2013年お正月

13.01.02
元日
お正月は二食にじきと決まっている。朝お雑煮を食べるとすることがない。私は新聞を読まずテレビを観ない。あんなもの偏向に満ちあふれている。と言っても、私は世の中の動きを無視しているわけではない。それどころか、朝日、読売、産経をの社説はネットで読んでいる。一紙だけ読んでいるのと違い、複数を比較すると偏向具合がよく分り面白い。

ともかく、田舎と違い、年始に行くところもなく、来る人もいない。娘一家は年始代わりに昨年暮れに我が家に遊びに来て、お正月は婿殿の実家に行っている。
家内が少しは腹ごなしをしようというので、昼頃、家内と二人で歩いて10分くらいのところにある神社みっつとお寺ふたつにお参りした。私の住んでいるところは田舎なのでそういう小さな社寺、特に神社がいくつもある。正直言って宗派はどことか何を祭っているのかも知らない。いずれも神社仏閣などといえるようなしろものではなく、小さなやしろがあるだけで、周りには神社やお寺につきものの森もない。代わりにあるのはブランコと滑り台で、近所の子供の遊び場のようだ。とはいえ参拝者は一人去ると一人来るという塩梅あんばいで、絶えることはない。結構地元の人は大切にしているという感じがする。我々もお賽銭を上げお祈りしてきた。有名な寺社一つに参拝するのと、小さな社寺5つに参拝するのと、どっちがごりやくがあるだろうか?
福島の田舎にいた時は、お正月と言えば地元の鎮守様にお参りするのが当たり前だった。だからテレビで成田山とか川崎大師などに200万とか300万人という人が参拝する(殺到かな?)のを観て、その人たちの近所には神社がないのかと不思議に思った。
有名なところに初詣にいくのも良いけれど、住んでいる近くにだってお寺もあるし神社もある。そういうところに行くのも情緒があってよいと思う。自分が氏子、檀家になっていればなおさらじゃないか。
ブラブラ歩いて小一時間、帰り道、どれくらいのカロリーを消費したかという話になり、家内はお餅半分にもならないよと言う。

年賀状今住んでいるところでは、年賀状は昼過ぎに配達される。お参りから帰ってくると年賀状が届いていた。以前勤めていた会社の人、以前住んでいた近所の人、兄弟や親戚、中学校の先生、何十年もあっていない同級生などからも来ている。来た年賀状をみると、私が出していない人も数人いて、あわてて年賀状を書いて出す。
後はいつもと同じく、本を読み酒を飲んでおしまい。いや本を読みながら酒を飲んでおしまい。

二日は皇居に一般参賀に行く。
私が一般参賀に行くようになったのは都会に出てきてからだ。だって福島から一般参賀に来るなんて想像もできない。まず電車賃が往復2万円近くする。時間もかかり、朝早く家を出ても、天皇陛下のお姿を見られるのは午後のお出ましになる。東京まで来たからにはあちこち見物したいと思うけど、お正月は混雑で大変だ。そんなことを考えたらとても無理な話だ。
今住んでいるところから皇居までは片道1時間弱だから、皇居に行くのは難しくない。そんなわけで娘息子が同居していたときは家族全員で、娘息子が独立してからは家内と二人で行くのが習慣となった。
一般参賀の後、多くの人と一緒にぞろぞろと皇居の中を通り、乾門、田安門を抜けて武道館を経由して靖国神社にお参りするというのもお決まりのコースである。
靖国神社にお参りしたのも私が都会に来てからのことだ。なぜ来たことがなかったかと言えば一般参賀に来るのと同じく、簡単に来ることができないからだ。もっとも皇居の一般参賀と違い、靖国は一年中来られるのだから、私の熱意が足りなかったからということはある。
じゃあ、なぜ今になって靖国に参拝するのかといえば、理由はもちろんある。
私の叔父二人は、戦死したからだ。もちろんお二人が戦死したのは私が生まれる何年も前のことで、私が会ったことはない。
二人のお墓は、田舎の草深いお寺に何人もの戦死者の石碑が一体となって建立されている。支那事変の頃は戦死すると立派なお墓を作っていたが、太平洋戦争になると戦死者が多かったので一人一人のお墓を作るのではなく、まとめて作ったのだ。手抜きかもしれないが、当時はしょうがなかったのだろう。
そのお墓には将校も下士官も兵士も並んでいるから、平等であったことは間違いない。






























