身長と寿命の関係

19.10.07
最近なにかで"身長と寿命は反比例する"というような文言を見かけた。正直言って、そんなことあるのだろうかと疑問だった。今となると何に載っていたか忘れてしまったが、興味を持ちググって探した。

さてググった結果を出す前に、すこし思考実験というか考えてみよう。
私たちの家族、親戚、近所の人、同僚、同級生といった人たちを思い浮かべて、 遺影 彼らの身長と亡くなった年齢には、なにか関係があるような気がするだろうか?
身長とか体格との関連より、時代と共に寿命が延びてきたとしか思えないのではないだろうか。
私の祖母・祖父4人のうち3人は、私が産まれるはるか前、50くらいで亡くなった。
父方の祖母は明治16年生まれで、私が小学生のとき亡くなった。享年76歳、その当時、女性の平均寿命は68歳だった。これほど長生きした人は珍しいと、お坊さんもお葬式に参集した人も話していた。
今なら女性が76歳で亡くなったら、まだお若いのにといわれるのは間違いない。

注1 私の子供の頃は告別式なんていう言い方はあまりなく、お葬式といった。昔々、明治時代、中江兆民が無宗教だったのでお葬式ではなく知人・教え子が別れを告げる式ということで告別式を催したのが始まり。
今では宗教行事としてのお葬式と別れを告げる告別式が一体化し、告別式といわれるようになったとか
注2平均寿命とはその年に生まれた赤ちゃんが生きるだろうと推定される年齢であり、その年に亡くなった人の平均年齢ではない。

父母の兄弟や従兄弟は50人くらいいたが、戦死した数人と事故や病気で亡くなった少数を除いて、多くは戦後の高度成長期を生きてほとんどが1970年代に60代で寿命を迎えた。父は67で、母は80年代まで生き延びて74で死んだ。まだ存命な方が数人いるがもう100歳前後でボケている。70歳の私の従兄弟たちもほぼ7割は鬼籍に入り、次は私だ。
65歳の家内の父母は私の父母より20くらい若く、家内の伯父・伯母は80代となったが、多くはまだ健在だ。そして家内の従兄弟は事故で亡くなった1人以外は皆健在。
日本では年と共に寿命が延び、健康寿命も延びているのは明白だ。

生活環境が寿命に影響を与えているのも明らか。医療の発達によって病気やケガが助かって寿命が延びたよりも、清潔・栄養・衣類の進歩で健康になった影響が大きいという。
私が子供の頃(1950年代)は水道もない家庭も多く、食品を洗うことも困難とか風呂に入るのは週2日なんて普通のこと、清潔であることはハードルが高い。
次に栄養であるが、みな貧乏で学校に弁当を持ってくることができない子供もいて、彼らは昼休みは校庭で鉄棒などをしてた。当時は欠食児童とか、栄養失調が問題であったが、太りすぎの子供というのは存在しなかった。学校給食が出されるようになったのは、私が小学3年の時からだ。
衣類はもう……プアだった。通学は下駄だったが、雪の降る日に素足で下駄はさすがにつらかった。小学・中学では学生服の下にセーターを着たが、コートなど買えずそりゃひどいもんでしたよ。
あの時、防水の靴と靴下を履き、コートを着ていれば雪道も楽しかっただろうと思います。
まあ今の子供が健康で背も高く、暑さ寒さに苦しまないことは良いことだと思うし、そういう社会を我々の世代が作って来たのだという自負もあります。

ともかく寿命というのは生活水準というか、物質的に豊かであれば食べるもの着るものに不自由せず、健康で長生きできると言うのは間違いない。前述した時代と共に寿命が延びたというのもそういうことだろう。

さてそんな背景を持つ私ですから、身の回りで身長が高いと早死にで、背が低いと長生きするという事例を思いつきません。そもそも私の回りに背の高い人がいない。私の父母の兄弟や従兄弟の男性は、みな158から165くらいで、中学でも背が高い先生が170くらいでした。同級生で背が高い奴で180ありません。
太った人といっても、小学校の先生が20貫あると自慢していましたが、今なら75キロは少し太めくらいでしょう。でも当時は太っていることは自慢になったのです。
私が子供の頃は、背の高い人も背の低い人も、60から70の間にお亡くなりになったこと。お金持ちは医者にかかることができ、貧乏人はそうではなかったけれど、死んだ年齢はあまり変わらなかったと思います。

