快哉せずに振り返れ

2018.12.27
電車で「七つの会議」という映画の中つり広告があった。それを見て頭に浮かんだことである。
原作者 池井戸潤は現代の寵児である。「倍返し」「たまには正義も勝つ」「黙ってない」などなど名セリフ、流行語のメーカーである。



会議

実は私、池井戸の本はほとんど読んでいる、そして感動した。但し過去形である。今は彼の小説を読んでも感動しない。いやその前に賛同しない。
それはなぜか?
空飛ぶタイヤ空飛ぶタイヤ空飛ぶタイヤ
銀行支店長の悪事を暴こうと、タイヤが空を飛ぼうと、難しいロケットの部品を作ろうと、テーマはすべて同じで、企業の歯車となった悲しさとか、不正を暴くための苦労とか、真実を貫くための戦いとか、彼が企業犯罪小説家と言われるのももっともである。
あるとき彼の小説を読んでいて、これはおかしいと思った。その瞬間、池井戸潤がバカバカしくなった。
現実は違うとか「できるはずがない」と思ったのではない。その反対だ。「なぜしなかったのか」と思ったからだ。なぜ不正が行われたのか? なぜ不正を許す風土なのか? なぜ悪事を見逃したのか、そう思った。

私は会社に勤務していたとき出世したわけではない。同期や仲間に追い越され、置いてきぼりにされて悲しさを何度も体験した。でも自分が努力不足だったとか、怠けたつもりはない。
しかし私は他の人と違うことがあった。私は上司とか同僚が変な判断とか、行動をしたときはすぐにコメント(ツッコミ)した。それは会社規則にそぐわないのではないか、それは決裁ルート通りではない、信義に反するのではないか、それは・・
おかしなことを見つけたときズケズケと発言した。それを私は遠慮なくというか、元々遠慮する必要性を感じなかった。
だから出世しなかったわけではないだろうが、池井戸のお話に出てくるような出来事が目の前にあれば、馘首になるかもと頭に浮かぶ前に「そりゃおかしい」と口から出てしまうことは間違いない。そういう図々しさというか空気を読まない田舎者の体質がしみ込んでいる。
私が池井戸のお話の登場人物なら、問題になる前に「異議あり!」と叫んでいたはずだ。長いものに巻かれろという生き方とは真逆である。
言い換えると、池井戸のお話を読んで主人公の行動に感動したり、発言を名セリフと受け止めるなら、あなたはおかしい。小説の登場人物が、すべきことをしなかったことを疑問に思い糾弾すべきである。

そうしないのは 社畜 だからだ!


不祥事が報道されるたびに、会社のトップが頭を下げて「ごめんなさい、許してください、二度と起きないようにします」と頭を下げる。
謝罪会見 頭を下げるのは恥ずかしいはず。いやそれどころかそういうことになれば、株価はさがり、引責辞任も発生し、そこまでしなくても元の上司や今の幹部も減給その他の処分を受けるだろう。
一般社員もその家族も、世間から白い眼で見られる。会社の製品も売れなくなり、取引先から切られ、その後 相当期間辛いことになるだろう。
テッシュペーパー会社の会長がラスベガス賭博のとき、工場で働いていた人の家族が周りから白い眼で見られクヤシーと語っていた。

言いたいことは不祥事、例えば横領とか情報漏洩とかした者は見つからない場合には大儲けするだろう。しかしそういったことを見逃がし、黙認することは、絶対に収支が合わず損をするだけであることは明白だ。
それともなにか、次は自分が横領しようとか考えているのか?
なぜ普段から目を光らせて、法に反すること、会社のルールに反すること、そういう行為を見つける、あるいは行為を未然に防ぐということをしないのか?
見つけられないのか?
見つける気がないのか?
見ても気が付かないのか?
どうなっているんだ?