実際には20人くらいつながっている。

親父は長年二人の弟の墓を守ってきた。親父は次男であったが、長男は東京に住んでいて、田舎の戦死した二人の弟のお墓に来たのを見たことがない。そしてその息子、私の従弟の代になってからは、はるか以前に戦死した叔父さんのことなど思いもしなかったのだろう。今はその従弟も死んでしまった。その従弟には娘しかいなかったから、我が本家の家系は途絶えた。
親父が死んだ後は私がお二人のお墓に、お彼岸、お盆、戦死した命日にお墓掃除をして花と線香をあげてきた。それは義務とか義理という以前に、人としてあたりまえのことと思う。しかし都会に出てくると田舎に帰るのは大仕事である。だから大変に申し訳ないのだが、我が家のお墓まいりするときについでに叔父二人のお墓に立ち寄る程度となった。私も東京の叔父が田舎の弟の墓を顧みなかったなどと非難することはできない。
その代わりと言ってはなんだが、機会あれば片道1時間で行ける靖国神社で、二人の叔父の平安を祈っている。しかし私が死ねば、私の息子は叔父のことなど知らないし、叔父のお墓はもちろん、靖国にお参りすることもないだろうと思う。

悲しいことじゃないですか。
日本のために戦って死んだ人のことを、誰も気にかけないなんてことは
日本の首相も参拝せず、国会議員も靖国を毛嫌いする、革新政党やサヨク団体は靖国を悪の象徴とみなしているようだ。
そんなことが許されて良いのか?

私がインターネットに開設しているものは、ウェブサイトが2つ、ブログが2つ、MIXIがあり、フェイスブックがあり、Croudiaがある。実をいって少し前までは実名で開設していたウェブサイトもあった。そこでは私の趣味について載せていたのだが、マンション組合がそのプロバイダとの契約を更新しなかったので、過去のデータをバックアップする間もなく消えてしまった。といってそれに価値があったわけでもない。
とまあ、あまりにも多数で、それほど細かく区分している状態ではないが、一応それぞれISO関係、政治関係、まじめ、おちゃらけと分けているつもりだ。
そのひとつISOのブログ「うそ800」に私が師と仰いでいる方が上京したので靖国神社で待ち合わせたと書いたら「右翼が好きなの?」とか「街宣車で走ってるの?」とか書き込まれた。

ご芳名書き込み日時
ご意見というか世迷いごと
ななし2012/12/24(月)
午前 11:14
右翼が好きなの?

まず右翼ってのを定義してほしい。そうでないと私が右翼が好きなのか、私も右翼なのかよく分らん
ななし2012/12/24(月)
午後 6:13
消されたってことは右翼ってお認めになられたってことかぁ・・・
反論できないからね。

私は削除していなかったが、この御仁、頭ばかりでなく目も悪いらしい
口だけは達者なようだ ww
Oじろう2012/12/25(火)
午前 9:26
街宣車で走ってるの?

街宣車でサヨクつまり民社党本部前に乗り込むのも面白いだろう。残念ながら私は街宣車を持っていない。

ホトホトがっかりした。まったくバカがいたもんだ。
バカバカしい質問を受けたとき、「それは良い質問だ」と応えるのが外交辞令のようだが、私は別に婉曲話法を使う理由もない。本音でお前はバカかという。
靖国神社で人と待ち合わせたら、右翼なのか? 街宣車で街を走る人しか靖国に行かないのか?
あきれて言葉もない。
いや、右翼ならどうだというのだ? 右翼は恥ずべきことで、サヨクはスバラシイとでもいうのだろうか。
ちなみに人と待ち合わせるとしたらどこにするのだろう。東京駅なら「銀の鈴」というのが定番らしい。しかし私は東京駅で10年間も乗り降りしていたが「銀の鈴」がどこにあるのか知らなかった。昨年「銀の鈴」で待ち合わせを約束をしたものの、駅員に尋ねてやっとのことでそこにたどり着いた。
だいぶ前、ISOの仲間と丸の内側の南口改札で会う約束をしたことがあるが、お互いに改札の外と内側にいてほんの数メートルしか離れていなかったが、相手に気が付くまで10分以上立っていたことがある。
初めて会う人で顔を知らない場合はますます困難をます。携帯電話で「右手を挙げて手を振れ」とか伝えるとわかりやすい。バラの花を胸に付けるというのはちょっと勇気がいる。