さて本題に戻ると、ネットでググった結果、身長と寿命というものがたくさん見つかる。たくさん見つかるが、その根拠となる出典は多くないようだ。

検索すると多数のコンテンツが見つかるが、出典となる研究は3つ、理屈を根拠とするのはひとつしかないようだ。

  1. 米国ハワイ大学のブラッドリー・ウィルコックス教授
  2. マーストリヒト大学医療センター(オランダ)疫学部門のLloyd Brandts
  3. 国立がん研究センターのJPHC研究
  4. アロメトリーからの発想

身長と年齢の関係を理屈から唱えるのは、アロメトリーから演繹されるようだ。アロメトリーとは生物のサイズとパーツ(臓器や骨格など)の関係、生物のサイズによる代謝量などを数学的に考えるもので、臓器の機能や能力が一定なら、身長と寿命は負の相関関係があるとされる。
研究報告は、身長が高い人は身長を高くする遺伝とかホルモンなどにより、ガンなどのリスクが高く、身長が低いと脳卒中などのリスクが高いというものであり、直接的に身長から寿命を演繹されるものではない。結果的には身長150から190くらいの範囲内においては、10センチ背が高くなると4〜5歳くらい寿命が縮まるということになるという。
但し、実験用マウスと違い、体質も環境も習慣も全く同じという検体はないから、遺伝、子供の時の栄養状況、生活習慣などによる影響が大きいようだ。

しかし研究によって、身長が高い方が寿命は短いというのと、その反対に身長が高いと寿命が長いというものがある。要するに発展途上なのだ。いずれにしても生活習慣と運動の状況によって異なるという。

ところで!
ここまでのお話は私の主張も主観も入っておらず、ネットにあった記述そのもの、または要約です。
平均身長が高い国とか低い国とかありますね。本当に身長が高いと寿命が短いのでしょうか?
実際に身長計を持っていって背の高さを測りたいところですが、測ってもその人がいつお亡くなりになるか分からない。それに外国まで行くのも大変です。
それでとりあえず国連などの統計を借用して比較してみました。
データは下記によります。
・国別平均身長 世界の国別平均身長ランキング
・各国の一人当たりGDP世界の1人当たり名目GDP 国別ランキング・推移(IMF)
・各国の平均寿命世界の平均寿命 国別ランキング・推移

注:データの出所とか年次によって多少違いますが、そこはご容赦願います。

さて、各国の国民の平均身長と平均寿命がわかりましたので、どうなることやら?

平均身長・平均寿命
かなりばらついていますが、一次の近似線は右上がりです。相関係数は0.5538です。データ数が28個ですから、かなり相関があるといえるでしょう。
でも困りましたね、このグラフからは背が高い方が寿命が長いようです。
さんざん背が高いと寿命が短いという論が並んでいましたが、現実はそうではないようです。

冒頭で私の印象として栄養が良ければ健康になるし背が伸びると考えましたがどうでしょうか?
栄養が良いというのは難しいので、代用特性として豊かさを考えて一人当たりGDPとしました。

では、平均寿命と一人当たりのGDPの関係はどうか?

GDPと平均寿命
一目でGDPが大きい国は平均寿命が長いと分かります。
相関係数が0.7247ですから強い相関があるといってよいでしょう。
GDPが大きい、つまり豊かな国では乳幼児から成長期そして大人になっても、栄養が十分取れ健康でいられるということなんでしょうか。

では次はついでに一人当たりGDPと身長の相関です。

GDPと平均身長
相関係数は0.4556、身長と平均寿命の相関よりは小さいですが、かなり相関があるとみられます。前述したGDPと平均寿命と同じく、豊かな国では栄養が十分取れ、遺伝子の性能を十二分に発揮できるということでしょうか?
想像ですが、国力がつけば栄養も医療も短期間で改善できると思いますが、平均身長を伸ばすには数十年という期間を必要とするのではないでしょうか?
日本の場合も終戦後から一貫して身長が伸びてきましたが、2005年頃に飽和したようで、それ以降15年間はほぼフラットです。これは日本人の遺伝子が172センチが限度だと推定できないでしょうか?
そして保有する遺伝子の身長に至るまでに60年かかったと言えないでしょうか?
ただGDPが低い国々では身長のばらつきが大きいです。このへんはどうなのでしょうか? 単にバラツキでしょうか?
あるいは栄養が不足であっても遺伝子による差があってそれが現れているのかもしれません。想像ですがね、

