だったり、バラエティに富んでいて、きょうはどんなご飯が食べられるかと楽しみでした。いや本当はおこげもめっこ飯も嫌いでした。
ラジオ、ありません。連続ラジオドラマを聞きたいときは、町内に何軒かラジオがある家があったので、そこに行って窓を開けてくださいとお願いして、窓の外で聞きました。
テレビ、なものあるわけないでしょう。
電熱器、ありません。
コタツ、ありましたよ。木炭に火をつけて温まるものが。
火鉢、今はないか・・・
時計、親父は腕時計を持っていました。家には柱時計がありましたが、他には時計と言えるものはありません。中学に入って、英語の教科書に「アラームクロック」というのが出てきましたが、私は目ざまし時計というものをみたことがなく、どんなものか想像もできませんでした。
冷蔵庫、そんなものありませんでしたね。上の姉が結婚したとき冷蔵庫を買ったというので、すごいなあと思いました。下の姉はその翌年結婚したのですが、こちらは余裕がなくというか、世間並みだったので冷蔵庫は買いませんでした。私が結婚したのはそれから何年もしてからですが、借りたアパートに私の前に住んでいた人が置いていったホテルにあるような小さな冷蔵庫を何年も使っていました。氷を作るとか、買ってきた肉を保管している程度には役に立ったのです。
私が生まれたときから、我が家は電気が来ていましたので、照明は白熱電球でした。他に電気器具といえるものはありませんでしたので、電気をつけるということは照明の電球のスイッチを入れることでした。電気を消すというのも同じ。
私の子供の頃は、月に何度か停電があるのは普通のことでした。ただ電気を使う器具は照明しかなかったので、日中停電になってもなんにも困りませんでした。

だから家事というのは大変な労力がいった。炊事するにしてもかまどは火加減をみていないと消えてしまったり、熱くなりすぎたりする。
お風呂は各家にありません。週に2度くらい銭湯に行きました。銭湯といっても歩いて数分というわけではなく、歩いて20分とかかかるわけです。冬なんて家に帰りつくと冷え切ってしまいます。やがて各家庭でもお風呂を置くようになりました。各家庭にお風呂を置けるようになったのは、各戸に水道が来たからです。それで井戸から水を汲んでという経験は私にはありません。でもお風呂も薪でしたから、適当な温度にするにはつきっきりで見ていなければなりません。ぬるいと裸で風呂から出てまた焚かなければなりません。
お掃除ははたきをかけて、ほうきで掃くわけですが、それだけじゃありません。障子の桟のごみを拭くのは手間が大変でした。それよりもいやだったのは板張りのところは雑巾がけをすることでした。学校ではレースのように何人もが横一列になって雑巾かけをしました。とてもももの筋肉が疲れるのですよ。
今の女性は付け爪をしてる人が多いですが、お米をとぐことをしないからでしょう。あるいは洗米器というものを使っているのかもしれません。毎日朝晩米とぎをしていると、爪がすり減って爪切りをする必要がありません。
昔は指輪をしている女性が少なかったのも、豊かでなかったこともありますが、指輪をしていては炊事も掃除もやりにくかったからだと思います。
腕時計をしている女性も少なかったですが、当時は防水機能などないので、腕時計をして水仕事などをすれば、即故障しました。

主婦の仕事は「さしすせそ」と言われていました。さは裁縫、しは躾、すは炊事、せは洗濯、そは掃除です。今はそんなのゼーンブ過去のものとなってしまったようです。
裁縫なんてする人いるのでしょうか? 家内は最近ミシンを買ってなにやらしていますが、実用目的じゃなさそうです。服だってボタンが取れたら似たようなボタンを買ってきてつける人ってどれくらいいるのでしょうか? まずそのまま着て、そのうち捨てるのが普通じゃないのかな?
躾ですって、母親本人こそ躾が必要なようで、子供のしつけなど・・
炊事は先ほど言いましたように、自動化されていて力仕事も頭を使うことがないようです。毎日の献立と材料を運んでくるサービスもあり、更には毎日おかずも炊いたご飯も運んでくれるサービスもあります。ごみを捨てる面倒もない。
洗濯、全自動洗濯機なら洗濯物を乾かす手間の不要でタンスにしまうだけ。いやタンスではなくクローゼットにぶら下げているなら、もうほとんど手間いらず。
掃除、掃除をするロボットが売られています。結構人気だそうです。家内に掃除ロボットを買ってやろうかと言いましたら、買わなくて良いからあんたがしてとのこと、というわけで我が家では私がしております。

まとめでございます。
昔の暮らしと今の暮らし、どっちが良いか?
一点の疑問の余地もなく、現在がよろしいです。
それを忘れちゃいけません。
昔に戻ろうなんて語る人は、昔の暮らしをしたことのない人です。


名古屋鶏様からお便りを頂きました(2012/10/11)
文化人を気取る連中の中には、殺人狂時代のチャップリンのように「人間は便利さを得た代わりに心の豊かさを捨てた」と嘆く方が見えます。しかしながら、モノの無い時代のほうが凶悪犯罪が多いのが現実で。「金持ちケンカせず」とも言いますし。
日本が豊かになると困る人達でもいるんでしょうかね?

鶏様 毎度ありがとうございます
確かに殺人件数などをみると豊かになると件数が減ってきています
最近凶悪犯罪が多いなんて言いますが、それは短期的なことで殺人事件は終戦直後から単純減少しています。
http://d.hatena.ne.jp/NORMAN/20080801/1218012928
はて、豊かになると困る人たち?
洗濯板を作っていた人、火鉢を作っていた人、炭焼きしていた人、
豊かになると心が貧しくなるぞと叫ぶオオカミ少年たちでござろうか?


ひとりごとの目次にもどる