東日本大震災から9年

2020.03.09
東日本大震災から9年が経つ。それは既に過去のこととなった人も多いだろう。しかし原発の後処理に従事している人たちには過去ではなく現在である。私たちのために己の危険を顧みずに戦っている人たちには感謝の言葉もない。そしてまだ過去になっていない被災者は多い。

私には東日本大震災は昨日のことのようにも思えるし、ものすごく昔のことのようにも思える。しかし当時幼稚園児だった大甥(注1)が、中学生になっただけの時間が過ぎたことは間違いない。
私の家族にとって大きな影響はなかった。もちろん勤め先の東京から千葉の自宅に帰れず会社の床に一晩寝たとか、その後1週間は鉄道の支線が動かなかったとか、食器の多くが壊れたなんてことはあったが、ともかく家内も娘・息子も命に別状もなく怪我もなかった。

実は私の息子は地震の数年前まで仙台空港の南側数キロの会社に勤めていた。ブラック企業で朝5時から深夜まで働いていて体を壊し、会社を辞めて千葉の我が家に戻ってきた。もし体を壊さず働いていたら、あの日津波にさらわれていたのは間違いない。病気になってよかった。

家内も私も親戚、縁戚となるとほとんどが宮城県と福島県在住だから、家が壊れた、家の中が土砂で埋まった、避難生活をしたという家庭は多かった。死傷した方はいなかったが、高齢の叔父は避難所で体を悪くして帰宅してまもなく亡くなった。
しかし9年がたった今はみなそれなりに落ち着いている。自宅が被害にあった家庭では、建て直しした家もあるし、補修して暮らしている家もあり、中には傾いた家を修理できずそのまま住んでいる人もいる。完璧を期すには建て直すしかなく、できるところで折り合いをつけないとどうにもならない。

田舎の我が家のお墓は地震で石碑がずれてしまった。石碑は見た目小さいが結構重い。何年か前、彼岸かお盆のとき義弟と二人で動かそうとしたが、還暦をとうに過ぎた老人二人ではとても動くものではない。わざわざ工事依頼するまでもないとそのまま放っていた。昨年妹が亡くなったので、石屋に戒名を彫ってもらうついでに直してもらった。

地震を予知できるのかどうかわからないが、予知できたとしても完ぺきな対応など不可能だろう。大地震が起きても犠牲者や被害を出さないとか、もっとうまく対応するなんて無理だと思う。
我が国は災害列島といわれるくらい種々の災害が日常茶飯事に起きる。東日本大震災以降をみても、大きな地震だけでも熊本地震もあったし北海道胆振東部地震もあった。

地震だけではない。2019年は週刊誌どころか週間台風といわれるくらい毎週のように日本列島に台風が上陸した。 自動車が流される
そして東日本大震災ほど広い範囲ではないが、地域的に見れば地震以上の建屋や道路の損壊や犠牲者を出した。
東日本大震災のとき須賀川市の叔父宅はひびが入った程度で済んだが、お隣は全壊した。
家が流される 元お隣さんは数キロ離れた市街地に移り住んだ。叔父宅は一部補修をして住んでいたが、昨年の台風で阿武隈川が増水し、なんと1階は完全に水没した。あれから半年、まだその家に住んでいるがいずれ建て直さないとだめなのは傍目にも明らか。
高台に建て直した以前のお隣さんは昨年の台風では水害もなく被害は全くなかった。
人間万事塞翁が馬という言葉が頭に浮かぶ。次はお隣さんの番ではなく、我が家の番という気がしてならない。

10年前「コンクリートから人へ」なんてキャッチフレーズで政権を取った政党があった。しかし災害が起きると、過去に自分たちが語ったことを忘れて……あるいは忘れたふりなのか……現政権は災害対策が不十分だ、電力網を整備しろと駄々をこねる。お前たちができなかったことを声高に叫ぶのもどうかと思う。まさに幼児と同じだ。とても彼らに政権を任せることはできない。
憎々しい顔がいい 「コンクリートから人へ」とは「コンクリートから人(注2)」のことだったのではないかと私は思う。
彼らは100年に一度の災害など心配するなと語った。ということは100年に一度の災害なら死ねということか?
いやいや、関東地方の広い面積に洪水をもたらしたキャサリン台風が来たのは70年前、100年も経っていない。その前の明治43年の大水害から37年である。蓮舫は引き算ができないのか?
関東地方の大地震は過去400年間に限っても、マグニチュード7以上は17年に1度、マグニチュード8以上でも67年に1度の割で起きている。100年に一度なんてもんじゃない。誰でも人生で一度は経験するのだ。そういうことも知らない人は政治家を辞めてほしい。