話を戻すとその時は、わが師が飯田橋駅近くのホテルに泊まっているとおっしゃるので、それならJR飯田橋駅か靖国神社で会いましょうと提案した。チェックアウト時間が過ぎてからホテルのロビーに長居するのはちょっと気が引けるだろう。
その方は靖国の方がわかりやすいとおっしゃったので靖国神社で待ち合わせたわけだ。それはともかくそこを選んだ私が右翼だという発想には恐れ入った。
どう考えても、そいつはバカなんだろう。
あるいはサヨク教育の被害者だろうか?

日本人に生まれて、平和と安全を当たり前のように暮らしている我々が、かって戦争に行って命を落とした先達のことを忘れず、敬い、その勇気と功績を称えることは当たり前のことではないのか?
靖国で戦死者の冥福を祈ることはおかしいとか、さげすまれることなのか?
そういう厳粛な場所で尊敬する人と待ち合わせることが異常なことなのか?
それを書き込んだアホを2時間ばかり問い詰めたいが、そんなクズ人間は私の論理を心情を理解することさえできないだろう。
もちろんそんなことを言うと反論は見えている。「戦犯が一緒にまつられているから」「中国様がお怒りになるから」などなど

「戦犯」てなんだ?
知っているなら説明してみろ
戦犯とは法律上の犯罪者ではない。国際法にない、いい加減というか恣意的な論理(屁理屈)によって有罪とされたに過ぎない。東条英機がいかなる国内法あるいは国際法に違反したのか、知っているなら言ってみろ。彼が戦争の指導者としてあまり有能ではなかったことは事実だろうが、犯罪者でなかったことは間違いない。
ついでに言えば私の親父は戦犯だったが、その理由は法務兵だったからに過ぎない。法務兵とは陸軍の憲兵にあたる海軍の警察官である。法務兵だったといえ別に捕虜を虐待したこともないし、そもそも捕虜を扱ったこともない。オヤジは盗みをしたりケンカをした兵隊を逮捕したり、軍法会議(軍の裁判)に連行したりしていたのだ。
日本が戦争に負けるまでは「陸軍軍法会議法」・「海軍軍法会議法」によって、軍人が窃盗や強姦など戦闘に関わらない犯罪を犯した場合も、一般の裁判所でなく軍法会議で審議、判決が下された。
当然そのための警察機構が必要でそれが憲兵、法務兵である。憲兵は脱走兵やスパイだけを取り締まっていたわけではない。
さいわい親父は処刑されなかったが、法務兵であったために、公職追放となった。そんなアホは公職追放という言葉も知らないだろうね。そしてこの公職追放こそが、マスゴミや教育界にサヨクがはびこる原因となったのだ。そういうことを知ってからものを言え。

そんなことを教えず歴史を知らない日本人を作り上げたのは日教組だ。
まさに日教組恐るべし
民主党の輿石は日教組バリバリだし、仙石は親が日教組バリバリだったらしい。もちろん仙石本人もマッカッカだけど。そしてそういう輩を国会に送りこんだのは、マスゴミと日教組、そして彼らに洗脳された国民なんだよね。
しかし不思議なことがある。共産主義であろうとサヨクであろうと、日本のために戦って死んだ人を敬うことは矛盾しない。むしろそういう意識がなければ共産主義のために、サヨクのために戦おうとする人が出ないのではないだろうか。彼らが大好きな中国であろうと北朝鮮であろうと、戦死者を弔うことは国家の事業なのだ。サヨクの考えはわからない。日本のサヨクは中国の共産党、北朝鮮の共産党以下のバカがそろっているようだ。
ともかく、民主党が政権の座から追放されて、日本はよくなるだろうと期待する。
私は、普通の日本人が靖国参拝することが当たり前だと思い、当たり前に参拝するようになってほしい。
私が街宣右翼と思われても別に困らないが、靖国参拝する人を右翼と思うアホな日本人がいることは困るのである。
お断りするが、靖国に参拝し戦死者に敬意を表するサヨクがいたなら、私は主義主張が異なれどその心情は理解しあえると信じる。そして人間としての価値観を共有することで、純粋に政治について議論できるだろう。