よくブラック企業が話題になるが、社長ひとりがブラック企業に染め上がることはできない。幹部はもちろんだが、一般従業員もそういう社風を是認しているからブラック企業になるのだ。
ブラック企業に勤めている人は、ブラック企業にした責任がある。
テッシュペーパー
テッシュペーパー会社の会長がラスベガスで大金をすって、会社のお金で尻拭いとか、老舗料亭で客が食べなかったテンプラを次の客に出したり、名産饅頭の賞味期限を書き直したり、やってない試験をやったようにしたり、
2018年には個人がスワップ取引で儲けようとしたら18億も損を出し、損するのは嫌だとそれを会社に付け替えたなんてスゴ技使った社長もいたようで、不祥事は絶えません。
お客さんだけ飲むのはずるいと思ったのか、飛行中にシャンパンを楽しんだスッチーもいた。これを犯罪と思わない人がいたらおかしい。
でもそんなことを一人でできるわけがないだろう 💢
誰かが見ていたはずだし、手伝った者もいたかもしれない。

あるいは会社のためと思って、社員が不正を働くケースもある。
2002年のことだが、一流タイヤメーカーで不良品のタイヤを工場で不良処分すると部門の成績が下がるからと、空を飛ばないタイヤ 社外に持ち出して捨てたり燃やしたりしていた人がいた。その人は不法投棄で逮捕された。
不法投棄は重大な犯罪である。あなたがゴミの日に出すのを忘れて近くのマンションのごみ捨て場に出すのは不法投棄になり、懲役や罰金がある。

あなたはそれをどう思うか?
自分の利益でなく会社のために不正をしたのは立派だと思うのか?
私には遵法意識のない愚か者としか見えない。はっきり言って、当人が悪い。
タイヤメーカーがどこか知りたければググると今でも見つかるよ、

環境犯罪の多くは個人の利益にならない。会社にお金がないから対策できない。そして本人が会社のためと思って余計なことをして、犯罪をしてしまった。アホとしか言いようがない。

なぜ池井戸潤は悪事を働こうとした人がいれば、未然に総務なり経理なり、あるいは最近の会社にはコンプライアンス部門があるだろうから、そこが芽のうちに摘み取って社内犯罪が起きないようにするというお話を書かないのだろうか?
そんなこと思いもよらないのか? 書いても面白くないからか?

池井戸潤は元銀行員で、自分が体験したことや見聞したことを元ネタにして小説を書いていると聞く。誰だってインプットがなければアウトプットはなく、実体験・追体験がなければ小説も書けないと思う。しかし書くのはお話(つくりごと)だ。そういったインプットを加除修正して小説を書くのだろうけど、なぜ問題が山積してにっちもさっちもいかなくなって自殺とか、倒産とか、退職とかなどドラマティックな展開にするのか。もちろん面白く、スリリングで売れるためだろう。
小説家が危機的状態とか面白おかしく書くのはあるべき姿なのかもしれないが、いやしくもISO担当してましたとか、いやいやまともなサラリーマンなら、そういう悲劇的な事態になる前に手を打つよう心掛けないと、まともな人間じゃありません。

上司に忖度し、部下の心情を思いやり、自分を殺して悪を見逃し、最後に詰め腹を切るなんてカッコよくありません。 切腹 はっきり言ってバカです。いや、バカであるだけでなく順法精神の欠如だ。日本国民として、人間としてクズでしかない。
戦場からの脱走兵は死刑というのはどこの国でも同じだが、古代ローマ帝国では脱走兵を見逃した者も死刑だったという(塩野七生)。悪事を働くのは犯罪者、それを見逃すのは事後従犯である。

職階が下だから力が振るえないと思うかもしれないが、マネジメントには上が下をマネジメントすることもあるだろうし、下が上をマネジメントすることもできるはずだ。
もし自分がなにもできないなら、職を辞すという選択だってある。今の時代、正直に生きていくだけなら、奴隷まで堕ちることはない。社内犯罪を犯したり見てみぬふりをするよりも、清く貧しい生き方がすがすがしいじゃないか!
いや、あなたが悪事を弾劾することにより、社内であるいは世間で高く評価されるかもしれない。

