伊勢参り

13.04.10
伊勢参りとは伊勢神宮・・・正確には単に「神宮」というそうです。というのは日本に「○○神宮」と称するのはあまたありますが、神宮だけで通じるというか真の神宮というのは伊勢にある天照大神様を祀っているところだけだそうです。ともかく伊勢神宮にお参りすることは日本人の義務みたいなもの、イスラム教徒がメッカに巡礼するのと同じであります。
今はともかく、昔の人はお伊勢さんとか伊勢参りというのはものすごく身近なものだったようだ。実際に行けなくてもお参りしたことがなくても、伊勢神宮というものは身近なものであり、お正月には天照大神の掛け軸をかけたりした。私も歳をとるにつれて、死ぬ前には一度伊勢参りをしなければと思うようになった。
3年前会社を定年退職したとき、働いていたものの嘱託だから少しは時間に余裕が取れるだろうから、今年こそは伊勢参りと予定していたが、東日本大震災が起きた。震災直後は被災した親戚が我が家に避難してくるようなありさまで、まさに緊急事態であった。
しばらくして、みなさんの暮らしも落ち着いたので、では私も伊勢参りをしようとその秋に伊勢参りをしようと計画した。ところが2011年9月に台風12号がきて、とんでもない災害を紀伊半島にもたらした。それで再び私の伊勢参りはとん挫した。
それから1年半、会社を辞めたことだし、今ではいつでも行ける。そしていろいろな本を読むにつれ、伊勢参りをせにゃならんとますます強く思うようになった。
お断りしておくが、自分でJRの切符を予約したりホテルをとったりすれば、とんでもなくお金がかかる。私が行ったのは、家内と二人で2泊3日の交通費、宿泊費、食事付で11万という安いパッケージツアーである。

前日4月6日は晴れていたものの、昼前から雨が降り始める。テレビは九州、四国の暴風を映していて、明日の旅行は大丈夫か不安になる。
さて出立の4月7日、風は強く雨がぱらぱら降っている。JRのウェブサイトをみると、電車は正常運転をしているので大丈夫だろうと出かける。ところがこの日は春何番か知らないが大風が吹き雨が降るというトンデモな天候。駅まで来ると、着ているものはもう既にずぶ濡れである。そして総武線も遅延、京葉線も混乱して、いかに伊勢神宮の天照大神が私を嫌っているかということがヒシヒシと感じられる。それにもめげずダイヤが乱れている電車を乗り継ぎ、やっとのことで東京に到達。幸い新幹線は順調に走り名古屋に着きました。

ところが名古屋までは雨が止んでいたものの、観光バスが伊勢市に入ると雨が降り出します。ああ、天照大神様は、いかに私を試みようとするのか・・・私はヨブか! あるいは長年道を迷っていた私がやっと参拝するので感涙したのでしょうか。

ともかく、まず外宮参拝です、
周辺は高いビルもなく、住宅地もなく、田園の中に浮かぶ杜というイメージです。神社の中よりも、外から見る神社の森がものすごくすがすがしく感じました。現在では林は木々が少し生えているところ、森とはたくさんの木々が生えているところと思っている人が多いですが、本来は林というのは自然の木々、森というのは人が作った木立を意味するそうです。神社は森(杜)と書き、人が植えたという意味なのでしょうか。ですから木々の中にいて、自然の恐ろしさを感じるというよりもおごそかさを感じます。
それはさておき、風は強く雨は斜めどころか真横から吹き付け、傘をさす意味もなく、いや傘を広げるとオチョコになるようなありさまで、カッパを着て風にあおられながら参道を歩きます。それでも正宮から風宮、多賀宮、土宮その他すべてをお参りしました。正直言いまして多賀宮あたりは雨風が強く石段がすべり、登るのが危ないくらいでした。 その後、遷宮会館を見学。まあ見るものがたくさんありますが、時間が足りません。