日本は確かに災害が多い。しかし自分たちのしてきたことを卑下することもない。
韓国でもイランやトルコでも、同じ規模の地震なら日本の何倍もの被害を出している。台風だって2019年バハマを襲ったハリケーンではとんでもない被害が出た。
日本ならあれほどの被害にはならなかっただろう。それは護岸、建物の耐震構造、緊急事態への備えなど、国と国民の心構えも対策も違うからだろう。
そして思うのだが、地震や台風の被害をゼロにはできないのではないか。なにごとも収穫逓減の法則(注3)があるから、被害を少なくすればするほど加速度的に費用がかかる。結局何事も妥協だ。だからその場合は速やかな避難などで対応しなければならない。

よく外国人とか外国を見聞した人が、都市部の電柱を笑う。美観を損ねる、交通の邪魔、なぜ地中化しないのかと。
確かに現在では都市では電柱をなくしつつある。だが災害が起きた時、電柱は復旧しやすいという。地中化すれば美観向上もするだろうし倒壊の被害も減るだろうが、他方水害を受けやすくなることと、被害があれば復旧は電柱を直すよりはるかに手間なことは容易に想像つく。

では我々は何をするべきか?
河川護岸とか電力網や通信や交通のロバスト化(注4)などは、個人が考えてもしょうがない。政治と行政にお願いする。もちろんまっとうな政治家、政党に投票することは権利であり義務である。
我々が個人でとるべきことは、なによりもまず安全な生活環境を選ぶことだ。そのために考慮すべきことは多々ある。
ひとつは危険な土地の利用を避けることだろう。
千葉県市原市の住宅地も北海道胆振地震で土砂崩れにあった農家も、一目見てわかるが崖の近くだ。私のような臆病者には住めない。似たような地形なのは横須賀や長崎もそうだ。横須賀は関東大震災で被害を出したし、長崎は過去に大雨で大きな被害を出した。急傾斜、階段状の敷地など私は選ぶ気がしない。

注:関東大震災の東京の犠牲者の多くは火災によるものだ。神奈川県では崖崩れや建物の崩壊など地震による犠牲者が多かった。

横浜市ではマンションが傾斜地に建てられていて、各階が階段のようになっているのを見たことがある。他の都市では見られない光景だ。住んでいる人の話によると、エレベーターの代わりにエスカレーターがついているという。
水は高きより低きに流れるのは自然の摂理、住むなら傾斜地でなく平らなところを選ぶべし。

それと海抜の低い土地を避けるべきだ。海岸とか河川のそばも同様だ。あまり報道されていないが東日本大震災のとき、東京湾内でも船橋や君津では津波の被害があった。
津波は等高線通りに均一の高さに水が上がるわけではない。津波は抵抗の少ないところ、つまり川から侵入する。津波は川をさかのぼりはるか遠くで被害を出す。東日本大震災のとき河口から49キロも上流まで遡上したところもある。だから津波のときは海岸からだけでなく河川からも遠ざかることが重要だ。逃げる基準は遠くより高くである。

また海から遠くても液状化という危険がある。浦安市、船橋市、習志野市、千葉市の埋め立て地では、地面が泥のようになり基礎がしっかりしていない建物は沈んだり傾いたり。反対に水道管、下水道管は浮いたりした。
しかし海に接していない香取市や印西市や我孫子市でも、元河川だったところでは液状化が起きて住宅などに被害が出た(注5)

液状化しなくても埋め立てた土地や盛り土したところは危ない。傾斜した土地を住宅地にするとき、半分は削り取り半分は土盛りして階段状にするのが普通だ。郡山市では、削り取ったところに建てた家は被害がなく、隣の土盛りした家は地盤が崩れて崩壊していた。土地を買うときは開発前の土地の状況を調べなければならない。
土地を選ぶ際は、崖のそば、海岸沿い、海抜ゼロメートル地帯、埋め立て地は避けなければならない。

生まれてからずっと高地に住んでいた私は、海抜一桁メートルの土地に住むことは生理的に拒否感がある。高波が来たら、津波が来たらと思うと低地恐怖症になってしまう。
地下鉄築地市場駅入り口 元の築地市場があったところは海抜2mそこそこ、築地市場駅のところでも2.8メートルしかない。こういうところに行くと、私は何よりも先に避難場所を探してしまう。
用事があって江東区役所に行ったことがあるが、ここはなんと海抜がマイナス1メートルだ。正直気が気でない。一刻も早く逃げ出したい気持ちを抑えることができなかった。
私の元同僚は平井のマンションに住んでいた。敷地は海抜マイナス2メートルだったと思う。いくら環境がよく通勤至便で高級マンションでもうらやましくはない。畑の真ん中にあり通勤も買い物も不便な私のマンションのほうが、自然災害に強いのは間違いない。