以上まとめると、
ネットから得られるデータからは、身長が高いと寿命が短くなるとは言えない、むしろ身長と体重は正の相関関係にあるように思えます。
さて、どう考えたらよいでしょうか?
とりあえず言えるのは、身長が高ければガンに気を付け検診を受けるべきとか、身長が低ければ血圧とかコレステロール値に気を付けるべきということくらいのことではないのだろうか。
そして社会人になってからも常日頃から運動の習慣をつけておくべき、食いすぎ飲みすぎは禁物という程度のことではないのだろうか?
身長が高いから寿命が短いと悲観したり、背が低いから健康に気を使わなくても良いなんてことではない。
ただ背が高い人はものすごい特権だというような一方的なことではないという、意外な落とし穴ということかな?

夢がなくなってしまったかもしれないので、楽しい話を……

私はノーテンキというか深く考えない性格なので、年金など考えたこともないうちに定年となり、引退後どうなるか、どうするかを考える前に現役を引退してしまった。それだけで済まず60代後半となり古希となっても、まだ現役の気分が抜けない。
こういうのも実年齢よりも若く感じているというのかどうか……
ともかく今私は70歳だが自分では70になったという気がしない。
体の方はどうなのかというと、50代のとき突発性難聴になり右耳がダメになった。他には高脂血症と高血圧程度だ。体力はサラリーマン現役時代より確実に向上していると思う。
一昨年、オヤジの歳を追い越した。オヤジは狭心症、不整脈、高血圧と循環器系のデパートのように病気持ちだった。明治末に生まれて中国戦線に2度応召し、太平洋戦争では千島列島警備に行っていたのだから、体はボロボロだったのだろう。それを考えるとたいしたもんだと尊敬する。
他方、私は高校を出てから多少力仕事もしたけど、40過ぎてからはパソコンを叩いて給料をもらっていた。現役時代運動をしなかったから、その分高齢になってから体力が残っているなんてことはないのだろうか?
まあ、年齢を気にせず、病気を気にせず、自由気ままにあと15年は遊びたいと思う。
定年後に年金以外必要な2000万はあるのか? なんて聞いちゃいけません。そういうことも忘れて年齢も忘れて、悠々自適とならないと健康は維持できません。
最近読んだ「金持ち父さん貧乏父さん」という本では、金持ち父さんとはお金を持っていることではなく、貧乏父さんとはお金がないことでもないとありました。心が豊かでなければ産まれてきた甲斐がない、幸せとは幸せと思うこと、死ぬまで生きるのは誰でもできるならみんな平等でしょう。

 本日の妄想
歳と共に背が縮むというのは避けられないようです。私は二十歳の頃は168センチでしたが、その後デスクワークになって猫背、肩こりになり姿勢が悪くなり引退する62歳の健康診断では164センチでした。なんと40年間で4センチも縮んでしまったのです。
腹がへこんだぞ その後、ほぼ毎日フィットネスクラブに行く生活になり、2017年には167センチにまで戻りました。これぞ運動の成果でしょう。
しかし2019年には166センチと再び減少中です。運動も寄る年波には勝てないのでしょうか?
待てよ!
日本人の年代ごとの平均身長の統計があります。
それによると私は成人から60歳までは平均身長以下だったのですが、なんと65歳からは平均より背が高くなりました。つまり、他の人が背が縮むよりも私の背が縮むのが少ないから私が比較上ドンドン(?)背が伸びているのです(キリッ)。
私が80歳まで166センチをキープできれば、平均よりも7センチ高い、標準偏差が6センチだそうですから、背が高い方から上位16%に入るという、産まれてから初めての経験ができそうです(1σはずれは片側15.9%)。
おっと、そううまくはいかず、平均以上の速さで背が縮むかもしれませんね……



外資社員様からお便りを頂きました(2019.10.08)
おばQさま
いつも楽しいお話しを有難うございます。
今でも心身ともに成長とは、凄いです!!
言われてみると、なるほどのご指摘で、最近の健康本では遺伝子などに注目されているのですね。
でもご指摘のように、敗戦直後の日本を振り返れば、生活環境の改善が一番大きな要因ですよね。
1)清潔な水道:そのまま飲める水は素晴らしい
2)食物と衛生:私が子供の頃でも「蟯虫検査」がありました。
  虫のいる子供は、実際 顔色が悪かった。
以上が整った上での、個別の遺伝子や体質なのでしょうね。