次に内宮ですが、ここに至る頃には雨はようやく小降りになり、風も収まりました。正宮他をお参りした後、お守りを頂きまして境内を見学。
感じたことは外宮もいっしょなのですが、神社そのものは大きくはなく、粗末とは言いませんが格式から考えれば非常に簡素なものだと思います。例えば靖国神社にいけば、拝殿はとてつもなく大きく、一目見てすごいなあと感じます。でも伊勢神宮は大きくありません。田舎の神社クラスといってもいいくらいです。しかしそれが逆に一層すごいなあという感じがしました。そして日光東照宮のようにきらびやかではありません。塗装していない白木の神社で本当に田舎の鎮守様のようです。
ところで外宮も内宮もひどい痛みようです。屋根はもちろん藁ぶきですが、傷みが激しく半分腐っているような状況です。20年毎に遷宮(立て直す)わけですが、たしかにこのような建築様式では長持ちしません。1000数百年前は、天皇もこのような建物にお住まいだったのでしょうねえ。そういう意味でも非常に価値があるのでしょう。
ともあれ、このような傷んだ神宮ではやはり残念です。遷宮時期は混むでしょうから来年でも新しくなった社を再び参拝したいと思いました。

その後、見物しようとおかげ横丁に着いたのは午後5時少し前。伊勢うどんが有名だと聞いていたのでぜひ食べようとしましたが、もうどこも店じまい。私たちはやっとのことでまだ営業している店を見つけて食べることができました。しかしお客さんが大勢いるのに土産物屋も飯屋も5時前から店じまいとは、商売っ気のないところです。観光地というよりも単なる田舎町です。

伊勢うどん
伊勢うどん
腰がなくて美味しくないと語る人が多いですが、とてもうまかった。

しかし伊勢神宮もそうですが、関西を旅するとその歴史に圧倒されます。私の子供の頃住んでいた近くに松尾芭蕉が歩いた道なんてのがありましたが、そんなものたかだか300年程前のもの。伊達正宗が攻め落した砦といっても500年昔のこと。郡山開拓なんて明治時代のこと。
しかし伊勢神宮は1500年も歴史があるし、伊丹空港に降りるときは、ものすごい数の古墳を眼下に見ることができる。そういう歴史は私の田舎にはない。ちょっと、いやおおいに残念だ。せめて古事記に出てくる場所があったなら・・

今回旅をして気が付いたことはたくさんあるが、一番驚いたことは家内とはけんかしなくなったことだ。若いときは二人でも家族でも旅行すると、しょっちゅう喧嘩ばかりしていたものだ。
年をとって元気がなくなったせいか、あるいはあまりこまかいことに拘泥しなくなったせいか、まちがっても人間ができたせいではないだろうとは思う。
それともお伊勢さん参りしたおかげでしょうか?




外資社員様からお便りを頂きました(2013.04.11)
おばQさま
未曾有の荒天にも関わらず、無事のお帰りは 日ごろのご人徳か、神助の賜物でしょう。
伊勢神宮のように簡素だから見えてくるものはありますね。
天候が良ければ、神楽舞でも見られたのでしょうに、残念でした。

とは言え、福島にも古い史跡はあると思いますよ。
安積山の和歌は万葉集にも詠まれ、古今集序では「歌の父母」と呼ばれています。
それ以外にも、もじずり石、白河の関など、様々な歌枕があります。
安積山の歌の背景には、当時の国府を訪れた葛城王(中央公務員の視察みたいなもの)が、宴会がつまらないと怒ったら、采女(地元のホステス)が、「やぼねぇ、怒らないでよ」と言って歌ったら、ご機嫌が良くなったと言われています。
こういう宴会が突然 起こるはずがないので、それ以前から、接待宴会が出来るだけの経済力と文化がしっかりとあったのだと思います。
この和歌がかかれた木簡は、聖武天皇の時代だと言われているので、それ以前にこのくらいの状態だったのだと思います。
但し、関西と違うのは、そうしたものが連続的に残っていない点だと思います。
人の移動や、災害など、色々な原因があったと思います。
反面、関西の凄さは、何百年も前から住んでいる人や、千年を越えて続く寺社があたりまえな点と思います。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
安積山も白河の関も存じてはおりますが、古墳時代や古事記の物語よりはだいぶ時代が下りますからねえ〜大いに残念です。
私の家を遡ると、もちろん百姓なのですが、江戸時代に新潟の方から流れてきたらしいのです。その先は闇の中です。伊勢とか奈良には平家の落人とか、戦国武将の家来だったなんて歴史のある方が多いですから、もう兜を脱ぐしかありません。悲しいなあ




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