覚えているでしょうけど: 2010年 中国が尖閣諸島領海に侵入しようとした事件がありました。
ときの民主党政権は中国と海上保安庁の衝突をなかったことにしようとしました。
しかし一海上保安官がそのビデオをutubeにアップして、世界中の人が知ることになりました。中国の悪事もバレたし、民主党の悪事もバレました。
その海上保安官は「一日本人、一国民として、やるべきことをやった」と述べた。
沈黙は金ではなく、恥ずべきものだ。
正義を貫くのは金じゃない、人間の務めだ

何もしないならあなたは事後従犯という名誉ある地位を得ることができる。
おっと、犯罪者になるという皮肉だよ

ちょっと話を変える。
ウルトラマンである。いつも怪獣が現れるとウルトラマンがおっとり刀で駆けつけるのだが、ウルトラマンでもなかなか勝負がつかない。それどころか追い込まれてきた。嗚呼!我らのウルトラマンもやられてしまうのか? 時間切れになってしまうのでは! というときに、そうです、スペシウム光線だったり、ウルトラスラッシュだったり、ウルトラアタックだったりするのです。
でもあなた、危ないと思ったらすぐに最強の手段をとるのは常套手段ではないですか?
戦争でもビジネスでも戦力の逐次投入は最悪手と昔から言われています。始めチョロチョロ中パッパッなんて、お米を炊くときだけ。勝負は最初から全力を投じてやっつけるのが最善。
最後に決め技を出し快哉を呼ぶプロレスは勝負じゃありません。パフォーマンスです。
後から倍返しをしようなんて涙を流してはいけません。初めから徹底的に懲らしめるのが正解です。

会社の不祥事では気付かないのかもしれない。生産ラインで考えてみよう。生産ラインで不良が出たりわざと不良を作る人がいても気が付かない振りをして、不良品の山ができてから慌てる管理者がいたらどうする?
ISO9001規格には1987年版から、是正処置も予防処置も要求している。
どんな仕事でも監視すべき項目と是非を判断する基準がある。ライン不良や加工寸法と同様に、伝票が定められたルートで処理されているかどうか、決裁者は定められた人が行っているのか、金額の推移に異常はないか、それをする人を管理者といい、その状態を管理下にあるという。いや、そういうことは管理者ばかりでなく担当者もしているはずだ。
正常からの小さな逸脱を見逃せば、先に行くほどずれは拡大する。そして自分の手に負えなくなってどうしようもなくなるのは管理者の責任なのは当然だが、周辺にいる人も同罪だ。
それが己の責任になり処罰されるのは結構であるが、その影響が企業存続にダメージを与えるほどになれば担当者や管理者が首を吊ったくらいでは結果責任を負うことはできない。
中小企業でも大企業でも不祥事が暴露されているが、そういうことにならないようにする責任は社長だけではない。新入社員にもパートにもアルバイトにも、それぞれの職務において重大な責任がある。
「たまには正義も勝つ」でなく、「常に正義が勝つ」会社を、職場を作れ!
グッドジョブ
日産自動車がゴーンを告発したのはすごいことだ。告発した人たちにはすごいストレスがあっただろう。お話じゃないんだ、現実のできごとだ、私は頑張った人たちを尊敬する。
願わくは、日本のすべての企業において正義のなされることを

私は思うのだが、社会的影響力のある作家なら、正義を貫く物語を書くべきだ。
”不正が行われた後で”断罪するのではなく、”不正を起こさない”物語を書くべきではないのか。
人間は正義を貫くべきだ、不正をあばくのではなく不正を止めるように行動すべきだというメッセージを発信すべきだと思う。