従軍経験をした人のお話しを伺うと、
1)中国では衛生状態と水が常に問題だった
 それに耐えられない人は病院行き。
 中国戦線では組織が崩壊していないので、病院に入れては貰えました。
2)南方では軍隊組織が崩壊、入院も出来ないので個別サバイバル
*寄生虫に取りつかれると、ただでさえ補給が途絶えて食べ物が無いので衰弱死、不思議と虫が好く人と、付きにくい人が居て、生き残れたのは後者
*燃費の悪い体質は生き残れなかった
飽食の現代ならば有利な体質が、食べ物が無い状態ではデメリット
*胃腸の弱い人は病死が多かった
食料が途絶したから、何でも食べる必要があります。
胃腸が弱い人は下痢になり、回復出来ず衰弱死

言い換えれば、南方で生き残れた人は
*虫が好かない(寄生虫が付きにくい)
*胃腸が丈夫  という体質のようです。
(燃費の悪い体質は論外)
加えて言えば、
*メンヘルが強い
あまり語られませんが、発狂死(直接の死因は別)も多かったようです。

身長との相関?
不明ですが上記の因子と身長が関係あるかですね。
気のせいか、私がお話しを伺った人は170cm以上が多かったような気もしますが165cmくらいの人もおりました。
結局、長生き遺伝子や体質がどうのと言っても、食料事情が悪くなったり、生活環境の悪い所に行くと異なる事が重要になるのだろうという感想でした。

外資社員様 毎度ありがとうございます。
我々が子供の頃は不潔でした。肌着は毎日交換なんてことできません。2日3日着るのは当たり前でした。風呂に入るのも2キロも離れた銭湯に行くのは週2回か3回です。
洗濯にしても母は長屋の水道場に行って洗濯板でゴシゴシしていました。10数軒の長屋に水道の蛇口は3つくらいしかありません。
私の住んでいた長屋は土地が悪く井戸が出ないので、初めから町の水道が来ていました。おかげでピロリ菌はありません。ピロリ菌は井戸水を常用していた人だけが罹患するそうです。
食い物もろくなものありませんでした。もちろん麦飯で、お正月は少し金持ちの親戚回りです。お年玉がもらえるわけではありません。餅を食べさせてもらうのです。我が家では一人当たり何個と食える餅の数が決まっていましたから。
冷蔵庫などありませんから、食品が傷みやすく、またそれを食べなくてはならない状況で、毎年赤痢とか疫痢になる子供が多数いて、小学校卒業までに赤痢で二人か三人亡くなったはずです。
今振り返ると笑い話ですが、当時は回りもみんな貧乏で豊かさというのが分かりませんから、寒いとか辛いとは感じても、貧しいとか欲しいという欲求は生じませんでした。ブータンは世界で一番幸せな国と言われていましたが、テレビなどで西欧の豊かな生活を知るにつれて不満が増えてきたそうです。貧乏は金持ちがいて初めて感じるものですから。
私の年代は寄生虫当たり前の状況で、毎年の検便で今度は良かったとか、またかよ!なんて塩梅でした。これは人糞のせいもありますし、裸足だったこともあると思います。
大人になってから寄生虫と無縁な暮らしを何十年もしていましたが、1990年頃タイに長期出張して寄生虫になりました。帰国してからあちこち医者に見てもらったのですが、寄生虫であることは分かっても、駆除できません。義母が心配して田舎の年寄り先生を探してくれてそこに行きました。一発で駆除しました。二日ほど寝込みましたけど。
70年生きてきて思うのは、やはり腹いっぱい食えること、寒さを防げる服を着ること、清潔な暮らしが必要だなと思います。
そういえば私が成人になる前、糖尿病や痛風は贅沢病と言ってました。貧乏人が心配することはなかったのです。今は貧富関係なく糖尿病になれるようになりましたし、痛風の痛さを知ることもできるようになりました。
身長は165もあれば十分で80まで生きれば十分と考えると、この世の中は最高だと思います。背も高く超寿命で金持ちでと欲を出してはいけません。
西部劇のヒーローで実在のバットマスターソンが後年書いたものに「この世は素晴らしい、金持ちは夏に氷が食えるし、貧乏人は冬食える」とあったそうです。そう思える人になりたいと思います。

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