今日も酒を飲んで本を読む。私は間違ってもテレビを観ない。
大宅壮一がテレビを観ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまうという意味で「一億総白痴化」と言ったのは1957年、あれから半世紀が過ぎて予言は成就した。

さて、明日三日は成田山にでも行こうか。三日となれば参拝者もだいぶ少ないだろう。そして民主党撃滅、日教組撲滅、アホ日本人退治を祈願しよう。日本をもっとよくしなければならない。

今年の目標はサヨクを叩くことだな
おっと、去年と同じか・・・・



外資社員様からお便りを頂きました(2013.01.04)
おばQさま 本年もどうぞ宜しくお願いします。
戦後教育は、教科書に墨を塗ってから不連続ですね。不連続な思想は、結局は借り物ですから、論理的にどこかが破綻しています。
GHQは去って日本は独立したはずなのに、過去の単純な否定や当時決めたもの(憲法など)を変えられない状態から、未だに抜け出せない気がします。
その典型は、過去を否定して悪い事は戦犯や軍部の責任にしてしまう事や、アジアの国々に無条件で謝ってしまう事などに表れている気がします。
本当に戦争を繰り返したくないならば、判りやすい悪玉のせいにせず、原因を丹念に掘り下げる事。 アジアの国々に対しても、簡単に謝るよりも、改めて連続した歴史の中で、相互の相違や立場の違いも含めて、良い事も悪い事も理解して行く努力が必要と思います。
右や左と言ってしまうので簡単ですが、ドラマや漫画でもない限り、判りやすい絶対的な悪人が居ないように、本当は右も左もなく、あえて言えるのは相対的な位置の違いと思います。
となると、件の「右だ、街宣車だ」という人は、思い込みによる他人と自分の立ち位置を言っているだけなのでしょうね。

戦犯
これも、日本人自身で、あの歴史的な大敗北の原因と、責任を明確にするしかないのだと思います。 「平和に対する罪」も結局は勝者と敗者の相対的な立場でしかなく、日本人が決められるのは「大敗北の責任」の追及なのだと思います。
そこから導き出される教訓こそが、あの大敗北の犠牲に対する、ささやかな希望となる事を祈っています。

機会がありましたら、今後もぜひお付き合いください。

外資社員様 今年もよろしくお願いします。
あの戦争をどうであったのかというのを、GHQではなく日本人が再評価すべきでしょう。日本は全部良かったんだというのもありえませんし、日本が全部悪かったというのもありえないでしょう。
ただそれをするにはあまりにも時間が過ぎてしまい、関係者が鬼籍に入りもはや不可能だと思います。
しかしながら靖国問題は戦犯などとは無関係に国家がしっかりと見解を示すべきだと思います。今、少子化で親の墓を見るのさえ困難な時代になっています。まして戦争にいって結婚もせず子供のおらず、戦死した人を祀るのはもはや一般国民にはできません。国家の責任でしょう。
靖国問題は、私にとっては仮定の話とか、理屈ではなく、叔父たちをどうするのかという切実な問題です。ですからこの論点に茶々を入れるような人には絶対に妥協できません。まあすぐにかっかするのは、私が子供なのでしょう。
ともかくサヨクの論理は付いていけないところがあります。かって共産党は非武装を唱えていましたが、共産党が政権を取ったら再武装するとも語っていました。どうもその頭の構造が私には理解できません。
しかし半世紀以上の日教組教育でも洗脳されずに、おかしいと思う人がいるということは日本再興は可能だという思いを強くしております。




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