池井戸潤の名セリフには私が納得するものもあると言っておく。
「正しいことを正しいといえること」(ロスジェネの逆襲)
しかし彼のほとんどの小説では、正しいことを正しいと言わず、悪を増長させているのはやっぱり欠陥だ、

 本日の名セリフ
池井戸小説を読んでカタルシスを感じて快哉を叫ぶなんてみじめったらしい。そういう事態にしないように日々反省すべし。
汝,快哉せずに振り返れ!
迷セリフなんて言ってはいけません。
1年間、バカバカしいことばかり書いたけど、最後の最後は真面目なつもり。



外資社員様からお便りを頂きました(2019.01.07)
おばQさま
謹賀新年、本年も良き歳でありますように。

昨年のネタで恐縮ですが、
>問題になる前に「異議あり!」と叫んでいたはず
まさに仰る通りだと快哉を叫びました。
言わない理由は社畜なのかは不明ですが、「会社や組織の為」というのは、とても良い言い訳であり、それを受け入れていたのだと思います。
私も、以前の会社では、上司に突っ込みを入れていたので、要注意人物としてマークされておりました(笑)
結局、色々あって辞めたのですが、会社はその後解体寸前。
今頃になって「あんなに酷い事になるとか」とボヤイテいる人がいますが、「だから前から言ってたでしょう」としか言えません。
「会社や組織の為」は、言い換えれば「忠」社会常識や、正しい事は、「義」とか「信」と言えると思います。
現実世界では忠と信義が対立する事は当然のようにあって、歴史の中でも大きな課題でそれに倣えば、「三度諫言して容れざれば退く」のが、サラリーマンの道なのだと思いました。
日本の教育では「**してはいけません」「○○しなさい」というものは多いですが、価値観同士が対立した場合に、どうするかの教育は少ないように思います。
ドラマの水戸黄門でも悪役は明白に悪ですが、その命令に忠実な部下が黄門様に切りかかかるのを是とも非とも扱わず、峰打ちでごまかしています。
実世界では様々な価値観があり、人の数だけ正義があります。
結局、そういう中で、どうふるまうかは、様々な価値観の存在を理解した上で、自分の判断で動くしかないですよね。
それが「会社や組織の為」ならば、それで是とするべきで、上手く行かないからと言って誰かが悪いと言っても、そりゃぁ後知恵というものですよね。

外資社員様、毎度ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。
正直言って私は「社畜」という言葉が嫌いです。実を言って現役時代は社畜だったかもしれません。会社を替わっても時間外ももらわず働いていました。単に趣味が仕事だったのかもしれません。
ただ正義は正義、会社が法に反することをしたら即異議を申し立てることは厭いません。
30代のとき現場管理者でした。現場で怪我をした人が出て、上長が近くの外科に連れていけと私に命じました。そこは会社とつるんでいて、労災をもみ消すようなところで、かつ医者の腕が悪く皆行きたがりません。そのときも怪我をした人があそこは嫌だと言います。私はどう処分されようと良心に反することはできないと、市立の大きな病院に連れて行きました。
怪我の方は事なきを得ましたが、私はその後はいささか辛い思いをしました。でも自分は天地神明に誓って恥ずかしくないと思いました。まあ、そんなことは何度かありました。
上役の覚えめでたきを期すなら部下を犠牲にするのが適切な判断かもしれませんが、それはできません。そうしないと出世できないのはわかりますが、
水戸黄門でもなんでも、正義は人の数だけあります。相手が正しいか私が正しいか、神様しか判断できません。ただ己が信じる正義を貫くことも正義だと思います。少なくても相手の正義を尊重して、自分だけでなく多くの人が分が悪くなることはありますまい。
日本では、争うことを最悪だと信じて、個人でも国家でもひたすら土下座するのが最高と考えている人がいて困ります。
朝日新聞などは昨今の韓国軍艦の電波放射についても、日本が悪人になれば済むと語っております。バカは死ぬまで治らなくてもいいのですが、せめて他人を巻き込まないでと言いたいですね。

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