私の性格を意気地なしと笑うのは結構だし、自分自身でも怖がりだと思っている。
だけど危険を避けるという意味で、そういうことを気にすることは悪いことではないだろう。高所恐怖症とは落ちたら大変だと認識しているからだ。だから高所恐怖症の人は転落する危険は少ないはずだ。低地恐怖症の人は津波や高波の被害にあうことは少ないと期待する。

そんなに安全を重要視したら土地がない。だから仕方がないということもあるだろう。だけど何事も決定するにあたりメリット・デメリットを考慮することは必要だ。そしてリスクを知って決定するのであれば、その結果を受容することもやむを得ない。50年に1回は自然災害に会うことを覚悟して住むことを愚かとは言わないが、災害に巡り合っても文句を言わない覚悟は持たなければならない。

私の住んでいるマンションは海抜25メートルである。生まれてから海抜250メートル以下の低地に住んだことがない私だが、最高峰が408メートルの千葉なら25メートルで我慢しなければならないだろう。
縄文時代の貝塚が見つかっているところだから、温暖化になっても海面下になることはなく、埋め立てではないから液状化する恐れもない。言い換えれば水の便が悪く、まわりは農地ではあるが田んぼはなく畑と果樹園しかない。土壌汚染も地下水汚染もない。もっとも過去から工場がないのだから当たり前か、

それと常日頃避難とか非常時の生活を考えておくべきだ。
私のマンションの避難場所は歩いて10分ほどの小学校だ。避難場所を知っていればよいわけではない。万が一に備えて、小学校に避難する練習しておかねばならない。どの道が安全で近いか、第一候補の道が通れないときの道も考えておかねばならない。小学校の体育館の位置やトイレとか水道なども確認しておくべきだ。非常持ち出しの荷物を持って、定期的に歩くくらいはしなければならない。

家内は私のように心配性ではないが言い換えると常在戦場の心構えで、いつも緊急事態対応を考えている。トイレットペーパーは常に1袋備蓄している。
トイレットペーパー
新型コロナウイルス流行でトイレットペーパーがドラッグストアの店頭から消えたが、家内はいつも家にある予備で2か月は問題ないから、慌てることはないという。
ウーロン茶または緑茶の2リットルのペットボトル6本入りのケースを置いてあり、常に先入先出で飲んでいる。
驚くことに家内はペットボトルのお茶でご飯を炊くことも試している。もちろん私も食べたが、お茶で炊いても水で炊いたのと変わらない。
そういえばたった一人で太平洋横断をした堀江謙一氏は「太平洋独りぼっち(注6)」という本で、太平洋横断を実行する前に、非常事態に備えて水以外ビールなどで炊飯するなどさまざまな実験をしたことを書いている。


ぬれ落ち葉 本日の誓い
「東日本大震災を忘れません、二度とこの悲劇を繰り返しません」なんて言葉だけではだめだ。身をもって危険を教えてくれた犠牲者に申し訳ない。
一国民として、できること・やらねばならぬことを考えてそれを実行することが、被害を少なくすることであり過去の犠牲者に報いることでもある。
老いぼれとはいえど災害においては最善を尽くし自身も生き延び、そして人のために尽くそうと思う。



注1
大甥(おおおい)とは甥や姪の息子、娘の場合は大姪(おおめい)という。又甥(またおい)・又姪(まためい)あるいは姪孫(てつそん)ともいう。

注2
昔、世界のどこでも工事や戦争などのイベントの成功や天災を払う祈願の際に人間を犠牲にした。旧約聖書を読むと普通の宴席などでは牛を神に捧げたが、重大な時は人を犠牲にした。
日本では工事が無事完成することを祈願して人を埋めたので、これを人柱(ひとばしら)と呼んだ。
現代では安全のためというようなポジティブな意味でなく、単に為政の無為無策とか犬死したようなネガティブなケースを人柱と呼ぶ。
注3
収穫逓減とは生産を上げようと努力したとき、収穫が上がれば上がるほどそれより向上させるには一層の資源の投入を必要とすること。

注4
ロバスト(robustness)とは外部の影響を受けたとき、それによって変化しないような仕組みまたは性質をロバストといい、そうなるようにすることをロバスト化という。

注5
注6
「太平洋ひとりぼっち」堀江謙一、文藝春秋社、1962


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